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「止まった時を買い取ります」

零 前書き


質屋に持ち込まれるのは、生活のための品ばかりとは限りません。

 あるとき橘堂のカウンターに置かれたのは、緑色の箱に収められた一本のロレックス。

 ギャランティもオーバーホール証明も揃った完璧なはずの時計は、しかし――十一時五十五分を指したまま、ぴたりと動きを止めていました。


 なぜ止まったのか。

 質屋の店主・橘梨花は、リューズを巻きながらおっとりと微笑み、その裏に潜む真実を見抜いていきます。


 「……時計は嘘をつきませんからねえ」


 日常と事件が交差する路地裏の小さな質屋で、止まった時が語り出すのは殺意の瞬間。

 質屋探偵・橘梨花シリーズ、ここから始まります。

一 序幕


 午前十一時。

 大通りの喧噪を抜け、商店街の裏手に回ると、途端に空気が落ち着く。舗装の剥げた路地に自転車のブレーキ音が響き、換気扇から流れ出る油の匂いが鼻をくすぐった。猫が一匹、段ボール箱の影からこちらをうかがっている。


 そんな路地の奥に、質屋〈橘堂〉はひっそりと佇んでいた。

 木製の引き戸には年季が入り、真鍮のドアベルは触れるたびに擦り切れたような音を鳴らす。ガラス越しには古びた指輪や懐中時計が静かに並んでいた。


 カウンターの奥に座るのは、店主の橘梨花、三十二歳。

 黒髪をひとつに束ねた横顔は穏やかだが、瞳は冷静に物を見極める。先代の父から店を継いで七年。子どもの頃から石の輝きや金属の重みを仕込まれ、自然と目利きの眼を養った。

 ――ガラスは沈黙しても、石は真実を語る。父の口癖は今も胸に残っている。


 午前中は生活に追われた客が多い。

 この日も、常連の老人が孫への仕送りに足りないからと銀のスプーンを置いていった。梨花は笑って受け取り、古物台帳にさらりと記録を残す。人の数だけ事情がある――それを受け止めるのが質屋という仕事だった。


二 来訪


 ちりん、とドアベルが鳴った。

 入ってきたのは二十代前半の青年。背広は身体に合わず、靴も買ったばかり。緊張のせいか額に汗がにじんでいる。


 彼が両手で抱えていたのは、深い緑色の箱。ロレックス特有の革張りのような質感が光を吸い込んでいた。強く握りしめるあまり、指先が白くなっている。


「……査定をお願いしたいんです」

 声は低いが震えていた。


 箱を開けると、中にはロレックス・デイトナ。ギャランティカードと直近のオーバーホール証明書まで揃っている。


「まあ……立派なお品ですねえ」

 梨花はにこやかに言いながら、胸の奥で小さく違和感を覚える。


 この年齢で、ここまで揃った状態で持ち込むのは珍しい。普通なら保証書を失くしているか、最初から気にしていないものだ。

 ――揃いすぎている。それがかえって不自然。


「叔父の形見なんです」

 青年は目を泳がせながら答えた。

 梨花は微笑みを返しつつ、心の中で冷ややかに呟いた。

 ――入手経路、大丈夫かしら。


三 鑑定


 梨花は時計を手袋越しに取り上げた。

 重みは確かに本物。光を受けた反射も美しい。


 竜頭を巻く。ゼンマイが張っていく感触はある。

 次に軽く振ってローターを回す。内部で金属が擦れる音がする。


 ――だが、秒針は十一時五十五分を指したまま動かない。


「……あら。ちょっと変ですねえ」

 梨花は首を傾げ、にこりと微笑んだ。


 オーバーホールから二年。潤滑油も新しいはずで、ゼンマイが錆びていることもない。

 それでも止まる理由はひとつ。――強い衝撃。


「最近はお使いでしたか?」

「……い、いえ、箱に入れっぱなしで」

 青年の声は震えていた。


四 警察


「橘さん、ちょっといいか」


 奥から声がして、青年がびくりと振り向いた。

「だ、誰ですか……?」


 現れたのは私服刑事の佐久間。三十代半ば、梨花とは幼馴染だ。夏祭りで金魚すくいを競い、駄菓子屋でアイスを分け合った仲。その後は別々の道を歩んだが、梨花が店を継いでからは古物台帳の確認で再び顔を合わせるようになった。


