現実:食 しゃぶしゃぶ
シャブシャブ
元々は「除倦覚醒剤」などの名称で販売されていたものが略された、
俗にシャブなどと呼ばれる覚醒剤の隠語……ではなく。
▼しゃぶしゃぶ:
ごく薄く切った肉を食卓の専用鍋に煮え立たせただし汁に数回くぐらせて加熱し、
タレにつけて食べる日本の鍋料理である。
タレは「ポン酢」と「ゴマダレ」が一般的である。
肉は主として牛肉であるが、その他にも豚肉や鶏肉、
またフグ、タコやブリ、タイ、ズワイガニなどの魚介類も用いられる。
生肉として食せる鮮度の肉を使用する。
牛肉を用いたものを「牛しゃぶ」、
豚肉を用いたものを「豚しゃぶ」
鶏肉を用いたものを「鶏しゃぶ」
ともいう。
肉を別途加熱したあとで冷やして野菜など他の食材とともに盛りつけて提供するものは
「冷しゃぶ」と呼ばれる。
また、お肉だけでなく魚やカニなど魚介類のしゃぶしゃぶも人気の具材です。
魚介特有の磯の香りと旨みがスープに溶け出すので、
お肉を使ったしゃぶしゃぶとは一味違ったおいしさを楽しむことができます。
定番の野菜といえば、白菜や白ネギ、人参やしいたけなど。
鍋料理によく使用される白菜は味が染みやすくクセがないのが特徴。
白ネギと人参は色味が綺麗なだけでなく素材の甘みが楽しめる人気食材です。
しいたけはおいしいだけでなく入れることでだしが出るので
しゃぶしゃぶにとてもおすすめの野菜です。
火が通りにくい人参→白菜→しいたけ→長ネギの順番で野菜を入れ、豆腐も入れる。
野菜に火が通り豆腐が浮き上がったタイミングでお肉を入れて加熱し、アクを取ったら完成。
定番のポン酢たれは具材の旨みをさっぱりと味わうことができます。
もう一方のゴマダレは濃厚なごまがお肉や野菜に絡んでさらに香り高いコクを味わうことができます。
もちろんポン酢とゴマダレを混ぜ合わせたごまポンも相性抜群。
或いはポン酢にごま油を数滴プラスするだけでごまの香りが漂う中華ドレッシングのような味に。
ポン酢に梅肉を加えると、梅の酸味が口いっぱいに広がる爽やかなタレになり、
ゴマダレにおろしニンニク足せば、より深みのある味に。
しめは、
・しゃぶしゃぶの残り汁を沸騰させ、「中華麺」を入れて3~4分ほど煮込んだら完成。
・しゃぶしゃぶの残り汁に「うどん」を入れ、5分ほど煮込んだら完成。
・しゃぶしゃぶの残りに「ご飯」を入れ、沸騰させ、ご飯が柔らかくなったら塩と醤油で味を整え、
最後に火を止めて溶き卵を回し入れ、2分蓋をして仕上げに海苔を散らすとできあがり。
▼「しゃぶしゃぶ」の名称:
1952年(昭和27年)に大阪の永楽町店スエヒロの三宅忠一が、
自店の料理として出すときに命名したもので、
これが始まりとされている。
従業員がたらいの中でおしぼりをすすぐ様子が鍋の中で肉を振る様子と似ていることや、
その際に立つ水の音がリズミカルで新鮮に響いたことが由来とされている。
1955年(昭和30年)に商標登録されているが、
スエヒロが商標登録したのは「しゃぶしゃぶ」ではなく、「肉のしゃぶしゃぶ」で、
「しゃぶしゃぶ」という言葉を、どの店でも使えるようにとの当時のお気遣い社長の配慮だという。
しゃぶしゃぶ専用調理鍋の中央にある煙突状の円筒は、
開発当時七輪で鍋を加熱した際に要した排気経路である。
これは鍋の直径が七輪のそれよりも大きいため、不完全燃焼を回避する必要から設けられたのだが、
同時にロケットストーブ的な煙突効果によって火力が増強される副次効果も得られたが、
実は元々はそこから炭を入れ鍋を加熱したという技術の名残なのである。
▼涮羊肉(シュワンヤンロウ、ピンイン):
しゃぶしゃぶは日本料理であるが、起源については他にも諸説ある。
フビライ・ハーンの侍医である忽思慧の考案によるとされる北京の火鍋料理に
「涮羊肉(シュワンヤンロウ、ピンイン:shuàn yáng ròu)」という
羊肉でしゃぶしゃぶする料理がある。
鳥取市出身で民芸運動の指導者であった吉田璋也が、
戦後 京都 十二段家で戦時中に軍医として赴任していた北京の料理を我が国に伝え、
羊肉を牛肉に替え、柳宗悦や河井寛次郎等の助言を得て今日の形となったという。
・1944年(昭和19年)、
京都の料理屋「十二段家」を初代が廃業した。
・1945年(昭和20年)9月、
二代目の西垣光温が「十二段家」を再興した。
これに鳥取市出身で民芸運動の指導者であった吉田璋也が、
戦時中に軍医として赴任していた北京の料理を伝え、
西垣は、吉田の他、交流のあった柳宗悦や河井寛次郎らの助言を得て、
羊肉を牛肉に替え、日本人に合うゴマダレを開発し、鍋を熱伝導の良い銅で作り、
2年近く試行錯誤を重ねて、今日の形となったという。
・1947年(昭和22年)、
そして「牛肉の水炊き」として売りに出され、新しい味は評判を呼び、
