12 怒り
「すまない、手間をかけた」
「こちらこそ割り込んですみません。あなたが今にも殴りかかりそうに見えたので。……あれがリーガン・ブロワですか」
頷く。
リーガンが追いかけてきたら面倒だと言われ、いつもの庭ではなく宰相補佐たちが使う休憩室に来ていた。他の宰相補佐たちは外へ出ているらしく部屋には二人以外には誰もいない。
「想像していた数倍ろくでもなさそうで安心しました」
「何が安心なんだ」
「アビゲイルがリーガンの元に戻ることはなさそうなので」
「今はロベルトで頭がいっぱいだよ」
ありがとうございます、と照れている。こんな状況でも照れるのか。
「私に関するいろんな噂が出ていると思うが、不安になってないか?」
「不安ではないですが、不快です。事実であろうがなかろうが、あなたの評判を落とすために流された噂なので」
「今月中には異動先が決まるといいんだが。異動させようと思っていたところから拒否されてな。再選定してるみたいだ」
「早くどこかに行って欲しいです」
「それは同感」
アビゲイルは自身の不快な噂には慣れている。だからアビゲイルは傷ついていない。
でも目の前の男がこの噂で傷ついたり、アビゲイルの知らないところで不安になってまた風邪を引いたら嫌だなと思う。
「ロベルト、おいで」
だからアビゲイルは両手を広げてロベルトを呼んだ。
リーガンが来てから習慣になった抱擁だ。今まで弟妹にしかしてこなかった、不器用なアビゲイルの、数少ない心からの親愛の表現だった。
ロベルトは大人しくアビゲイルの腕におさまり、背中に腕を回した。休憩時間の終わりが来るまで、二人は誰もいない休憩室で抱き合った。
***
その後しばらくはリーガンと顔を合わせることはなかった。
相変わらずアビゲイルに関する酷い話を吹聴して回っているようだが、あまり回りが乗り気でないため周りに当たり散らしていると聞く。
せめて他部署の人間には迷惑をかけることのないように、と朝から晩まで誰かがそばについているらしい。こうなってはまるで要人警護のようだなと呆れた。
新しい異動先の候補が絞られたので各地域に打診するのだと聞いたので、この奇妙な空気もあと少しで終わる……はずだった。
「団長!大変です、ロベルト様が!」
ルイスが慌てて団長室に飛び込んできた。
「ロベルトが、……どうした?」
「その、リーガンとトラブルになり、怪我をしたと」
「リーガンがロベルトを傷つけたのか?」
「話によればリーガンがロベルト様を突き飛ばし、その、階段から落ちたと」
「……医務室に行ってくる」
アビゲイルは団長室を飛び出した。廊下を行かず窓から飛び降りロベルトの元へ向かう。王城の医務室は騎士団から少し遠いところにある。
人気の少ない、かつ最短ルートになるように走る。途中、派手に飛び降りたり、逆に屋根へ飛び乗ったりするところを見られ、軽く悲鳴があがるが気にしない。
医務室に通じる廊下の窓が空いているのを確認し、飛び込む。軽く呼吸を整えて医務室へ入った。医務室には同期の医師イリアがいた。
「アビゲイル、早かったわね。ロベルト様は無事よ。頭を打って少し派手に血が出たの。今は痛み止めの薬で眠っているけど、意識ははっきりしていたし記憶障害もなし。あなたに心配するなと言っていたわ」
ベッドに眠るロベルトは、頭に包帯を巻いて白い顔をしていた。
頭から血を流したと言っていたので、少し血が足りないのかもしれない。触れた手は少しだけ冷えていた。
アビゲイルは自分の体の中が怒りで満たされていくのを感じる。カッとなるとはまた違う、もっと深いところからふつふつと湧いてきて全身に広がり指先まで浸透していく。
リーガン如きが、ロベルトを突き飛ばしたって??
ーーもし僕に何かあったら、犯罪者にはならなくていいので怒ってくれたら嬉しいです
ーー……殴るくらいはするとしよう
かつての会話を思い出した。
「ロベルト、約束通り少し怒ってくるよ。イリア、ロベルトを頼む」
「はいはい」
眠っているロベルトの額に口付けて、アビゲイルは医務室を後にした。
「団長」
医務室を出ると、追いかけてきたらしいルイスが待機していた。
「ルイス、第三騎士団からテスを呼んできてくれ。それから、リーガンは第一騎士団か?」
「はい。……あの、一応聞いおてきますが何をするつもりですか」
「ちょっと約束を果たそうと思ってな。大丈夫、そんな顔をするな。殺すわけじゃない」
ちょっと怒っているだけだ、といえばルイスは渋々アビゲイルのそばを離れてテスを呼びに行った。
テス、というのは第三騎士団の治癒魔法師だ。それも一番腕がいい。それを呼んでこいと言うのだから、何か物騒なことをするつもりなのだとルイスは悟った。
ルイスはアビゲイルの側について長いが、あんなに怒った表情を見るのは初めてだった。




