俺と彼女の肯定的な究極論
本拙作は2010.10.1~12.31まで開催中の『飲茶様主催「哲学的な彼女」企画』に投稿させて頂いている『俺と彼女の明確な温度差』の続編になります。
内容と致しましては『男女がただただ、ほのぼの・らぶらぶ・でれでれ・いちゃいちゃしている』モノとなりますので、苦手は方はご遠慮くださいませ。
「私ね。究極という存在を、否定しようと思うの」
ユキがそう言い出したのは、暫く前に日が落ちてしまった頃。我が家のテーブルを挟んで、俺と向かい合うように座ったときだった。
だから俺は「なるほど。今度はそう来ましたか」と椅子に腰を掛け直して、文字通り本腰の姿勢でユキとの対話を開始する。
「で、具体的にはどのように否定を?」
「そうね。じゃあ第一に、ミジンコやらアメーバやらアオミドロやらに、私は世界観を提唱されたくないと否定するわ」
と、ユキは高らかに語る。
そして続いて「勿論、ミカヅキモやヒドラにもね」と、不敵な笑顔。
多分、ここまでの一連の台詞をさっきからずっと考えていたんだろう。
ということは、まあ要するにあれだ。俺はあれを待たれているのだろう。
だからここで俺が言うべき台詞は、
「……えーと、それはプランクトンでは?」
この辺りが妥当だろう。
すると実に満足げな笑顔で、
「おお、さすがはトオル。その違いが分かるなんて……私、惚れ直しちゃう」
と、ユキ。
「…………」
俺って、そのくらいで惚れ直されるレベルなの?
それは本当に惚れられているのか、と少なからず疑問を抱いたところで「で、本題に戻すけど」と、ユキは話を続ける。
「究極と言えばイデア論。イデア論と言えばプランク――じゃなくてプラン――ぷ、プラン……」
――ん? あれ? ぷ、ぷ、ぷら、プラントン?
いや何か違うな、と完全に思考の深みに嵌まり、その小さな頭を悩ますユキ。
「…………」
そして、それをただ静かに眺める俺。
正直「何だよ、その銀座の百貨店みたいな名前は?」と突っ込みたいのは山々だが、そんなことを言えば「トオルのくせに生意気だぞ」と、映画になると良い奴になるキャラみたいな反応をされるので、止めておく。というか本音を言えば、噛み倒しているユキがすこぶる可愛いらしいのでまだ暫く眺めていたい。
すると現状を打破するために「ま、まあ、そんなことはいいとして」と、ユキはプラトンを潔く諦めた。
「私はね。究極という存在は、存在しないと思うの」
「と、言いますと?」
「だって、それは完全無欠なわけでしょ? 非の打ち所のないものでしょ?」
「うん。まあ、それでこそ究極だからな」
弱点があったら、それは到底究極とは呼べないものだからな。
「でもね。存在するものが完全無欠なわけはないのよ。非の打ち所がない存在なんて、存在するはずがない」
ちなみに究極と言えばね、とユキは続ける。
「今日の朝、私はデートに何を着て行こうかという究極の選択に迫られて、結果としてこの間トオルと一緒に選んで買った服を着て来たわけなんだけど、トオルはそれに気付いてくれるどころかミニスカートの女の人を――」
「ごめん。ユキが殺してくれないのなら、俺は自ら命を断とう」
短い人生だったが、悔いはない。……いや、ユキの服に気付けなかった俺自身には、とことん悔いは残るが。
だがしかし、俺はユキに逢えたこの人生を、誇りに思う。
するとユキはすかさず、
「駄目。そんなことをしたら悲しむ人が居るんだよ?」
と、冷静な口調で俺を叱った。
「……ごめん。今のはあまりに軽率過ぎる発言だった」
反省だ。俺には俺のことを思ってくれる人が居るんだ。俺の死を、悲しんでくれる人が居るんだ。
「あのさ、ユキ。ちなみに参考までに訊きたいんだけど、その人って一体?」
俺が嬉しい気持ちを隠せずにそう訊くと、
「えーと、それはね……教えてあげない。その代わりヒントは出してあげる」
と、ユキは少し恥ずかしそうに渋ってから、突然のクイズを返してきた。
よし。望むところだ。男・トオル、準備は万端だ。
しかし、未だかつてこんなに簡単なクイズがあっただろうか?
