隣の芝生は青いのか?
『親友』の定義は曖昧だ。
単に『親しくしている友人』であるならば、目の前に居るカンナと私は、彼女が言う通り、親友なのだろう。
だけれど、最近私がそう思えないのは何故だろう?
彼女の心の内がイマイチわからないから?
物質的な距離はすごく近いのに、彼女は私に対し、常に一線を引いていたように思う。
本心を打ち明けてくれないというか、何か隠されているというかそんな感じだ。
自分が心を開かなければ相手も開いてくれる筈は無い。それはわかっている。分かっているから、私はそれを実践していたけれど。いつの間にか、それが出来なくなっている自分がいた。
信用はしているけれど、本能的にどこかで彼女を信頼しきれないと感じてしまったのだ。根拠を説明しろと言われても、上手く言えない。しいて言えば、何となく、彼女が変わってしまった…という事だろうか。明確な変化があった訳ではない。
唯の思い過ごしであって欲しかった。なのにこうして、それは実際に証明されてしまった訳で。
なんだかなぁ…。
別に悪い子じゃない。普通にイイ子なんだけど…今の私には、彼女が親友だととても思える筈もない。
だけどどうしてこうなった?
泣きたいのはこっちだと言うのに、目の前のカンナはクリッとした大きな瞳から大粒の涙をポロポロ溢れさせ、ひたすらに私に許しを請う。
許すも何も……ねぇ。
そんなに泣いたら、付け睫毛取れちゃうよ?
アイラインもマスカラも…大丈夫?
なーんてくだらない事ばかり考えてしまう、どこか他人事な自分が怖い。
白井 花純、20歳。付き合って2年になる彼氏に浮気をカミングアウトされました。
ちょっとオシャレな居酒屋の個室は俗に云う修羅場?の真っ只中…なのかな?
目の前に座るのは、彼氏…もとい間も無く元彼氏になるであろう広川 慶太と、この状況でも私を『親友』だと言ってくれちゃう紅野 カンナ。
それから私の隣に座る、私的にはカンナよりも『親友』という言葉がしっくりくる狭山 博己。
必死な表情で言い訳がましい持論を展開する慶太と、上目遣いで許しを請い泣きじゃくるカンナ、無表情で淡々とビールを飲む狭山。
彼氏が浮気した怒りよりも、友人に裏切られた悲しさよりも、狭山に対する申し訳なさで居た堪れない私はどんな顔をして居るんだろう。
普通は当事者3名で話し合うもんだよね。
狭山は完全に巻き添えです…事故です。……狭山を巻き込んだのは間違いなく私です…。すまん、狭山…許せ。私を2〜3発殴って気がすむなら、右の頬も左の頬も差し出すよ!
1時間前、たまたまばったり狭山に遭遇した私。「今から慶太とカンナと飲むんだけど、狭山も行く〜?」なんて呑気に誘った自分が恨めしい。
だけどさ、「カンナと3人で飲みながら…飯でも食おうぜ?」ってだけじゃ、この展開は予想出来ないから!慶太よ、修羅場になるなら事前情報をくれ!!
***
カンナは、大学入学直後のオリエンテーションで話したのがきっかけで仲良くなった。小柄で華奢で、女の子らしい子。ちょっとズレてるけど、人懐っこくて小動物みたいで可愛い子。
狭山とはゼミが一緒で知り合った。知り合って間もない頃、何気ない会話から、私と狭山の好きなアーティストが同じ事が発覚。私が頑張っても取れなかったライブのチケットを譲ってもらった。なんでも、一緒に行く予定だった人が行けなくなっちゃって、チケット買ってくれる人を探してたとこだったらしい。
それがまさかの花道脇の良席で。チケット受け取ってからライブ当時まで、狭山様様と崇め奉った現金な私。
知り合って日の浅い異性の友人と来ているというのに、当日は狂喜乱舞して、しまいには感極まって鼻水垂らしながら号泣する始末。
ポーカーフェイスでクールな印象だった狭山も、ライブではめっちゃはしゃいで楽しそうで。
ライブ後、テンション上がりすぎて飲んだら、狭山が急に気持ち悪いとか言い出し、トイレに駆け込んだもののギリ間に合わなくて、リバースした狭山の介抱と後始末を請け負った。
未成年の飲酒はダメ、絶対…と、あの時猛反省したっけ。
初っ端から恥ずかしい姿を曝け出した私と狭山には、性別を越えた友情が芽生えたのだった…。
狭山と私は同じ学部だったから、学校で顔をあわせる機会も多かった。そのうち、お互いの友人である慶太とカンナを交えて過ごす様になった。そしてさらに、学校だけじゃなく休日も約束して出かける事がちょこちょこ増えて。
一緒に遊ぶうち、慶太のさり気ない優しさとか気遣いが嬉しくて、気が付いたら好きになっていた。
そんな私にいち早く気付いた狭山は、「ネコ被りすぎ…」と若干引きつつも、慶太に関する色々な情報を教えてくれた。慶太の好きな女の子の服装の系統とか、食べ物の好みとか。
狭山の協力のもと私が慶太に告白…するつもりが、逆に私が慶太に告られて付き合い始めたのが2年前の秋の話。
それからも、私と慶太、狭山、カンナとはずっと仲良くしてたつもりだったんだけど…。
***
「ゴメンね…親友の彼氏だって分かってても、慶太くんを好きな気持ちに嘘はつけなくて…。」
「お前なら俺がいなくても大丈夫…花純は強いから。だけど、カンナは俺が支えてやらないとダメなんだ……カンナの親友なんだから分かってくれるだろう?」
心が寒い。身体の中心から指先まで、徐々に冷えていく。
私なら大丈夫…か。
確かに、ある程度覚悟はできていたよ?慶太、浮気してるんだろうな…って薄々感じていたから。
前さ、首筋にちっちゃな痣が出来てるの、気付いちゃったんだ。それに、こないだちょこっと慶太の家に寄った時、ズレたコンタクト直すのに洗面台借りたでしょ?