「まあ、佐久間さん。今日は珍しいですねえ」

「いや、そうでもない。……先週の資産家射殺事件の盗難リストが回ってきたんだ」


 佐久間は紙を取り出し、読み上げる。

「現金二百万、宝飾品数点……そしてロレックスのデイトナ」


 その言葉に青年の肩が跳ねた。


 梨花は時計を光にかざす。ガラス縁には小さな黒い粒――火薬の痕跡が残っていた。

「しかも、この時計……止まっているのは十一時五十五分。事件が起きたのも、ちょうどその頃なんですよねえ」


五 対峙


「で、でも……止まったのが深夜の零時だなんて断定できない! 昼の十二時だったのかもしれないじゃないか!」

 青年が必死に声を張り上げた。


 梨花は柔らかく微笑む。

「ふふ……ロレックスの三大発明のひとつ、“デイトジャスト機構”をご存じですか? もちろん、このモデルにも組み込まれていますよ」


 彼女は時計のリューズを静かに引き出し、止まった針を十一時五十五分から零時に進めた。

 カチリ――乾いた音とともに、日付が瞬間的に切り替わる。


「ご覧の通り、この“デイトジャスト”は日付が変わるのは深夜の零時付近なんです。

 モデルや個体差によって二十三時五十五分から零時五分くらいのあいだで切り替わることはありますけど……昼の十二時には、どんなに針を回しても日付は動かないんですよ。

 だからこの時計が止まったのは――夜の十一時五十五分から零時にかけて。事件の時間帯とぴったり一致するんです」


 青年の顔から血の気が引いた。


「通報は零時六分。近隣のカメラも銃声を零時ちょうどに拾っている。……偶然じゃ済まないぞ」

 佐久間が畳みかける。


 梨花はおっとりと微笑みながら、止まった秒針を指した。

「時計は嘘をつきませんからねえ」


 青年はがくりと膝を折り、椅子が大きく軋んだ。


六 結末


 制服警官が迎えに来て、青年は力なく連れて行かれた。ドアベルの鈍い音が響き、路地裏に消えていく。


 静けさが戻った店内。

 残された緑の箱を開けると、ロレックスは十一時五十五分のまま沈黙していた。まるで事件の瞬間を証言し続けるように。


 梨花は布でそっと拭い、箱へ戻す。カチリと蓋を閉じる音が小さく響いた。


「……うちでは、止まった時間は買い取れませんよ」


 その呟きに応えるものはなく、蝉の声だけが路地裏に降り注いでいた。


七 あとがき

 

どうもどうも、作者です。最後まで読んでくださってありがとうございます。


 今回のお話は、質屋のカウンターにロレックスが持ち込まれるところから始まりました。

 実はわたし、昔ちょっとだけ古物商をかじっていたことがありまして……。時計や宝飾品を扱うときの「手の所作」とか「客との駆け引き」とか、妙にリアルに覚えてるんですよね。おかげで執筆中は、久しぶりに古物台帳をめくる指の感触まで思い出しました。


 今回キーになった「デイトジャスト機構」。ロレックス三大発明のひとつで、0時付近でパチンと日付が切り替わるアレです。モデルや個体差で23:55〜0:05あたりにずれるんですが、それもまたリアル。お客さんに「これ壊れてません?」って聞かれて、「いやいや、これで正常なんですよ」なんて説明したこと、何度もありました(笑)。


 質屋や古物商の現場って、日常と非日常が隣り合わせなんです。

 生活に困ったおばあちゃんが孫のランドセル代に指輪を置いていくこともあれば、持ち込まれたブランドバッグが実は盗難品だったり。そんな“表と裏”の世界観は、ミステリにするとめちゃくちゃ相性がいい。だからこのシリーズを書いてみようと思いました。


 次はどんな「品物」を事件の証人にしようかな……と、今からワクワクしています。

 指輪か、万年筆か、それとも……古いレコード? どれも「人の物語」が染み込んでいて、書き手としては垂涎のネタです。


 それでは、次回も路地裏の小さな質屋〈橘堂〉でお会いしましょう。

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