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第一話 牛頭

 

 男は頬に当たる岩の感触と鼻を突く硫黄の臭いで目を覚ました。

 

 周囲は薄暗く荒涼とした岩肌が続く山岳地帯のようで生温かい風が吹いていた。

 

 岩盤のような地面は、地熱のせいかひどい熱さで全身は既に汗にまみれていた。

 

 男はなぜこのような場所で倒れていたのか記憶は無かった。

 

 指一つ動かせない倦怠(けんたい)の中、岩肌を伝って(ひずめ)が地を打つような音だけが耳に伝わってくる。

 

 ぼやけた視界の中、蹄鉄(ていてつ)を思わせる奇妙な厚底のロッキンホースが目の前に迫っていた。 


「あのう、こんなところで、寝ていると風邪引いちゃいますよ。あ、でも食べられちゃう方が先かもですね。あはは」


 そのあっけらかんとした物言いは、夏の夜風に当たりながら聞く風鈴のように澄み、じつに心地が良かった。


 男は起き上がり様に女を見た。まだ、あどけなさが残る顔立ちで十代前半に見える。


 琥珀色(こはくいろ)の瞳に肩越しに切り揃えられた髪は亜麻色(あまいろ)でウェーブがかっていてロリータファッションというのだろうか、花柄がプリントされたピンクのワンピースを着てなぜか首にカウベルが下がっている。


 しかし何より特徴的なのは、ヘッドドレスの両脇から二本の牛のような角が生えていることだろう。


「ここは、一体・・・」


「あ、ここは地獄ですよ」


「地獄ってあの地獄?」


「はい、多分あの地獄です。正確にはちょっと手前の世界です」


「じゃあ、俺は死んだって事か」


「はい、あなたは亡者ですね」


「そんな、バカな」


「あはは、皆さん最初はそういいますね」


 男は、まだかなり若いと思われる自分の手の平を見てふと思った。死んだこと以前に自分は何者なのか、なぜ死んだのかすら全く覚えていないのだ。


「俺は誰なんだ」


「囚人番号は百億飛んで二万六千七百九十三です」


「ちがう、死ぬ前の名前のほう」


「それがですね、さっきから検索かけてるんですが格闘する個人情報が見当たらないんですよね。おかしいなあ」


 少女は何もない虚空から唐突に一枚のガラス板のような液晶パネルを取り出し指先で画面をスクロールさせさまざまな情報を調べ始めた。


「うそだろ、じゃあ俺はいったい何者だったのかも教えてもらえないのか」


「あはは、大丈夫ですよ。見た感じ大したことない一般人て感じですから」


「大きなお世話だよ!」


 男は憤慨して叫んだ。


「まあ、死んだら生前のことは忘れて心機一転がんばりましょう! 百億飛んで二万六千七百九十三さん! て囚人番号で呼ぶの大変だから末尾キュウサンを略して九蔵ってどうですか? キューゾーさん」


「いや、適当すぎるだろ。犬じゃないんだから」


 男は、ふざけた呼び名だと思ったが少女が両手を胸の前で合わせてお願いポーズみたいな仕草をしたので内心それでもいいかなと思った。


「じゃあ、君は鬼なのか?」


「あはは、わたしは牛頭(ごず)のニウです。キューゾーさんの担当だからよろしくね」


「やっぱり、場末のテーマパークとかなんじゃ…」


 状況もわからないまま取り留めのない会話をしている間にも周りに何か異様な気配が集まり始めている事に二人は全く気付いていなかった。

 

 不意に小石が転がる音がした。


 二人が辺りのざわめきに気付いたとき、岩影に身を潜めていた者達が一斉に姿をあらわした。


「な、なんじゃ、ありゃ!」


 九蔵は自分の眼前に躍り出てきた得体のしれない生物を見て叫んだ。


「えと、ガキチャンですね」


 ニウはあっけらかんとして簡素に解説した。


「ええー! 餓鬼ってあんなでかいのか?」


 身の丈が人の二倍はあろうかという皮膚が青紫色に(ただ)れた餓鬼の集団が目の前に躍り出てくる姿は異様だった。


 どれも、目を血走らせこっちを見ながら口から泡を吹いて興奮していた。


「あれはぁ、食肉(グール)っていってお肉を食べるガキですね」


「え、肉って」


「やだなあ、亡者の肉に決まってるじゃないですか」


「えええ!」


 次の瞬間、食肉(グール)達は、言葉にならないうめき声を上げながら、のたうつ様に二人に向かって殺到してきた。


 「わあー、みんな元気いいなあ」


 「そんなこと言ってる場合か」


 九蔵は逃げようとした。


 しかし、ニウは全く緊張感のない表情で餓鬼の群を眺めていた。


 九蔵はてっきりニウもついてくるものだと思っていたがその場を動かないニウの手を引っ張った。


「きゃー、九蔵さんのエッチ!」


 ニウが軽く手を振ると信じられない力で振りほどかれた。

 

「だああ、そんなこと言ってる場合か!」


 九蔵はニウの背後に迫りくる餓鬼の群れを見て悪寒が走った。


「くそ! もう知らん」


 九蔵は踵を返し全力疾走で逃げ出した。


 一応助けようとしたのについて来なかったニウが悪いと内心で自己正当化をして力の限り足場の悪い岩場を傷だらけになりながら走った。


 年端のいかぬ少女が餓鬼に食いつかれている様など見たくはなかったが

恐る恐るに振り返ってみると、なんと餓鬼どもは突っ立っているニウに一切目もくれず素通りして九蔵めがけて牛追い祭りの猛牛ごとくすぐ後ろに迫っていた。


「な、なにー!」


 九蔵はあまりのことに拳大の石ころに毛躓(けつまづ)いて大きく前にすっ転んでしまった。

 

 食肉(グール)達は死肉を漁るハイエナのごとく殺到してきた。 


 九蔵は喉笛に噛みついてくる食肉(グール)の頭を押さえつけようとしたが想像以上に強い力で振りほどかれ前腕に喰いつかれてしまった。

 

 餓鬼の乱ぐい歯が腕に食い込んでくる感触は極めて鮮烈で肉が引き裂け血管が食い破られる痛みは今まで経験したことのない種類のものだった。


「ぎゃあああ」


「そうそう、いい忘れてたんですけど冥界は肉体が存在しないので痛みとかの感覚は魂に直に伝わるんですよ。痛いですか?」


 あとからトコトコ歩いてきたニウが遠巻きに声をかけてきた。


「う、うるせー! さっさと逃げろ」


 九蔵はニウさえ一緒に走り出していたらこんなことにはなっていなかったのではと思っていた。


 その言葉を聞いてニウは首を傾げた。


 亡者が地獄では絶対的存在である獄卒の身を案じるなど考えもしなかったからだ。


「ええ! 九蔵さん心配してくれてるんですか?」


「め、目障りなだけだ!」


 実際ニウを一瞬でも心配した自分が馬鹿だったと九蔵は後悔していた。

 

 少女の姿とはいえ鬼である自分を心配してくれる男などに今まで会ったことのないニウは経験したことのない面はゆい気持ちになった。


 そしてニウは、九蔵の四肢をもぎ取ろうと殺到している食肉(グール)達を見て叫んだ。


「こらー! やめなさーい」


 しかし、その何だか、保育園の先生が園児を叱るような、のほほんとしたニウの叫びは餓鬼達のうめき声にかき消されたのだった。



 

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