やたら可愛らしい入浴剤やらバスジェルがいっぱいあったし、私が置いてたメイク落としと洗顔だって随分減っていたもん。
人手不足でシフトの増えた居酒屋のバイトや課題の提出で、この半年はお泊まりがめっきり減ってたのは認めるよ。たまに泊まっても、DVD見ながら寝落ちしちゃったり、月のモノと重なったりで慶太のお誘いを何度か拒否しちゃったのは反省してる。
慶太はきっと欲求不満で、その原因が私にあるのだから、浮気されても致し方ないって見て見ぬ振りしたんだ。
健全な男子なら仕方ないって。来月になれば時間に余裕もできるし、半年分の埋め合わせをしようって思ってた。思ってただけじゃダメだったんだよね、きっと。
学校ではほとんど毎日会って、それなりに会話だってしてる。昼間のデートは週に1回以上。あ…そのデートもそう言えばカンナ同伴だったね…。そっか、私と慶太のデートにカンナがついてきてたんじゃなくて、カンナと慶太のデートに私がお邪魔していた感じ?
私と慶太の関係はまぁまぁ良好なんて思っていた私、思いっきり馬鹿だね。
料理が出来ない私だったけど、バイトのお陰でかなり進歩したんだから。慶太に褒めて欲しくて、喜んで欲しくて頑張ってたのが裏目に出ちゃったよ。
まさか、浮気相手がこんなに近くにいたなんて思ってもみなかった。……我ながら間抜けすぎ。
間抜けな私は、今日、こうして狭山まで巻き込んでしまった。
狭山の口からカンナが好きって直接聞いた事はないけど…いつも狭山がカンナを目で追っている事、慶太も気付いてたよね?って言うか、私より先に気付いたの慶太じゃなかったっけ…。今日、話をするにしてもさ、もうちょっと狭山に気を遣えなかったかなぁ…。
カンナを見つめる狭山はクールな顔してるんだけど、私が指摘すると顔を真っ赤にして照れる。カンナが好きなのか尋ねると、毎度笑って誤魔化されるけれど、そんなの肯定してるとしか考えらんないでしょ。
狭山とカンナの仲を取り持とう!って言えば、慶太はいつも反対したよね。
『狭山はそういうの望んでないと思う。それにあいつがカンナちゃんの事好きだって本当に言ったのか?外野が口を出すのは止めた方が良い…』なんて。
最近、慶太がそう拒否した理由がやっと分かったよ。
狭山とカンナがくっつくのを慶太が望んでなかった、そんなシンプルな理由だったんだ…って。あ、だからむしろ狭山にも一緒に聞いて欲しかったのね…。
カンナは私と違って素直で、いつもニコニコして、お淑やか。お肌も髪も手入れが行き届いていつもツヤツヤで、ネイルだって常に綺麗にしてる。料理も上手だし女子力の塊みたいな子だよね。天然で、ちょっぴり空気読めないところもあるけれど、そんなところが可愛いくて、守ってあげたくなっちゃうんだよね〜。
時々何考えてるか分からない時もあるけど、それもよく言えばミステリアスな彼女の魅力?
女の私がそう思うんだから、狭山が惚れるのも、慶太が心変わりするのも仕方ないよ……。
「で、結局お前らどうしたいわけ?白井にどうして欲しいわけ?」
狭山の声が震えてる。涙堪えてるのかな?狭山の顔、見れない。
私が誘わなきゃ、友達と自分の好きな子が浮気して、2人は思い合ってるから別れて欲しい、なんて私に謝る姿見ないで済んだのにね。なのに巻き込んだ上、この場を仕切ってもらっちゃって、マジで申し訳ない!!
「……花純は好きだけど…カンナと花純、2人と同時に付き合う訳にはいかないだろ?…花純とは…友達に…あわよくば親友になれないかな。」
「私も花純が大好きだから、今まで通り親友でいて欲しい…わがままだってわかってるけれど、花純を失いたくないの!」
そうか、慶太もカンナも私の事、そんなに大事に思っていてくれているんだ…。なんて思えるほど、私はお人好しじゃない。
とりあえず。私にとっての『親友』と、慶太とカンナにとっての『親友』の定義が大きく違う事が分かったよ。
慶太のその理論、なんかムカつくわ。好きな女が出来たから別れて欲しいって言ってもらった方がすんなり納得できる。そもそも、『親友』って、なろうって言ってなれるもんじゃないと思うんだ。
なんか2人の考え方が、自分と違い過ぎてて引く。あー、めんどくさ。付き合いきれねー。とりあえず、もう私のキャパを超えた。もうどうにでもなれ。
「2人の好きなようにしたら良いよ…。」
「花純…花純なら分かってくれるって思ってた!ありがとう…!」
「お前、やっぱ良いやつだな。俺たちの良き理解者だよ。花純にだって、きっとすぐ新しい彼氏が出来るさ。」
いや、分からねーし。理解したくもないし。彼氏?当分要らねーし。
「おい、白井…本当にそれで良いのかよ?」
なぜか素っ頓狂な声をあげ、狼狽える狭山。もうね、怒りとか悲しみとか通り越しちゃったの。もうこれ以上頭使いたくないんだ、今。狭山なら分かってくれるよね?とばかりに、私は目で訴え、コクリと頷いた。
「花純は心が広いね…さすが私の親友!」
「……マジでありがとうな。」
慶太とカンナに有難くもない感謝の言葉を頂いた直後、隣から、盛大なため息が聞こえた。狭山の顔を見れば、私を見て苦笑を浮かべている。さすが我が親友。私の気持ちを正しく理解してくれたに違いない。
目の前の2人の頭上には花が咲き乱れて蝶が舞ってるぞ?大丈夫か??
