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妖狐抄  作者: 北風とのう
風の章
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風の章

 イシスは薄暗い石造りの王宮の一室で、横たわる王子の身体と向かい合っていた。王子と言っても生まれた時から口がきけず、身体も、筋肉が硬化していて全く動かせなかった。ただ、人の介助で液状にした食べ物だけが摂取できる。

 王子はインド中部の歴史のある小国、カシの王の長男として生まれてきたが、それ以来なんと十七年間も寝たままの時間を過ごしていた。


 イシスは自分を中国から来た見習い医師だと言っていた。短いが艶やかな黒髪。白い肌。端正な顔立ちにほっそりした身体つきの十代後半の女性だ。先輩医師と共に商人たちとインドに薬草を探しに来たが、一行とはぐれてしまった所をカシ家の者に助けられた。


 イシスは一晩中王子の傍にいて、王子の耳元に何かを囁き続け、また全身のマッサージをした。

翌日も、またその翌日もイシスは王子に囁き続け、そしてマッサージをした。

王と王妃はイシスが東方から来た医師だと聞いて、生まれた時から動けない長男を診てくれと頼んだのだが、成果は全く期待していなかった。

 イシスは何日も囁きかけとマッサージを続け、二週間目に最初の変化が起きる。王子が口を動かして、しゃべろうとしたのだ。しかしイシスはそれを誰にも言わず、さらに一ヶ月が経った日の朝、王たちを呼んでベッドに横たわる王子と対面させた。王子は苦しそうだったが、何とかうなり声を上げる。


 王妃は言った。「なんという事でしょう。まさか王子が声をあげるとは」

王族たちの態度が変わったが、そのうちまた、みな飽きてきた。その後の半年も同じような状態だったからだ。そして「あの女はここに長くいるためにあんな芝居を続けているのだ」「動けない王子の身体をもてあそんでいる」という声が聞こえるようになる。しかしイシスが来てから一年が経ったある日、ゆっくりとだが自分で歩く王子の肩を支え、王族の集まる場に王子を連れて行くと、一同は非常に驚く。王子は歩けるし、しゃべれるようになっていたからだ。しかもしっかりとした口調で自分が今までかけた迷惑をわび、これからもイシスと治療を続けさせて欲しいと言ったのだ。


 王子の名はナジーブと言った。最初のうちこそ痩せ細って目がぎょろぎょろしていたが、みるみるうちに王族の気品をたたえた好青年になっていった。


* *


 その後の復活は早かった。自分で歩けるようになると、あっと言う間に馬にも乗れるようになり、言葉も普通にしゃべるようになる。長い年月、ナジーブは声を発する事ができなかったのだが、周囲の人の言葉を聞いて、それを理解する事はできていたからだ。しかしイシスはナジーブに、

「まわりの人の言葉が昔から分かっていたと言ってはだめです。絶対にそれは隠していなければなりません」と言った。


* *


 ナジーブは聡明で、長い年月、人々の会話を聞いて考え続けたためか、非常に思慮深かった。

 カシ王家では五十になる王が実権を握っていて、その跡継ぎはナジーブの弟のトゥシャーとされている。長男の復活を見て、さらにその聡明さを見て、「跡継ぎをナジーブにするべきではないか」という意見も出たが、それを聞いたイシスがここでもナジーブに「跡継ぎの権利を弟から奪ってはだめです。あなたは二~三年この家で暮らした後、どこかの土地を分けてもらってそこに移り住むように」と言い。ナジーブはそれに従って

「昔から跡継ぎはトゥシャーに決まっています。私は後から王家に入ってきた弟分です」と言った。


 ナジーブはイシスを信頼し、愛した。


* *


 ナジーブは食事の時に、イシスも当然一緒に食堂に連れて行こうとしたが、王たちはそれを拒否した。ナジーブの恩人とはいえ、イシスは王族ではない。それどころかナジーブの部屋に入る事を禁じ、イシスには石の寝床の、暗く小さな部屋しかあてがわなかった。

 ナジーブは怒ったが今度もイシスはそれをとめる。

「ナジー、あなたが生まれてからずっと聞いてきたように、残念ながら人の心は狭いものです。しかしそれは妬みや意地悪から来るものだけではありません。皆それぞれの立場に縛られ、世の中の仕組みを守るために仕方なくやっている事もあるのです」


 しばらくすると、ナジーブとイシスは毎日王宮から出て語り合うようになる。インド中部の灼熱の太陽の下であったが、村中、隅から隅まで歩き、色々な風景を見、草木や動物に触れ、そして人々の生活を見た。ナジーブの中で、今まで聞いた話から得た知識が実態化していった。


 民の大部分は非常に貧しく、埃にまみれ、飢え、そして病気にかかっていた。イシスはそれを見て、何度も涙を流して悲しんだ。

ナジーブが聞くと、イシスは言った。

「私は医者です。病に苦しむ者をみて、何もしないほど辛い事はありません。どうしてもあの人たちを助けたい。しかしそれはできないのです。私があの人たちを診たら、王は私を二度と王宮には入れないでしょう。病気がうつると思うからです。そして二度とあなたに会う事もできなくなります」

ナジーブは「それが世の中の仕組みだとしたら、それは間違っている。私が王に頼んでなんとかする」と言ったが、イシスは「ではあと一年は待ってください」と言った。

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