さらに民芸運動に携わる人たちによっても、日本全国に広まっていった。
○由来:
700年ほど前、元王朝を建てモンゴル帝国第5代皇帝で元朝の始祖フビライ・ハンは
(1271年にモンゴル帝国の国号を大元と改めた)
当時中国大陸いや、東部ユーラシア大陸を統括すべく、北から南に向かって遠征していた。
ある日ある年、軍を率いて南征中、幾多もの戦により疲弊していたフビライは、
戦いが続きゆっくりと食事する時間もなく、ふと故郷の羊肉の【煮込み】が食べたくなった。
そんな折、わずかに戦闘が止んだので、そのすきに部下に羊を殺して作るよう言い付けたのだが、
その時見張り番が慌ててやって来て、敵の大軍が目の前まで迫ってきていると報告した。
慌てて部下に戦闘態勢をとらせながらも、飢えに耐え切れなかったフビライは、
「羊肉!」と叫んだ。
もちろんまだ料理はしていないし、【皇帝に生肉を食べさせるわけにはいかない】。
困った料理人は、羊肉をごく薄く切り、鍋の熱湯に二三度ゆすっってさっとくぐらせ、
肉の色が変わるとすぐに碗によそい、塩や生姜をふりかけた。
フビライはすごい勢いで何碗も平らげると、大急ぎで戦闘に戻って行った。
いつも故郷のやわらかい羊の肉を食べたいと願っていた兵士達もそれに習い、
こもごも行き来して食べては戦いを続けた。
これは素晴らしい戦闘食にもなり、兵士達は俄然力をつけ
血気盛んに戦場に向かい、見事勝利を収めたのだ。
祝勝の宴席上でもフビライはさっきの羊肉料理がまた食べたいと言い、絶賛した。
後になって、これは調味料を加え、焼かない、あぶらない、炒めない、蒸さない、
煮ないのにとても美味い料理法として今に伝わった。
そこで自ら「シュワンヤンロウ(沸騰した湯の中にさっと通す)羊肉」と名づけ、
全国に広まっていった、と言うのが一番有名なシュワンヤンロの伝説です。
……煮込み料理じゃなくなっている!?
まああの連中平気で生肉食うんですがね。
(注:生肉を食べる食文化として世界的に広く知られているのは、モンゴルの食文化です。
モンゴル人は主に生の馬肉を食べる習慣がモンゴル帝国の頃からありました。)
ただ、中国の鍋料理である火鍋に用いられる食材は、
なんと日本のしゃぶしゃぶのようにすぐに火が通るものばかりでなく、
むしろしばらく煮込む必要がある食材が多いのだった。
この吉田璋也によるしゃぶしゃぶの原型「牛肉のすすぎ鍋」は、
鳥取市のたくみ割烹で供されている。
この他にも、
「むかしむかし、中国の東北部でのお話です。
ある雪の夜、羊の肉を軒下につるしておいた所、寒さのために凍ってしまいました。
そこで、やむをえず、薄く切って沸騰したお湯の中に入れ、
たれにつけて食べたら大変おいしかったというのが しゃぶしゃぶのはじまり」
といわれています。
これが日本には、戦後間もない昭和20年代のはじめに取り入れられ、
うす味の熱いダシのなかでお肉を洗うようにおよがせて食べるところから、
しゃぶしゃぶとよばれるようになったということです。
▼ノーパンしゃぶしゃぶ:変態日本の魔改造!
“風俗界の大発明『ノーパン喫茶』は、男たちをトリコにしたが、
当時の若者がおっさん世代になったため
“失われた10年”に過剰接待「ノーパンしゃぶしゃぶ」があった!
大きな声では言えないが日銀の前科
「ノーパンしゃぶしゃぶ」が話題に 大蔵省の汚職事件を振り返る。
ノーパンしゃぶしゃぶとは、エンターテインメント・レストランの一種。
ミニスカートの下がノーパンの女性店員が接客するしゃぶしゃぶ料理店、
もしくは風俗店である。類似するサービスを提供するものとしては、ノーパン喫茶などが見られる。
東京・新宿の高級ノーパンしゃぶしゃぶ店が、
大蔵省接待汚職事件で大蔵官僚(当時)接待の舞台の一つとなっていた事が報道されたことから、
1998年(平成10年)に話題となった。
exciteによれば、ノーパンしゃぶしゃぶは飲食店と言う扱いであり、
風俗店とは異なり「飲食費として領収書を落とせる」ことにより、官僚の接待に利用された。
朝日新聞出版/週刊朝日によれば、この事件で話題となった店舗については、
東京・歌舞伎町にあった会員制の店舗であり、
コースの料金は2時間で税込み1万9980円と言うもので、
フォアグラや松阪牛などが提供されていたと言う。
また、従業員の証言によれば、接待する側は冷めていたが、
接待される側は「一心不乱に見ている」状態であったと言う。
また、講談社・「週刊現代」2016年12月17日号掲載「風俗界の大発明『ノーパン喫茶』は、
こうして男たちをトリコにした」においてみうらじゅんは、
ノーパン喫茶は若年層に人気があったが、
ノーパンしゃぶしゃぶはオッサンに人気があったと述懐している。
これはノーパン喫茶がブームになった1980年代前半からおよそ15年が経過して、
当時の若者がおっさん世代になったためである。