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現実:食-「落花生(ラッカセイ)」 或いは「ジョージ・ワシントン・カーバーの物語」

▼ピーナッツ:英語で「つまらないもの、ちっぽけなもの」という意味がある。

       アメリカの作家チャールズ・M・シュルツによる漫画『ピーナッツ』のことではない。

      (【スヌーピー】という名前自体が代名詞となっているあの『ピーナッツ』。)


 落花生(ラッカセイはマメ亜科ラッカセイ属の一年草。

別名を南京豆ナンキンマメ、またはピーナッツと言う。


 ピーナット(Peanut)または、ピーナッツ(peanuts)の語源は

Peaピー(エンドウマメ)Nutsナッツ(木の実)であるが、

名称のみで実際はエンドウマメの木の実ではない。


 そもそも「ナッツ」の植物の定義は、成熟時に卵巣壁が非常に硬くなる果実ですので

この基準を用いると、ピーナッツは真のナッツではなく、マメ科植物である。

しかし、料理目的と一般的な英語の使用法では、ピーナッツは通常ナッツと呼ばれます。

そして英語圏の世界では ピーナッツの栽培は米国で最も重要です 。



 ピーナッツは、草丈は25-50cm。夏に黄色の花を咲かせ

5.9-7のpHを有する淡い砂質の土壌で最もよく生育し、根粒菌と共生したり、

受粉後、数日経つと子房柄(子房と花托との間の部分)が下方に伸びて地中に潜り込み、

子房の部分が膨らんで地中で結実(=地下結実性)したりと、

他の植物では見られない変わった習性があります。


 またピーナッツの根に粒々のコブが見えますが、

これが根粒でこの中にバクテリアが寄生しています。

このバクテリアは落花生が光合成を行って生産する栄養分(ブドウ糖)を利用して増殖しますが、

その過程で空中にある窒素を固定しアミノ酸・たんぱく質の合成を行います。

増殖したバクテリアはやがて植物に消化され、

植物がたんぱく質を合成するのに使われるというわけです。

 

 これは彼らの窒素固定能力を適切に利用すれば、

ピーナツは窒素含有肥料をほとんどまたは全く使用せず、

土壌肥沃度を向上させることを意味する 。

つまり痩せた土壌環境でも、窒素肥料をほとんど与えることなく生育できるのです。

したがって、それらは作物の輪作にとって貴重な存在です。


 また、ピーナッツ作物自体の収量は、病気・害虫および雑草の減少により輪作において増加する。

例えば、テキサス州では、3年輪作のピーナッツは輪作していないピーナッツよりも、

トウモロコシが50%多く生産されています。

これはヨーロッパ中世で典型的に発達した農法で,

穀物畑における3年単位の輪作を根幹とする三圃制、または三圃農法ともよばれる。


 良好な収量のためには、リン、カリウム、カルシウム、マグネシウム、

および微量栄養素の適切な管理もまた必要である。



・語彙

 nut(s) は「木の実」あるいは「ナッツ(類)」という意味の単語としてお馴染みです。

工業用部品の「ナット」を指す語でもあります。


 さらにスラングとしては「頭のオカシイ奴」という

ような意味で用いられることがままあります。



 nusの語源は古期英語ないしゲルマン祖語の hnutu に求められるようです。

hnutu の主な意味は「小さくてかたいもの」だとか。

今日では、nut は複数の意味合いで用いられますが、

いずれも元の意味に通じるものは感じられます。


 しかし、nut は俗に「変わり者」「狂った人」「頭のおかしい人」という意味合いで

用いられることもあります。


 たとえば golf nut は「ゴルフ狂い」、fishing nut といえば「釣りキチ」です。

「狂う」と表現する言い方は、俗な用法まで含めると実に多種多様です。

crazy、eccentric、mad、insane、bonkers、bananas、lunatic等々。

このようにべつに nut がキの字を表現する唯一の語というわけではありませんが、

しかしながら、慣用表現の豊富さという点では nut が抜きんでています。


 nutは名詞として「変人」「狂人」を意味合い場合もありますが、

「狂っている」「馬鹿げた」という意味の形容詞として扱われる場合もあります。


 そして、形容詞の用法ではもっぱら nutsの語形で用いられます。

(be) nuts about (+名詞)と表現すれば、

「~に熱狂している」「夢中になるほど大好き」という趣旨が表現できます。


 また俗に男性の睾丸を nuts と呼ぶ場合もあります。

基本的に2個あるものなので nuts と複数形で扱われます。




★落花生の拡散の歴史:

 南アメリカ・アンデス山脈の東麓が原産といわれる豆科植物で東アジアを経由して、

江戸時代に日本に持ち込まれたと言われ、日本では主に食用として栽培されている。

花が落ちるようにして(花が受粉して落ちて)地中で実を生むことから

「落花生」という名前が付けられた。


・南アメリカ - 紀元前のペルーからメキシコへ

 落花生の原産地は南アメリカ大陸である。

古代ペルーのインカの人々は紀元前、4000年も前からピーナッツを食べていたことがわかっています。

最も古い出土品は、紀元前2500年前のペルー、リマ近郊の遺跡から出土した大量のラッカセイの殻である。

また、紀元前850年ころのモチェ文化の墳墓の副葬品にラッカセイが含まれていることから、

ラッカセイが生活の中で重要な位置を占めていたことが分かる。

この他人間のピーナッツ好きを示す非常に古い遺物として知られているのは

ペルーで発見されたコロンブス時代以前のつぼです。

そのつぼはピーナッツの形をしていて,ピーナッツ模様の装飾が施されています。


 その後、メキシコには紀元前6世紀までに伝わっていたが、

16世紀のスペイン人修道士の記録では

アステカ族は落花生を食糧ではなく薬と考え解熱剤として使っていたようですが、

カリブ海の島々でも落花生の栽培は行われており、そこでは重要な食糧とされていたという。


 16世紀アメリカ大陸にやってきたスペイン人やポルトガル人はこの不思議な植物に気づいていましたが、

おそらく食べすぎたせいで頭痛や目眩がするといってその後あまり食べませんでした。


 大航海時代の始まりで、ラッカセイはヨーロッパにも紹介されたが、

土の中で成長する落花生はそれまでのマメ類の常識とはかけ離れた、奇妙な存在と感じられた。

気候もあまり適さないことから、初めはヨーロッパでの栽培はあまり行われなかった。


・ヨーロッパ -

 ですがその後、南米でピーナッツに出会ったスペイン人の探検家たちは,

ピーナッツが航海中の優れた栄養源になることに気づき,

幾らかを大西洋を超えてヨーロッパに独自に持ち帰りました。

寒冷なヨーロッパではあまり普及しませんでしたが

ヨーロッパの人たちはピーナッツを他の用途にも使い,コーヒー豆の代わりにまでしました。


 のちにポルトガル人がピーナッツをアフリカに伝えました。

実のところ,やせた土地でピーナッツを栽培すると,必須の窒素が供給されて土地が肥えるので

やがてピーナッツは,奴隷貿易の時代に今度は大西洋を再び渡ってアフリカから北米に伝わりました。

その地でピーナッツは,他の作物は育たないようなひどい荒れ地でも育つ貴重な食料源として

すぐに認められました。


・アフリカ-16世紀中ごろからインドやインドネシア、そして日本へと(家畜の餌か奴隷用の食糧)

