07 小さな嫉妬
カノンはどうやら王都に領地関連の手続きのために来たらしい。行き先が王城で途中までは同じ道のりなので、せっかくなので一緒に行くことにした。
王城には王都に住んでいた頃に何度か来ていたから道を覚えているだろうとは思うけど念の為。案の定、途中何度か道を間違えていた。帰りは頑張って一人で無事に帰って欲しいところである。
「そういえば朝、ランチを二人分用意してませんでした?」
「あー、今お付き合いしてる人と一緒に食べてるんだ」
アビゲイルがそう言うと、カノンは目を細めて姉を見つめた。これは疑ってる目だ。姉の男を見る目を。
「後で詳しく聞かせてください。絶対」
「……わかった」
「先に聞いとくけど、そいつ大丈夫なんですか?」
大丈夫ってなんだ大丈夫って。と思うが、カノンはアビゲイルの過去の男性遍歴を知っているだけに突っ込めなかった。
ロベルトは宰相補佐だ。今まで付き合っていた騎士たちよりは断然しっかりしている。
「過去一番で大丈夫だ」
「姉上の大丈夫は信用できないからなあ」
「じゃあなんで聞いたんだよ……」
「姉上って今週いつお休みですか?」
「今週だと明後日だな」
「じゃあ僕も予定を合わせるので、一緒にお出かけしましょう。その時に詳しく聞かせてください」
お願いしますね、と言いながら半分持っていた書類をアビゲイルの手から奪い取り、王城の中へと入って行った。
その日の昼。
「アビゲイル」
珍しくロベルトが名前を呼んだ。ロベルトは普段あまりアビゲイルのことを名前で呼ばない。アビゲイルと呼ぶよりも「あなた」などと言うことが多い。自分は「君」と呼ぶといちいち訂正するくせに。
珍しいなとロベルトの顔を見れば難しそうな表情をしていた。顔を顰めている。かといって不機嫌というわけでもなく、気まずさというか戸惑いというか、そういう感情も見える。煮え切らない感じ。
「初めて見る表情だな」
「……」
いつものベンチ、隣に座り顔を覗き込むと静かに手を握られた。本当に珍しい。
「どうかした?」
いつもと様子が違うのでなるべく優しく聞いてみる。
ロベルトは顔を顰めたまま何か言いたそうに口をもぞもぞと動かしている。けど言葉が見つからないようだった。だからアビゲイルは気長に待った。待つのは嫌いじゃない。ロベルトなら特に。彼はアビゲイルを傷つけるような待たせ方はしない。
ランチを買いに行った事務員が、買い終えて戻ってくるくらい時間が経った頃。ロベルトがようやく口を開いた。
「……今日、あなたの隣にいた男性は誰ですか」
「……職業上、隣には男がいることがほとんどなんだが。誰のことだ?」
「朝」
朝。朝? ……ああ、朝か!
