[21th night]
「公爵……」
デオナール邸から離れゆく馬車の中、元のように他人行儀な呼び方をする彼女に苦笑を返し、溜め息を吐いてそれを指摘した。
彼女はどこか怯えたように、けれどしっかりとこちらを見つめていた。
私はその強い視線から逃れるように、また深い溜め息を吐く。
「……何が聞きたい」
彼女はけれど、何も言わない。
「黙っていては分からない、エリゼ」
呼んでみて、そしてふと覚えたのは違和感だった。
思えば初めて呼んだ彼女の名は、私の中でふわりと甘く香った。
「私がヒールだということは分かってる。君を愛しい男の元から奪ってきたんだ。
だが……言い訳くらいはさせてくれ。私は君を手放せない」
今まで曝け出したことのなかった本音。
ただ縋りつくことしか出来ない、ちっぽけな男の懇願だった。
彼女は見つめる私の瞳から逃れるように俯いた後、ぽつりひとつ呟いた。
「……愛していると」
「……?」
「愛しているのというのは本当ですか」
考える間もなく、言葉は続く。
「ああ、本当だ。
もうずっと、君がカルスの婚約者だった時から」
「ならなぜわたしに愛はいらないと……」
何もかも全て、今更隠すのすら面倒だった。
「本気で愛はいらないと思っていた。君さえ手に入るなら君の心はいらないと。
君はカルスと引き離した私を恨んでいるだろうから。
違うか?」
必死に、否定の言葉を求める。
得てしてそれが紡がれた時には、思わず私の心は躍った。
「ずっと、怖かった。優しかったカルスが強引にドレスを剥いで、自分でも見たことのない場所に指を這わせて……
これで純潔ではなくなったと言われた時に感じたのは悦びではなく絶望でした。恐怖でした。わたしはその時には、もうカルスへの想いはどこかへ置いてきていました。
男の方は待ってくださるものだと、信じていましたのに……」
「エリゼ、だが……」
「ええ、分かっています。わたしが、一番大切なものを本当に捧げたのは貴方です。
優しくて、穏やかで、わたしは女に生まれて幸せだと初めて感じました。
ウィリアム……わたしが愛していたのは最初からずっと貴方です」
甘い囁きにも似たその言葉達は、私の心に深く沁み入った。
そして彼女が追い打ちを掛けるように放った言葉は、私の理性を深く抉る。
「……ウィリアム、わたしには貴方だけです。信じて下さらないのですか?
ちゃんと森に迷い込まずに帰ってきましたのに」
微笑んだ彼女は美しく、思わず私は手を伸ばし、頬へ触れていた。
きっと面には、ひたすら笑みが広がっているのだろう。
「……エリゼ、愛してる」
初めて告げた、想い。
唇は、どちらからともなく重なった。