現実:食-揚げ物 『唐揚げ』・『フライドチキン』
★揚げ物
あるいは揚げ料理とは、高温の多量の油の中で食材を加熱調理した料理、またその調理技法をいう。
日本では奈良時代にはこの調理法が知られていたが、食用油の商取引の専有・流通コスト高・生産量が少ないなどで高価であったため広く普及することはなかった。
しかし江戸時代初期に、植物油の主流が高価な胡麻油から量産の可能な菜種油に変わったことや、調理方法である天ぷらの普及、そして天ぷらに合った調味料の醤油の開発と流通に伴い、広く庶民にも食されるようになった。
一方の西洋では、古代ローマに揚げる技法が初めて紹介されるも、英語においては、多量の油によって高温で「揚げる(英: deep-fry)」という単語は1930年代におけるまで記述が存在しなかった。
欧州では少量の油で焼くように揚げるもの(シャローフライ)が一般的だったようだ。
フランス料理のメニューの中でよく見る「ソテー」、「ムニエル」、「ポワレ」、「シュエ」とは? その意味は?
ゲッターを…ゲッターを信じろ…!
平たいフライパンに少量の油を用いて比較的高温で火を加える(炒める)調理法「ソテー(仏: sauté)」があるが、似た調理法の「pan frying」はソテーよりも大きめの材料を早く調理するための方法である。
2つの調理法を使用する油の深さで区別する料理人もいるが、ほとんど同じ意味で使う者もいる。
また表面を褐色化させるだけの「searing」や、大きく揺すってかき混ぜるように加熱し全ての材料を一度に調理する「stir frying」とも異なる。
「ムニエル」とは、小麦粉をまぶした後、フライパンに乗せてバターで焼き上げる方法。
まわりの油をかけながら両面を焼き上げる。
「ポワレ」とは、脂を敷いたフライパンに具材を乗せ、表面はカリっと、中はソフトに焼き上げる調理法。
元々は「鍋に少量のフォン(ソースのべースとなるダシ)を入れ肉を蒸し焼きにする」調理法でしたが、現代では上記のような意味に変貌した。
「シュエ」は、野菜のうまみや甘みが凝縮するよう食材の水分を出させながら、弱火でゆっくり炒める調理法で、スープ・煮込み料理で主に行われます。
また、ロシアでも揚げ物が登場するのはとても遅く、料理書自体も1779年に出版されたものが最初になる。
ロシア料理の基礎は、農民の料理であるからだ。
なお、揚げ物は中華料理では基本的な技法である。
▼唐揚げ:
各種調味料や衣をまぶして油で揚げた料理である。
『からあげ』は『唐揚げ』、または『空揚げ』と書く。
比較的手軽に作る事ができる料理で、お弁当のおかずや定食のメニュー等で子供から大人まで非常に人気の高い料理である。
この他、トンカツ・天ぷらなどの揚げ物料理は日本で日常の食卓として広く浸透しています。
中でも唐揚げに至っては年間220億個以上が消費されており、国民食と言っても過言ではないほど、日本人にとって馴染みのある惣菜です。
なお、江戸時代初期に中国から日本へもたらされた「精進料理」である「普茶料理」では、『唐揚げ』と書いて『からあげ』または『とうあげ』と読んだ物があるのだが、しかし、「精進料理」であるはずの「普茶料理」で言う唐揚げとは、むろん現在の唐揚げとは違うものであり、普茶料理でいう『唐揚げ』とは、豆腐を小さく切り、油で揚げ、さらに醤油と酒で煮たものだと紹介されています。
一方の現代の唐揚げに近い、魚介類や野菜類を素揚げにしたり、小麦粉をまぶして揚げたりする料理法は
『煎出』『衣かけ』と呼ばれていたそうです。
このように唐揚げは日本独特のもので、戦後食料難に備え養鶏場を多く作るという国の政策の下、美味しい食べ方が色々な形で発展していき、唐揚げも多く食べられるようになったそうです。
つまり唐揚げが食卓に多く見られるようになったのは、ここ30~40年のことなのだ。
なお、北海道では「ザンギ」と呼ばれるものがあるが、これはニンニクやショウガ、醤油などで下味を付けて二度揚げるため(中華料理に近い味わい)、一般的な唐揚げとは区別されて売られている。
また、竜田揚げは調理法が異なる為、厳密には唐揚げとは区別される。
こうして日本には、この独自の鶏肉の揚げ物料理である「唐揚げ」があるのだが、一般にはフライドチキンとは別料理と見なされています。
これは成立の経緯や提供のされ方が異なり、また「唐揚げ」は肉に下味をつけて揚げる料理であり、一方の「フライドチキン」はコロモに味やスパイスを利かせて揚げるのであるため、
