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境界線の女王  作者: 都桜ゆう


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第三章:裁きの連鎖と崩壊の予兆(2)

《二》 鏡は割れ、歪んだ光は砕ける。傲慢な仮面を剥ぎ取り、地獄の業火へと送り出す。 代償は、均衡を崩した、最初の嘘。喪失は、権力の象徴。


 読み終えた美咲の背筋に、得体の知れない熱が走った。権力の象徴。それは、このクラスの女王だったユウカが、沙羅の教科書を破り捨てた右腕を失うことで完成したのだ。

 この判決は、まだ終わっていない。

 美咲は画面をスクロールしながら、ユウカの右腕を奪い去った呪いの奔流が、これだけで枯れ果てるとは到底思えなかった。


 ユウカ、リナ、そしてサキ。自分たちだけがこの教室の主役であり、他はすべて背景に過ぎないと信じ込んでいた彼女たちの傲慢な連帯は、頂点であるユウカが墜ちたことで無惨に瓦解した。剥き出しになった残りの二人が、この狂った連鎖から逃げ切れるはずがないのだ。次に呪いが牙を剥くのは、どちらか。美咲は喉の渇きを覚えるほどの高揚を抱きながら、その瞬間が訪れるのを確信していた。


 次に呪いの連鎖が向かったのは、リナだった。

 リナにとって、親に買い与えられた限定品のクロコダイル・バッグは、単なる持ち物ではなかった。それは彼女の価値そのものであり、他人を見下すための無敵の鎧だった。だが、ユウカの事故が単なる不幸ではないと直感した瞬間から、彼女の世界は色褪せ、歪み始めた。極度の不安に駆られたリナは、外の世界を拒絶するように自室へと閉じこもった。


 かつては自分を美しく飾り、優越感に浸らせてくれた高級なブランド品たち。しかし今や、壁一面に並んだバッグの金具は、冷酷な獣の眼差しとなって彼女を射抜き、高価な香水の残香は、死を待つ病室のような重苦しさで肺を満たしていく。四方を贅沢品に囲まれたその聖域は、いつの間にか彼女の罪を裁くための、音のない裁判所へと変貌していた。


 日曜日の夜。その沈黙に耐えかねたリナは、ベッドの上で丸まっているチワワのチョコを、縋るように手元へ引き寄せた。高級な革製品が放つ硬い匂いに包まれたこの部屋で、震える子犬の小さな体温だけが、唯一、彼女の味方であるはずだった。だが、深夜。その温もりさえも、部屋に満ちる異様な何かに同調するように冷たく強張った。

 眠っていたはずのチョコが、突然、リナの足元で跳ね起きたのだ。


「どうしたの? チョコ……こっちおいで」


 怯える自分を落ち着かせるように、リナが暗闇の中で手を伸ばした、その時だった。


 チョコが、喉の奥を異様に膨らませ、聞いたこともない野太い唸り声を上げた。その視線の先にある限定バッグが、リナの目には、一瞬だけ蠢いたように見えた。視界が歪んだのか、あるいはバッグそのものが変質したのか。暗がりに光る金色のロゴが、まるで剥き出しの歯を剥いて笑っているかのような錯覚に襲われる。


 次の瞬間、チョコは狂ったように棚へと飛びつき、その異物を噛み殺そうと牙を剥き出しにして食らいついた。


「やめて、来ないで! それに触らないで!!」


 リナの悲鳴は、バッグを惜しむものではなく、そこから溢れ出す何かへの拒絶だった。

 牙で引き裂かれ、無残に裂けたクロコダイルの腹からは、綿ではなく、湿った黒い土と、細かく裁断された呪の文字が書かれた紙片が際限なく溢れ出してきた。


 それは、沙羅の持ち物を切り裂いたリナ自身の悪意が、物理的な形を持って帰還した瞬間だった。床にぶちまけられた土は、リナの足元へ這い寄り、彼女が執着し続けた価値の残骸と共に、その身体を底なしのぬかるみへと引きずり込んでいった。


 もはや修復不可能な汚物と化した革の残骸。リナは、泥と涎に塗れたバッグの死骸を前にして、子供のように号泣した。物質的な檻が壊れたとき、その中に隠されていた自分の魂がいかに空っぽであるかを、直視させられたのだ。


