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二日前

「零、遅い! 置いてくよ!」

 教室の入り口で紗月が振り返って叫んだ。

 廊下を走ってきた零は息を切らしながら追いついた。

「悪い寝坊した。」

「もうしょうがないなあ。」

 紗月は笑いながら零の頭を軽く小突いた。呆れているようでその目は少しも怒っていない。

 教室に入るとクラスメイトたちが次々と紗月に声をかける。

「紗月、おはよう!」

「紗月、昨日の数学の宿題見せて!」

 紗月はその一つ一つに丁寧に応えていく。誰かを特別扱いすることも誰かをないがしろにすることもない。それが紗月という人間の在り方だった。

 朝のホームルーム担任が出席を取っていく。

「月城零。」

「……はい。」

「天音紗月。」

「はーい!」

 紗月の元気な返事に教室の何人かが小さく笑った。

「相変わらず人気者だな。」

「零こそもっと周りと仲良くしなよ。」

「俺はこれでいいんだよ。」

「変なの。」

 紗月は笑った。

 その笑顔を見ると零はいつも少しだけ安心する。理由は自分でもよく分からなかった。ただ紗月がそばにいるというだけで世界がわずかに軽くなるようなそんな感覚があった。

 放課後二人はいつものように一緒に帰った。

「今日コンビニ寄ってこ。新作のアイス出たんだって。」

「また甘いもんか。」

「零も好きでしょあそこのソフトクリーム。」

「別にそこまでは。」

「嘘だ。この前三個も買ってたじゃん。」

 紗月は悪戯っぽく笑った。

 そんな他愛のない会話をしながら歩く時間が零にとって一番落ち着く時間だった。

 夕暮れの道を二人並んで歩く。

 いつもと何も変わらない一日だった。

 そのはずだった。

 路地の角を曲がったとき零は見知らぬ男が紗月に向かって走ってくるのを見た。

 考えるより先に体が動いた。

「紗月、危ない――」

 間に合わなかった。

 紗月が目の前で刺された。

 悲鳴も声も出なかった。

 崩れ落ちる紗月の体を零はただ見ていた。アスファルトに広がっていく赤。走り去る人影。誰かが叫んでいる。遠くでサイレンが鳴っている。

 紗月の唇が何か動いた。聞き取れなかった。

 視界が白く霞んでいく。

 ――ああ俺は何もできなかった。

 自分の体が自分のものではないみたいだった。声も涙も出てこない。ただ目の前の光景だけが焼き付いていく。

 そう思った瞬間意識が途切れた。


 目を開けると見慣れた天井があった。

 自分の部屋だった。

 ――夢か。

 零はそう思おうとした。

 あまりにも鮮明すぎる夢だった。紗月の声も崩れ落ちる体の重さもアスファルトの匂いまでまだ肌に残っている気がした。心臓がまだ激しく打っていた。

 スマートフォンを手に取る。日付を見て零は息を呑んだ。

 二日前。

 紗月が刺されたあの日の二日前だった。

 ――そんな馬鹿な。

 零はしばらく画面を見つめたまま動けなかった。

 夢にしては日付が合いすぎている。

 でも時間を戻ったにしては何もかもがあやふやすぎた。

 あの夢とこの今との間にいったい何があったのか。零には何一つ思い出せなかった。

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