魔術師の土産は神からの警告
本来王族は、王宮で家臣と供に食事をとらないというのが慣わしである。だが、しょっちゅう都外へ出張しているカエムワセトは、旅先で当たり前のようにアーデスやライラと食卓を囲む。しかも今日は三人の客人が来ているという事もあり、今夜はリラを含めた四人で、宮廷の中庭に続く一室で晩餐会となった。
女官達が、床に絨毯を敷いて外周にクッションを置き、中央に料理を並べていく。
干魚や干し肉、乾燥した豆を水でもどしたものなど、しばらく味気ない保存食ばかりだった三人にとっては、久しぶりの食事らしい食事だった。
そしておそらく、ぼろぼろの衣服で現れたリラにとっても、今夜の食事は豪華な食卓なのだろう。元々、常にうっすらと笑みを浮かべているリラだが、清潔な服に着替え、料理を前にした表情はどこかうきうきとしている。
土器やアラバスター、他にも閃緑岩製の皿や鉢には、調理されたばかりの料理が、料理の種類によって分けられた器によそわれている。土器には鳩のシチューや焼き鳥などの温かい料理が。アラバスターなど石製の器には、サラダや果物といった冷たい料理を、という具合にである。他にも、三角形に焼かれた山盛りのパンに、ジャムとチーズ。丸く焼かれたハチミツとゴマのケーキが皿に載せられ運ばれてきた。飲み物はハイビスカスのお茶や、ビール、ワイン、ミルクなど数種類から選べる。
ワインが入った杯を手にしたカエムワセトが、給仕の女からミルクが注がれた器を受け取ったリラに、「どうぞ、食べて」と促した。
さっそくハチミツとゴマのケーキに手を伸ばしたリラは、薄緑色のドレスに食べかすを落とさないよう気をつけながら、嬉しそうに頬張りはじめる。
「リラ。お野菜やお肉も食べなさい。ほら、ミルクも」
リラの隣に座ったライラは、浴室でのショックからすっかり立ち直った様子で、小皿に取り分けたサラダやシチューをリラの前に置いていく。
アーデスはビールを飲みながら、リラに対して姉のように振る舞うライラを不思議そうに眺めた。
「あいつ、苦手だっって言ってる割には甲斐甲斐しいしよな。母性本能ってやつかねえ」
「ライラは優しい人だよ。非科学的な現象が少し苦手というだけで、リラを嫌ってるわけではないし」
「少し、ってレベルじゃねえだろ、あれは・・・」
控えめな表現を使ったカエムワセトに、アーデスは顔をしかめて低く呟いた。
ネフェルタリは錯乱状態のライラを落ち着かせる為に、耳元で歌まで歌ってやっという。元神殿の楽士だったネフェルタリの歌声は、さぞかし心洗われるものだったことだろう。
「楽しゅうございましたわ」とネフェルタリは笑っていたが、こちらとしては、うっかり招いてしまった騒動が、十分に防止可能だったものだっただけに、全く笑う気にはなれない。
当のライラも醜態をさらした挙句、皇后に歌まで歌わせたとあって酷く落ち込み、しばらくの間、自室に閉じこもってしまった。根気強い説得と励ましの末、ライラを部屋から引っ張り出したのは、カエムワセト。それも、つい先ほどの事である。
「しかし、この不思議ちゃん、食べたいものを訊かれてまず『お菓子』って答えるトコなんか、普通の女の子じゃねえか。一個師団を全滅できるほどの魔力を持ってるなんて、信じられねえぜ」
リラに聞こえないように気をつけながら、アーデスがカエムワセトに話しかけた。
小柄で華奢なその体からは想像がつかないほど旺盛な食欲を発揮しているリラは、ライラに取り分けてもらった野菜や肉類をぺろりと平らげると、自分がリクエストしたケーキを再びむしゃむしゃ食べだした。浮世離れした独特の浮遊感を除いてしまえば、その姿は、お菓子好きで無邪気な子供にしか見えない。
「そうだな。だが、あの子を戦に使おうとした者は、必ず罰を受ける」
カエムワセトも声量を落としてアーデスに賛同しつつ、魔術師の真の恐ろしさを口にした。
魔術師の力は強大である。それこそ、軍に一人いれば千騎の兵を得たに等しい。だが、彼らを軽んじ、私利私欲のために利用しようとする者は、必ずといっていいほど不幸になる。これが、今までエジプト軍が戦争に魔術師を投入してこなかった理由だった。
