第十三話 衣千華
一人取り残された九蔵はあたりを見回した。
九蔵の家があるフェンス際の居住地は人影も薄くいたとしてもハウスの中で寝ころんで何かうわ言の様に喘いでいる亡者がいるだけで声をかけてみたが反応はなかった。
九蔵は衣服が何もないのでニウのパンツを履いたまま亡者街の中心に行ってみることにした。
フェンス内の特別保護区は端から端までおよそ三由旬《※約四十キロメートル》もあり通称キャンプと呼ばれている。その中心地の亡者街には一通りの店があったがほとんどが道端や軒先に広げた出店程度のもので、売っているものも九蔵にはガラクタの様にしか見えなかった。
目抜き通りをほとんど全裸で歩いている九蔵はすぐ新参者と分かるのでまじめに商売をしている亡者からは相手にはされず良からぬことを考えている輩には仕切りにまとわりつかれるかのどっちかだった。
先ほど九蔵の家に着くまで誰も声を掛けてこなかったのはニウとミミミがそばにいたからだというのがよくわかった。
九蔵が女物のパンツを履いているのがよほど珍しいのか破格の年数で譲ってくれと何度か頼まれたがきちんと洗ってニウに返したかったので九蔵は断るのに苦労した。
九蔵はとにかく服が欲しかったが杖も失ってしまったためまずは武器屋に寄ってみようと考えた。
樹脂製の板きれの様なものに墨で『武具』と書いた看板をナイロンシートでひさしを作った簡易テントの骨組みに掲げた店の下に行くとむしろの上に腫れぼったい眼をした老人が座っていた。
その前には束になった刀が無造作に置かれ、どれも鞘には埃をかぶっていた。
九蔵はどうせなまくらだろうと思いつつ老亡者に断って刀を手に取った。
鞘から抜いた刀は地肌が青く冴えわたり刃文丁子も見事に鍛えぬかれた古刀であった。
現世なら国の重要文化財になっていてもおかしくない刀がなぜこんなガラクタ市同然のボロ屋に置かれているのかはわからなかったがとにかく値段を聞いてみた。
「一本千年だ」
老人がつぶやくように言った。
「え、千円?」
九蔵が聞き返す。
「んにゃ、千年」
老人が返す。
「え、千年・・・」
「んだ」
九蔵は左前腕のデジタル表示を見た。
十時間と数分が経過していた。あれほど見事な古刀なれば値段は妥当だなとも思った。
九蔵は店を出て他をまわった。刀が高すぎるのはしょうがないと思ったのだが武器に関わらず嗜好品といえるようなものはどれも数十年以上の値がつけられ九蔵には全く手が届かないものばかりであった。
九蔵は目抜き通りの外れにある乾物屋台の前にたって売っている干物を眺めていた。
並んだ干物は焦げたような色をした黒蜥蜴の串刺しや目玉の干物、膨れ上がったトビイカの頭の中に大量に寄生した虫ごと薫製にして輪切りにしたものなど見ただけで吐き気を催す代物だったがそれらの値段がどれも十時間以内のものが多いので買ってみようか悩んでいたのだった。
店主は下顎が突き出た豚面の巨漢で右目にできた腫れ物の上から黒い眼帯をつけていて不潔な感じがしたが店自体はかなり盛況らしく浮浪者のような赤ら顔の亡者が干物をまとめて買っていく姿が見られた。
「あの、それください」
九蔵は思い切って声をかけた。
「自分でとれ」
店主はぶっきらぼうに言った。
「じゃあ、これで」
九蔵は、黒蜥蜴の串を取った。
「十二時間」
「え、でもここに一本五時間て書いてあるけど」
九蔵はかすれて消えそうなマジックで書かれた値札を指さした。
「イヤなら置いてけ」
店主は九蔵の腕を見てから値段を言ったのでふっかけられているのはすぐにわかった。
九蔵も初めての買い物だったので気が大きくなりまあいいかと思い油がこびりついて黒ずん汚れた金属製の支払いポートに手をかざそうとした。
「そんなもの食ったら腹壊すわよ」
不意に脇から出てきた長い黒髪の着物姿の女が九蔵の腕に手を絡ませて言った。
「衣千華さんじゃましねえでくんなせえ!」
豚面の荒っぽそうな店主が急に声を抑えて女に言った。
「あら、とんちゃん悪かったわね」
衣千華と呼ばれた女は悪びれた風もなく言った。
「いや、あの自分為吉なんで」
「ん? そうだっけ。細かいことはいいじゃない」
「はぁ」
「じゃ、お兄さんは私と行こ」
衣千華はそう言って九蔵の手を引いてその場を離れた。
「お兄さん新人でしょ。名前は?」
「九蔵ってことになってます。さっき、地獄に落ちたばかりで」
あらためて向かいあってみると九蔵は衣千華の美しさに息をのんだ。
羽織の着物に腰まで伸びた漆黒の髪は光沢を帯び、切れ長で黒目がちな瞳は底のない深淵を
覗き込んでいるような錯覚を喚起させた。
「ふーん、で、そういう趣味があるのかしら?」
衣千華は九蔵の履いているニウのパンツを見ながら言った。
「いや、これは知り合いの極卒から借りてるもんで別に好きで履いてるとかじゃないっていうか」
「へえ、極卒が亡者に私物を貸すなんて前代未聞というかお兄さん何者?」
「うーん、地獄に来るまで記憶がないのでなんとも」
「ふーん。ま、ここじゃ生きてるときの地位も名誉もなんも役に立たたない
からね。忘れてしまったほうが幸せってこともいっぱいあるから」
「はあ、そんなもんですか」
九蔵は釈然としない面もちで言った。
「あの衣千華さんは獄卒なんですか?」
「やだ、九蔵さんたら私が鬼に見えるの?」
「いや、そうじゃなくて女の人の亡者って見たことないから」
九蔵が地獄に落ちてから会った女は全て獄卒か餓鬼などで亡者は男しか見たことがなかったし
羅刹餓鬼や獄卒を始め女と思しき全てからろくな目にあわされていないことを思い出し警戒心を抱いていた。
「そういえば、ここって童貞ばっかりいる特別保護区だっけ。ぶっちゃけ私はここの地獄の者じゃないから安心しして」
「え、じゃあ違う地獄から来てるってこと?」
「ま、落ちる地獄は罪の裁量によるもんだしあんま野暮なことは聞かないのがここのルールよ」
「あ、すいません」
「ま、でもここであうのも何かの縁だし、身の回りのもの入りようならお世話するけど」
「でも、お礼とかできないけど」
「礼なんか良いわ。うちのアパートの店子が出先で泥土竜に食われたみたいで家財道具の始末に困ってるから
使えそうなものあったらもっていって」
「え、そういうことならちょっと行ってみようかな」
「うん。じゃあ、ちょっと遠いけどついてきて」
「あ、はい…」
衣千華は九蔵の隣を歩きながらそっと肩にしなだれかかってきた。
衣千華は一見細見だが出るところは出てそのふくらみが優しく九蔵を包んだが、
なぜか蜘蛛の糸に囚われた蝶のごとく九蔵は何か得体のしれない息苦しさを感じていた。