「もしかして朝の登城の時の話してる?」
ロベルトは静かに、そして極めて不服そうに頷いた。
どこから見ていたのか、それとも噂にでもなっていたんだろうか。
アビゲイルがカノンと登城したことを言っているらしい。
アビゲイルは普段誰かと登城したりしない。今まで付き合った男とも一緒に登城したことなどない。それなのに見たことない男と仲良さそうに登城してきたら、それは確かにこんな表情にもなるだろうな。
あの男は誰だと、賢い頭で言い募ることもできるのにそうせず、不満でそして不安そうにこちらを伺う姿は可愛らしい。でも可愛いと言えば拗ねそうなので我慢する。
「あれは弟だ。言っただろう、今週弟が来るって」
そう伝えると、ロベルトからわかりやすく力が抜けた。どうやら誤解は解けたらしい。
「……あまり似ていませんね」
「私が父親似で弟は母親似なんだ」
「あなたの父親を見たことがありますが、あなたに似てるのは色くらいでしたよ」
「それはどうもありがとう。……安心したか?」
「……はい」
「ならよかった。今日は教えてくれたロベルトの好物を入れたんだ。ほら、食べよう」
そのあとは持ち直したロベルトといつも通りランチを食べた。弟がいる間、あまり時間が取れなくなるからその分ランチを少しだけ豪華にした。いつものサンドに加えてロベルトの好物をいくつか詰めてきた。一つ口に入れてはいちいち「おいしい」と感動するものだから、ついに可愛さ極まって別れ際にキスをした。
ロベルトは赤くなって逃げるかと思ったけれど、初めて仕返ししてきた。いつも赤く恥じらって目を逸らしていた恋人が目覚ましい進歩である。
午後になると王都近郊の町で魔物が出たため対応に追われた。
すでに現地の冒険者たちが倒したとのことだったので、調査員だけを送ることにした。
誰を送るとか、何日送るとか、どの範囲を調査するだとかを指示しているうちに気づけば夜になっていた。
遅くまで付き合ってくれたルイスを先に帰し、弟には申し訳ないが仕事で遅くなると連絡する。
『今日は学園時代の友達と食事に行くので大丈夫です』
すぐに連絡が返ってきた。そういえば友達が多い子だった。
であればもう少し残業してもいいかと、期日が明日までの書類にも手をつける。明後日は休みなので、休みに入る前にできる限り書類を減らしておきたい。そうしておかないと休み明けに書類の山の整理から始めることになる。
とはいえ疲れているので団員の休みの申請や備品の購入申請などすぐ処理できるものだけ処理していく。
ーーコンコン
作業に没頭して一時間くらい経った頃に扉が鳴った。誰だろう。このタイミングで部屋を訪ねるということは緊急の何かだろうか。また魔物が出たか?
その割にはノックに緊張感がなかった。
「どうぞ。……ってロベルトか」
「お疲れ様です。副官が帰宅するのが見えたのにまだ明かりがついていたので」
アビゲイルが一人だと思って顔を出しに来てくれたらしい。
「差し入れです」
「え、なに、これ。ありがとう」
「王城近くにある人気店のチーズケーキです。自宅で食べてください」
「……弟に気に入られたいのか?」
袋の中を覗けば、明らかホールサイズのケーキが入っている。たまに有名店のお菓子やケーキを買ってきてくれるが、ホールで渡してきたことはない。
自宅で食べてくださいとわざわざ言うあたり、弟と食べろということなんだろう。
「可能であれば気に入られたいですね」
「正直だな。喜ぶと思う。私と一緒で甘いものが好きなんだ」
「よかったです」
少しだけ、ほっとしたように表情を崩す。他の人が見れば気づかない変化だろう。アビゲイルはこのところようやくこの男の表情の変化がわかるようになってきた。
「仕事は終わったのか?」
「はい。早めに終わったのでこうしてケーキを買って戻ってきたわけです」
「はは、なるほど。少し待っててくれれば私も帰れるけど、どうする」
「待ちます」
間髪入れずに返事がきてアビゲイルは思わずふはっと笑った。
一緒に帰ると言っても、アビゲイルが王城外に住んでいるのに対してロベルトは王城の宿舎に住んでいる。だから一緒にいられるのは少しの間だけだ。
それでも一緒に帰ろうとするのだから、ロベルトはやはり健気で可愛い。
***
休日。
アビゲイルとカノンは早い時間に起きて流行りのカフェに来た。弟が一緒じゃなければアビゲイルが入らなさそうな店だ。弟の婚約者はこういう店に詳しい。きっと教えてもらったんだろう。
