第二話 馬頭
九蔵は、餓鬼共に腹の皮を素手で破かれ臓物を引き抜かれそうになりながら思った。
幼い頃、映画で見た光景に似ていると。
それは、白人がゾンビに群がられて喰われるシーンだったがまさか自分が喰われる側になるとは夢にも思っていなかった。
自分の名前も思い出せなかったのに、映画の記憶は残っているとは奇妙なものだとも思った。
一匹だけ、歯のない餓鬼がいて、唾液でぬめった舌が皮膚に吸い付いてくる感覚は、痛みというよりはむずがゆさを感じさせた。
もし、喰いちぎるという意志がなければ身体を舐められたり、しゃぶられたりするのは存外、気持ちいいことなのかもしれないと思った。九蔵は童貞だった。
だが、それは激痛の中ですら全く気絶することもできないゆえの一瞬の逃避であった。
昔見た映画どおりなら、噛まれた傷口から感染し自分もいずれは食肉という餓鬼の仲間になり亡者を求めて永久にさまようことになるはずである。
そう思うと餓鬼達の腐臭を放つどす黒い歯茎から感染源が自分の血管や肉に浸透していく感じがして耐え難い恐怖となり全身をこわばらせた。
そして、九蔵は最後の力を振り絞り餓鬼の手から逃れようともがいた。
しかし、もがけばもがくほど餓鬼たちと自分の手が絡みあってどっちが自分の手足だかわからないほど肉が引き剥がされていた。
九蔵は血の気が抜け目の前が白くなっていくのを感じたが、ふと遠くの方から空気を裂く風きり音が段々と近づいてくるのに気が付いた。
その音が大きくなってきたと思った瞬間、爆風が巻き起こり衝撃と共に、餓鬼共々、九蔵は吹き飛んで地面にボロ切れの様に転がった。
爆発の中心点には、一本の棒があった。
それは、湾曲した櫂型の木剣で刃の部分にいくつもの薄く研いだ黒曜石が埋め込まれていた。
その武器は硬い岩盤を見事に貫いて深々と地面に突き刺さっていた。
「おいおい、ニウ、はぐれ亡者一匹連れ帰るのにドンだけかかってんだっつの」
女の声がした。
武器が飛んできた方向から、艶やかに伸びた黒髪を、やる気なさそうにくしけずりながら歩いてきたのは給仕服に身を包んだメイドだった。
「ミミミちゃん、来てくれたんだ」
「いや、おめーが遅すぎるからだって」
「ごめんね」
「で、見つかったん?」
「その、そこなんだけど」
ニウは、木剣が刺さったあたりを指さした。
餓鬼共々、身体も死に装束もズタ布のように裂けて一緒くたになった九蔵が転がっていた。
周りの食肉達がクッションになったせいか、かろうじて息はあるようだった。
ミミミと呼ばれたメイド服の女は、岩盤に突き立った武器を片手で軽々と引き抜き九蔵の傍らにしゃがみ込んだ。
「おーい、生きてるかー」
「メ、メイド」
「はい♪ ようこそ、冥土へいらっしゃいませ。ご主人様♪」
ニウにミミミと呼ばれたメイドは、にっこりと笑った。
九蔵は全身の血をほとんど失っていたので何も反応できなかった。
「なんて言うと思ったか、このクソ亡者!」
ミミミは立ち上がり、九蔵を思い切り踏みつけた。
自分の肋骨が数本砕き折れる音が九蔵の頭のなかで響いた。
「ミミミちゃん、ダメだよそんなことしちゃ」
「ニウこれで、罰ゲーム終わりなだからな。あーもうやってらんね」
「九蔵さん、ごめんなさい。ミミミちゃんカラオケの点数競争で負けてメイド服着てるだけなんですよ」
九蔵は、そんなことは、どうでも良いと思った。意識が遠のいていき今度こそ本当の死が訪れたのだと覚悟した。
「ミミミちゃん、九蔵さん審判の前に死んだらほんとに無に帰っちゃうよ。どうしよー」
「心配すんな、こいつは運がいい」
湿気を含んだ重く粘っこい空間に一陣の風が吹いた。
風が九蔵を包み、全身から水蒸気のようなものが噴出し、欠損した部位が見る間に塞がっていく。
「こ、これは。た、助かったのか」
失った血の気も完全に戻り立ち上がった九蔵は自分の体を眺めて言った。
「今のは、回生の風と言って責め苦を受けた亡者をすぐ回復させてくれるんです。最近は三日に一回くらいしか吹かなくなっちゃたんですけどね」
ニウがにこやかに解説をしてくれた。
「じゃあ、さっさと、そいつ連れて戻るぞニウ」
「そうそう、ことらは私のお友達で馬頭のミミミちゃん。幼稚園の頃からの幼なじみなんですよ」
「亡者なんかにいちいち紹介しなくて良い!」
ミミミは九蔵に目もくれずぶっきらぼうに言った。
「その、助けてくれてありがとう」
「ふん」
ミミミの態度は素っ気なかったが何だか照れている様でもあった。
九蔵が先程倒れていたところを見てみると、回生の風で回復したと思われる食肉達の挙動が明らかにおかしく一斉に風下の方に向かって走り出した。
「まずいな、ニウ。めんどくさいのが来るぞ」
「うーん。 この感じからするともしかして・・・」
「ああ、間違いなく羅刹だな」