始まる前に、俺のこと
カスガイ ハルト
俺、春日井晴登は小さい頃から土いじりが好きだった。
よく公園に行っては泥遊びをして、砂の城や山を作っては家に泥だらけで帰っていた。
その頃はよく専業主婦の母さんに大声で怒られていた、
サラリーマンの父さんには拳骨を貰っていた、それでも俺は泥だらけになっていた。
しかし幼稚園のころ、洗濯に疲れた母親が気まぐれで始めたガーデニング、
俺はそれに心を奪われた。 指先ほどしかない小さな種を土に埋める。
ただそれだけで、日に日に育つ植物。 それは自分がかけた愛情で如何様にも変わった。
放置すればひん曲がっていき、手をかけ過ぎれば小さく収まる。
また、愛情といって自分勝手なことをしたら、どんどん元気がなくなり、枯れていく。
おかしいと言われるだろうが、俺はそれらが楽しかった。
ゲームやスポーツ何かに打ち込むように、俺はガーデニングに打ち込んでいた。
そのまま小、中、高校と趣味は変わらず、大学では植物を思う存分育てられる場所は
ないものかと必死で探し、一番学費が安かった農業大学へと進んだ。
それからの3年間は幸せだった…… 馬鹿だと言われた品種改良を試し、
昔と今の能作方法でどう植物が育つかの違いを見たり、
ハウス栽培での利点と改良点を話し合ったりしていた。
しかし4年になった俺は、ついに気付いてしまった…… 就職先が無いことに。
そもそも、土をいじっていたいのなら土地を持っていなければならないのだが、
生憎、俺の生まれは東京で、両親とも中流家庭の生まれ。
自由に出来る土地などどこにも無かった。
それでもどうにか出来る手段は…… あるにはあったが……
いや素直に言おう、それはイケメンにしか許されないだろうことだった。
自由に出来る、または作物を育てられる土地を持った人と結婚するという手段だ。
だが、実家が農家の女性達は、既に彼氏と結婚を前提に付き合っており、
どちらかといえば不細工だろう自分には、何も出来ることはなかった。
ともかく、俺は大学が用意した就職先で土に触れられる仕事がないか探し始めた。
出来ることなら土地を譲ってくれる人が居ることを願い、無ければ
アルバイトでもして、信用を積むしかないと思って探した。
そんな時に大学の就職掲示板にあった張り紙を見つけた。
『異文化農業交流員、募集』と。
内容は読めば読むほど、本当に農業関連なのかと思うほど破格の給料であり、
また内容は農作業の支援を行い、また新しい作物のテストを行うというもの。
俺はそれを見つけたことが天啓であったかのように思った。
思い立ったが吉日ということで、その日のうちに応募したのが二ヶ月前、
他の募集者からこの交流員となる資格を勝ち取った。
あの条件で働けるならどこでもいい。
たとえ北の凍土だろうが、南の砂漠だろうが行ってやると、
そう、思っていた……。
……思っていたんだ。
………今日の朝まで。
そう、俺の赴任地が、正真正銘の異世界だと知るまでは。