それから目の前でイチャつく元彼氏と、自称親友に冷ややかな視線を送りながらやり過ごした。
この場ではどうも飲む気にも、食べる気にもなれない。カンナが女子力アピールしてますとばかりに取り分けてくれる料理のほとんどは、こっそり狭山に押し付けた。
時間の経過するのがびっくりするほど遅くって。どーでも良くなったとは言ったものの辛くて泣きそう。
だけど、同じく傷心であろう狭山の手前、必死で耐えた自分を褒めてやりたい。っつうか、狭山のポーカーフェイス羨ましい。その技術教えてくれ。
***
慶太とカンナに解放されたのは、店に入ってから2時間が過ぎた頃。満面の笑みで手を振る2人を冷ややかに見送ると、張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れた。
「…マジで割り勘とかあり得ないわ。」
思わずポロリとこぼしてしまった。自分でも引く、今の発言。だけどね、もう疲れ過ぎて思考回路がどうにかしちゃったんだわ。前半の出来事、怒りにすらならないんだわ。思い出したくないし。
それと同時に、ものすごい空腹が私を襲い、私の腹の虫も悲鳴を上げた。
ギュルルルルルル…
「お前、すげぇな。」
狭山に爆笑されてしまった。だけどさ、そこまで笑う事ないじゃん?さっきまでのポーカーフェイスはどこいった?
「なんか急にお腹すいたんだもん。仕方ないじゃん。」
「まぁいいや、俺奢るからどっかで飲み直そうぜ?俺、白井の分も食ってるし。」
「……カラオケ行きたい。」
「よし来た、飲み放題付けて…朝まで付き合うぜ?」
「……狭山…マジでいいヤツ…。」
「今頃気付いたのかよ?おせーよ!」
狭山はこちらが拍子抜けするくらい清々しい顔をしていた。
狭山とカラオケに行くと、必然的に私達が好きなアーティスト縛りになる。どうしても好きな曲が被るので、曲を入れるたびにマイクの奪い合い。
今日の気分は男臭いハードな曲。多少卑猥な歌詞であっても、狭山相手なら気にせず思い切り歌える。
さすがに、初めて一緒にカラオケに行った時は「その歌詞躊躇いもなく口に出来るって女としてどうなの?」と言われもしたが、「名曲に喧嘩売ってんのか?」と反論したことと、「こんな男受けの悪い曲、好きな男の前で歌わないから良いんだもん!」と真顔で返したら渋々納得してもらえた。
確かに、自分でも『コンドームをくれ!』なんてシャウトする女は如何なものかとは思うよ?
浴びるように安い酒を飲み、思い切り叫ぶ。すげぇ気持ち良い!めっちゃ楽しい!ビバ狭山!お前こそ我が親友!!
いつも以上に狭山もノリが良いな!飛ばし過ぎじゃね?なんて思ってたのに、急にシンミリしたイントロが流れる。
おいおい狭山よ、なぜその曲を入れる…。そうだった。私も狭山もさっき失恋したんだった。
切ない失恋の曲。
狭山、正気か!?そんなん歌ったら泣けてくるじゃないか…。そうか、感傷に浸りたくなっちゃったのか。あるよね、そんな時も。だけど今は嫌だ、泣きたくない。泣きたくないのに、私の意思とは裏腹に、視界がどんどん滲んでくる。
どんな思いで、慶太はカンナを抱いていたのだろう。慶太の首の痣は彼女が付けたものなのだろうか?
私という存在は、彼にとって何だったんだろう。
認めたくないけれど、私は今も慶太が好きらしい。
慶太にロングが好きって言われたから伸ばした髪。もう、優しく撫でてもらえないんだと思ったら悲しくなった。
今日の服は、この間慶太が可愛いって言ってくれた組み合わせ。それに、去年のクリスマスにもらったシルバーのネックレス。苦手なヒールも慶太が褒めてくれるから、無理して履いてきた。化粧だって、念入りにしてきたのに…。
こんなに気合い入れたのに、それが別れを告げられるためだったなんて思ったらやるせなかった。
気付けば私も失恋のバラードなんて入れちゃって、号泣しながら歌っていた。
「ざやばぁぁぁぁぁ〜、なんでそんな平気な顔してられるんだよぉぉぉぉぉ」
「いや、俺もうとっくに失恋してるし。ぶっちゃけ、今更っていうか…。」
「もしかして…あの2人の事も気付いてた?」
「……黙ってて、ごめん。」
「いやいや、狭山が謝る事じゃないし。気付かなかった私も悪いし。」
「白井、慶太の事……」
「悔しいけどまだ好きみたい。馬鹿じゃん、私。あんなおかしな事言われても…一時的な気の迷いであって欲しいと思ってしまう。」
しばらくの沈黙の後、狭山が口にしたのは狭山らしからぬ提案だった。
「失恋したもの同士、傷を舐め合うってのも悪くないんじゃない?」
「……………どうした、狭山!酔ってるのか?酔ってるんだろう!?帰ってこーい!!」
「……お前が帰ってこいよ?ほら、逃した魚はデカイって言うだろ?隣の芝生は青いとかさ。失って初めて気付く…みたいな?それにはやっぱり、誰かのモノになっちゃう…もしくはなったフリするのが手っ取り早いと思うんだよね。」
「……………へ?」
「……俺たち、付き合おうぜ?」
「……………はい?」
「……だから、付き合ってるフリして、あいつに後悔させようって話。」
「……同情してる?なら放っておいて。」
