3-12
昼食にしようと社のビルを出た途端、携帯電話が鳴った。「桜田」という人物からの電話だ。
「珍しいじゃないですか、石田さんからかけてくるなんて」
声を弾ませて電話に出た。石田の連絡先は「桜田」という名前で登録されている。桜田門の「桜田」だ。明神がかけた電話の返し以外で石田から連絡がくることはない。
「今から昼飯だろ? 『長江』でどうだ」
「長江」とは近くの行きつけの中華屋だ。五目焼きそばがうまい店である。
「わかりました」
昼時だ、混んでいるなあと思いつつ、そう返事をするなり、電話はむこうから切れてしまった。
案の定、「長江」の前には周辺オフィスで働く人々の長蛇の列が出来ていた。最後尾につくと携帯が鳴った。「先に食っていろ」という石田からのメッセージだった。
昼時の混みあう時間帯は相席が常だ。五目焼きそばを注文する。隣の席のサラリーマンもスマホをいじりながら五目焼きそばをかきこんでいる。
石田よりも先に注文した五目焼きそばが到着した。先に食べておけと言われていたので遠慮なく食らいついた。食事中にまた携帯が鳴った。「腹ごなしに古本屋でも見ていけ」。
言われなくても、時間のある時には古本屋へ足をのばしている。言われた通り、店を出て、社には戻らず、古本屋街へとむかった。
古書独特のにおいには郷愁の思いを誘われる。ページを繰るたび、以前にも同じようにしてページを繰った人間の時間がふいと立ち現れるからだろうか。情報や実用の古書は時間が経てば役に立たないが、エッセイや小説の類は時間を経た方がむしろ味わい深い。
つい夢中になっていると携帯が鳴った。今度は住所だけが記されてあった。
手にしていた本を買い求め、石田に指示された住所へと向かう。
ずい分と歩かされた先にたどり着いたその場所はパチンコ屋だった。中で待っていろということか。意を決し、店内に入る。
とたんに大音量が耳をつんざく。煙草は苦手だから、あまり人がいない席に着いた。人がいない席をわざわざ選んだというのに隣に座ってきた男がいた。
誰だ、と顔を見ると、石田だった。
「まさかとは思いますけど、ずっと尾行してました?」
タイミングが良すぎる。社のビルを出た直後の連絡、昼食を食べ終える寸前での古本屋への誘導、パチンコ屋の住所連絡。
「そのまさかだ」
パチンコ台に向き、石田が球を打ち始めた。
「僕と会っているところを人に見られたくないのはわかりますけど、それにしても今日はやけに用心深いですね」
「人に聞かれたくない話をしたいからな」
「人に聞かれたくないって、そもそもこんなにうるさくては僕にだって聞こえませんよ」
店内放送に負けじと明神は声を張ってしゃべっている。
「お前にも聞こえない方がいい話かもしれん」
石田の言い方には含みがあった。
「この間の――」
指紋と言いかけると、石田の制するような強い眼差しにぶつかり、明神は口を閉じた。
「お前、あのCD、どこで手に入れた?」
「言ったじゃないですか、妹の私物です。舞は抽選にあたって2hillのデビュー限定ライブに行ったんです。そこでもらったCDです。すごく大事にしてました」
嘘発見器であるかのように石田の視線が明神を探る。汗はかいていないか、表情が引きつっていないか、瞳孔の開き具合、火照り、喉の渇き……どこか異常はみられないか。
嘘などついていない。明神は鷹揚に構えていた。
精査の結果、石田は明神が嘘を言っていないと結論づけたらしい。
「結論から言おう。あのCDとテープとの指紋を照合した。一致する指紋はなかった」
「本当ですか?」
意識せずに大声が出た。
「嘘をつく必要がどこにある」
「それは、そうですけど……」
一致する指紋がなかった。2hillは二人一役であった可能性が俄然現実味を帯びてきた。二野宮達也は声役を担当していた。死んだのは顔役だ。復活した2hillは整形した二野宮達也だ。だから声紋は一致した。指紋は一致するはずがないが、二野宮達也本人の指紋を2hillだと偽って鑑定させたのだろう。誰も顔役の指紋がどんなものか知らない。二野宮達也の指紋を2hillと偽ったところでわかりはしない。蓋を開けてみれば単純なトリックだ。
「CDとテープとでは一致する指紋は見つからなかったがな。CDについていた指紋のひとつがこちらのデータベースに保存されているものと一致した」
「『こちら』というのは……」
石田は指示代名詞が指し示す固有名詞を口にしなかった。鋭い目がわかるだろうと訴えている。石田が「こちら」と言うのだから石田が属している組織を指す。それは警察組織だ。警察組織内のデータベースに保存されている指紋の主は犯罪者だ。