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妖狐抄  作者: 北風とのう
月の章
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月の章

 立秋の日の夕方。陽が落ちて猛暑もやっと和らいだ頃、平安京、朱雀大路には大きな牛車を取り巻いて人だかりができていた。漆塗りの豪華な牛車からは男のひどく興奮した怒鳴り声が聞こえる。

「寄るな。女を刺すぞ。寄るなぁ~」

まわりには一間ほど離れて検非違使と隋兵がとりまき、さらに二~三間離れて女官たちと大勢の群衆がその様子を見ていた。精悍な顔つきの検非違使は刀を抜いていたが、牛車に近づけずにじっと様子をみている。


 その時、作務衣を着た若い女が、すっと群衆の間から抜け出て検非違使の間をすり抜け、牛車の入り口に近づいた。牛車の中の男がそれを見て叫ぶ。

「寄るな。こいつの首がとれてもいいのか」

しかし女は全く動じず、平然と牛車の縁台に手をかける。

「私は里中の医師くすしです。姫様が怪我をしているようですので、診させてください。あなたも怪我をされていますね」

検非違使はあわてて女を捕まえようとしたが、その前に女は身軽に牛車に跳ね上がり、あっという間に御簾の中に入ってしまった。


 男は土で汚れた服を着ていた。腹のあたりが大きく血で染まり、浅黒い顔にぎょろぎょろとした眼が薄暗い牛車の中で異様に光っていた。年の頃十六~七の姫を後ろからかかえ、刀を喉に突きたてている。姫は恐怖に顔を引きつらせ顔面蒼白。声も出ないようだった。腕から血を流している。

 男は大声を出していた割にはそれほど興奮していなかった。

「なぜ二人が怪我をしていると分かる」

「先ほど見ておりましたので」

作務衣を着た女は年の頃十八~九。ほっそりとした身体に白い肌。切れ長の細い眼で不思議に落ち着いた雰囲気を持っている。

「お前、本当に医師か」

「はい。すぐに腹の傷の手当てをしないと命が持ちませんよ」

「馬鹿かお前。手当なんぞしたところですぐに検非違使どもに殺されるわ」

「ではなぜ、私を牛車に入れたのですか」

「お前が勝手に入ってきたんだろう。女なら人質が増えるのも悪くない。それより姫の傷を診てやらんのか」

「姫様、どうぞご安心ください。姫様の傷はそれほど深くありません。あとはすべて私にお任せください」

女は、姫と呼ばれる娘の腕を一目見てそう言うと、男との間に微妙な間をあけ男の顔をしっかりと見ていた。姫の傷を診ている間に男に取り押さえられるのを警戒しているのだ。

「お前、本当に医師か」

娘のようすがあまりにも落ち着いていて、このような異常な事態への対処にも手慣れたようだったので、男はいらだっていた。

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