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現実:食-兵糧-配給される糧食レーションの歴史

▶歴史:古代・中世・近代の三区分法、原始・古代・中世・近代・現代の五区分法。

 

 ▼原始:先史時代から歴史(古代)時代へ移行する過渡期。文明が開けず、人間が原始的な生活を営んでいた時代。有史以前をさしていう場合が多い。


 古くから、軍事行動における食料の問題はさまざまな面で戦争という活動に対して束縛するものであり、特に遠征などにおいての補給は困難を極めてきた。




 ▼古代:「歴史の始まり」を意味する。古代文明(古代ギリシアなど)における文明の成立から5世紀_西ローマ帝国の崩壊(476年)までを指す。歴史時代または有史時代。


 食糧や消耗品の局地的な調達と拠点の兵站基地の組み合わせ。


 アレクサンドロス大王:

 兵糧、つまり食糧の確保と今後の安定供給のため、エジプトの都市を始めとしてその後同様に自分の名を付けた「アレクサンドリア」を遠征で手に入れた支配地の各所に建設した。一説にはその数は70にも登ったと。しかし今日まで残って現在も発展を続けているのはエジプトのアレクサンドリアだけですが。


 ローマ軍団を構成する兵士:

 古代ローマのレギオンは、各部隊が自己完結的な兵站機能を備えることで柔軟な運用が可能であったために軍団兵は進軍や移動のとき、武器防具や土木用の資材の他自身の携行食料や食器を携えていた。とにかく自給自足が旨である。

 軍団兵が遠征に携行する食料は、小麦粉、固く焼いたパン、干し魚、たまねぎ、イチジク、チーズ、牛乳、オリーブオイル、塩、水、葡萄酒など。



▼中世:一般に5世紀:西ローマ帝国滅亡(476年)から15世紀:東ローマ帝国滅亡(1453年)のあたりとされる。


 中世時代には配給される糧食レーションは食料の形で供給されたのではなく、1日分の食費を金銭で支給するものだった。兵士はこの金銭を酒保商人に支払って食料を購入していた。

 軍隊の最先頭の隊は必要とあらば橋の建設や道路を整備する為の工兵が配備され後方の主力である騎士やその小姓、また歩兵、さらにその後に輜重隊の列が続いた。これには攻城機を分解して荷車に載せたり、パンや、ワイン、肉、穀物といった兵糧、馬の飼料のカラス麦を運んだ。その彼らの後に商人や香具師、商売女が続き、そして最後の第三隊は殿を固めた。


 ただし中世のヨーロッパの軍隊は、作戦行動を開始すると敵地での略奪や市場での調達に依存。攻城戦が長期化するとこのような事態を避けるためにヨーロッパでの戦争ではしばしば河川での輸送と倉庫を組み合わせた兵站が実行されていた。



▼近世:東ローマ帝国の滅亡からルネサンス・宗教改革・大航海時代あたり(14世紀〜16世紀、中をとって15世紀)から、市民革命・産業革命の時代の前あたり(18世紀後半~19世紀初頭)までを指す。


 行軍の途上や戦場での集団的な略奪で局地的な補給を行っていたが、常備軍の必要から軍事革命によりローマ軍の兵站組織を参考としながら、より合理的な兵站体系の確立を目指した。

 都市や農村に宿営して食糧が安定的に補給、さらに各部隊は緊急事態に備えて4日分の食糧を備えて移動する補給部隊を組織。


 これに対し食品保存技術の発達していない軍艦の食生活は、劣悪なものであった。食料も水も腐敗しビールは酸っぱくチーズは固く蛆がわき、固いこの堅パンにも蛆がわく。




▼近代:18世紀後半:フランス革命の勃発(1789年)からが「近代」と見なされる。


ナポレオンの要請:

 兵糧の問題に際して「軍隊は胃袋で動く」と言葉を残し、早くから軍隊における食糧の供給問題に目を付けていたナポレオン・ボナパルトは、常温で長期間保存ができる食品を求めて懸賞金をかけて保存食の開発を民間に広く要請した。