別料理であるという(日本唐揚協会)。
▼フライドチキン(英語 fried chicken):
鶏肉に、小麦粉などからつくった衣をまぶして、食用油で揚げた料理。
骨付きのフライドチキンでは、食べる際に手が汚れないように(そして骨の断面が見えないように)、
持ち手となる骨の先端の部分にマンシェット(「チャップ花」、「ターキー花」、「ペーパーフリル」)
が取り付けられることもある。
調理方法として油通しが基本である中華料理や、天ぷらが高級料理に位置づけられていた和食と対照的に、欧州の料理では少し昔(産業革命以降?)では、一般に揚げ物は労働階級や低所得者の食事とみなされてきた。
これは鮮度の落ちた食材や、骨や皮の多い食べづらい安価な部位も長時間油(廃油?)で揚げることで食べることが出来るという理由からである。
さらにフライドチキンには骨付きの手羽や脚までも使用されており、これらはナイフとフォークで食べることができないため、西欧においてはスープを取るのに用いる程度で通常は捨てる部位である。
▼南部の黒人の好物:
日本人と唐揚げの関係のように、フライドポテトに並ぶ人気のフライドチキンは、現在アメリカの食生活に欠かせない存在で、フライドチキンのレシピは数えきれないほどあり、どの街に行っても必ずフライドチキンが食べられるお店は存在します。
現代のアメリカ人はチキンをたくさん食べていて、それを特別なものだなんて全く思っていない。
だが昔は必ずしもそうでなかったのだ。
旧来、鶏を育てるのは高くつくことだったので、チキンは贅沢な料理だった。
故に2世紀前のレストランのメニューでは、チキン料理は一番高かった。
1928年になってすら、ハーバート・フーバーは当選後には大きな繁栄を有権者に約束する公約として「すべての鍋にチキンを」というスローガンを掲げて大統領選挙を戦ったくらいだ。
チキンの地位が変わったのは、同時代に鶏を育てて加工するための技術的に進歩した新しい方法(ブロイラー法)が開発されたからであった。
以上を踏まえて歴史的には20世紀中ごろまでアメリカで、フライドチキンは「南部の黒人の好物」として偏見の目で見られ、白人富裕層は食べることはなかった。
アメリカにおけるフライドチキンの起源はアメリカ合衆国南部の黒人奴隷のソウルフードにあるからだ。
ブロイラー法登場前は高級品であった鶏肉は胸肉などが白人に供され、骨の多い部位の調理法であったフライドチキンは、アフリカ系アメリカ人だけが食べるソウルフードであった。
アフリカ系アメリカ人のステレオタイプで、好物がフライドチキンとされるのはそこに由来する。
ソウルフードの歴史は、南部にまだ奴隷制が敷かれていたころまで遡る。
白人農園主に仕えていた黒人奴隷たちは、主人たちが捨ててしまう鶏の胸肉以外の部位をもらい、高カロリーのラードで揚げて活力としていた、こうして誕生したのがフライドチキンなのである。
米南部は、養豚業が発達し、「ラード」と呼ばれる豚の油が豊富で、最初から油に入れてあげる「ディープフライング(deep frying)」が可能だったからだ。
これはスコットランドでは、イギリス風の焼く・または茹でる鶏肉の食べ方とは異なり、揚げる調理法が一般的であったが、
アメリカ南部に移民したスコットランド移民の鶏肉料理が、アフリカ系アメリカ人の使用人に伝わり、現在の調味料やスパイスを使用したアメリカ風フライドチキンの調理法が形作られたといわれている。
また、彼らが白人農園主の邸宅の台所で調理を任されていた背景から、ヨーロッパ系アメリカ人の食卓にも上るようになり、フライドチキンは南部の白人食文化にとっても欠かせない料理へと変化していったのだ。
▼ファーストフードチェーン:
フライドチキンがアメリカ中に広がり、現在では代表的なアメリカ料理として世界中で受け入れられるまでになった背景には、ファーストフードチェーンの影響が大きい。
アメリカ独自のファーストフード文化は、1950年代頃から隆盛を極めます。
特に1955年には、「マクドナルド」と「ケンタッキーフライドチキン」という、今日でも世界的なファーストフードを代表する二大企業が創業しました。
●アメリカ:
米南部のケンタッキー州で、鳥の揚げ物を売っていたカーネル・サンダーズ(1890〜1980)は、1952年、ユタ州ソルトレークシティに渡り、「ケンタッキーフライドチキン(KFC)」という店を出した。
これを母体にしたフランチャイズ店舗が、全米を超えて、世界80数ヶ国へと広まり、黒人奴隷の「ソウルフード」は、世界人の好物となった。