 南アメリカ以外に落花生の栽培が広がったのは16世紀中ごろである。

ポルトガルの船乗りたちが西アフリカ-ブラジル間の奴隷貿易を維持するために

アフリカに持ち込んだのが始まりで、そのまま西アフリカ、南アフリカ、ポルトガル領インドに

栽培地が広がっていくのです。


 ほぼ同時期にスペインへ伝わった落花生は南ヨーロッパ、北アフリカへと渡っていく。

さらにインドネシア、フィリピンへの持ち込みもほぼ同時期である。


1530年代にピーナッツは

ポルトガル人と共にインドとマカオへ、

スペイン人と共にフィリピンへ渡り,

のちに貿易商によって、これらの土地から中国へ伝えられ

中国では飢きんの苦しみから国を救う作物とみなされました。


 日本には東アジア経由で1706年に落花生が伝来し「南京豆」と呼ばれた。

ただし、現在の日本での栽培種はこの南京豆ではなく、明治維新以降に導入された品種である。


18世紀以前の北アメリカでは、落花生は家畜の餌か奴隷用の食糧として栽培されていたが、

南北戦争(1861年-1865年)による食糧事情の悪化により

白人も豚の餌と呼んだ落花生を食べるようになり、

「ピーナッツ」と呼ばれ愛されるようになった。

1700年代の植物学者たちはグラウンド・ピーと呼ばれていたピーナッツを研究し,

良質のブタ用飼料になると判断しました……つまりアメリカ人にとって最良と言うわけですね(意味深


 公式記録によると、アメリカではピーナッツは

1800年代初めまで栽培されていませんでしたが、

その後、最初はバージニア州で栽培され

1800年代初頭には,商業目的でのピーナッツ栽培が

米国のサウス・カロライナで行なわれていました。


 ピーナツは主に食用油の製造に使用され、ココアの代替品や食料品に使われました。

この間、ピーナッツの栽培は難しいと考えられ、家畜に適した食品と考えられていましたが、

ピーナッツの生産はその後19世紀初めに成長を示しました。

1861年に始まった南北戦争の期間中,ピーナッツは両陣営で兵士の食料とされました。

これにより、必要とされるタンパク質源が得られました。

こうして南北戦争中、兵士はピーナッツの味が好きになり家に戻しました。


 しかしそれでも当時は一般には貧しい人の食べ物とみなされていたためもあって,

当時のアメリカの農家は人間の食用として大規模に栽培してはいませんでした。

なぜならこれらの生産は増加したものの、その栽培に用いられた栽培方法は非常に古く、

品質が悪かったため需要が低かったのです。

しかも,1900年ごろに便利な機械が発明されるまで,その栽培はかなりの労働力を必要としたのです。


 ところが,アメリカ合衆国の奴隷出身の植物学者で農芸化学の先駆者

ジョージ・ワシントン・カーバーが、

南部の農業に輪作を導入し、ピーナッツや他の作物の何百もの用途を開発しました。


 ジョージ・ワシントン・カーバーは米国の農芸化学者であり、

『ピーナッツ・マン』と呼ばれ、アメリカ文化、特にアメリカ南部の農業に大変貢献しました。

彼は肉も魚も野菜も食べることができない貧しい黒人の人々のために

必要な『プロテイン』を補給するために、『ピーナッツ栽培』を始めたのです。


彼が残した言葉は

「力はパワーだ」……ではなく、


 「Education is the key to unlock the golden door of freedon...

(教育は、自由という黄金のドアを開けるための鍵なのです。)」



 彼は1864年1月1日ミズリー州ダイアモンドグローブ近郊生まれの個人奴隷の子として生まれるも、

父親は幼い頃に事故死し、母親は奴隷制度支持者の南軍ゲリラ部隊長ウィリアム・クァントリル

(南北戦争中の最も凶悪な行動の1つローレンス大虐殺の首謀者)が

奴隷制反対住民を襲ったときに母親と共に幼児の時に誘拐され、

彼らの所有者であるモーゼス・カーバーの必死の捜索により再び発見されたときは

彼は瀕死の状態で母親はその後も行方不明であった。


 なお戦後も、戦時中北軍の奇襲の際の傷がもとで死亡したウィリアムの部下である

南軍のゲリラ部隊Bushwhackerの生き残りは、戦時中同様に一連の武装強盗を始めた。

その中にいたジェシー・ジェイムズが

1866年2月13日にアメリカで世界初の銀行強盗に成功したことから、

2月13日は「銀行強盗の日」となっている。


 一連の強盗殺傷事件に対して捜索隊が組織されたが、銀行の金利に苦しむ農民が銀行を敵視して

匿ったことからミネソタ州に移るまで捕捉されることはなかったが、

当時北部よりだったミネソタ州に移ってからは住民らの支援を受けられなくなってしまう。

また動けない相手への明らかに必要のない殺人が知れ渡ったことでジェイムズ兄弟の名声を地に落とした。


 だが乗客の手を調べて労働者と女性から金品を奪わなかったため、

愚かな新聞に

「奪うのは労働者と貴婦人からではなく、シルクハットの紳士から」

などという馬鹿げた記事が掲載された。

 

