[13th night]
「お世継ぎの誕生も早いですかな」
ある日の昼下がり、ラフェルノが執務室の花を生けながら、皮肉るように言った。
私はペンを滑らせる手を止め、片眉を上げて先を促した。
「奥様は毎朝毎朝お疲れのようですので」
「………」
「ですのに日中は顔をお合わせにもならない」
「それは……」
弁解口調になった私を諌めるように、彼はひとつ深い溜息を吐いた。
「まあ、お疲れの奥様を気遣ってらっしゃるというのはよく分かりますがね。
メイド達は旦那様のそのお気遣いがひどく不満なようです」
「どういうことだ?」
「メイド頭のエマリエル曰く、冷たい、と」
「……そうしているつもりは無いんだが」
「とはいえ、そのおかげで奥様はメイド達に手っ取り早く馴染まれましたよ」
「………居心地が悪そうな訳ではないんだな?」
確認する私に、ラフェルノはやはりあきれ返った口振りだ。
「心配でしたら、ご自分でお確かめになっては?」
「それが出来たら誰も苦労しない」
「随分弱気でいらっしゃる。昔は女性を落とすことなど朝飯前でしたでしょう」
絶句した私に、ラフェルノはにやりと笑った。
「ご心配なく。わたくしもメイド達も、奥様に余計なことは何一つ吹き込んではおりません」
「……ラフェルノ」
「とにかく、もう少し奥様に心を開かれることをお勧め致します。
いつまでもデオナール子爵に囚われていては見えるものも見えませんからな」
この老人はとても賢しい。それは私も十分理解していること。
そして彼の助言を常々遂行してきた私にとって、それは初めて戸惑うべき助言だった。
心を開く?
首を傾げる私に、ラフェルノは追い打ちを掛けるように言った。
「旦那様、愛するとはすなわち慈しむことです。
旦那様がどんな夫婦像を求めていらっしゃるのかは存じ上げませんが、少なくとも心を通わせるにはすべてを曝け出さなければ」
胸が、疼く。
夜会で何度も見た、彼女の心を許し切った微笑みを思い出した。
あの笑みが自分のものになる日はあるのかと自問する。
戯れ言ではない「愛してる」が、これほど難しいものだとは知らなかった。