表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
妖狐抄  作者: 北風とのう
月の章
19/19

-7

 三日後、陽が傾きかけた頃に清嗣は名栗王の屋敷を訪れる。清嗣は女官に導かれて庭を通りぬけ、千古の待つ離れに案内された。

 清嗣は離れに千古と自分しかいない事を確認すると、いきなり本題に入った。

「千古殿。そなたがいると成子姫は陛下を愛する事ができない。成子姫のためだと思って、ひいてくださらぬか」

「清嗣さま、もとより私もそう思い、お館さまにもそのように申し上げました。それが私の希望です。私は一人の医師として病人を治し、静かに生きていきたいのです。しかし天子さまよりのお召なので、私にはどうする事もできずに困っているのです」


 ここで清嗣は全く違う話をした。

「千古殿、人間をどう思いますか。人間についてどう思いますか」

「なんのことでしょう」

「たかだか五十年しか生きられず、身体も弱く、知力も無ければ道徳心も薄い惨めな生き物です。この平安京には二十万の民がいるが、そのほとんどは一生の間に何も成さず、ただその日その日を暮して一生を終える。そしてその子がまた同じように変わらぬ毎日を生き、一生を終える。たまに何かの真理を見つける者がいても、そのほとんどは他の誰にも伝えられず、無に帰していく」

「清嗣さま、何をおっしゃっているのでしょうか」

「千古殿のように千年も生き、知識をためて徳を高めていける者と、まともに対峙できる生き物ではないのです。もともと人の世の流れは無秩序で愚かです。

はっきり言いましょう。そなたがいると人の世の運命が大きく変わってしまうのです」

千古はしくしくと泣き出したが清嗣はかまわず続ける。

「千古殿がご存じのように、何万もの民を治める者であっても暗愚で私欲にとらわれている。それでもなんとか世が成り立っているのは、なぜだと思いますか。

そこに『揺らぎ』があるからです。しかし千古殿がいるとその揺らぎがとまってしまう。秩序が生まれてしまうのです。秩序の中では権力者の悪意が一瞬にして世の中を破壊してしまいます。……千古殿、このままいけば名栗王の勢力が増します。しかし最後には名栗王も成子姫も陰謀にまきこまれてしまうでしょう。命を落とす事になるやもしれません」

「清嗣さま、陰謀の動きをご存じなのですね」

「……」

「清嗣さま、……殷の雷庚さまが殺されたのも、印度のナジーが自害したのも、私のせいだとおっしゃるなら、私はどうしたらいいのでしょうか」

「……」

「清嗣さま、それでも私は人を愛します。すばらしい方がいるからです。疫病に苦しむ民を置いて逃げる人ばかりではありません」


二人の間にしばらく沈黙が流れたが、やがて清嗣が静かに話し始めた。

「ただ、人の世にも全く光が無いというわけではありません。ほんの少しですが、知識が次の世代に引き継がれていくからです。こうして我々が陰陽寮で日々勉学に勤しみ、才ある若者を集めて知識を引き継いでいるのも、少しでも人の得た知識をためて高めていくための些細な努力なのですよ。

 もしもこの平安京が今後百年も千年も栄え続けるなら、もしかしたら、そのほんの少しずつの知識の蓄積が、いつしか人の世を覆い、民にも徳が広まり、少しはましな世になるかもしれません」

「私はどうしたらいいのでしょう」

「少しだけ、人の世に時間をくださいませんか。千古殿にはしばらくの間、眠っていていただけないでしょうか」

「……」

「千古殿、お願いがあります。千年の後に人の世がどうなっているか、見てきて欲しいのです。もちろん千古殿がそれを見ても、ここに戻ってくる事はできないから、私には何も分かりはしないが。まあ、ほんの少しの気休めとして」

「……」

「では、占をたてましょう」そう言って清嗣は筮竹ぜいちくと算木を使って占いをはじめた。


「今から千年後、都は蝦夷地に移っている」

「ええっ、清嗣さま、それは本当ですか」

「さあ。当たるも八卦。当たらぬも八卦です。……そなたには蝦夷に行って、千年ほど眠っていて欲しいのです。そうすれば、目覚めた時には都はかつてない栄華に包まれていましょう」


