現実:歴史-古代-六大文明 他
現実:歴史-古代-四大河文明より
▶六大文明:それ以外にも多数・・・・・・
「六大文明」とは、所謂「四大文明」にメソアメリカ文明、アンデス文明などのこれらアメリカ大陸の文明を含めて六大文明と解釈する。欧米では、「肥沃な三日月地帯」や六大文明などといった人類の古代文明の発祥の地を「文明のゆりかご」などと呼ぶ。
▶古代文明一覧:六神ー! 合体ーーっ!!
▼メソポタミア文明:世界最古の文明とも。
(前3500年-前2500年)ティグリス川とユーフラテス川流域
チグリス川とユーフラテス川の間の沖積平野メソポタミアに生まれた複数の文明を総称。
北部がアッシリア、南部がバビロニアで、バビロニアのうち北部バビロニアがアッカド、下流地域の南部バビロニアがシュメールとさらに分けられる。南部の下流域であるシュメールから、上流の北部に向かって文明が広がっていった。土地が非常に肥沃で、数々の勢力の基盤となったが、森林伐採の過多などで、上流の塩気の強い土が流れてくるようになり、農地として使えない砂漠化が起きた。
▼エジプト文明:「エジプトはナイルの賜物」
(前3100年-前0030年)ナイル川渓谷
古代エジプトは、古代のエジプトに対する呼称。紀元前3000年頃に始まった第1王朝から紀元前30年にプトレマイオス朝が共和制ローマによって滅ぼされるまでの時代。
ナイル川本流からナイル川の上流は谷合でありナイル川1本だけが流れ、下流はデルタ地帯(ナイル川デルタ)が広がっている。最初に上流地域(上エジプト)と下流地域(下エジプト)でそれぞれ違った文化が発展した後に統一されたため、ファラオ(王)の称号の中に「上下エジプト王」という部分が残り、古代エジプト人も自国のことを「二つの国」と呼んでいた。
▼インダス文明:
(前2600年-前1800年)インダス川
インダス川および並行して流れていたとされるガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明である。崩壊の原因となったという説のあった川の名前にちなんでインダス文明、最初に発見された遺跡にちなんでハラッパー文明ともよばれる。また、インダス文明が存在した地域は現在砂漠となっている。インダス文明が消えたのは、この砂漠化によるのではないかという説がある。
なお、インダス文明はメソポタミアやペルシア湾地域、果てはエジプトとも交易を行っていたことが確認されている。
▼中国文明(黄河文明 長江文明 遼河文明):漢字文化圏
(前1700年-前1000年)黄河沿い(黄河、長江、遼河)
中国大陸における文明である。世界で最も古い文明の一つ。自称中華文明とも。
大きくは黄河文明、長江文明、北方・東北地方の草原文明である遼河文明の三つの文明が融合したものである。
そもそも中国大陸は広大な地域を持ち、各地の文化はそれぞれ別個に数千年もの発展を経ていて、一応中国文明の共通性を持ちながらも鮮明な地方特色を帯びている。中国文明はおおまかに言えば、歴史的な漢族、藏族(チベット族)、蒙古族(モンゴル族)、維吾爾族(ウイグル族·新疆)、満族などの民族がそれぞれの特色を持つ地域文化を作り上げている多国籍文化ともいえる。
▼エーゲ文明(キクラデス文明 ミノア文明 ミケーネ文明):魔神GO!
(前3000年-前1200年)エーゲ海
エーゲ文明は古代ギリシアにおける最古の文明。有名なトロイア、ミケーネ、ミノアの三文明のほか、さらに古い段階のキクラデス文明やヘラディック期ギリシア本土の文化などがある。ドイツのシュリーマンのミケーネ遺跡発掘により存在が確認された。
城壁もなく開放的な城の姿は海洋民族の特徴と言える。線文字A、線文字Bなどの高度な文明を残し、古代エジプト文明の影響を受けたとされ、また青銅器文化も栄えた。しかし紀元前12世紀頃すべて突然滅亡(紀元前1200年のカタストロフ)。原因は未だ解明されていない。
▼メソアメリカ文明(オルメカ文明 テオティワカン文明 マヤ文明 トルテカ文明 サポテカ文明 アステカ文明):
(前1250年-1521年)メキシコ及び中央アメリカ北西部
メキシコ及び中央アメリカ北西部とほぼ重複する地域において、共通的な特徴をもった農耕民文化ないし様々な高度文明(マヤ、テオティワカン、アステカなど)が繁栄した文化領域を指す。
これらの文化はアジア、ヨーロッパ、アフリカの三大陸の文明との交流を経験せず、地理的に孤立した環境で発展した。神殿文化は紀元前2,000年紀の末に起こり、それから約2,500年の間、外部世界の影響や干渉を受けることなく自力で発展し続けたが15世紀の末、魔神コロンブスに率いられたスペイン人が突然侵入してきた。
▼アンデス文明(モチェ文明 ナスカ文明 ワリ文明 ティワナク文明 シカン文明 チムー文明 インカ文明)
(前2500年-1532年)太平洋沿岸地帯からアンデス中央高地
1532年のスペイン人(白人)によるインカ帝国征服以前に、現在の南米大陸、ペルーを中心とする太平洋沿岸地帯およびペルーからボリビアへつながるアンデス中央高地に存在した文明。
四大文明などと異なり文字は持たない。その担い手は、12,000年前に、ベーリング海峡を渡ってアジアから移動してきたモンゴロイド(黄色人種)の中の古モンゴロイドとされる。
文字を持たない代わりに縄の結び目で情報を記録するキープというものがあった。
▼アマゾン文明 :アーマーゾーン
(前1000年-1000年)南米アマゾン川流域
南米アマゾン川流域に存在したとされる文明圏。少なくとも千数百年前までは低木草原地帯も多く存在していた。巨大な現地人の集落が多数存在しているとの報告があり、また1720年の記録でも、「一日歩けば10-20の村を通り過ぎる」「道路はまっすぐで広く、きれいに管理されていて一枚の落ち葉さえ見当たらない」との報告もあるが、こうした古い報告は1970年代までなぜか無視されていた。
ヨーロッパ人渡来以前に既に衰退し、その原因は現在のところ不明である。
▼スワヒリ文明:
(1000年-1500年)東アフリカの島嶼部の都市群を中心とした海洋文明
インド洋交易によって栄えた東アフリカの島嶼部の都市群を中心とした海洋文明のことである。イスラームを生活規範としながら、アラブ・ペルシア系の外来文化と土着のアフリカ農耕文化の融合によって作り上げられ、共通言語としてスワヒリ語が用いられた。
アフロ・アジア混血民、社会・文化面の多民族共生、都市性、イスラム教、交易活動、そして共通の文化を保持するために機能するスワヒリ語などの、多様な要素によってひとつの共通文化圏として発展してきたために、19世紀のイギリス人がスワヒリと呼び出した。