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妖狐抄  作者: 北風とのう
泥の章
4/19

-4

 大会に雷庚が参加を表明すると、宮廷中が大騒ぎになった。いや、亳中が大騒ぎになった。大将軍の地位にある者が、その部下の座をかけた大会に出るなど全く理解の範疇を超えている。しかも利き腕を失って。


 雷庚が他の参加者に混ざって控所にいると、なんと皇帝自身が控所を訪れた。皇帝がこんな所を訪れるなど前代未聞。

「雷庚、何を考えている。お前が大将軍の地位にあるのは剣術に秀でているからだけではないぞ。軍を動かす戦略、人望、そして殷を愛する心ゆえに今の地位にあるのだ。だから利き腕を失っても俺はお前を大将軍から外そうと思った事など一度もないし、一年前にお前が帰ってきた時は本当に喜んだのだ。ばかな事はやめろ。お前は俺のとなりで大会を主催する側の人間ではないか」

「皇帝陛下。この大会で優勝できなかったら、大将軍の地位にいる事はできません」

「だから出るのをやめろ」

「いいえ。私は何と言われても参加します。そして絶対に優勝します」

こうなっては誰の言う事も聞かない。皇帝もあきれて、負けたらどうしようか、何の考えも浮かばないまま、皇帝の席に帰っていった。


* *


 雷庚が戦いの場に現れると、会場は沸いた。青い空が高い冬の日の朝。毎年、見物者にも何人も怪我人が出るほど盛り上がる大会なのだが、今年はさらに特別だった。全員が、雷庚がなぜ大会に出たのか、大将軍は左腕だけでどこまで戦えるのかに強い興味を持った。

 大会は勝ち抜き戦。今年は八名の参加者がいた。

つまり三回勝てばいいのだ。武器は木刀や木製の槍など、相手を殺さない物であれば何を使っても良い。


 雷庚の最初の相手は西方にある有名な道場の師範代で、次坦じたんという男だった。小柄だが、新しい剣技を次々と生み出す天才と言われていた。

 次坦は左腕だけの動きの鈍そうな大男に負けるわけはないと思っていたが、念には念を入れて絶対に負けない作戦をとる事にした。

 両者が会場に現れると、観衆は次坦の作戦に怒りをあらわにする。次坦は木刀を二本持っていたのだ。一本で雷庚の攻撃を受け、もう一本で胴を叩けばそれで勝負がつく。


 試合が始まると次坦は両腕の剣を構えて、雷庚との距離を詰めていって間合いを探る。

 雷庚は左腕の剣を中段に構えていたが、すぐに行動に出た。

瞬時に左足を大きく踏み込み、腕を精一杯伸ばして突きを繰り出す。片腕で大きく胸を開いたリーチは次坦の想定よりも長く、二本の剣を持つ故に動きの鈍った次坦はその突きを払う事ができなかった。雷庚の剣は次坦の胸の真ん中を突き、ろっ骨を折った。この間わずか十秒。何十もの実戦を経た雷庚には、造作もない事だった。そして片腕で二刀流を打ち破った雷庚に、観衆は惜しみない拍手を送った。


* *


 雷庚の家臣や女官たちは思い思いに連れだって、群衆に混ざって観戦していた。路石は雷庚のお付きの医師という事で、事務局側の席に座っていた。

 胡姫も他の女官と一緒に来ていたが、終始怒りに身を震わせていた。もちろん、こんな状況に雷庚を追い込んだ路石に対する怒りだ。遠目で路石を見て「あのまま宮廷に入って二度と帰ってくるな。雷庚が引退したら、私がずっと面倒をみるんだ」と心につぶやく。


* *


 二人目の対戦相手は雷庚の軍にいる爽やかな若者で琢壬翔たくみしょうと言った。将来を嘱望されている秀英で、雷庚も「もし俺が出なかったら、こいつを応援していただろうな」と思った。

 琢壬翔は雷庚にむかって一礼した後、槍を構えた。琢壬翔は慎重だった。先に雷庚が見せたように勝負は一瞬でつく。両者距離をおいてにらみ合ったまま三十分が経過する。しかし雷庚から仕掛けてくる気配は全くない。

 さらに三十分が経過し、そして一時間が過ぎる。観衆もさすがに飽きて耐えられなくなってきていた。雷庚は槍を警戒している。先手を取るなら槍が有利だからだ。

槍から仕掛けなければこのまま時間が過ぎていくだけだろう。そして琢壬翔はついに動きだす。槍で雷庚の剣を外側にはね、開いた右側の胸を突こうとした。

 しかし雷庚はとっさに剣を捨て、低くかがんで槍を避けると、深く琢壬翔の懐に突っ込んで、左手で槍を掴むと、その顔を蹴り上げる。よろよろと倒れる琢壬翔に観衆は勝負がついた事を知る。

