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妖狐抄  作者: 北風とのう
月の章
14/19

-2

 娘が柔らかな口調で言う。

「では、痛みをとってあげましょう。死ぬことを覚悟されているのなら、ここで姫様をさらに傷つけても何の得になりましょうか。それより、痛みを無くして神に心を預けてください」

「お前、本当に医師か。薬で俺を眠らせるつもりだろう」

「いいえ、眠くはなりませんよ」

そう言って、娘は持っていた袋から水筒と粉を取だし、それを混ぜるといきなり男に近づいて服の腹の部分を破いた。そしてその水を傷口にかける。

「うわ~っ。痛え~っ」

男は叫んだが、一瞬たりとも刀を娘の喉から離しはしなかった。

「あなたは盗人ではありませんね」

「……なぜそう思う」

「盗人は死を覚悟したりしませんから」

「……」

「痛みが消えたでしょう。しかし、しばらくすると寒くなって震えがきますよ」

無言の緊迫した時間が流れる。しかし、男は痛みが取れたせいか、じょじょにやわらいだ顔になってきた。


「寒い。何かしゃべってくれ」

「家族はいらっしゃるのですか」

「死んだ。女房も、息子も娘も死んだ」そう言い終わらないうちに、男はガタガタと震えだした。

「もうそろそろ刀を離していただけませんか」

「…………」

「あなたの遺体もご家族の近くに埋めて差し上げましょう」

「お前、なぜそんな事をするのだ」

「お墓はどこに?」

「……和邇わににある小野という所だ」


それから娘は別の薬を男の口に含ませる。男は最初は抵抗したが、結局覚悟を決めたのか、それを飲んだ。

「目をつむってご家族の事を考えてください」

男は素直に目をつむる。

女は男の後ろ側に回り、男の両肩に手を当てた。そして、ゆっくりと男を横たわらせ、刀をそっと取り上げる。すぐに男は眠りに落ちた。


 女が姫の肩を抱いて牛車から出てくると、群衆から歓声が上がる。一気に牛車に乗りこむ検非違使。そして刀を男に突き刺す音が聞こえた。

 女官たちが駆け寄って姫を抱きかかえた。姫は独りでは立っていられず、女官たちに倒れかかる。女官の一人が言った。

「成子姫を助けていただき、何とお礼を申し上げてよいやら。どうぞこの先のお屋敷までおいでください」

しかし女は固辞した。自分は旅の者で、先を急ぐのだと。しかし女官たちがあまりにもしつこく誘うので、一つだけお願いをした。

「では、一つだけお願いがございます。先ほどの盗人の遺体を私にください。私は勉強中の医者なので、少し研究をしたいのです」

 一同、あまりにも不気味な願いに背筋が寒くなったが、女官が検非違使に掛け合った。検非違使がぶっきらぼうに答える。

「罪人の遺体だ。取り調べが終わるまで誰にも渡せるわけがない」そして女にむかって言った。

「お前、名はなんと言う」

千古ちふると申します」

「こいつと話していただろう。名前を聞いたか」

「いいえ。家族はもう死んだと言っていただけです」

 しかしその時、高位の女官が検非違使に近づき、耳を近づけて「後で名栗王の屋敷においでください」と囁くと、検非違使は急に態度を変え、あっさりと取り調べをあきらめ、台車を用意して遺体を積んだ。

 女はその台車を引くと、一同に深くお辞儀をして、夕暮れの朱雀大路を南に下って行った。急に人気の無くなった京の街角に台車の軋む音がずっと響いていた。


* *


 夜明け。空が白み始めた小野の村。濃い朝もやの中、遠くから台車の軋む音が聞こえ、やがて千古が現れる。すぐに早起きの農民たちが集まってきた。若い女が台車に血まみれの遺体を乗せて運んでいる。早朝に村に着くという事は夜中に山中を歩いてきた事になる。信じられない光景に恐る恐る千古に近づいた若者が声を上げた。

「わ~。得足とくしではないか」

すぐに数名が集まった。

「私は医師で千古と申します。この方が京で盗賊に刺され、私が治療したのですが、助かりませんでした。故郷を聞いたらこちらだとおっしゃったので、せめてもの供養にとご遺体を運んでまいりました。亡くなったご家族の近くに葬って欲しいとおっしゃっていました」

年長の者が言った。

「京から運んできたのか?この者は得足と言って小野では腕っぷしの強さで知られたんだ。一年前に妻と子供たちをあいついで亡くし、村を出て行った。おおかた盗賊に会った時に抵抗して刺されたんだろう。わざわざ運んでくれて本当にありがとう。丁寧に供養して家族と一緒に葬ってやろう」

「ではお願いします」

女はそういうと、丁寧にお辞儀をし、台車を置いて今来た道を戻って行った。村の者の遺体を運んできてくれた者に対し、食事などを供するのが礼儀だが、女のあまりに不思議な雰囲気に恐れをなして、それ以上、女に声をかける者はいなかった。


* *


 千古が村から離れてしばらくすると、五~六人の武士が村の方から走ってきて千古を取り囲んだ。

「おまえ、なぜ嘘を言う」

「……さて、なんの事でしょうか」

「おまえ、得足が襲った姫を助けた医師だろう」

「……」

「ここに来ることは検非違使に言ったのか?」

「いいえ。地名を言ったら検非違使が調査するでしょうから、村にもあの方の起した事が分かってしまいます。そうなれば村に葬っていただけなくなるかもしれませんので」

「なぜ見ず知らずの盗人にそこまでやってやるのだ」

「私はあの時、ご家族と一緒に葬る事を約束しました」

「……お前、何者だ」

「私は旅の医師で、千古と申します」

「お前をこのまま帰すわけにはいかない」

そう言って背の高い赤ら顔の男が大きな刀を抜いた。

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