問題を聞くまでもなく、答えが分かるクイズがあっただろうか?
いや、ないだろう。おそらく人類史上初のクイズに答える男に、俺はなるだろう。
そしてそんな男に対して、
「ヒントその一。その人は私じゃありません」
ユキは唯一の選択肢を潰してきた。
第一ヒントにてクイズ終了。ボクシングならゴングと同時に試合終了だ。レフリーもセコンドも対戦相手でさえも、もう戦えないと判断している。
というか、殺されるのも死ぬのも駄目なら、せめて泣くのは良いですか?
ねえ、今とてもいやらしい笑顔を浮かべているユキさん?
と、そんな風に俺が真っ白に燃え尽きかけようとしたところで「と、話がどうでもいい方向に逸れたけど」と、さりげなく追い打ちを掛けてからユキは続ける。
「究極という存在がもし目に見えるなら、それには見えないという要素が含まれていない。究極という存在がもし手で触れられるなら、それには触れられないという要素が含まれていない。究極という存在がもし存在するなら、それには存在しないという要素が含まれていない」
――究極という存在がもし究極なら、それには究極じゃないという要素が含まれていない。
「私は究極という存在を、そんな風に否定できる。だけどそうやって否定できる存在は、決して究極じゃないと思うの」
「確かに。否定できる部分があれば、それは究極じゃないな」
欠陥があって。非の打ち所があって。
弱点だらけのそれは、究極とは到底呼べないものだ。
「だから私は究極という存在を、究極的に否定しようと思うの」
と、改めて宣誓するユキ。
そして俺の目を真っ直ぐ見て「トオルはどう思う?」と、訊く。
だから俺もユキの目を真っ直ぐ見て「俺は、ユキに賛成する」と、素直に答えた。
「確かに、究極という存在は存在しないし、しちゃいけないと思う。存在しないからこそ、人はそれを目指し、より良くあろうと努力できる。……まあ、だからってわけじゃないんだけど……これからは努力するんで、ユキの服に気付かなかったこと、許してください」
――ユキの努力に見合う究極になれるよう、努力するんで。
するとユキは「うむ。これからは努力するように」と、優しく微笑んだ。そして続けて「それと、言い忘れるといけないから言っておくけど」と、俺から視線を外した。
「トオルが死んでも私は悲しまないから。悲しんでなんか、あげないから。だからトオルは、長生きする努力もしなさいよ」
「……はい、善処します」
俺はユキに逢えたこの人生を、究極まで長生きしよう。
そしてユキは「ああ、もう。またどうでもいい方向に逸れちゃった」と、小さな唇を小さく尖らせる。
「で、結局私は何が言いたいかというと、究極なんて無理だってことなの。つまり『究極のハンバーグ』なんて、最初から無理だったということなの」
――一応、努力はしたのよ。努力は。
「なるほど。それでこれですか」
「はい。それでこれです」
そう言って俺とユキはテーブルの上の皿を見る。そこには、ボロボロというか粉々というか滅茶苦茶というか、ハンバーグになろうとしたのであろう、挽き肉と微塵切り野菜の炒め物があった。
まだ日が落ちる随分前、ユキは「今日はトオルに『究極のハンバーグ』をごちそうしてあげましょう」と、自信満々でレシピ本片手にキッチンに向かった。そして幾度かの悲鳴と「大丈夫。トオルは座って待ってて」の制止の後に完成したのがこの一皿だ。……やっぱり、無理にでも手伝った方が良かったかな。
しかしユキは「安心して。味は抜群よ」と、ようやく今回の哲学の最終結論を出す。
「なんたって、これには私の究極の愛が入っているから」
要約すると……
「ハンバーグ、失敗しちゃった。てへっ☆」
「あはは。もうドジっ娘だなぁ、こいつぅー♪」
ということです。
むしろ、この二行でイイんじゃないか?
ではでは。