「……利害関係の一致。お前に同情なんてしてやんねーよ。俺もチャンスが欲しいだけ…。」
ああ、つまりそういう事か。
私と狭山が付き合う(振りをする)。
↓
慶太に私と別れた事を後悔させる。
↓
慶太とカンナが別れる。
↓
私と慶太がヨリを戻す。
↓
狭山がカンナを口説く。
↓
メデタシメデタシ…。
そんな上手くいくとは思えないけれど…藁にも縋りたい今の私。確かに、私と狭山の利害関係は一致する。付き合っているフリくらいしても良いかも…。
「で、どうよ?」
「……フリなら良いかも。イチオウ&ネンノタメにお伺いするが…ソウイウコトは致さないよね?」
「……俺的にムリだから安心しろ。」
「……デスヨネー。…私って魅力ないのかって何気に傷付くけど…ほら、寝取られたのが発覚した直後だし…だけど、私と狭山の間にそんなんあり得ないもんね!よし、後悔させてやろうぜ!!」
「……だな!…心配すんな、俺的にムリなだけで、白井は充分可愛いって。」
笑いながら言われてるとバカにされてるみたいで余計傷つくんですけど…まぁ良いや、狭山の良さは容赦なくズバズバ指摘してくれるところだからな。だけどこいつに可愛いとか初めて言われたわ。そんだけ気ぃ使ってくれてるんだろう。……って、やっぱ同情されてんじゃん、私。
景気づけに前向きな歌を何曲か歌って…気付けばマイクを握ったまま寝落ちしていた。
フリータイムの10分前を知らせる電話で目を覚ましたという狭山に起こされた私。
思いっきりヨダレを垂らして腹を出して寝ていたらしい。髪もグチャグチャだし、酔って泣いてメイクもドロドロ。ついでに頭痛と胃もたれ、充血した目なんてオプション付き。
狭山、朝から酷いもん見せてごめん!許せ!こんな姿を彼氏(仮)に見せて平気な私って終わってんな…。
早朝から爆笑してくれる狭山の優しさに、私はまた泣きそうになった。
***
隣の芝生は青く見える。
というわけで『青芝作戦』と名付けられた。作戦の指揮を執るのは狭山隊長。私以上に敵を知ってる。
青芝作戦は慎重に進める必要があるのだと狭山は言う。フリだとバレては元も子もない。実際に『いいオンナ』になれとまで言われた。『いいオンナ』ってなんだよ?女として、カンナに完敗した私にゃ、えらくハードルの高い要求だ。
まず、直ぐには付き合わず、しばらくは狭山とも敢えて距離を取り、知り合いのいるところでは2人きりでは会わないようにする。それから徐々に距離を縮める事によって、急接近した印象とかリアリティを演出したいらしい。そして、付き合い始めて(もちろん設定だけど)もこちらから慶太とカンナには打ち明けない。付き合ってるアピールもしない。人伝に耳にするとか、たまたま見てしまった的な感じの方が、男の心理としては嫉妬にかられるのだとか。
とりあえず、慶太にちょっとした罪悪感を植え付けるため、伸ばしていた髪をばっさり切った。実は切りたかったからスッキリ。シャンプーも楽で快適な上、友人達からも似合うと好評。
しばらくは、露骨にならない程度に2人を避けて生活している。直後に今まで通り過ごせるほど、私はメンタル強くない。どうしても、顔を合わせざるを得ない時も多いけど、そんな時は大抵狭山がいてくれた。同志が一緒だと心強い。マジで恩にきる。
居酒屋のバイトは辞め、代わりに学校近くのカフェでバイトを始めた。授業前や授業後はおろか、授業の合間を埋めるようにシフトを組んでもらった。そうすればバイトを理由に、さっさと帰れるから。無駄に一緒にいる必要もない。時々2人で顔を出すのがウザかったけど、こちとら真面目に勤務中。通常の接客以上の相手をする必要が無いと思えば気は楽だった。
***
作戦を決行してからの1ヶ月は良かった。バイトで忙しいだけだと周りを誤魔化す事が出来たから。だけど状況は刻々と変化してゆく。
ピンポーン。インターホンを鳴らすと、すぐにドアが開く。
「隊長、ピンチであります!友人達に慶太と別れたことがバレたのであります!」
「いきなり来たかと思えばそれかよ…とりあえずうるさいから入れ。バレても別に問題無いだろ?っつうか、あれじゃ隠す方が難しいって。」
デスヨネー。いくら私が隠しても、当の本人達がキャッキャウフフしてたらみんな気付くよねー。
あの日以来、しばらくの間は大人しかった。互いの家ではどうだったか知らない(知りたくもない)が、大学内ではそれまで通りの関係を装っていたのだ。お陰でバイト始めるまでは無駄に絡まれたけどな。
ところがどっこい、昨日になってその状況が一変。今日は友人達から尋問の嵐…。それどころか、どちら様?な女の子にも別れたのかって聞かれたよ!とある友人なんて「納得出来ない!」と、家まで押しかけてきそうな勢いだったから、必死でまいて…狭山宅へ逃げこんだ次第であります。
昨日、人目もはばからずカンナが慶太に甘え、慶太もそれに応えてイチャついていたらしい。今日は、中庭でチュッチュしてたらしいし…。
私と慶太が付き合っていたのは友達はおろか慶太のファンは大概知ってたからな…。相手が相手だし、そんなん目撃したらびっくりするよね!