 これらの銀行強盗はより強力な追っ手を招くことになる。

私立探偵社ピンカートン探偵事務所が追っ手に加わると、追跡の末に仲間達が次々よ殺害され

追い詰められ末に裏切った仲間に射殺された。

 南軍のゲリラ部隊に参加し、殺人や強盗を覚えた戦争犯罪人にして

銀行や列車を襲い殺人を繰り返した重犯罪者だがその悲劇的最後はなぜか人々の同情を集め、

強者に立ち向かうロビン・フッドのイメージに重ね合わせる者もおり伝説化し

アメ公からはビリー・ザ・キッド同様にアウトローの象徴として英雄視されるまでになっていった。

やはり棄民の吹きだまりアメリカは根っからのならず者国家である。

白人至上主義者が殺戮を行い、その犠牲者だった黒人が世界を救う……


  - 閑話休題 -


 その後奴隷制度が廃止された後、モーゼスと妻は彼らのものとしてジョージと兄弟を育て、

幼少時の怪我がもとで労働が困難になったジョージは

ジョージにその知的好奇心を持ち続けるように激励した。

モーゼスは経済的に困窮したため、ジョージは12歳の時に外で自ら学ぶことを決心した。

その後幾多の大学から入学を断られるも、

1889年黒人としては初めてアイオワ州のカレッジに入学を許可され州立農科大学を主席で卒業する。

マスキーギ研究所農業研究部長を経て、1935年アメリカ農務省植物工業局に移り、農業改革を指導。

落花生など農産物の加工製品の研究で名を知られ、

またさらに研究を進めるためにカーバー財団を設立しました。


 そして1903年までにピーナッツの新しい利用法の研究に取りかかり省力化装置の発明により、

19世紀半ば、ピーナッツの生産、収穫、清掃作業は簡単になり、

20世紀の労力節約型の新たな道具、ピーナッツの殻取りのための道具などの登場により

加工技術も進歩し需要は急激に高まりました。


 しかし商品価値のない作物をわざわざ1年おきに栽培するほど世間は甘くありません。

彼はそこでピーナッツを有効に活用するためこの技術の使用により、

油分の多いピーナッツを原料として、最終的に300種類以上のピーナッツ製品の新しい用途を考案し

― マヨネーズ・チーズの食料品、飲み物、化粧品、染料、医薬品、シャンプー、洗濯石けん、

 接着剤、殺虫剤、印刷用インクなど ―

生活用品を開発しピーナッツが決して無為無用の作物ではないことを

ピーナッツの換金作物としての本質的な価値を証明して見せたのでした。


こうしてピーナッツの需要は、油、キャンディ、

およびナッツとしての使用に関して特に急速に増加しました。

しかしながらこれらの中にピーナッツバターは含まれていませんでした。


 またカーバーは,地力を衰えさせる綿花だけの栽培をやめて

ピーナッツと交互に栽培するよう地元の農家に勧めました。


 実は綿の連作で消耗した土を用いて農業を行う、

貧しい南部の農民達の苦境に興味を持ったカーヴァーは、

消耗した土壌に窒素を補給するためピーナッツ、大豆のような豆科植物と綿花を交互に栽培し、

窒素循環を行うことを主張したのです。


 この結果綿花の栽培は改善し、新しい作物が加わることとなった。

カーヴァーは農民達にこれらの作物の栽培法と、

作物の新たな用途を開発するためアラバマ州で農業拡張システムを開発した。


 当時,綿花栽培はメキシコワタノミゾウムシによる壊滅的な打撃を受けていたため、

多くの農家がカーバーのアドバイスに従った為ピーナッツ栽培は大成功し、

ピーナッツは米国南部の主要な換金作物の仲間入りをしました。



 彼は以前数人の国会議員にその考えを紹介するよう要請され議会に赴いた。

彼らはカーヴァーがアフリカ系アメリカ人だったため演説の時間は10分しかないと言った。

彼は報告を始めたが、途中で時間切れとなった。

しかしながら彼の演説は議員達の好奇心をそそり、

議長は「演説を続けてくれ、兄弟。君の時間は無制限だ。」と言い、

一時間三十分にわたって続けられた。



 こうしてカーヴァーは大きな成功を収め、フランクリン・デラノ・ルーズヴェルトによって称えられた。

ルーズヴェルトはジョージ・ワシントン・カーヴァーの

国と世界に対する大きな業績を記念するモニュメントの建造に30,000ドルを寄付した。

現在,アラバマ州ドーサンには,このカーバーの記念像があります。

1920年代から1930年代にかけて、土壌がピーナッツの栽培に向いていることが判ると、

ドーサンはピーナッツの一大産地としての地位を確立していき、

やがて1938年、ドーサンは「世界のピーナッツの都」を名乗るようになったからです。

ドーサンにはアラバマ州ピーナッツ生産者協会の本部が置かれている

なお市内のビジターセンターの前には金色のピーナッツの像が立つほか、

毎年ナショナル・ピーナッツ・フェスティバルというピーナッツ祭が行われている。


 また,アラバマ州のエンタープライズという町には,

メキシコワタノミゾウムシの記念像まで建てられています。

この虫が暴れ回ったおかげで農家はピーナッツを栽培する気になったからです。


 また彼はペカンやサツマイモでも同様の調査を行った。