 その剥き出しになった絶望は、リアルタイムのノイズとなって美咲の元へ届けられた。

 深夜、美咲の枕元でスマートフォンが狂ったように震え出す。グループチャットの通知が止まらない。美咲は自宅のベッドで、リナが次々と投下する狂乱したメッセージを冷ややかに眺めていた。そこには、意味をなさない文字列の羅列と共に、泥に塗れた自室の無惨な写真が何枚も貼り付けられていた。親友が現実の泥濘に沈み込んでいるというのに、美咲はそれを単なる液晶上のデータとして消費する。指先一つでスクロールされる惨劇。


 そして、通知がふっつりと途切れた瞬間、美咲は再び呪詛アカウントを開いた。そこには、三番目の投稿がすでにアップされていた。


《三》 物質は虚ろ、執着は鎖。美しい檻を破壊し、自由の羽を与える。  その対価は、偽りの友情と、空っぽな部屋。喪失は、自己の定義。


 美咲は、自室のベッドでスマートフォンの画面を凝視していた。網膜を焼くような発光体の中に躍るその言葉は、まるで冷徹な外科医が振るうメスのように、標的の急所を正確に抉り取っていた。

 この呪いは、あまりに細部まで練り上げられ、一人ひとりの性根しょうねに深く根ざしている。

 美咲は、これまでに起きた惨劇を脳内で反芻し、その背後にある恐るべき裁きの規則性を読み解こうとしていた。


 それは、単なる無差別な暴力などではない。たとえばユウカに対しては、彼女が他者を屈服させるための力の源泉であった右腕を、完膚なきまでに砕いた。リナに対しては、彼女が己の価値を証明するために執着した虚飾の象徴である高価な品々を、見るに堪えぬ汚物へと変え果てさせた。

 ただ命を奪うという慈悲は与えない。その人間がそれなしでは自分を保てない魂の拠り所を、最も残酷で、最も屈辱的な形で剥ぎ取っているのだ。


 美咲は、この呪いの緻密さに震えた。それは、目には目を、歯には歯を。相手が犯した罪と全く同じ重さ、同じ形の痛みを、逃げ場のない現実として本人に突き返すという、救いようのない報いの理だった。

 沙羅はただ暴れているのではない。加害者たちがこれまで無意識に積み上げてきた悪意の総量を正確に計量し、それをそのまま本人たちの身に清算させているのだ。それは、標的の最も脆い部分、最も隠し通したい罪を正確に暴き、その形に合わせて罰をあつらえる、冷徹なまでに個に即した裁きだった。


 まるで沙羅は、彼女たちの心の深淵に巣食う醜い欲望を覗き込み、一人ひとりの最も隠し通したい罪と最も失いたくない自尊心を、あらかじめ冷徹に鑑定していたかのようだった。その上で、その人間だけに最も効果を発揮する、専用の処刑の型をあつらえている。  沙羅は、ユウカたちの魂の核にある弱点を、完璧に理解し、それを破壊の対象として選んでいた。


 美咲は、その理にかなった裁きの美しさに、恐怖を通り越して陶酔に近い震えを感じていた。もはやこれは、単なる復讐の範疇を超えている。沙羅は、この歪んだ世界に対して、自分が受けた苦痛をそのまま加害者に突き返すという、一切の情けを排した厳しい掟を、力ずくで実行しているのだ。

 美咲の目には、沙羅の行いが、絶対的な権威を持った法の執行者の姿として、ある種の崇拝すら孕んで映り始めていた。


 ユウカとリナを襲った不可解な悲劇は、教室を支配していたあの強固な三角形の底辺を、無惨に食い破った。彼女たちの間にあったのは、友情などという温かなものではなく、ただ共通の獲物を食らうために結ばれた、猛獣たちの連帯に過ぎなかったのだ。

 その連帯の要であった支配構造が音を立てて軋み始めたことで、残されたサキは拠り所を失い、逃げ場のない不安を埋めるように、美咲という唯一の壁へ執拗に縋り付き始めていた。


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