……私と慶太は大学内でイチャイチャなんてしてなかったから余計衝撃だった模様。
「まぁ色々詮索されるわけよ。」
「そんなんテキトーに流せばいいじゃん。」
「そうなんだけど…結構メンタル削られちゃうわけよ。」
「…御愁傷様。そーいや白井の誕生日今週末だっけ?気晴らしにどっか連れてってやろうか?」
「行きたいのはやまやまなんだけど…バイトなんだよね…だけどお言葉に甘えて…プレゼントはもらってやってもいいぞ?っていうかそれをくれ!」
「おい、調子にのるな!出かけると言っただけで、プレゼントやるとは言ってない!」
ちぇー。やっぱダメか。どさくさに紛れてねだってみたけど無理だよね。だけど、なんか癒されたよ。ありがとう、狭山。
その時、私のスマホに着信があった。
***
「花純、お誕生日おめでとう!」
「……ありがとう。」
「これ、プレゼント…良かったら使って!」
「そんな、気を遣わないでよ…。」
おかしいな…どうして私はこの人達に祝われて居るんだろう。
先日、狭山宅でかかってきたのは、私の誕生日に3人で遊園地に行って私の誕生日をお祝いしよう!なんてお誘いだった。もちろんバイトを理由に即断ったがな!
バイトを終えて帰ろうとした私を待っていたのは、不機嫌そうな狭山と、何故かやたらと機嫌の良い慶太とカンナだった。なんか一気に疲れが…。
「サプラーイズ!実はお店予約してるんだ〜♬」
「狭山にもここで偶然会ってさ、人数変更できたから、4人でパーティしようぜ!」
いやいや、狭山がいるのは偶然じゃないから。でもなんでこの人らバイト終わりの時間知ってるんだろ?
私があっけにとられている間に、カンナの好きそうなメルヘンチックなカフェへ連れて行かれ、気付けば4人で食事する事に。
狭山の奢りで映画見る予定だったんだけどな…。好きなアーティストが主題歌担当してるやつね。公開されて2ヶ月以上経つから、1日1回しか上映しないのに…今日はもうアウトだな…。
不本意ではあるが、お祝いしてもらっている以上、作り笑顔を貼り付けて過ごした90分間。人気の店だから90分の時間制限が設けられていて、私としては助かった。終わりが見えているからなんとか耐えられるってもんでしょ。
目の前で2人がベタベタするのを見てるのは軽く拷問だったよ…。よくもまぁ私と狭山の前でイチャイチャ出来るよね。
90分を待たずに、渋るカンナを促してそそくさと店を出て解散。これ以上は精神衛生上よろしくないしムリ。
「とんだ誕生日だったな…。」
「もう私のHPバーは赤色だよ…。MPも限りなくゼロに近い。」
「今から行っても映画終わってるしな…これからうちでライブDVDでも見るか?」
「…マジで?いいの?」
「もちろん。白井の場合、それがHPもMPも手っ取り早く回復出来る方法だろ?」
「見る!!絶対見る!!私が持ってないやつ見たい!!!」
「ついでに誕生日も祝い直してやるよ。」
ライブDVD…その一言で疲れが吹っ飛んだ。私も何枚か持っているけれど、狭山は私の持ってないやつもみんな持っている。その中には、今はもう売ってないやつとか、売っててもオークションで凄い値段になってて私にはとても手を出せない代物もある。
狭山はそれらをすごく大切にしてて、絶対貸してくれないから見たけりゃ狭山宅で見せてもらうしかない。
だけど、なんか申し訳なくてなかなか見せてって言い出せないんだよね。だから、もう嬉しくて嬉しくて。思わず小躍りしちゃったよ!
誕生日だからって、スパークリングワインとケーキ、100円ショップでワイングラスまで買って用意してくれた。
私はパーティグッズ(鼻眼鏡とか本日の主役と書かれたタスキとか)と、スナック菓子とビールを買い、狭山の家にお邪魔した。狭山よ…苦笑するな。今の私は、馬鹿な事してテンション上げたい気分なんじゃー!!
***
それから2ヶ月。やっぱりあの2人と顔を合わせるのは良い気がしなかったけれど、随分慣れた。
誕生日だって、あのまま帰っていたら後味悪くていつまでも引きずっていただろうな。でも、そうならなかったのは、狭山が祝い直してくれて、DVDを一緒に見て、一緒に馬鹿やってくれたからだ。あれもこれもで朝まで見続け寝不足になったのすら良い思い出。これは是非お返しをしなければ!