 雷庚は琢壬翔の手を取って起し、群衆に聞こえないように言った。

「悪いがどうしても負けられない事情があるんだ」


* *


 朝早く始まった大会であったが、すでに午後三時をまわっていた。昼過ぎに雲が出始め、それはじょじょに広がり、やがて全天がどんよりとした厚い雲に覆われる。そしていよいよ決勝戦という時になって大粒の雨が降り始め、すぐに土砂降りになってしまった。しかたなく三十分ほど試合が延期される。やがて雨が小降りになり観客が席に戻ると、決勝戦の開始が告げられた。しかし会場はひどくぬかるんで、大きな水たまりができていた。

 最後の相手は本命と言われる劉伸りゅうしんだった。現在の殷でおそらく最も強い男。体格も雷庚と互角ながら、信じられないような身の軽さで、この大会でもあっという間に対戦相手を倒してきた。雷庚に両腕があったとしても、まともに戦えば劉伸が勝つだろう。「これで劉伸に栄誉をゆずって雷庚は引退するのではないか。自分の引き際を考えた立派な男だ」と観衆の大部分が感じ始めていた。

しかし雷庚は、再び勝負への執着を披露する事になる。


 劉伸はシンプルに木刀を一本持って中段に構えた。雷庚も中段に構えて両者にらみ合う。「今度もにらみ合いが続くのか」と観衆が思い始めたその時に、雷庚は意外な行動をとった。大声を出して後ずさりし、それから劉伸のまわりをぐるぐると駆け出したのだ。びちゃびちゃと水のはねる音がする。何をたくらんでいるんだ、と劉伸が考える間もなく、今度は雷庚は劉伸に向って走り出し、すごい形相で真正面から突っ込んでいった。「よし。これで勝った」と劉伸は思った。

 しかし剣がとどく距離に入る直前で雷庚は低くかがみ、そのまま頭から水たまりに突っ込んで右肩からでんぐり返しをした。瞬時に後ずさりする劉伸。ばしゃっという音がして水しぶきが四方に高く上がる。劉伸は一瞬、次の行動を躊躇し、しぶきの間から雷庚の状態を確認しようとする。しかしでんぐり返しで距離が詰まった後、低い姿勢から雷庚が捨て身で木刀を突きあげると、劉伸はよけきれずに腹に突きを受けてしまう。さらに雷庚は劉伸の足をつかんで地面に倒した。


 会場はあまりの気迫に静まり返っていたが、やがて割れるような歓声が起こる。

 引退なんてとんでもない。利き腕を失っても並み居る強豪を相手にここまで戦える事を示し、そして打ち勝ったのだった。

 人々は英雄の復活の瞬間に居合わせた事に興奮し、熱狂した。


* *


 皇帝が立ち上がると、雷庚は全身泥だらけのまま皇帝の元に行ってひざまずいた。

皇帝が言う。

「みごとな戦いだった。利き腕を失ったお前では勝てないなどと思って申し訳ない。

さて、この大会の勝者は将軍の職に就くのだが、お前はすでに大将軍の地位にある。だから他に何か望みのものを言ってみよ」

「では、陛下にお願いがございます。しばらくお待ちください」雷庚は一礼して皇帝の元を離れると、事務局の席に行く。そして路石を見つけると言った。


「俺と結婚してくれ」


 その声はとても小さかったが、会場は恐ろしく静まり返っていたので、誰の耳にも聞こえた。人々はあまりに突飛な展開に何がおこっているのか理解できなかった。そして路石を初めて見るほとんどの人は、生成りの作務衣を着た見栄えのしない少女がなぜ大将軍から求婚されているのか、求婚を受けるのか、物音ひとつ立てずにその答えを待っていた。


 路石がうなずいたので、雷庚はその手をとって、皇帝の前に連れて行った。そして

「陛下、私はこの娘と結婚します。陛下にその媒酌をしていただけませんでしょうか」

皇帝は路石を初めて見たが、その噂は何度も聞いていた。

「雷庚の腕を繋げたのはお前か」

路石はずっと下を向いている。

「顔を見せておくれ。お前は雷庚の命を救って腕をつなげた。しかしそれだけではなく、彼を最強の大将軍に返り咲かせた。礼を言うぞ。お前は名医だ」

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