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瞳の中の心配事


 食事が終わって絨毯もクッションも片付けられ、アーデスやライラは翌日から再開する職務の準備の為、各々、兵舎や執務室に行った。カエムワセトも留守中に届いた書簡のチェックのため、一旦自室に戻る。中庭に続く部屋には、リラだけが残った。

 女官の一人がリラに、ナツメヤシのワインは如何かと訊ねる。リラは丁寧に断って、中庭に下りて行った。

 素足に、日中の熱を溜め込んだ石のほんのりとした暖かさを感じながら、庭を見渡す。

 蓮が浮いた大きな池の周りには、多種多様な植物が植えられており、その中でも抜きん出て背の高いヤシの木は、砂漠からやって来る風に吹かれて大きな葉を揺らしていた。嵐の気配など微塵も感じさせない、穏やかな夜だ。


 自室から戻ってきたカエムワセトが、柱の側でころんと転がっていたリラのサンダルを拾い上げて、中庭におりてきた。


「サンダルは?」


 差し出すカエムワセトに、リラは首を横に振る。


「いらない。裸足のほうが好きなんだ」


 カエムワセトは「わかった」と言って、小さなサンダルを揃えて懐に入れた。用意してくれた女官には悪いが、後で返しに行こうと考える。

 初めて会った一年前も、リラは裸足だった。サンダルを履く習慣が無いのかもしれない。

 そもそも、サンダルを履くのは貴族以上の裕福な者達だけである。むしろ、足場の悪い畑で作業する農夫などにとっては、サンダルは邪魔な代物でしかなかった。


「リラの部屋は前の時と同じ一階の、奥から二番目だからね」


 一年前、旅の途中だったカエムワセトと出会い、そのままペル・ラムセスまでついてきたリラは、数日間だけだが、この宮に滞在している。どうせなら慣れた部屋のほうが眠りやすいだろうと、カエムワセトは今回もその時と同じ部屋を与える事にした。

 だがリラは、サンダルだけでなく、寝室さえも要らないと言う。


「ここでいいよ。涼しいし、星がきれい。まるでオアシスみたいだもん」


 リラは一見、生まれてこのかた太陽の下に出たことがないような、か弱そうな少女に見える。だがその実態は、着の身着のまま、たった一人で、砂漠を平気で旅する野生児だ。普通の人間が同じ事をすれば、二日ともたず砂に埋もれてしまうだろう。

 相変わらずの奇想天外ぶりに、カエムワセトは声を出して笑った。


「確かに気持ちがいいね。でも、お客人を外で寝かせるわけにはいかないな」

「いっぱい考える事ができたんだね。ワセト」

「え?」


 ふいに別の話題をふられ、カエムワセトは戸惑った。リラが何故そんな事を言ったのか分らない。だが、その答えは次の言葉からあっさり見つかった。


「瞳の中に色んな心配事が見えるよ。でも、ワセトにはとてもいい変化だ」


 幼い少女の姿と声に似合わない年長者のような口ぶりと、真実を見抜いた発言は、この魔術師の少女が時折かいまみせる、常人でない証だった。

 彼女がこういった奇人の片鱗を見せるたび、カエムワセト達は実感する。

 姿形は愛らしい少女でも、その中身は普通の人間では想像もつかないほどの神秘の知識に溢れ、鋭い勘と目を持っている異端の人。それが、リラという一人の魔術師の正体である。


「リラに出合った頃は、一つの事しか頭になかったからね。この一年で、私を取り巻く環境は随分変わったよ」


 カエムワセトは旅から帰った一年前から、幼い頃より神殿の図書館で蓄積してきた豊富な知識を活かし、ペル・ラムセスの建設や、過去に栄えた王朝の産物などの修復や復元にあたるようになった。遺跡と新都を行き来する生活は決して楽なものではなく、しかも次から次へと各現場からカエムワセトの指示を仰ぐ書簡が届くものだから、常に複数の問題を抱え、何かしら考えている状況が続いている。リラはきっと、その事を言っているのだろう。

 “トトの書”を手放すまでは、水死した兄を蘇らせる事で頭がいっぱいだった。改めて自分は大きな変化をとげたのだと気付く。


「“トトの書”なんか無くったって、ワセトには色んな事ができるもん」


 一年前、トトの書を封印する決意をしたカエムワセトに言った言葉とそっくり同じ台詞を、リラが再び口にした。

 否定の意を拭えないカエムワセトだったが、微笑むだけでとどめておく。


「リラは、あれからどうしてたんだ?」


 気にはなっていたが、側近の平常心を乱さないために控えていた質問をした。

 リラはこの一年を思い出すように、目を細めながら答える。


「色んな生き物と暮らしたよ。トカゲとか、ジャッカルとか、蠍とか、カバとか、人とか。あと、鰐も」

「そこでペストコスに会ったのか?」

「うん。そう」


 神の使いと遭遇するなど日常茶飯事なのだろう。リラは何でもない事のように頷いた。


「ペストコスが感じ取った“嵐”か。・・・・・・・・・ワニだし、水に関係あるのかな」


 カエムワセトは警告を受けてからずっと、余波と考えられるような現象が無かったか、記憶を探っていた。

 数秒の間を置いてから口にした台詞は、半分冗談だった。だが、もし本当に水に関する警告ならば、思い当たる節が無いではなかった。

 リラがおもむろに手を伸ばし、その小さな白い手でカエムワセトの右手を包んだ。驚いて目をしばたくカエムワセトに、いつもと変わらぬ笑顔と声で、はっきりと告げる。


「大丈夫。守ってあげるよ。ちゃんと」


 自分より四つも年下の少女に守ってやると言われ、カエムワセトはしばし、あっけにとられた。そして、男として少なからずのショックも受ける。

 だが、孤独主義の魔術師の一人であるはずの彼女が、助力となるため再び都に足を踏み入れてくれたこの想いは、非常に嬉しかった。


「帰ってきてくれてありがとう。とても心強いよ」


 心から感謝を述べたカエムワセトに、リラが微笑んで右腕を伸ばす。その指先の延長線上には、たわわに実った葡萄の木があった。


「お腹すいた。あれ食べたいな」


 軽く二人分の料理を平らげて間もない状態で、早くも旺盛な食欲を発揮する少女に、カエムワセトは楽しげに笑って快諾した。


―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・


 執務室にまだ残っていた司令官に帰還の挨拶をすませたライラは、自室に通じる二階の廊下を歩いていた。松明と窓から差し込む月の明かりに照らされて、石造りの廊下はぼんやりと明るい。

 ライラは視界の隅に入った光景にふと足を止め、窓からすぐ下に広がっている中庭を見下ろした。

 中庭には、リラとカエムワセトが居る。ちょうど、カエムワセトが葡萄の木から葡萄を一房もいで、リラに渡すところだった。


 突如、ライラの脳裏に幼い時の思い出が蘇り、眼下の二人の姿が、昔のカエムワセトと自分の姿と重なった。

 ライラがまだカエムワセトの近臣でなく友人だった頃、幼いカエムワセトはメンフィスの王宮にあった葡萄の木から熟した房を選んでよくもいでは、ライラにくれたものだ。

 ライラは目下の様子に一瞬傷ついたような表情になり、続いてゆっくりと悲しそうに微笑む。だが、すぐに表情を引き締めて前を向くと、何事も無かったかのように颯爽とした足取りでその場を立ち去っていった。


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