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次の日、素晴らしい秋晴れの日の朝、千古が作務衣を着て成子姫に呼ばれるのを待っていると、名栗王と乳母が入ってきた。
「千古殿。もう方が付いた。気楽に姫に会ってやってくれ。大変残念だが女官の一人が運ぼうとしている茶に毒が入っていた」
「その女官はどうされたのですか」
「今は牢屋に入れてある。『自分は知らない』と言っているが、状況から考えて、他に毒を入れられる者がいない」
「その毒を私にいただけませんか。何の毒かを調べて万一の時のために解毒剤を探します」
「わかった。後で持って来させよう」
* *
千古を見ると、成子姫はポロポロと涙を流して千古に抱き付いた。そして声をださずに泣き続けた。千古は成子姫の肩を抱き、
「怖かったね。あの時は。でも、もう大丈夫だよ」とやさしく声をかけ、小一時間もじっと抱き続けた。
名栗王が様子を見に訪れた時は、成子姫はかなり落ち着いていた。千古が言う。
「薬で眠らせる事はできますが、それではこの病は直りません。これは時間をかけて、心の傷が治るまで待つしかないのです」
「では、ずっとここにいて成子の傍にいてやって欲しい。もう毒を盛る事を指示した者も捕えた」
「私も姫さまが心配です。しかし長い期間にわたって治療をするために、二つのお願いがあります」
「なんだ。言ってみよ」。
「私を姫様の御毒見役としてください」
「そなた、まだ疑っておるのか」
「はい」
「……しかし、毒見ならもっと別のものにさせる。大事な医師のそなたにさせる事はできない。命がかかっているのだぞ。誰もが嫌がるものだ」
「姫様の命もかかっています。ですから、姫様の命を助けるために、私が責任を持ちたいのです」
「……わかった。ではこれから食事もずっと姫と一緒にとってくれ。一盛りにした料理を運ばせるから、千古が姫の分と自分の分に取り分けてくれ。それでいいか」
千古はうなずいた。
「それからもう一つはなんだ」
「あそこの舞台を毎晩、使わせていただけませんか」
姫が指差した先にあるのは、庭の大きな池の上に建てられている床と屋根だけの猿楽の舞台だった。
「いや、しかし、あれは女人禁制で……」
名栗王は一旦言いかけたが、すぐに言葉を変えた。
「わかった。舞師には私から話をしよう」
それから成子姫と千古のいつも一緒の生活が始まる。十六才の成子と十八の千古。千古は自分が経験した唐での出来事、インドへの旅など、毎日欠かさず成子の興味を引く話をした。成子はいつも熱中して聞いていた。成子は千古を慕い、愛した。
夜になると、二人は池の水面の上に張り出すように建てられた舞台に行って、そこで肩を抱き合って星を見、静かな水の音に聞き入った。そうしているうちに、いつも成子は千古の腕の中で眠りに落ちるのだった。
二人の美女が夜の舞台で抱き合っている。秋の夜、月の光に照らされて、それは幻想的で美しい光景だった。
その噂はすぐに殿上人の間に広まり、屋敷の門番を買収して夜の庭に忍び込み、木々の間からこっそりと二人を覗き見るという不埒な者まで現れるしまつだった。いや、後を絶たなかった。
* *
翌年の夏になると、成子はすっかり回復し、もとの明るい性格に戻った。
ある日、名栗王が千古を呼んで言った。
「千古、お前は成子を三度救ってくれた。盗賊に襲われた時、毒を盛られそうになった時、そして恐怖におびえる病も治してくれた。お礼の申し上げようもない」
「そろそろ私の役目も終わりですね」
「いや、成子がそなたを離すはずがないだろう」
「お館様、それはいけません。姫様は私を離れて、誰かを愛して子を成し、幸せな家庭を築くのです。それはお館様が一番よくお分かりのはずです」
名栗王は少し考え込んでいるようだったが、やがて口を開いた。
「そなたに話がある。千古、……名栗の養女になってくれ。それならば、ずっと成子と一緒だろう。たとえ成子が陛下に召されても、姉妹であればつながっている。そなたは名栗の家の娘としてここで婿をとればいい。どうだ。いい考えだろう」
「それは本当にありがたいことでございます。恐れ多い幸せにございます。しかし、私は唐から来た身元の知れない者」
「もう一年も成子の毒見をしてもらって、何を今さら。もう決めたのだ。今日から千古は私の娘だ」
「……それは、ありがとうございます」
名栗王の家臣や女官たち、屋敷の者もこの話に不服はなかった。何よりも千古には気品がある。名栗王の娘として誰が見ても恥ずかしくない。
しかし、その二週間後、人々は事の真相を知る。




