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アーデスとライラ

 カエムワセトが兄と廊下で語り合ったその日の夕刻。アーデスは、練兵場に残って訓練を続けている弓兵隊の一団を発見した。

 城壁の向こう。夕日の光を浴びて紅く輝いているナイルの流れをバックに、麦粒のような兵士が縦隊を作り、次から次へと矢を放っている。

 五十名ほどの人数から察するに、小隊のようだ。


 彼らが行っているのは、投射器を使って的を放ち、それを射るという訓練法だった。

 この訓練法は、設置された的を射るよりも、はるかに集中力と技術力を要する。普通なら、訓練も終板であるこの時間帯に行う方法ではない。陽が落ちて的が見にくくなっている上に、疲労で集中力の低下も伴っているからだ。


 観察していていると、五人一列に並んだうち的に命中させているのは、せいぜい三人だった。日中ならもう少し的中率も高いのだろうが、それにしても酷い有様である。


 アーデスはその団体の中に、見知った人物を発見した。最初は弓兵達の命中率の悪さばかりに目がいっていたが、鮮やかな色の髪留めでいくつにも房分けした夕焼けよりも紅い長髪をなびかせ、仁王立ちで兵達を喝っしているその人物の姿は、一団の中でひと際目立っている。軍内で希少価値である女戦士の中でも、ライラ小隊長は一等華やかな存在だった。


―― うーん・・・。遠くから見てもナイスバディだねぇ。あれでちょっと化粧して着飾りゃ、余裕で高官をたらしこめて悠々自適の生活を送れる逸材なんだがなぁ。


 本人が聞けば「余計なお世話だ」と激怒するところだろうが、口に出さず考えるだけならアーデスの自由であり、怒らせるリスクも伴わない。

 決して、軍人として劣っているから、さっさと嫁に行け、と思っている訳ではない。むしろ、彼女は軍人として、ファラオも認める有能さを誇っている。加えて、豊満な胸は弓兵にとって邪魔でしかないのだが、そのハンデを感じさせない彼女の弓術は、もはや芸術だった。その裏には勿論、彼女の人一倍強い負けん気と、努力、そしてある人物に対する恋慕の情念が在るのだが、彼女はめったにその裏側を見せようとはしない。


――しかし、何を間違ってムッキーズなんかと砂にまみれる方を選んじまったんだか・・・。


 アーデスはそんなライラが残念でならない。お育ちの良いお姫様のような上品で静々とした美しさではなく、ライラにはライオンや虎のような捕食動物を連想させる力強さと魅力があった。それをこのまま、戦いと筋肉磨達の調教に費やしてしまうのは、非常にしのびない。


―― と、あいつの将来を心配してる場合じゃないんだよな、俺も。


 三十一歳、独身。恋人募集中。己の身の上の寂しさを自覚し、少し気が滅入った。

 アーデスは女も子供も好きだ。だが、いかんせん戦場での生活が長すぎた。

 アーデスは、見目はそれほど悪くない。と、自分でも評価している。アジア人なので肌はどちらかといえば現地人よりも黄色味を帯びて明るいほうだ。傭兵として鍛え上げた肉体と精神は立派なものであるし、顔立ちは精悍。「髪が落ちてこんから楽だ」という理由からしている、側頭部を刈り上げ、上半分を細かい三つ編みに分けて後ろで束ねた髪型も、よく似合っていると評判がいい。

 アーデスになかなか女性がつかないのは、その淡白すぎる性格が原因だった。女性はアーデスのあまりに非情熱的な対応から、『私は本当にこの人から愛されているのかしら』と不安になり、やがて離れていってしまう。これが毎度のパターンだった。 


 アーデスのこの性格は、生まれ持ったものというよりは、幼い頃から生活の中心だった荒んだ戦場生活が原因だった。いつ何時命を失ってもいいように執着は最低限に、と心掛けていたものがいつの間にか通常になっていた。

 だから、同じく戦場を仕事場とするライラには、自分のような道を歩んでほしくはない。と、考えるのがアーデスなりの友情であり、兄ではないが兄心であり、父でもないが父心だった。

 だが、改めて考えてみると、若くてそれこそ本物の“ぴちぴち”であるライラの将来などは、まだまだ可能性に満ちており、さほど心配したものではないのかもしれないと、アーデスは認識を改める。そもそも、軍人だから皆アーデスのように婚期を逃すのでは、いくら生活が保障されているとはいえ、誰も軍に入隊したがらないだろう。


