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明神が利用する最寄り駅の近くには交番がある。通勤の行き帰りに前を通り過ぎるだけで利用したことはない。今時、交番を利用する人間はどれだけいるのだろうか。道案内ならスマホで事足りるだろう。とはいえ、交番があり、警察官がいるというだけで安心感は与えているのかもしれない。
普段、気にもかけていない交番だが、今更ながらにその存在に気づき、明神は足をとめた。交番の脇には掲示板があり、警察官募集だとか行方不明者を探しているというポスターが貼られてあった。明神の目を引いたのは指名手配犯のポスターだった。
一橋和也の写真だ。正面をむいた胸から上だけが映った写真で、石田にもらったコピーと同じものだ。カラー写真で画質も良いから、顔がはっきりと見てとれる。きれいな顔をしていると明神はあらためて思った。一橋和也だけが他の指名手配犯たちから浮いていた。彼はまるでアイドルだかモデルのような異彩を放っている。
そうと知らずに2hillの顔を毎日のように目にしていたというわけだ。
店の前で立ち止まり、明神は顔をあげた。看板にはファンシーな書体で「サザンウィンド」とある。 一橋和也に殺された半田朱美が勤めていた店の名だ。
5年前、一橋和也は同棲していた半田朱美――当時24歳――を殺害した。凶器は台所包丁。一橋和也と半田朱美は、同じキャバクラで働いていて知り合った。クラブの店員をしていた一橋和也が朱美の住むマンションに転がり込む形で同棲がスタート、同時に一橋和也は店を辞めている。同棲直後から二人の間には争いごとが絶えなかったらしい。朱美から相談を受けていたというキャバ嬢によれば、一橋は金使いが荒く、それでいて働かないので喧嘩ばかりしていたらしい。警察は、口論の末、一橋が激高し、朱美を刺したとみている。凶器となった包丁には一橋の指紋が付着していた。
取材だと胸の内で紀子にむかって言い訳をした後、明神はドアを開けた。
「いらっしゃいませぇー」
威勢のいい声が出迎えた。
「キラリちゃん、いる?」
「ご指名ですね」
黒服の男は薄暗い店内に顔をむけた。目をしかめ、「キラリ」を探しているのだろう。
「今、他のテーブルについているんですけど、すぐにいかせますんで」
「キラリ」とは半田朱美の源氏名だ。朱美が接客をしているはずがない。「『キラリ』はいません」と言われて5年前の朱美の話を聞こうかと考えていた明神は当てが外れてしまい、戸惑った。
実はこれこれこういう事情で朱美が殺害された事件について取材をしているのだと説明する暇もなく、明神はあれよあれよという間に席に案内されてしまった。
押し込められるようにして座らされたソファーの座り心地は悪くないのだが、尻の底がむずかゆい。そもそもこの手の店は苦手である。隣の席とはプラスチックのヤシの木で遮られており、男のだらしない声と嬌声とが聞こえてきて、落ち着かない。
「お待たせしましたぁ、キラリです」
甘ったるい喋り方をする女が隣に腰かけてきた。太腿が露わになるほどの短いスカートに胸元があいた服装で目のやり場に困る。内心ドギマギしていると悟られないように明神は「君はキラリちゃんじゃないよ」と言った。