●日本:
フライドチキンが日本独特の習慣としてクリスマス等のパーティでよく食べられるのも某ファーストフードチェーンの影響が大きい。
なお沖縄県では、フライドチキンをおかずにしてごはんや味噌汁と一緒に食べるそうだ。
日本のフライドチキン販売業者は、日本ケンタッキー・フライド・チキン(KFC)がシェアを占めている。
日本では鶏肉の揚げ物が食べられており、1970年の大阪万博に同店が出展し、その年の11月21日に名古屋に出店。
その後は日本各地に店舗を広げていった。
その後商業的にフライドチキンへ参入する会社は少なく、ロッテリア、モスバーガー、すかいらーくが参入した程度にとどまった(すかいらーくはその後撤退)。
また前2者のファーストフードチェーンでもフライドチキンが主力商品になるには至っていない。
そのためしばらくフライドチキン=KFCの図式は続いた。
2004年10月にファミリーマートがフライドチキンを刷新。同社社長(当時)の上田準二が、伊藤忠商事在籍時に約30年に渡り畜産事業を担当したノウハウを生かし、2005年度に6000万本を売り上げ、販売本数はKFCに続き国内2位となる。
さらにローソンもフライドチキンに参入し、半年で2000万本の売り上げを記録。
こちらは社長(当時)の新浪剛史が、三菱商事在籍時にKFCを担当し社外取締役を務めた経歴がある。
ケンタッキーなど一般的なフライドチキンが、大量の油のなかにどっぷり浸り揚げられる「ディープフライ」(圧力鍋)であるのに対し、少量の油でフライパンで揚げるフライドチキンが「パンフライドチキン(pan-fried chicken)」
アメリカ南部発祥の料理では、フライドチキンとワッフルを一緒に食べる「チキン&ワッフル」というメニューがあり、朝食やブランチメニューとしても人気です、揚げ物をとことん追求するのがアメリカの食文化。
日本では考えられないような食材もアメリカでは美味しく揚げられていました。
アメリカでは揚げ物にできないものはないと言われるほど、様々なものを揚げてしまう、中華や日本に負けない揚げ物文化が根付いているのです。
日本で揚げ物といえば肉や魚、野菜、おやつ類ではドーナツやパンなどが一般的ですが、日本では信じられないモノを揚げてしまう文化がアメリカにはありました。
▼揚げ物好きな日本人が驚いた、アメリカの揚げ物文化とは!
●「フライドピクルス」。
ハンバーガーやサンドイッチの付け合わせとしてもお馴染みのあのピクルスは、そのまま食べるのはもちろんのこと、揚げ物としても人気です。
ピクルス独特の酸味がカリッとした衣に包まれた、お酒のおつまみやスナックとしても人気の一品です。
●「フライドオクラ」。
日本ではオクラを塩茹でして独特の粘りを楽しみながらさっぱり食べることが多いオクラですが、アメリカではオクラを一口大に切って、ランチソース(バターミルクやサワークリームなどを混ぜて作られるアメリカの定番ソース)と呼ばれるソースにディップして食べられます。
アメリカでも南部で食べられることが多く、フライドオクラには粘りがほとんどありません。
そのためフライドオクラは好きだけど、ネバネバしたオクラは食べられないというアメリカ人も少なくありません。
●「寿司」
アメリカでも大人気の日本食、寿司も「Tempura Sushi」として揚げられています。
そのままでも美味しいアメリカの巻き寿司に、天ぷら粉をつけて揚げた天ぷら寿司は、衣の食感と中の寿司のバランスが人気で、アメリカのお寿司屋さんでは、ほぼ必ず取り扱っている人気メニューでもあります。
●その他
日本のお祭りの縁日などで欠かせない屋台は、アメリカのお祭りにも存在します。
コーンドッグ(日本でいうアメリカンドッグ)はどのお祭りでも見かける定番メニューですが、
特にアメリカ南部では「フライドアリゲーター」を売る屋台があります。
レストランでもアリゲーターの肉を使った料理が提供されることもあり、ワニをも食材として調理してしまうのアメリカ人の探究心に驚かされます。
気になる味は意外にも淡白で、癖がなくあっさりした鳥肉に近い味わいです。
また、アメリカのフライドフードはしょっぱいモノだけではありません。
そのまま食べても美味しいアイスクリームをも揚げてしまうのがアメリカ流。
固く冷えたアイスにコーンフレークの衣をまぶし、高温の油で短時間揚げた「フライドアイスクリーム」は、カリッとした外側と冷たいアイスの食感が楽しい斬新なデザートです。