「月末って狭山の誕生日じゃん、私の誕生日はお世話になったし…なんかプレゼントあげるよ。何が良い?」
「マジで?じゃあそれが良い。」
狭山が指差したのは、私が愛用するメンズの腕時計だった。これは、3作前のアルバムには入ってる曲ののPVでヴォーカルが着用していた物と同じモデルのもの。当日の数ヶ月分のバイト代を注ぎ込んで買ったんだから…無理。
「腕時計これしか持ってないからヤダ。」
「じゃあさ、白井が前に欲しいって言ってたやつと交換で…貸借りならどうよ?」
「それなら…喜んで。」
狭山が私に貸してくれたのは、私が誕生日に欲しいと言って却下された狭山愛用の腕時計だった。これも3作前のアルバムに入っている違う曲のPVで着用してたのと同じモデル。実は、私も狭山もこの2つのどちらを買うか散々迷って選んだ、そんなエピソードがあった。狭山がライブのチケットを譲ってくれるきっかけとなったのも、お互いにしている腕時計がどういうものか気付いて盛り上がったのがきっかけ。
お互い、交換した腕時計を着ける。なんか、私のは私よりも狭山の方が似合う気がする。逆に、狭山の時計は私の腕にやたらとしっくりくる。
「俺より、お前の方がそれ似合うな…。」
「狭山だって…私より似合う。」
「なんだよ、俺らお互い自分に似合わない方買ってたんだな。」
「みたいだね〜。」
私達は顔を見合わせ笑った。
「そろそろ…ラストスパートかけようか。」
「ラストスパート?」
「あぁ、作戦も終盤戦…だろ?」
狭山は神妙な顔で言った。実は最近、慶太とカンナがあまり上手くいっていないらしい話を耳にする。2人が喧嘩していたとか、カンナが他の男と手をつないで歩いていたとか、そんな話だ。だけど、未だイチャイチャしている姿も目撃されている…カンナが女の武器で一生懸命繋ぎ止めてるように見える、なんて言う人もいるけれど、本当のところはどうなんだろうな。
それと関係あるのか無いのか、カンナは私と距離を取るようになった。
ラストスパート、と言っても大したことはしていない。一緒に学校に行ったり、講義を隣の席で受けたり、2人でランチしたり、時には一緒に帰ったり。もちろん、ずっと狭山とベッタリだったわけじゃなくて、他の友人と過ごす時間の方が多いくらいだ。それを2週間続けただけで、友人達は見事に勘違いしてくれた。
「なんか花純と狭山くんいい感じじゃん…なんか今までと雰囲気違くない?」
それを否定も肯定もせず、笑ってごまかしてしばらく過ごした。
相変わらずカンナは私を避けているのか、単に学校に来ていないのかは分からないが最近見かけない。
慶太は…時々見かけることはあったけれど、明らかに私と狭山を避けていた。何か言いたげな視線を感じるものの、私たちが言葉を交わすことはなかった。
***
狭山の誕生日は平日だった。いつも通り学校に行き、いつも通り過ごした。いつもと違うのは、私の鞄の中にプレゼントが入っていること。
結局腕時計はプレゼントではなく、交換して着けてるだけだし、私が何かしてもらうばかり。振られた日だって、私の誕生日だって、狭山に奢ってもらっている。日頃の感謝と奢ってもらったお礼を兼ねて就活にも使えそうなネクタイを選んでみた。渡したら喜んでくれた。良かった良かった。
それにしても、今日の狭山はフリとはいえ積極的だな。学校出てから、もうずっと手を繋いで歩いてる。混み合った電車では密着してたし。まぁ混んでるから不可抗力っちゃ不可抗力だけど。
ちょっと早めの夜ご飯を食べて、ケーキを買って、狭山の家に向かう。もちろん本日もライブDVD鑑賞。最近ちょこちょこお邪魔して、チューハイとか発泡酒片手に語り合ってるけれど、今日は特別。
VHSなのですよ!VHS!!VHSをDVDに焼いたライブ映像!ライブDVD鑑賞と言うべきかライブVHS鑑賞と言うべきか迷うところだけど、狭山様様である事には変わらない。
もう朝からウキウキですよ、それを必死で抑えていたけれど、居酒屋ご飯でちょっとビールをひっかけたらそれを抑えられる筈もなくて、ついついニヤけちゃう。狭山に繋がれた手をブンブン振り回していた私は、何度落ち着けと言われた事だろう。
「だって、楽しみすぎてさ、楽しくなっちゃったんだもん。」
近道のために横切った公園ではしゃぐ私に、狭山の表情が急に変わる。どうしたのか聞きかけた瞬間、急に引き寄せられて、抱きしめられて…。
「ごめん、ちょっと我慢して。慶太が…さっきからずっとつけてきてる。」
狭山、意外と逞しいな。結構筋肉質かも。なんか顔も近い。見慣れたポーカーフェイスにも緊張の色が見える。不覚にもドキドキしてしまった。
慶太がいる事にドキドキしているのか、狭山との距離の近さにドキドキしているのかわからない。なんか変な感じ。
「いつから慶太いたの?」
狭山の家に着いて、ずっと気になっていた事を尋ねる。
「まず、学校から出てしばらく…。電車乗った後は見当たらなかったけど、飯食った後またいたんだよ。」
「……全然気付かなかった。」
「ごめん、なんか腹立って…ついつい今までの仕返ししたくなって…。気ぃ悪くしてたらごめんな。」
「嫌じゃなかったよ。慶太にもさ、少しは私達の気持ち分かったかな?」
なんで胸がチクリとするんだろう。
慶太に見られたくなかった?狭山と手を繋いでいるところとか、抱きしめられているところとか。もしかしたら、ここに入るところも見られていたのかな?
だけど、なんか違う気がする。じゃあ、なんでこんな気分になるの?私、どうしちゃったんだろう。
あんなに楽しみにしていたライブ映像も、入ってこない。
「白井…慶太とより戻せると良いな。」
「…うん。狭山も…上手くいくと良いね。」
「…俺は…上手くいって欲しいような欲しくないような複雑な気分。」
なんか微妙な空気だ。
「ごめん、今日はもう帰るわ。」
「じゃあ送ってく。何かあっても嫌だし。」
1人で帰れると言っても、狭山は聞かなかった。仕方ないからワンメーターの距離をタクシーで帰宅した。
***
翌日。狭山も取っている筈の講義の時間も講堂にその姿を見つける事が出来ず。空き時間に狭山の居そうなところをウロウロしてみたがどこにもいなかった。特に用事があるわけではないので、メールするのも微妙。
昨日からのモヤモヤした気持ちはスッキリする事なく、燻り続けている。
それから数日が過ぎたがモヤモヤは消えない。
慶太から何度か電話がかかってきたけれど電話を取る勇気がない。『カンナの事で相談したい』なんてメッセージを見たせいかもしれない。
狭山には、彼の誕生日以来会っておらず、なんとなく気になり何度かメールをしてみたけれど、『泊まり込みのバイト。ついでにその辺り観光してくるから数日休む』なんて素っ気ない返事が返ってきただけ。
今までの狭山の事を考えれば多少休んでも単位に影響は無いはずだし、狭山の言う泊まり込みのバイトは、登録制の日雇いの派遣バイトで彼が好んで行く、リゾート地で行われる大規模なイベントのスタッフだと思われる。そんなバイトに行くなんて、元気でいる印なのに、なんとなく心配だった。
左手首の狭山の時計は、今日も規則正しく動いている。まるで、狭山が元気だと私に語りかけるように。
自分に喝を入れ、学校へ来たものの足取りは非常に重い。次のコマは、慶太とカンナも取っている講義。
さすがに、今日会ったら慶太に電話の事を謝らなくてはいけないし、カンナについての話も聞く必要があるだろう。その間、カンナはどうしよう?