 千古はずっと考え込んでいた。すでに辺りはとっぷりと暮れ、女官が燈台を差し入れにきて、そして出て行った。ゆらゆらと揺れる燈台の灯りの中で、千古が静かに口を開く。

「清嗣さま。おっしゃるとおりに致します。成子姫は天子を愛するべきだからです。それに私も少し疲れました。しかし一つお願いがございます。

 実は私はこの三日の間、身の回りの整理をしておりました。いつでも京を離れる事ができます。今日、このまま成子姫に会わずにこの屋敷を出ようと思います。ゆえに清嗣さまから名栗王と成子姫にお伝えいただきたい事がございます。

 千古は狐の化身だったと。帝をたぶらかして世を乱れさせる妖狐だったとお伝えください。成子姫もそれならばあきらめがつくでしょう」

「しかしそれでは……」

「清嗣さまにも疑いがかからないよう、私にも少し考えがありますので」

「……そなたは最後まで人の事を考えるのだな」


「ところで清嗣さま、お持ちになっている包はなんでしょうか?」

千古は清嗣が自分の後ろに置いていた、一メートルを少し超えるほどの大きさの布で包んだ物を指さして尋ねた。

「千古殿、これは琵琶です。今日、内裏に寄ってきたのは、これを引き取るためです」清嗣は後ろの包を引き寄せ、布を開いて琵琶を千古に見せた。

「この琵琶は宮廷で問題になりましてね。なんでも夜中に誰もいない部屋で、弦が鳴るそうです。気味悪がって私に処分してくれと預けられたのですが、見たところ一級品の唐物で、燃やしてしまうのはもったいない。よろしかったら千古殿に差し上げましょう。そなたなら弾きこなせるでしょう」

千古はその琵琶を手に取ると懐かしそうに目を細めて言った。

「……この螺鈿らでんには見覚えがあります。これは阿倍仲麻呂様が唐でお持ちになっていたものですね。おそらく仲麻呂様が日本に帰れないので、その魂が琵琶に宿って日本に帰って来たのでしょう。音を鳴らすのは仲麻呂様の魂ですよ。これはいい物をいただきました。では、千年の眠りの友とします。ありがとうございます」

そういって千古は笑った。


* *


 さて、清嗣は離れの外で待っていた女官のところに行って「千古は狐の化身だった」と言う。さらに他の家臣たち、そして名栗王にまで同じことを説明した。

 当然、館の者はそんな話は信じなかったが、離れにも、庭にも、館のどこにも千古の姿は見えなかった。人目につかずに屋敷を出ることなどできないので、人々は不思議に思い、総出で屋敷中を徹底的に探す。さらには京の町にも大規模な捜索隊が出されたが、ついに千古の姿は見つからなかった。

 養女とはいえ名栗王の娘で帝の嬪になる身である、千古の行方不明は内裏を巻き込んだ大騒動となり、清嗣は名栗王によって捕らえられ拘束されてしまう。


 しかしやがて、京中のいたる所で「死体を寝かしておくと白い狐がそれを持って行く」という奇怪な事件が起こり、人々はそれが千古だと噂するようになる。さらに『白い狐が人を化かした』『死体を操った』などの届出が検非違使に殺到。ついには「厄病が流行ったのは千古の仕業だ」と言う噂が広まって収集がつかなくなる。

そして帝と名栗王もついには千古の事をあきらめ、清嗣は解放された。


まもなく厄病は収束。それ以来、白い狐を見た者はいなかった。


    <月の章の終わり>

今までお読みくださいまして、ありがとうございました。


十月二十七日から『妖狐とゾンビの渋音恋物語』を投稿し始めました。千古が現代に蘇って渋谷音楽高校の職員に採用され、渋音を世界一の音高にするべく奮闘しながら恋のバトルを繰り広げるという話です。

現代の高校という設定なので、『妖狐抄』とは登場人物との距離感や時間の進み方が全く違うのですが、根底に流れているテーマは引き続きダークです。よろしければお読みください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