[16th night]
ラフェルノよりも幾分老齢なデオナール家の執事は、彼女を見て微かに親しみのこもった笑みを浮かべた。
それを見て、改めて思い知らされる。
本来であれば彼女の居場所になるはずだったのは、この家だということに。
ホールへ通じる広い通路を抜けながら、彼女はやはり懐かしそうに、装飾を眺めている。
きつくコルセットを締めた腰に絡めた腕は、彼女を繋ぎとめるには何の役にも立たず、きらきらと目を輝かせながら歩くあどけない少女に、いつの間にか私はカルスの婚約者であった頃の彼女を思い出していた。
――こういうことか? カルス。
彼女はどう足掻いても私のものにはならないと、それを示すために招いたのか?
想いは頭を駆け巡った。
彼女が、あの頃の彼女を思い出してしまったら。
カルスへの想いを、やはり断ち切れないのだとしたら。
不安に駆られながらふと彼女を見やると、こちらをじっと見つめる視線が絡んだ。
「どうした?」
問うた私に、彼女は小動物を思わせる動きで首を横に振った。
心なしか顔色が悪そうな気がして、言葉を掛ける。
「具合が悪いなら、帰ってもいい」
「それはあなたにご迷惑が……」
「気にすることはないが、まあいい。挨拶に回る」
彼女の返答で、悟った。
私は密かに期待していたのだ。
もう帰ってしまおうという彼女を。カルスの元にはいたくないという彼女を。
情けない自分を悟られないうちにと背を向けると、けれど彼女がそっと私の名を紡いだ。
「ウィリアム?」
きっと、私の顔は存分に呆けていたに違いない。
振り向きざま、それを隠すように言った。
「本当に大丈夫か?」
「え、ええ」
「このまま帰っても、構わないんだ」
しつこいほどに、繰り返す。
緩く結い上げた栗色の柔らかい髪に触れれば、それだけで全身を貪りたい衝動にさえ駆られた。
「妻としての役目は、果たします」
「……そうか」
妻と言われたことへの喜びか。
想いが届かないことへの哀しみか。
いつにも増して頼りない自分の声音が、頭に響いた。