現実:食-「ソフトクリーム(ソフトサーブアイスクリーム)」 - 円環の理(渦巻きのフォルム) - 【日世】
7月3日はソフトクリームの日
▼ソフトクリーム: 反逆者の物語
諸君等はひとつ甚だしい勘違いをしているぞ!
英語圏でソフトクリームは「soft serve ice cream( ソフトサーブアイスクリーム )」で、
「soft cream( ソフトクリーム )」は『和製英語』だ!!
世界では「ソフトクリーム」などという言い方は用しない!!!
略すなら「soft serve( ソフトサーブ )」である。
なお、ソフトサーブアイスクリームは、1930年代後半から米国で商業的に販売されています。
ソフトクリームとは、主に、牛乳などを主原料として作られた柔らかいアイスクリームである。
コーンカップ(アイスクリーム・コーン)の上に入れて食べることが多い。
・君の名は:
それを貿易会社「株式会社 二世商会」から始まった現「日世株式会社」
の創業者である田中譲治が
「まだ日本では珍しいソフトクリームを売れば、大ヒットになる」
と考え、日本でソフトクリームを広めるために、出来るだけ短くわかりやすい表現にしようと
「serve」と「ice」を省略し「ソフトクリーム」と命名、
日本で初めて当時高価で貴重だったソフトクリームマシンを
アメリカのスウェーデン社よりソフトクリームフリーザーを日世で輸入し
いち早く導入、デパートや食堂・喫茶店など徐々に販路を拡大していきました。
だが、高価で貴重な事に対して「反逆」を開始。
日世株式会社は、ソフトクリームの総合メーカーとなり、
ソフトクリーム製造器のフリーザーに始まり、可食容器のコーンの製造、
液体原料のソフトクリーム・ミックスも自社生産するための開発を行い低価格化に挑戦、
ソフトクリーム製造機であるフリーザーをも製造販売するようになり、
こうしてすべての関連商品を生産・供給できる国内で唯一の総合メーカーになりました。
○ソフトクリームの製造法:ソフトクリームはアイスクリームの一種
ソフトクリームはアイスクリームの一種であるが結晶化を避けるために、
すべてのソフトクリーム液を撹拌しながらすばやく冷凍しなければなりません。
この際冷凍中に空気が導入され、結果通常のアイスクリームよりも軟らかく密度が低いのです。
また氷結晶が少なく、かつ氷の結晶が小さいため
「なめらかで口あたりの良さ」「出来立てのフレッシュ感」が大きな特徴です。
つまりフリーザーで-5℃~-7℃でかき混ぜる事で空気を入れてふんわりと柔らかく仕上げ
アイスクリームのように固めないでそのまま食べればソフトクリームで、
出来上がったソフトクリームを-30℃で急速冷凍して輸送、
店頭で-18℃で保存し固めているのがアイスクリームという事になります。
一方、食べる直前まで製造中のソフトクリームの製品温度は-5℃~-7℃のままとなっています。
一般的にアイスクリームとソフトクリームの大きな違いはこの商品の温度にあります。
この冷たさで味覚の感じ方が違ってきます。
たとえば固まったアイスクリームが溶け始めてくると甘く感じるようになります。
そもそもアイスクリームは-18℃以下で、
ソフトクリームは-5~-7℃でちょうどよい味にしています。
故にソフトクリームを一言で表現するならば、店先で製造している『作りたてのアイスクリーム』と言える。
そうソフトクリームとアイスクリームの違いは、“出来たて”か“運搬の為に急速冷凍したもの”かの違いなのです。
なので東京都ではソフトクリームを販売する時に
『アイスクリーム類製造工場の許可』を取得しなさいと指導されます。
なお、フリーザーには加工されたソフトクリーム専用ミックスを仕込みます。
市販の牛乳をそのまま仕込まれても、ふわっとしたソフトクリームはできません。
フリーザーの中には筒状の製造室があり、筒の内面に原材料が凍りつきます。
それを柔らかく掻きとり、適切な量の空気と混合して、常に一定量のアイスで製造室を満たしておきます。
客に販売する際にフリーザー前方に押し出して、新たにできた空間に新しい液体原料が補給され、
常に満たされて次の取り出しを待ちます。
こうしたソフトクリーム製造機であるフリーザーは100V家庭用電源で1時間に120個、
200V工業用電源だと1時間に240~790個などの製造能力を持っています。
また出来上りとして、ソフトクリームの製造機からソフトクリームを取り出すために、
押出し機から棒状のアイスクリームが出てきますが、それをそのままコーンに詰めたのでは、
うまく詰めることが出来ません。
そこで、うず状に順にのせていくことにより、うまく詰めることが出来るのです。
ソフトクリーム製造機のクリーム抽出口は今も昔も固定されていますから、
☆型等の口から抽出される一筋のソフトクリームをコーンカップで受け止める必要があり、
一定量を綺麗に均等に盛るにはコーンカップをクルクル回して徐々にクリームを重ねる結果、
特徴のある渦巻き状のソフトクリームが出来上がるのです。