 アーデスはだらけた足取りで石段を下りると、ちょっと目を吊り上げているくらいが魅力的な、若い小隊長に歩み寄った。


「おう。もう日暮れだぜ」 


 小隊長は後ろから声をかけた護衛仲間を顧みると、すぐに顔を戻して「次!」と兵達に指示を出した。

 矢を放ち終わった兵が後ろへ回り、その次に控えていた五名が前に出て弓をつがえる。


「全員十本中てなきゃ帰れない事にしたの」


 前をむいたまま、ライラが少し遅くなった返事を返した。何やら背中から刺々しい雰囲気が漂っている。


「・・・なんでまたそんなスパルタ?」


「ナイジェルのやつ!私が留守なのをいいことに演習さぼってやがったのよ!お陰で全員、この体たらく!嘆かわしいったらありゃしない!」


 聞くと、ライラの副官を務めるナイジェルは、ライラが留守をしていた丸一ヶ月の間、他隊との合同演習も行わず、だからといって戦車射術の練習もせず、ただ制止的を射るだけの訓練を延々と繰り返していたらしい。

 本日、午後に戦車隊との合同練習を行ったところ、他小隊との圧倒的な戦力の差がみられ、その上、ライラが最後に行った一か月前の演習時と比べて全体的に命中率が低下していたという。ライラがすぐさま副官を呼びつけ詰問したところ、副官が上記のような練習内用を白状したのだそうだ。


 何人ノルマを達成できたのかを訊ねると、一時間ほど前から始めてまだ七名だという。


「そりゃ嘆かわしいったらありゃしねえなぁ・・・」


 と、アーデスはライラの台詞を借りて感想を述べた。そして、空を見上げる。太陽はもう、今にも沈まんとしていた。


「けど、もうそろそろ限界じゃねえか?」


「そんなことないわ。私はまだ中てられるもの」


 そう言うと、ライラは薄暗い中、さっと矢をつがえて部下が打ち損じた二つの的を見事連射で撃ちぬいた。部下達から歓声と拍手が起る。


 その緊張感に欠けた部下達の反応が、ライラの逆鱗に触れた。

 炎のような紅い髪を逆立てた弓兵隊小隊長は、最も盛大に拍手をしていた部下につかつかと歩み寄

ると、そのジャッカルも恥入る美脚で蹴り飛ばした。


「この無能どもが!今のあんた達より、狩人のほうがよっぽど腕が立つわ!そのたるみきった弓術と神経を今日中に直せなかった奴は、明日から練兵場でなく川岸で兵士達の食事用に水鳥を狩る事になると思いなさい!分ったか!」


「は――はいっ!」


 眉と目を最大限に吊り上げ啖呵をきった上官に、兵士達は雷に打たれたように姿勢を正す。


 これは恫喝ではなかった。ライラは、やると言ったら本当にやる。それを十分承知している部下達は、一様に青ざめた。

 蹴られた弓兵は、ライラと同じ歳か、やや年上の青年だった。上背もライラより一回り大きく、体重も下手をすると一・五倍の差がある。その青年が、不意をつかれたとはいえ、一蹴りでふっ飛んだ。それだけライラの脚力が強いという事である。男社会の色が強い軍隊で、ライラが兵達に軽んじられる事無く隊長を務めていられるのは、彼女の、この男顔負けの戦闘力にあった。弓術にしても格闘術にしても、彼女は男性兵士に引けを取らない。

 女性としてではなく、戦士としてライラに憧れを抱いている兵士も少なくなかった。

 アーデスは、留守中にすっかり訓練生に戻ってしまった部下達を持つ小隊長に同情せずにはいられなかった。再教育は、きっと大変だろう。


「で、その働き者の副官はどこだ?」


 再開した射的訓練を眺めながら、アーデスが訊ねた。

 お説教が効いたのか、さっきよりも命中率が上がっているようだ。


「こてんぱんに叱って、今日は帰らせたわ」


「怒鳴りつけてるところが目に浮かぶぜ・・・」


 ライラの副官は、昇進とは縁が薄そうな、調子がいいだけの貴族出身のアホボンだ。不真面目な彼に対するライラのぶち切れ具合は、さっきの比ではなかっただろう。身も凍るような罵倒語でめった打ちにされた坊やは、今頃泣きながら自宅で辞表を書いているかもしれない。

 だが、この現状に対してライラに責任が無いでもなかった。


―― 隊長がしょっちゅう留守してるってのも、問題だと思うけどな。


 ライラはカエムワセトの出張には護衛として必ず同行する。これは、ライラにとって、なんとしても譲れない最重要任務だった。それはライラの上官もよく知っている。カエムワセトの護衛が、ライラが本軍の弓兵小隊長就任の誘いを受けた時に提示した、一番の条件だったからである。

 だがカエムワセトが出張する度に、ライラの小隊は数日から長くて数ヶ月、隊長不在という事態に陥る。だからといって兵士達が腑抜けてしまうなどは言語道断なのだが、士気の低下は避けられない代償だった。ライラは帰還の度に、先ほどのような調子でブイブイ飛ばし、低迷した士気を叩き上げなければならない。また、それができているからこそ、上官もライラの出張を許しているのだろう。


 己の将来も心配ではある。だが、軍人として有能でありすぎるが故に、想い人との関係は前にも後にも一向に進みそうにないライラの、女性としての将来も、やはり憂いてしまうアーデスであった。


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