現実:食-オープンコーラ (飲料)
昔見たTVでアメリカのカートゥーンなのだか、メキシコだかテキサスだかで水屋だか酒場だかの親父がサボテンから密造酒を作っていた(テキーラがサボテンのお酒と誤解されているネタだったのだろうか? もしくはサボテン由来の幻覚剤「ペヨーテ」だったかもしれぬ)が、親父が主人公に絡まれて改心したあとは今度はサボテンからコーラを作るというネタをやっていたのを朧気に思い出した。
オープンコーラと聞いて、まず世界的に有名になっている飲料のコカ・コーラを連想する方も多いはずですが、
しかし、オープンコーラとはコーラの種類・銘柄ではなく、コーラのレシピの事である。
なお、当のザ コカ・コーラ カンパニーのコカ・コーラ調味法は、未だに秘密になっていることが有名であるし、
他の各社も多くのコーラも、その製造会社独自の調味法を用い、それを厳重に保護している。
なお味付けとしては基本的にバニラとシナモンで、
その他の材料としては、シトラスオイル類などの香料やクエン酸といった有機化合物などの酸味、
高濃度果糖のコーンシロップを始めとした様々な甘味料がコーラには加えられており、
また商品や市場によっては、砂糖やステビア、人工甘味料なども含まれている。
(無糖やダイエットと謳われたコーラには人工甘味料のみが使用されている。)
こうした背景がある中で世界中で広がっていったのが、
製法を一般に公開するオープンコーラを趣味として楽しむ人々です。
基本的なコーラの作り方を知ることが出来るため、
ベースとなる製法に独自の改良を加えてオリジナリティ溢れるコーラを作れる点が、
オープンコーラを趣味にしている人の楽しみ方と言えます。
また、材料や機材さえ準備することができれば誰でも製造することが可能で、
コーラを自由な発想で自作できるだけでなく、
ライセンスの下であれば改変した作り方を再配布できる点もオープンコーラの魅力と言えるでしょう。
●オープンコーラ社:
かつて存在したカナダのソフトウェア開発企業で、トロントに本拠を置いていた。
オープンコーラ (飲料)自体は本来はオープンソースソフトウェアの説明のために考え出された
『喩え』であったが、
実際に本物の飲料が作られるようになり、これまでに150,000本が売られた。
こうしてオープンコーラ社は少なくとも飲み物では、
宣伝しようとしたソフトウェアよりも有名になった。
シニア・ストラテジストのライアード・ブラウンは、
「この成功は、社会で広く知られている大企業の
『さまざまな独占の本質』への不信感によるものである」
と述べている。
しかし、会社の経営方針が変わったため、
同社はウェブページにおけるこのコーラの宣伝を今後は行わないと発表している。
これは2003年夏に、
オープンコーラがオンタリオ州ウォータールーのオープンテキスト社に買収された為だ。
▼オープンコーラ (飲料):
オープンコーラ(OpenCola)は、
あたかもオープンソースソフトウェアであるかのようにレシピが公開され、
改変と再配布も自由とされたコーラである。
コカ・コーラ社にはない発想である。
材料と機材さえ用意できれば誰もが製造することができ、
GNUプロジェクトのためにリチャード・ストールマンにより作成された
フリーソフトウェアライセンスであるGNU General Public Licenseの下で
レシピを改良して再配布することができる。
肝心の味はコーラとはまた違うドクターパッパーのような香料の強めの飲み物で、
好き嫌いは分かれるところだそうだが……
●製法:
以下に示すレシピは、2001年2月20日に公表された、
バージョン1.1.3のものである。
・香料の製法
10.0gの食用アラビアガム
3.50mlのオレンジ油
3.00mlの水
2.75mlのライム油
1.25mlのカッシア油
1.00mlのレモン油
1.00mlのナツメグ油
0.25mlのコリアンダー油
0.25mlのネロリ油
0.25mlのラベンダー油
・濃縮液の製法
2.36kgの白砂糖(プレーンなグラニュー糖)
2.28lの水
30.0mlのカラメル(着色料)
小さじ3.50の75%リン酸またはクエン酸
小さじ2.00の香料
小さじ0.50のカフェイン(任意)
・飲料の製法
濃縮液を5倍の濾過した水と混ぜ、飲料を炭酸化する。
または、蛇口で濃縮液と炭酸水を混ぜるソーダ水機を使う。
▼その他のオープンドリンク・プロジェクト:
・イタリア
FLOSS倫理の活動家が、商業的な目的なしにイタリア・オープンコーラ・プロジェクトを開始した。
イタリア・オープンコーラとトロントのオープンコーラ社には、名前以外に共通する点はない。
しかもイタリア版は無色透明で、販売されたことはない。
2004年には、
オープンソースのビール「Vores Øl」(デンマーク語で「我々のビール」の意味)が、
コペンハーゲンの学生グループにより発表された。




