この子……。おかしくない?
私はパメラ。五年前にメイドとしてライト家に仕えることになった。
一年前、奥様のアルラ様が一人の子をお産みになった。その子、グレイソン様は、どうも普通の赤ん坊とは違っている。
例えば。生後四ヶ月ほどで、もうハイハイを始めてしまったのだ。セリリア様は七か月になってようやく動き出したのだから、その成長の早さは異常だと言わざるを得ない。
それだけではない。
生まれた時も難産ではなく、泣き声一つ上げぬまま、まるで大人のように沈黙していた。抱き上げられても、まるで昏睡から覚めた直後のような顔をして……食事を欲する時以外、ほとんど泣かない子だった。
さらにハイハイを始めてからは、子守りがますます厄介になった。ほんの少し目を離しただけで、部屋を抜け出してしまうのだから。
最初の二ヶ月、グレイソン様はただ邸宅を歩き回るばかりだった。
だが三ヶ月を過ぎた頃から、急に蔵書室へ通うようになった。いつも決まって棚に向かい、絵本を取り出しては、まるで知識を吸い込むかのようにページをめくっている。
最初のうちは、その小さな手から本を取り上げてばかりいた。けれど最近は、好奇心のままに読ませることにしている。きっと、子供の遊びにすぎないと思っていたから。
そんなある日。
リントン様が中庭で剣の稽古をなさっていた時、グレイソン様は窓際の椅子に攀じ登り、目を見開いてじっとその姿を見つめていた。
椅子がぐらりと揺れる。次の瞬間、グレイソン様は床へ落ちてしまった。
「グレイソン様!」
慌てて駆け寄り、回復魔法を施す。淡い光が傷口を包み、みるみるうちに膝が癒えていく。
その時ふと気づいた。
グレイソン様の瞳が、星屑のように煌めいている。
初めて魔法を目にしたからだろう……そう思った。けれど、その表情には喜びよりも驚き、そして戸惑いが色濃く浮かんでいた。
それでも私は、その不思議な表情を深く考えることなく、「可愛らしい子供らしい反応」と片付けてしまったのだ。
ついに、生まれてから半年が経ち、グレイソン様は歩き出した。
アルラ様もリントン様も、そして私も、初めての一歩に声を上げて喜んだ。
だが、その喜びの最中、ふと胸の奥に疑問が浮かんだ。
その子は……一体何の天才なのだろう?
落ち着かない気持ちのまま、私は玄関に立っていたイリアに声を掛けた。
「イリア!……何か、おかしいことに気づいていない?」
自分でも妙なことを言っている自覚があり、彼女にどう思われるか不安だった。
「特にないけど……パメラ、大丈夫?困ってるなら、私に言って」
「いや、その……グレイソン様って。おかしくない?」
私がそう言うと、イリアは一瞬キョトンとした後、ふっと笑った。
「何言ってんの?ただの天才でしょ?みんなそれ知ってるって!」
「いや、それじゃなくてーー」
言いかけたところで、イリアが言葉を被せる。
「滑稽なこと言わないでよ。早くリントン様とアルラ様と一緒に祝ってあげな。家事は私が片付けておくから、楽しんできて!」
そう言い残し、イリアは軽やかに階段を上がっていき、やがて姿を消した。
その瞬間、はっきりと悟った。
この疑問を抱いているのは、私だけだ。
そして今。
気付けば、目の前には祝いの席が広がっていた。今日はグレイソン様の初誕生日を祝う宴の日だ。予定どおり三十人ほどの客が集まり、大きな食卓を囲んでいた。顔ぶれはほとんど親族か、他の貴族たちである。
その長い食卓の端に、主役のグレイソン様が座っていた。右側にはセリリアが座り、左にはリントン様とアルラ様が寄り添うように並んでいる。
……グレイソン様の顔
私は息を吞んだ。初めて見る表情だった。
にやり、と笑っている。
ただの無邪気な笑顔ではなかった。
それはまるで、初めて「愛される」ということを知った子のように、ひどく純粋で、それでいてどこか異様な笑みだった。
気付けば私の唇も自然と緩んじゃった。私まで笑っている。
いつの日か、この子はリントン様のように屈強な兵士となり、誰よりも強き存在になるのだろう。そんな未来を、疑いなく信じてしまった。
……そうだ、なぜ私は、ただの子供を疑っているのだろう。
もうやめよう。
あの数々の疑問は、すべて忘れてしまえばいい。
よろしくね、グレイソン様。