 これに応えて1804年にフランスのニコラ・アペールが加熱殺菌済みの瓶詰を開発したが、ガラス瓶が割れ易く、輸送面で難があった。


 1810年には当時フランスと戦争状態にあったイギリスでピーター・デュランドが現在の缶詰の原型となる金属製密閉容器に食料を封入する方法を考案した。

 当初は寸胴に金属製の蓋をはんだ付けしたような容器であったが、缶切りはまだ発明されておらず、鑿と金鎚を使うか、場合によっては小銃などで缶を撃って穴を開け、食していたという。


 その後、缶詰は改良され、缶切りで開けられるようになり、長らく兵員の食料として提供されていたが、どうしても「食べた後の空き缶が発見されやすい」「メニューが単調で食事に飽き、士気の低下にもつながる」として容器やメニューの改良が続けられた。


 もう一方の軍艦の食生活はと言うと、18世紀半ば以降食事や衛生に関して様々な改革が行われた。砂糖、干しブドウ、ニンニク、その他スパイス、壊血病に効き目があると言われていたランの球根で作ったサロップ、ライムのジュース、塩漬けや酢漬けキャベツ、また、肉や野菜の缶詰の出現は画期的だった。缶詰は1815年の海峡艦隊において初めて採用された。

 その後、軍艦には酒保が設けられるようになり、バター、ジャム、ケーキなどの嗜好品が扱われた。それまで確保が難しかった真水に関しても、19世紀になって、タンクに雨水を貯え、過マンガン酸カルシウム(カルキ)を入れて持ちをよくした。また、ブリストルの水は、生石灰が少量含まれていたため長持ちした上に、船員は便秘にならず、赤痢も防げて一石三鳥だった。



▼現代:第一次、二次大戦から


レーションの近代化:


 今日見られるコンバットレーションのように、1つのパッケージで1食分とするような形態の総合的なレーションが開発されたのは第二次世界大戦前のアメリカ合衆国で、1936年から1941年にかけてCレーションとDレーションと呼ばれる2種類のレーションが開発されている。


 これらは1920年代に前後して試作された保存用のレーションを原型としており、この原型となったリザーブレーションは、2つの缶に複数の缶詰・干し肉やコーヒー、角砂糖などが封入されたものだったが、保存性よりもむしろ運搬の簡便性を重視したものだった。


 これらのレーションは、今日見られるレーションにより近く、長期間の劣悪な輸送環境に堪え得るように配慮されたものであった。それぞれの食品を缶詰にした上で箱詰めされたり密閉された缶容器に封入されたCレーションと、ブロック状に圧縮・固形化された食品をビニールなどの包装フィルムで密封したDレーション(現在市販されているスナックバーなどに近いもの)は、第二次大戦から朝鮮戦争を経て、ベトナム戦争の時代に到るまで改良されながら生産され続け、必要なのはわかるがそこまで沢山作る理由がわからない程年間数百万食という単位で生産・消費された。またこれらの時代を経て、CやD以外の各種レーションが多数開発・利用されている。


 2000年代の今日では、より携帯性に優れ、消費後はゴミが少なく、移動後に痕跡を発見されにくいレトルト食品化や、軽量にすることを目的としたり耐寒性を重視したフリーズドライ化、また、メニュー増強による食事の娯楽性を向上させたものが登場しており、食品加工技術の向上もあり、保存期間の延長も進んでいる。




世界的にも同種レーションの開発は進んでいる。


 メニューの豊富なカナダや、味に特化したフランス(市販品や民族料理を多用しており、非常に多彩な内容である)、ティータイムに大きな優位を持たせているイギリス、米飯と副食・漬物を組み合わせた日本、温かい食事ができるよう工夫された中国・ロシア、エネルギー補給に重点をおいたノルウェー(熱量は最大で7,500kcalに達する)などの北欧諸国、過酷な保管環境でも内容物に影響が出ないよう厳重に真空パックされ、ワインやデザートも用意されたイタリア、密閉容器を破壊しかねない発酵ガスを防ぐように処理された白菜キムチをメニューに加えた韓国と、各国の食文化を反映したものが開発されており、食文化だけでなく気候や軍の抱える事情も、そのままパックされていると言ってもよい。


現実:食-兵糧-戦闘糧食コンバット・レーション

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