慶太がなぜ、あの日私達の後をつけていたのかも気になる。カンナの事を相談したかったのかもしれない。だけど、私と狭山の演技に声をかけるのを躊躇われてのかな…。
嫉妬してくれたのだろうか、それとも邪魔をするのは悪いと気を遣ってくれたのか。後者なら、そんな気遣いなど要らない。そんな気が遣える位ならば、数ヶ月前、別れたばかりの元彼女と自分の彼女に好意を抱く友人の前で、イチャイチャするのをやめて欲しかった。
時間ギリギリに講堂へ滑り込み、最後列のドア近くに陣取る。講堂内を見回したが、狭山の姿はない。カンナの姿もない。ふと、視線を感じて横を見ると、少し離れた席に慶太が1人で座っていた。慶太と目が合った直後、私のスマホはメッセージを受信した。慶太からだった。
『これが終わったら、2人で話したい。』
『いいよ』
私は絵文字も、記号も、スタンプも無い、ごく短い了承のメッセージを返した。
「歩きながら話そうか。」
慶太とこうして2人で話すのは3ヶ月振りだ。3ヶ月前までは、当たり前だったそれが今では特殊な事であるように感じた。もしかしたら、当たり前、なんてものは存在しないのかもしれない。どんな事だってある日突然、脆く崩れて消えてしまう可能性があるのだから。
久しぶりに慶太の顔をまじまじと見れば、酷く疲れているように見えた。目の下のクマがそれを物語る。原因はカンナなのだろうか?
「電話、出なくてごめん。話ってカンナの事?」
「まぁそれもあるけれど、それだけじゃないって言うか…。」
気まずそうに慶太は言う。少しの間黙り込んでいたが、意を決したのか、大きく息を吐くと話し始めた。
「花純に謝りたくて。俺、自分が同じ状況に置かれて初めて、花純の気持ちとか狭山の気持ち考えた。」
「同じ状況?」
「あぁ。カンナ、浮気してたんだよ。そのうえ、別に好きな奴がいるらしい。」
カンナの浮気の事は何となく噂になっていたので、ふーん、とか、へぇー、とか、そんな感想しか浮かばない。
「花純…俺、お前とやり直したいんだ。カンナと付き合ってすぐ、何か違和感に気付いて…こないだ、狭山と一緒にいるとこ見て確信した。やっぱり俺が好きなのは、一緒にいたいのは花純だって。」
狭山と私の目論見通りの展開。
「なぁ、花純が狭山と付き合っているのは…俺に対する当て付けなんだろう?狭山がカンナを気にしているのを知っていながら、カンナと浮気して花純に別れを告げたから…。狭山のこと、本気じゃないんだろ?少なくとも、狭山は、俺に対する当て付けで花純と一緒にいるようにしか思えない。」
慶太、騙されるほど馬鹿じゃなかったんだ…。3か月前、私がフラれた時は、カンナに夢中で周りが見えていなかっただけだったみたい。恋は盲目とは上手い事言ったもんだ…。
なんだか胸が締め付けられるように苦しい。こんなに苦しいのはなぜ?作戦を見抜かれてしまったから?
「あの日、狭山は俺に気付いて花純と手を取ったように見えた。花純と話をしたくて、声をかけようにもかけられなくて。途中で2人を見失ってしまって、また見つけて今度こそ声をかけようって近づいたら…狭山にすげぇ睨まれた。それでさ、一瞬笑ったかと思ったら、花純を引き寄せて抱きしめて…狭山が花純にキスしたところ見ちゃったら、もう居た堪れなくて…逃げて帰ってきたけど…。もし、花純があいつの事好きだとしても、別れた方が良いと思う。このまま一緒に居ても傷つくのは花純だから…。」
キスしてないのに、キスした風に見せるなんて狭山スゲェ。バレてはいるけれど、慶太は狭山の思惑通りに動いてくれている。だけど、なぜ慶太は私が傷つくなんて言うんだろう?
「カンナが好きなのって、狭山なんだよ…。だから、このまま狭山といても…」
私と狭山が付き合うフリをして、慶太の嫉妬心を煽りカンナと別れさせる。私と慶太がヨリを戻し、狭山とカンナが付き合う。
それこそ、私と狭山が望んでいた事だというのに…胸が抉られるように苦しくて、泣きたくなるほど悲しいのはどうしてだろう。
立ちすくむ私を、優しく包み込む慶太の腕。でも、今の私が抱きしめて欲しいのは、ただ優しいだけの慶太じゃない。
私が慶太を好きだったのは、もう過去の話。
喜怒哀楽が激しいのをポーカーフェイスで隠して、面倒くさがりながらも馬鹿なことする私に付き合ってくれて、弱いところとかみっともないところを全て含めた『私』を受け入れてくれる。腹黒で辛辣だけど実はめちゃめちゃ優しいあいつが、私は大好きなんだ。
「慶太、ゴメン。」
「花純、行くな。」
私は慶太の腕を振り払って走り出す。しかし、すぐに慶太に手首をつかまれてしまう。慶太に握られた、左手首。めり込む金属製のベルトが痛い。
「花純…その時計…」
「狭山と交換した…。狭山に振られても良い。だけど、ちゃんと伝えたいから。慶太への当て付けじゃなく、本当に狭山が好きだって。」
***
電話をかけても狭山は出ない。メールを送っても返信はないし、メッセージを送っても既読すらつかない。
だけど、今すぐ狭山に会いたくて。ちゃんと気持ちを伝えたくて。
もしかしたらまだ戻っていないかもしれないから無駄足になるかもしれない、それでも良い、そう思いながら、私は狭山の独り暮らしの部屋に向かっていた。
もし振られても、時計を返す口実がある。振られても、今まで通り親友でいたいなんて言ったら、我が儘かな?慶太やカンナと大差ないって思われてしまうかな?
