[15th night]
執務室で夜会の招待状を繰っていると、見慣れた癖字が眼についた。
『エリゼ・ローデンバーク様』
敢えて私の名前を書いていないのはこいつなりの意地か。
思わず嘲笑を零すと、ちょうど執務室に入ってきたラフェルノは心底怪訝そうな顔をした。
「どうなさいました?」
「いや……カルス・デオナールは本気で私に喧嘩を売りたいらしい」
最早その言葉も虚勢でしかないことを自分自身よく理解していたが、それでも私は嘲笑うことしか出来なかった。
――彼女がどちらを選ぼうとも。
決着をつける時であるということは、充分に分かっていた。
「公爵?」
馬車に揺られているうち、意識はあの時に飛んでいたらしい。
心配そうな彼女の顔が目の前にあった。
「……どうした?」
「いえ、別に……」
「なんだ、何もないのか」
何かを悟ってくれたのかと。
伝えないことを、理解してもらえるなど私は何を勘違いしているのか。
暗い笑みが浮かんだ時、彼女は言いにくそうに言った。
「眉間に皺が、ついてしまいます」
言われて更に、眉根を寄せた。
「いえ、何か難しいことを考えてらっしゃるようで、ずっと眉をしかめておられたので」
――心配か?
そう問うのは卑怯だろうか。
結局当てこするように言葉を返せば、けれど彼女は首を振った。
「公爵は、普通に笑っていらっしゃったほうが……」
「私が君に普通の笑みを向けたことがあったか?」
――いつも、向けたいと思う表情すら与えられていないというのに?
自分の不器用さに笑いがこみ上げ、ただ口先だけで笑った。
そしてその様子を不安そうに見る彼女が、朝の夢現を彷徨う彼女に重なった。
「呼び名が」
気が付けば口を突いて出た。
「呼び名が爵位というのはおかしいだろう」
「あ………」
「直せ」
「ですが……」
渋る彼女を、やはり私は説き伏せるしか出来ずに。
「私が欲しいのは従順な妻だ。忘れたか?」
「申し訳ありませ」
謝りかけたその言葉を、遮って。
「ついでに言うなら、詫びの言葉も聞き飽きた」
ただ、名前を呼んで欲しいだけなのに。
「ウィリアム、と。呼んでみろ」
月色の瞳を掬いあげるように覗き込むと、その内側が私を映して揺れていた。
「……ウィリアム、様」
「様は要らない」
「でも……」
「君はカルスに様付けしていたか?」
カルスの名前を出すのは、私にとっての一種の賭けだった。
そしてやはり惑う彼女に、ほんの少し、願いを見せた。
「でもこれから私は、カルスよりも永く君と共に生きるんだが」
それでも君は迷うのか。
苦しみに無意識に眉を顰めると、遠慮がちに彼女の唇が私の名を紡いだ。
「……ウィリアム……?」
「そうだ。忘れるな」
その後、聞こえぬようにもう一度私の名を口の中で紡いだ彼女に気付かぬ振りをして、私は意識を夜闇に紛らせていった。