結果として、渦が中に空気を内包させることによりソフトクリームの口当たりをよくしているのです。
またソフトクリームやアイスクリームでは、しばしばオーバーランという言葉が使われます。
ミックスはフリーザーの中で攪拌されながら冷却され、適当量の空気を抱き込み、
なめらかで適度な冷たさをもったソフトクリームになります。
その空気の混入度合いを示すものをオーバーランといいます。
この空気の含有量は出来上がりのソフトクリームの味覚に大きな影響を及ぼします。
一般的にオーバーランが低すぎると、ソフトクリームは重くなり、風味がくどく、
口のなかでの溶けも悪く、組織も粗く硬いものとなります。
また、逆にオーバーランが高すぎると気泡が大きくふかふかした食感で空気が多いため風味も弱く、
冷たさも少ないものとなります。
さらに、うずを巻いた円錐という形はやわらかいソフトクリームが崩れないように
という配慮もなされています。
つまり渦巻きのフォルムはソフトクリームにとっては、理想の形なのですね。
・ソフトクリームの誕生:
1934年アメリカで「凍ったカスタード」を行商で売り始めたのが最初。
トム・カーヴェルは、ギリシャ生まれのアメリカ人ビジネスマンと起業家で
米国北東部のソフトアイスクリームの発明と宣伝で知られる。
Carvelブランドとフランチャイズの創始者。
・世界のソフトクリーム:
米国では“作りたてを売りたい”という要望から生まれた
“オートマティック・ソフト・サーブマシン”が1931年に誕生しまし、
現在のソフトクリームの形になったようです。
しかし日本ではコンビニやファーストフード店・観光地の食事処など色々なところで
ソフトクリームを買えますが、意外なことに、このようにソフトクリームが手軽に買える国は、
日本の他にはあまりない。
・日本におけるソフトクリームの歴史:
昭和26年(1951年)7月3日、明治神宮外苑で日本を占領していた連合国軍のアメリカ軍が
アメリカ独立記念日を祝ってソフトクリームの店を立ち上げたことによって広まった。
この年の9月には百貨店で本格的に販売され、人気を呼んだ。
また、「日本ソフトクリーム協議会」は1990年に、
この日を記念して7月3日を「ソフトクリームの日」と制定した。
○当時はまだまだ高級スイーツだったソフトクリームがいつ日本にやってきて流行ったのか? :
・二世の歴史:
1947年(昭和22年)に米国生まれの日系二世が『株式会社二世商会』を貿易会社として設立した。
太平洋戦争終戦直後で英語が話せる日本人が珍しい時代に、米国から様々な商品を輸入しており、
ソフトクリームの原料、コーン、フリーザーも輸入品の一つでした。
このように日世は創業当初は米兵相手の日本のお土産屋さんだったそうですが、
この米兵との交流からいち早くオートマティック・ソフト・サーブマシンの情報をキャッチ!
マシンを10台ほど購入し、デパートなどでソフトクリーム販売を開始したのですが、
その売れ行きは徐々に上向くも、ほどなくしてコーンが足りなくなると言う問題が……
しかし、日世は“隣のワッフル屋”には頼らずに、なんと自社工場をつくりコーンの自社生産に踏み切ったそうです。
1947年5月「株式会社 二世商会」設立
1948年7月東京出張所(現東京支店)開設
1951年7月ソフトクリームを初めて日本に紹介
1952年4月日世株式会社に社名変更
11月米国メリーランドベーキング社と技術提携
・ソフトクリームその流行の訳:
ソフトクリームが流行した理由の1つは力道山による影響だったなのだとか。
当時誰もがプロレスラーへと転身した力道山の試合を見たかったようですが、
ところが当時はテレビが出てまもなく今の時代と違って一般家庭にあるわけではありませんでした。
なので誰もが街頭テレビで見るのが主流だった。
その中でも特にプロレスの放送される時間の夜8時~9時は街頭テレビの前は物凄い人だかりが・・・
これに目をつけた蕎麦屋が集客アップの為にテレビを置いたところ予想が的中して集客アップができました。
ところが集客はできたものの売上には繋がらないと言う現実に・・・
それもそのはず放送時間は夜8時~9時。
その時間はほとんどのお客さんは家で食事をとってから店に来ていたので
蕎麦の売上は思うように伸びませんでした・・・
そこで蕎麦屋の店主は「そばの変わりに売れる物は何かないか?」と考えた結果、
デザートとして食べられるソフトクリームに目をつけました。
値段は当時からすると高かったのですが美味しいし食後にも食べられることから
蕎麦屋でとても売れたそうです。
こうして瞬く間にソフトクリームが広がっていきブームが巻き起こりました。
そして時は流れて1970年の大阪万博。
ソフトクリーム片手にパビリオンを巡るのが、大阪万博でのお洒落なスタイルだったようです。
こうしてソフトクリームの味を覚えた全国の来場者達は地元に帰り、
やがて大阪万博の後の高度経済成長の波に乗って全国へ普及しました。