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妖狐抄  作者: 北風とのう
風の章
11/19

-5

 先発隊を撃退した事を聞くとトゥシャーが帰ってきた。そこでナジーブとイシスは自分たちの領地に帰ろうとしたが、今度は家臣がそれを認めなかった。トゥシャーは国を捨てた。もう王ではない。この国の王はナジーブしかありえない、という事だ。皇太后もナジーブを支持し、ナジーブが戴冠。トゥシャーは王の弟として王宮に留まる事になった。

しかしイシスはこの時も妃とは認めてもらえなかった。人種の異なるイシスの血を王家に入れる事に皇太后が大反対したからだ。


 やがて一同は、ナジーブが一度は捕えた先発隊を治療までして解放した事が、実に巧妙な策だった事を理解する。

コーサラ軍は他の王国を次々に攻め滅ぼしたが、カシには最後まで来なかったからだ。


* *


 ガニッシュは最初のうちこそ見張りの兵を睨みつけ、捕虜の自分に学校の設立・運営を依頼したイシスに反発していたが、一旦仕事に手を付けると、後は一気にそれをやってのける。建物を手配し、教師を探し、自ら教師を教え、あっという間に学校の体裁を整えて生徒を募集し、授業の開始にこぎつけた。

 ナジーブはまもなく見張りをつけるのをやめた。ガニッシュは幽閉されているわけではなく、その気になればいつでも逃げる事ができる。しかし彼は逃げなかった。それどころか意地でも与えられた任務を遂行して先進国コーサラの威信を見せようと奮闘した。

 イシスも医者志望の者を選抜し、日中のほとんどの時間を費やして、医療の基本を教えていった。


 ナジーブは国の土木と財政を管理し、イシスが食料と衛生を、そしてガニッシュが捕虜にもかかわらず、圧倒的な手際よさで教育と工学を司った。わずか一年後には貧しかった国に明るい雰囲気がただよい始める。

 ガニッシュは幅広い分野に博学で、ナジーブにそれを教えた。やがて二人は国政についても意見を交換するようになっていた。


* *


 ガニッシュは荷車に帆を付けた陸を走るヨットのような車を発明し、これを使って王宮と学校を往復していた。

 ある時、イシスも学校から王宮に帰る時に、ガニッシュの車に乗せてもらう。ガニッシュはいつもとは違う河原沿いの道を走り、あたりに誰もいない芦の原にさしかかると車を止めた。しばらくの間、二人は川面を渡る風がさざ波を運んでいくのを見ていたが、やがてガニッシュがイシスに言う。

「あんたが好きになってしまった。捕虜の自分が王妃のあなたを好いても滑稽なだけだが、自分の気持ちは止められない」

そしてイシスを抱いた。


 しかし、しばらくするとガニッシュはイシスに起こされて目をさまし、それが夢だった事を知る。

「ガニッシュ、もう王宮に着きましたよ。あなたは学校を出るとすぐに眠ってしまったのよ」

ガニッシュは抱擁が夢だったとは思っていなかった。そして自分に罪を犯させないように配慮したイシスに深く感謝した。


* *


 それから数か月たったある日の午後、イシスが学校から王宮に帰る時、ほんの気まぐれから河原沿いの道を歩いていると、河原の土手に小さなテーブルが置いてあるのに気が付く。

そしてイシスのすぐ前を、一人の女がそれに向かって歩いていた。年の頃三十ほどのぼろ布を着た女。手には器に入れたスープを持っている。女は、テーブルの所に着くとその器を置いた。そしてその時すっと傍に寄って来たイシスに気が付いて飛び上がった。そして次の瞬間、それがイシスだと分かってさらに驚く。

「これは王妃様。なぜこのようなところにいらっしゃるのですか。ここには近づいてはいけません。すぐにここから離れてください」そう言ってイシスをその場から去らせようとした。しかしイシスはむしろテーブルに近づこうとしたので、女は必死になり「いけません。王妃様。どうかお許しを」と言ってイシスの手をとって引っ張った。その顔があまりにも真剣だったので、さらに二~三人の民がその声を聞いて集まってきたので、イシスもしかたなく、女に引かれるまま三十歩ほど土手を歩き、しかし振り返って再びテーブルを見た。

 その時イシスはそのテーブルの近くの河原、葦の合間に、犬小屋のような物がある事に気が付く。そしてその小屋から、五~六才ほどの小さな男の子がのろのろと身体を引きずって出てくるのが見えた。男の子は半身の皮膚が黒ずみ、身体も著しく不自由そうだ。そして五分もかけてテーブルまでたどり着くと、持ってきた空の食器をそこに置き、そして女の持ってきたスープの入った器を抱えて再び体を引きずって犬小屋の方に帰ろうとした。


 イシスは女に聞いた。「あの子はあなたの子ですか。なぜあそこにいるのですか」

女は下をむいて泣いているばかりだったが、大勢集まってきた村民のうちの一人が答えてくれた。

「あの子はこの女の一人息子で、二年前から皮膚が侵されて徐々に身体が溶けていく病気になった。この病気は人から人にうつるので、村人からも家族からも離してああして一人で小屋に住まわせるのだ。そしてこうやって一日一回、食事を受け渡している。普通なら一人で住み始めると一ヶ月で動けなくなって死んでしまうのだが、あの子はなぜか元気で病気もひどくなっていないようだ。しかし家族と会わせる事はできないから、こういう生活をもう二年も続けているのだ」


その話が終わらないうちに、村人が止める間もなく、突然イシスは男の子の方に向かって走り出した。あっけにとられる村人たち。そしてイシスは男の子のところに行くとしゃがんでその子を抱きしめた。

「あなたはもう独りでご飯を食べる事はありません。私と一緒に食べましょう」

イシスの眼から涙があふれる。しかしそれを見ていたその子の母親も、すぐに駆けてきて、イシスをどかして男の子を抱きかかえた。女は大きな声で泣いていた。

「ごめんね。一人にして本当にごめんね。これからはずっとお母さんと一緒だよ。お母さんが悪かった。ごめんね」

集まってきた大勢の村人も、その光景を見て全員が泣いた。


* *


 イシスがらいの男の子を抱きしめたという話は、一日のうちにカシ全土を駆け巡った。王の伴侶にして王家の医療学校の先生である。なんでそんな軽率な事をしたのか、と王宮は大騒ぎになる。そもそも、イシスはその日、王宮には帰らずに行方不明になっていた。


 王家では激論が交わされた。と言っても、イシスをかばうのはただ一人。

しかしその一人が国王だった。

ナジーブは言った。

「イシスを迎えられないのなら、私は王位を捨ててイシスとこの国を出ます。トゥシャーが国王に戻ればいい」

家臣たちは困ったが、最終的にはそういう解決しかないのかもしれないと思った。その時点では。


 しかし、その一週間後には、カシ国はどうしてもナジーブに王でいてもらわなければならない状態になる。

(評価、感想をいただけるとありがたいです。北風とのう)

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