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妖狐抄  作者: 北風とのう
泥の章
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-3

 胡姫は三十を過ぎていたが、すらっとした長身の美女で、そして長い間、雷庚を愛していた。雷庚の妻が亡くなった時、自分が妻になるのだと信じて疑わなかった。

だから、雷庚がまだ少女の路石に夢中になっていく姿を見るに忍びず、毎晩涙を流した。そんな二人が牛車の中で対面したのだ。

「路石さん、あなたは何で亳に来たのですか。大将軍はあなたにご執心なようだけど、あなたはどう思っているのですか。まさか妻になれるとは思っていないでしょうね」

「私は医者です。雷庚さまは患者です。実はあの方の右腕もあの時に見つけたのですが、どうしてもつなげられませんでした。雷庚さまが利き腕が無く不自由しているだろう事がずっと気になっていて、どうしたものかと様子を見に来たのです」

「では、あなたがその右腕の代わりになろうと思って来たのですか」

「いいえ。そうではありません。それはあなたの役目でしょう。私の仕事はあの方を、腕を失う前の本来の姿に戻す事です」

「それはどういう意味かしら」

「天下の大将軍として、今後も神話を作り続けるように、そんな状態に戻ってもらう事です」

その言葉を聞いて胡姫は非常に怒った。「胡姫の事は妾として認めるが、本当に雷庚の事を考えている本妻は自分だ」という言い回しに聞こえたからだ。胡姫は声を荒げて言った。

「あの人を大将軍の仕事から離して家に引きこもらせているのはあなたでしょう。その事がわからないのですか」

路石は黙ってしまった。


* *


 そして智了崔の家で事件が起こる。

治療の後で、智了崔が路石、胡姫と茶を飲んでいたが、胡姫が席を外したので、智了崔と路石は二人きりになる。もともと路石のからだに魅力を感じていた智了崔は、最初のうちこそ他愛のない世間話をしていたが、ついに我慢できずに路石のからだに触ろうとした。

 しかし路石は過敏に反応し、軽く飛び上がって智了崔の頭を越して部屋の反対側に降りた。路石があまりにも見事にどいたので、智了崔は前につんのめった。これではまるで、急に抱き付こうとしたようではないか。

 人とは思えない路石の動きよりも、その時に智了崔の頭をよぎったのは、「どうしたら路石の口を封じられるか」だった。雷庚の妾というわけでもなく、医者とはいえ身分の低い者だから、殷の権力者が何をしようが全く問題は無いし、二人きりでの部屋の事、いくらでも言い逃れはできる。それでも一途な雷庚の性格を考えると、事を知ったら怒鳴り込んでくるのはあきらかだ。

 そこに胡姫が帰ってきた。智了崔から事情を聴いた胡姫は、「絶対に他言しないように路石を説得するから、この場は自分に任せて欲しい」と言い、とりあえず路石を連れて帰っていった。


 後日、胡姫から智了崔に秘密の手紙が届く。それには過日の事件をもみ消す戦略がびっしりと書かれていた。要旨は以下のとおり。

「今のところ路石は雷庚に何も言っていないが、いつしゃべるとも知れない。それを防ぐには彼女の気を惹くもっと大きな事件をしかけて、気をそらす事。さらに万一彼女がしゃべっても、その大きな事件の影の些細なでき事ととれるようにする事。

 そのためには、路石を副皇医として推薦し、宮廷に上げてしまうのが最良の策。皇帝が見初めて手を出せば、先日の事件などその陰に隠れてしまうし、副皇医なら智了崔の所轄になるので、彼女を自由にする事もできる。副皇医を推薦するのは智了崔だが、それを召喚するのは皇帝だから、雷庚も断る事はできない。もしもそれで雷庚と皇帝が不和になったら、それも智了崔にとっては有利な事。

 先日、皇医でない路石に息子の治療を頼んだ事は問題だが、それは人の親の事。むしろ、その時に知った路石の技量を闇に葬らずに宮廷に報告したとすれば、智了崔の私心の無い公平さ、心の広さを天下に示す事にもなるでしょう。」


 狡猾さの極み。何重にも練られた策に、智了崔は怖くなったが、結局、胡姫の提案に乗る事にした。


* *


 路石は智了崔の屋敷での事などに微塵の関心もなく、故に雷庚にも何も言わなかった。しかし胡姫に「あの人を大将軍の仕事から離して家に引きこもらせているのはあなた」と言われた事はずっと気になっていた。


 正月が過ぎたある日、路石は珍しく、いや出会ってから初めて、雷庚に願い事をする。

「雷庚さま、明日は、雷庚さまの部下の将軍を選ぶ武術大会が開かれると聞きました。どんな者でも参加でき、優勝した者が将軍に就くそうですね」

「そうだ。俺の配下の七つの将軍の座の一つだ。殷全土から武芸を極めた者が集まって、技の限りを尽くして戦うのだ。殷の武術のレベルを維持するにも役立っているし、最新の傾向を学ぶ事もできる。俺が考えたしくみだぞ。大観衆が集まる。おまえも見に来い」

「それは本当に誰でも参加できるのですか?」

「そうだ。俺は公平だからな。傭兵でも野盗でも参加できる。しかし、生半可な者では一勝すら上げる事はできないがな。」

「では一つお願いがあります」

「何だ。お前が願い事をするのは初めてだな。お前の願いなら何だって聞くぞ」

「では、雷庚様がご自身でその大会に参加してください」

「……」雷庚は何を言われているか分からず混乱した。

「しかし、俺の部下の座をかけての大会だ。俺が参加するのは奇妙だし、俺が優勝しても何の得にもならないし、第一左腕だけでは……」そこまで言いかけて、雷庚は路石の真意に気が付く。

左腕だけで戦ってみろ言っているのだ。


「少し考えさせてくれ」

ひたすら愛する路石の初めての願いだから、もちろん真剣に考えた。しかし、全国から集まる武芸の達人に、片腕で、しかも利き腕でない腕で勝てるとは思えない。負ければ大将軍は引退する事になるだろう。路石はそこまで考えているのか。雷庚は、それからずっと黙って、何と言って路石に断ろうかと考えていた。


 しかし翌朝、大会当日になると、雷庚の考えは正反対に変わっていた。「自分の人生と名誉の全てをかけて大会に参加する。そして優勝するしかない」と決意を固めていた。それは「智了崔が路石を副皇医として推薦した」という情報が入ってきたからだ。

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