狭山の部屋までの道のりは、すごく長いようで、すごく短くて。
心臓はバクバクいいっぱなしだったけれど、今までずっとモヤモヤと燻っていたものは、すっかり消えてなくなった。
インターホンを押す。応答はない。物音もしない。諦めきれず、もう一度。やはり応答はない。まだどこかを観光していて、戻っていないのかもしれない。
諦めて、踵を返したその瞬間。カチャリ…と鍵の開く音がした。
「……は?なんで…お前?宅配便じゃないのかよ?」
手に認印を持ち、季節外れのTシャツにスウェットのパンツという出で立ち。腫れた瞼と寝癖で跳ねた髪で現れた狭山は寝起としか思えない。
「狭山、いつもと…顔違う。」
「…うるせー。何の用だよ?」
「狭山に報告と…言わなきゃいけない事があって。」
「慶太とヨリ戻せたんだろ?良かったな。…俺、夜行バスで今朝帰ってきたとこで寝たいから…じゃ、おやすみ。」
狭山は私の目を見ない。視線をそらしたまま、心底面倒臭そうに言うと、ドアを閉めようとする。
「ちょっと待て!ちゃんと人の話を聞けー!」
「俺は話したくない!寝る!」
「じゃあ中に入れろー!寝ながらでも良いから聞けー!」
「お前の惚気話なんか聞きたくねーよ!」
その時、背後から遠慮がちに声をかけられた。
「あの…狭山さんにお荷物…です。印鑑かサイン…お願いします。」
宅配便のお兄さんから荷物を受け取る隙をついて部屋に上がりこむ。部屋が酒臭い。空になった缶ビールやら缶の酎ハイが床に転がっているとか狭山らしくない。
「おい、勝手に入るな…。慶太にやり直したいって言われたんだろ?良かったじゃん、だからもう帰れよ。」
「…良くないし、ちゃんと話聞いてもらうまで帰らない。」
「俺は話す事ないんだけど。」
「良いから聞けー!」
「惚気話なんて聞きたくねーよ!」
「狭山のバカ!バカバカ!」
「なんだよ、人の気も知らねーで!」
「狭山だって私の気持ち知らないくせに…。ずっとモヤモヤしてたんだよ、なんか苦しいし。」
「分かりたくもないね!自分の友達と浮気した男とヨリを戻したい女の気持ちなんてさ。」
「そんなん分からなくて良い!私が知って欲しいのは…私が好きなのは、慶太じゃないってこと!…やっと気付いたんだよ、私が今本当に好きなのは狭山だって!!」
やっと気付いた大切な気持ち、もっと大切にしたかった。もっと丁寧に伝えたかった。なのに、こんな喧嘩腰で、吐き捨てるように言ってしまうなんて、私はなんてバカなんだろう。
「……なんだよ、それ。」
狭山は呆れたように笑った。かと思えば、肩を震わせて、泣いていた。
「なんか俺、馬鹿じゃん。1人で傷心旅行とか行っちゃってさ。今朝だって、白井の事考えながら飲んで1人で泣いてさ…。」
「ほんと馬鹿だよ!授業サボってどっか行っちゃうんだもん。旅行に行くなら声かけてよ!寂しかったんだからね!」
勢い任せに言い返したものの…それってつまり…。
「ねぇ、傷心旅行って…私の事考えて泣いたって…どういう事?」
狭山の顔が真っ赤になる。
「ずっと白井が好きだった。」
狭山がカミングアウトした。初めて2人でライブに行った直後から私を意識していた事。
私が慶太を好きだと知った上で、友人としてでも良いから側に居たかった事。
カンナを見ていたのは、慶太にちょっかいをかけているのに気付いたから。カンナが好きだったのではなく、冷ややかな目で監視をしていたのだという。真っ赤な顔になってしまったのは、不意に私が狭山の顔を覗き込んだからだと怒られた。私が気付かぬうちに2人を別れさせるつもりが、上手くいかなかった事を今でも悔やんでいるらしい。
私が慶太と別れたあの日も、別れ話をするのを知り、店に向かう途中で、私が誘わずとも、乱入するつもりだったと教えてくれた。
青芝作戦を提案したのは、純粋に私の事を考えて…という部分ももちろんあったけれど、疑似恋愛をしたいという下心と、あわよくば自分になびいて欲しいという願望が大部分を占めていた、と言われた時には思わず舌打ちしてしまった。
私はまんまと、狭山の策略にハマってしまった。狭山は狭山で、残念ながらそれに気付かず表向きの作戦が上手くいったと勘違い。更に慶太からの宣戦布告に追い打ちをかけられ、私から距離を置き、勝手に傷付いていた訳で。
「なんか俺、メチャメチャ格好悪い…。」
「そういう格好悪いとこ含めて、狭山が大好きだよ?」
今まで知らなかった親友の一面。狭山は格好悪いと拗ねているけれど、そんなところが可愛くて可愛くて。ものすごく愛おしくなった。
これからは、親友兼彼氏。そんな狭山の事を、もっともっと知りたいと思った。
おわり。
ありがとうございました。