店内に客は少なかった。カノンが前もって予約をしていたらしく、奥の個室へ案内される。
席に着くなり前のめりで質問を始める。
「じゃ。姉上、今付き合っている男について詳しく教えてください。まずは職業から」
「宰相補佐」
「さ、宰相補佐…!?」
カノンが驚くのも無理はない。アビゲイルが今まで付き合ってきた男は騎士ばかりだった。それもろくでもない寄りの。アビゲイルは告白されると断らないからだ。よって軽薄そうなのばかりと付き合ってしまっていた。
「だから大丈夫だと言っただろう」
「いや、まだ早いです。……ちなみにどこまで行きましたか」
「お前ね、……まあいいや。口付けまでかな」
「!!!!」
カノンに二度目の衝撃が走った。軽薄そうな男とばかり付き合っていたから、それはもう、すぐに爛れた関係になっていたというのに。
「信じられない。ちなみに宰相補佐ともなればさすがに貴族ですよね? 爵位は」
「侯爵家。次男。庶子だけど」
ここまで言えば子爵家の当主をしているカノンには誰だか分かったようだ。
「ロベルト・オルレアンですか」
「当たり」
「美男美女だ……」
「感想それかよ。それで? 弟的には合格?」
「それは会ってみないことには。まあ、でも姉上が今までで一番楽しそうなので今はそれで良いとしましょう」
「楽しそうか?」
「ランチの用意してる時にこにこしてましたよ。……そんな顔させるなんて少し悔しいです」
「伝えておくよ。弟からの評価を気にしているようだったから」
「昨日のケーキといい、そんなのいい男がするやつじゃないですかぁ」
まだ付き合っているだけなのに、姉を取られたとばかりに突っ伏して鳴き真似をする。カノンはシスコンなのだ。生い立ちを考えるとシスコンになるのも納得なのではあるのだが。
二人で人気のケーキを食べながらその後もロベルトとのエピソードをいくつか話した。最終的にカノンはロベルトのことを絶対に離すなというくらいには気に入ったようだ。
昼近くなると客が増えてきたのかやや賑やかになってきたので二人は店を出た。ケーキを食べたのでお昼を食べる気にはなれず、近くの大きな公園を二人で歩いた。
「ロベルト様にはいつか会ってみたいです。結婚することになったら連れてきてくださいね」
「……」
「姉上、姉上が家を見ると色々と思い出すから帰ってこないの、知ってるんですよ」
「すまないな」
弟妹はいつもアビゲイルに会いたがった。でも一度父と会って以来、帰ったことはなかった。弟妹たちもアビゲイルの気持ちをわかっているから、食い下がったりはしない。
「……だから実は、屋敷をすべて建て替えたんです」
「……え?」
アビゲイルは珍しく本気で驚いて、目を見開いている。
建て替えた??
「もちろん! きちんとした財源を確保した上で、です。領民たちの許可も得ています。ニーナも手伝ってくれました」
ニーナ、というのはカノンの婚約者だ。伯爵家のご令嬢である。
「お前、あんないいとこのお嬢さんに何を手伝わせてるんだ」
「最初は僕とナターシャでこっそり進めてたんですけど、ニーナが乗り込んできたんですよ」
そういえば抜けたところの多い弟に対して、ニーナは思い切りがよくそれでいてしっかりした子だったなと思い出す。あのしっかりもののお嬢さんが手伝ったのであれば本当に財政的には問題なかったのだろうけど。
「建て替えてしまってよかったのか? お前たちにとっては慣れた家だろう」
「僕とナターシャにとっても良い思い出は少ないですから。使用人たちにとっても。傷ついた屋敷の補修痕を見るたびに姉上の苦労を想像していました。黒字に転じて安定したタイミングで建て替えようとは思っていたんです」
「……そうか」
「はい、なのでいつか来てください」
「お前が結婚する時には帰るよ。……ありがとう」
「いえ、姉上には返しても返しきれないくらい恩がありますから」
胸を張る弟が可愛くて、昔みたいに思わず頭を撫でた。カノンも嬉しそうに頭を下げた。
最終日。
「では姉上、お元気で。無理はしないでくださいね」
「ありがとう。ニーナとナターシャにもよろしく伝えてくれ」
「姉上と過ごした一週間を自慢しておきます」
「はは。じゃあな、カノン」
アビゲイルは両手を伸ばし、カノンはその間に入る。姉弟の抱擁は別れの儀式だ。
しばらく抱き合って、可愛い弟は領地へ帰って行った。アビゲイルにとってあっという間の一週間だった。