彼は地球上から全ての食料が無くなったとしても、

ピーナッツとサツマイモだけで人間を養う十分な食料を供給することができるかもしれない

としばしば話したのです。



○ノーベル平和賞

 イギリスの経済学者『トマス・ロバート・マルサス』は1798年に発表した『人口論』において、

人口増加に対して少量生産が追いつかないことを警告していた。


 1970年に世界の食糧不足の改善に尽くしたとして、

『ノーマン・ボーローグ』にノーベル平和賞が与えられた。


 ボーローグは、インドや中国などで小麦等の高収量品種を中心とした新しい農業技術を開発し

穀物の大幅な増産(緑の革命)を指導したのだ

(メキシコでは3倍もの生産量の向上を達成した)。

1986年には、笹川アフリカ協会(Sasakawa Africa Association=SAA)の会長に就任、

サブサハラ・アフリカ諸国での緑の革命の実現を目指して働いている。


・奇跡の麦

 コムギや他の穀物では、多収になると穂の重さにより倒れ易くなる。

ボーローグは米軍が日本から略奪した小麦農林10号を親に用いて背の低い丈夫な麦を作った。

これが奇跡の麦のその正体である。



 20世紀後半、ノーマン・ボーローグらによる(日本で育成されたコムギ品種)小麦農林10号を

親としたコムギの短稈種の研究が進められ、肥料を多量に使用しても丈が高くならず、

倒伏の危険なしに大量の収穫が見込める品種が次々と開発されコムギの緑の革命の原動力となった。

ボーローグらはこの功績により1970年にノーベル平和賞を受賞した。


 なぜなら麦や稲は、草丈が長いと風雨や台風で倒伏する被害が多発する為、

十分な養分を与えられても背丈が高くなりすぎず、風雨に耐えて倒れにくく、

多収になる利点を持つ小麦農林10号はまさにチート穀物であった。

だが一方で病害に弱かったため、日本国内では東北地方を除いて広くは普及しなかったが

第二次世界大戦後のGHQによる接収により有用と考えられる品種の種子はアメリカ合衆国に

持ち去られ1961年には、強奪した小麦農林10号を親としたコムギ短稈多収品種ゲインズが育成された。


 これは終戦直後にアメリカ軍が接収・解析し、核の時代の弾道ミサイル発射能力を持った

米軍潜水艦に行き着いた潜水空母:伊四百型潜水艦と同様の傾向である。


 この研究から緑の革命がおこり、これによって多収量の上安定した収穫が望める新品種が

発展途上国を中心に普及し、メキシコなど多くの発展途上国でコムギは大幅な増収となり、

生産性も大幅に改善された。


 もっともその一方、旱魃など災害による地域的な不作もなくなってはいないのだが。

であってもこれにより、数億人もの食料危機に瀕している人々が救われた。

この後米やその他の穀物の「奇跡の品種」がすぐ後に続き、世界の「緑の革命」の引き金となったのだ。


 だがこれには更なる切っ掛けがある。


 ジョージ・ワシントン・カーバーがアイオワ州立大学の学生だった19歳の頃、

週末になると酪農学の教授の6歳になる息子と植物調査に出かけたのですが、

この少年の人生はこのときのジョージ・ワシントン・カーバーとの体験によって方向づけられました。

実はこの少年こそが後のアメリカ副大統領ヘンリー・ウォレスなのです。


 ウォレスは副大統領に就任すると、メキシコに研究所を設立し、

小麦とトウモロコシを品種改良して不毛地帯でも適応できる穀物の開発を目指しました。


 その研究所の所長に任命されたのが、若き農学者のノーマン・ボーローグだったというわけです。

ボーローグは『緑の革命』の推進役を果たしたとして、1970年にノーベル平和賞を受賞しました。

しかし、20億人の命を救うきっかけをつくったのは、実はウォレスだったのです。


 したがって、農作物を通じて人類を救おうというビジョンをヘンリー・ウォレスに与えたのは、

巡り巡ってジョージ・ワシントン・カーバーだったということになります。


 カーバーが情熱を傾けたピーナッツの研究は、まさしく偉業といえるでしょう。

彼は何年もかけてひたすら研究を重ね、

ピーナッツを原料にした製品を266種類も考案しましたのですからね。

その成果は今でも私達の生活に役だっています。


 それだけではなく、サツマイモについては88の用途を考案しました。

彼は農業に関する小冊子も書いています。

それに、『勝利の庭』という運動の提唱者でもあるのです

(当時、「勝利の庭」はどの家庭にもありました。

大都市のど真ん中にも農作物が植えられて、

第二次大戦のときには多くのアメリカ国民の食糧をまかないました)。

それにしても驚異的な話である。


 しかしカーバーがピーナッツやサツマイモの研究と

『勝利の庭』運動に費やした膨大な歳月と労力もさることながら、

まだ6歳だったヘンリー・ウォレスとともに過ごした週末のひとときが、

これほど大きな意味を持つことになるとは(意味深




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