魔術師は元々の個体数が少なく、そのため普通に生活していれば一生出会えない事が殆どである。出会ったとしても、人との接触を好まず放浪癖がある性質から、再会を望んで探しても叶うかどうかは運任せだった。だが、国力を結集して捜索すれば、捕獲できない事はない。エジプトだけでなく諸外国までが、あえてそれをしないのは、魔術師が束縛と戦場を嫌い、もし彼らを無理やり戦争に加担させようとすれば、必ず手痛い報復に遭うからだった。
魔術師は国籍や家を持たない代わりに、この世の中で最も自由を約束された人種だった。
「魔術師が好戦的でなくて良かったぜ」
そう呟いた瞬間、リラと目が合う。
垂れ目がちな輪郭の中でアーデスをまっすぐ見つめるその瞳は、驚くほど無垢だった。
一体どういう生活をしてきたらこんな目になるのだろうと思いながら、アーデスはなるべく優しい笑顔を意識してリラに話しかける。
「あれから今まで何をしてた・・・かは、ライラが怖いから訊かないとして、どうしてまたひょっこり現れたんだ?」
一つ目の質問を口にした瞬間ライラが眼光を鋭くしたので、実害が出る前に次の質問に移る。
リラはアーデスに微笑んでから、カエムワセトに顔を向けた。
「あんたに困ったことが起きそうだから、来たんだよ」
これまでと同じ、ささやくような声と微笑で、リラは第四王子の危機を告げた。
三人の食事の手がぴたりと止まる。
「私に?」
確認するカエムワセトに、リラはこくりと頷く。
「ペストコスが、もうすぐ嵐が来るって言うから」
「ペスト・・・?」
聞きなれない単語に眉を寄せたライラに、アーデスが「ペストコス。セベク神の使いのこと」と説明した。
セベク神とはワニの頭を持った男神で、農耕地の守護神であり、豊穣の神という性格を持つとされている。ペストコスはその化身や眷属といわれているワニだった。
「つまりナイルワニね。よく食べられなかったわね。無事でよかったわ」
ライラがそう言ってリラの頭を撫でた。
神の使いが人間などを喰らうわけがないのだが、ペストコスをあくまで唯のワニとしかとらえていないライラは大真面目である。リラは黙ってにこり笑った。
「お前なあ・・・」
この期に及んでもなお筋金入りの霊現象嫌いを発揮するライラに、アーデスは呆れた。
一方、ライラの主人であるカエムワセトはプタハ神殿の神官の位を授かっているだけに、神業や魔法の類に抵抗がない。また、そうでなくては、“トトの書”などという神様が作った伝説の魔術書を探す旅になど出なかったであろうし、四年に渡る旅路の末、それを発見する事もできなかっただろう。
「嵐というのは?」
今回もリラの言葉を曲解する事無く、質問を投げかける。
初めてリラが微笑を消して、首を横に振った。
「まだ分らない。どこに来るのか。どうやって来るのか。どんなものが来るのか。でも、エジプト王家に悲劇の一石を投じるのは確かだよ」
「おいおい。それじゃ、ただ脅かしに来ただけじゃねえか」
「アーデス!」
思わず責める口調になってしまったアーデスを、ライラが叱った。
リラはカエムワセトたちを怖がらせようとしてやって来たのではない。例え少ない情報でも、王家を守る助けになると信じて伝えに来ている。
「おっと。すまん」
アーデスが慌てて謝罪した。
いつもの微笑に戻ったリラは「ううん。はっきりしないのは本当だもん」と、アーデスを擁護した。
「殿下、ご安心を。私は、いつ何時何が起ころうとも王家をお守りいたします」
胸に拳を当てて身を乗り出したライラが、同い年の主に軍人然とした力強さで宣言する。
「“殿下をお守りします”の間違いだろ?」
アーデスがすかさず茶化した。代償として、ライラから焼きたてのパンを顔面にくらう。
「ありがとうライラ。頼りにしているよ」
喧嘩するほど仲がいい。二人の様子を笑いながら、カエムワセトは忠臣に感謝の言葉を述べた。そして、落ち着いた表情で続ける。
「確かにあやふやではあるけれど、神様のほうからわざわざ警告をくれたのなら、それだけでも大サービスだ。今はまだ何が起こるか分らない状況だけれど、だからといって怯える必要はない。前兆をいち早く察知できるよう周囲に気を配りながら、できる限りの準備と心積もりをしておこう」
カエムワセトは近臣二人と客人の顔を順に追いながら、結論を述べてその場をまとめた。