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ちょうどその頃、胡姫は得意の長文手紙を書いていた。宛先は皇后陛下。要旨は次のとおり。
「医者として宮廷に入った路石は妖狐が変けたもの。彼女の箪笥の引き出しをあけたら、キツネの毛が大量に見つかった。彼女がいつも作務衣を着ているのは、着物だと袖口に毛が残ってしまうため。妖術で病気を治してくれるのはいいが、治療した者の心を支配する事ができるので、雷庚もその術によって路石を妻に迎えてしまった。そうでなければあんなに見栄えの悪い小娘と結婚するわけがない。彼女を尋問した門番は夜中にキツネの大群に噛み殺された。宮廷でも治した者の心を支配し始めているのではないか。皇帝陛下を手にかける日も遠くはないだろう。宮廷の祈祷師を使って彼女を追い払ってほしい」
皇后陛下は「これはかなり私情が入っているな。妖狐とはまた面白い妄想を持ったものだ」と思ったが、当然、皇帝が路石に興味を持っている事には気が付いていた。これは使える。これを機会に宮廷から追い出してやろう。
そこで茶会に路石を呼んで、あからさまな嫌がらせをし、皇帝にくぎを刺しておこうと思った。茶会に祈祷師を招いて祈祷させ、その場で「誰がキツネだ」クイズをやればいいのだ。これなら表向きは単なる余興。しかしかなりの嫌がらせができる。皇帝に何か言われても、宮廷を守るための念のための検査だと言う事ができる。
* *
路石は皇后陛下から茶会の招待状を受け取ったが、その日は雷庚が近隣の視察に行く日だったので、断わろうとした。しかし女官たちが「皇后陛下のお誘いをお断りする事はできません」と強く言うのでしかたなしに参加する事にした。
茶会の日、路石は女官たちによって何重にも着物を着せられてしまう。
宮廷に着き、慣れない着物の裾を引きずって長い廊下を歩いていると、智了崔とすれ違う。すると智了崔は「路石、猛烈に頭が痛い。五分でいいから診てくれ」と言って強引に路石を小部屋に連れ込んだ。そして部屋に入るなり小声で言う。
「路石は俺の息子を助けてくれた。本当に感謝している。これはその恩返しだ。いいか、よく話を聞いてくれ。今日、雷庚が暗殺される。ここから東に五キロほど行った丘陵に夏珪の森というところがある。ここを通る小道で待ち伏せされる。お前は雷庚がそこを通る前に、この事を知らせて二人で殷から逃げろ。
おまえと雷庚なら殷から出てもなんとかなるはずだ。雷庚は午前中は夏珪の森の西側の黄陂という村にいるはずだ。早く行け」
しかし路石が部屋から出ると待っていた女官たちにつかまり、むりやり祈祷師の待つ茶会の場所に連れて行かれてしまう。路石は必死で抵抗したが、作務衣のように立ち回る事ができない。路石は「お願いでございます。私は火急の用事で帰らなければなりません」と必死で訴え、力ずくで女官たちを振り払おうとした。
それを見た皇后陛下は驚く。まさか妖狐だとは思わなかったが、もしかしたら本当かも。祈祷の気配を察知して逃げようとしているのかもしれない。
そこで女官たちに命じて嫌がる路石を柱に縛り、祈祷を始めさせた。護摩が焚かれ、祈祷師たちの声が響く。
しかし三十分ほどすると異変がおきた。護摩の炎から徐々に黒い煙が出始め、最後には猛烈ないきおいで煙が部屋中に充満する。全員が激しく咳き込み、眼が猛烈に痛くなってその場にひれ伏した。祈祷師も祈祷を続けられなくなり、必死に護摩の火を消す。火が消えても、しばらくは誰も眼が開けられなかった。
皇后がやっとの思いで眼を開けた時には、すでに路石の姿はなかった。
* *
雷庚が夏珪の森を通ったのは昼時。どんよりと曇った空の下、うっそうと茂る森の木々が小道に迫る中、雷庚は三名の兵卒を連れて馬で小道を通っていた。
すると突然、左右の森の中から一斉に矢が放たれた。まさか亳近郊の森で敵襲があるとは思っていない。何十も放たれた矢に雷庚はなすすべもなく、何本もの矢が雷庚の全身に刺さる。馬にも矢が刺さり、駆け出した。雷庚はばったりと地に落ちる。
しかしその時、あたりの森から火の手があがる。一斉に激しく燃えだす木々からはもくもくと真っ黒な煙があがり、火の手は激しさを増した。隠れていた五、六人の弓兵たちがたまらず小道に出てきたが、その衣服にも火がうつり「熱い。助けてくれ」と叫びながら必死で小道を駆け抜けようとする。しかし煙にむせび激しく咳き込んだうえに、眼が猛烈に痛くなって開けられなくなり、転び、倒れた者につまずき、方向を失って再び森に突っ込んでしまったりした。まさに地獄絵図。
その時、小さな白い狐が森の中から炎を通り抜け、倒れている雷庚に近寄る。
しかし、その時すでに雷庚は息絶えていた。
狐はしばらく雷庚の顔をペロペロなめていたが、炎を消しに村人が駆け寄ってくるのを見ると、雷庚のもとを離れ、再び炎を通り抜け、森の奥へと去って行った。
<泥の章の終わり>
これで「泥の章」を終わります。ここまでお付き合い下さいました方、どうもありがとうございました。次回から「風の章」を始めます。 -北風とのう