おバカさんの新年度
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
一年の3月から4月ごろにかけては、知っての通り年度末と新年度という認識だ。
昔から、新年と新年度てややこしいなあ、と思っていたんだが、君はどうだろう?
ちょっと調べてみると、なぜ4月に年度を始めるかには、いくつか説がある。
かつてのイギリスの年度はじめに、タイミングを合わせた。
お米で税を納めていたとき、もろもろの手続きを経てからお金に換算して、予算に組み込める時期が、往々にして4月前後だった。
はたまた軍事費の調整や前借りをするのに、4月が都合のいい時期だった……とかあるねえ。
社会において、多くの人がこのサイクルにのっとって動いている。
そして自然に大きな影響を与えうる、人間サマのやることだから、他の生き物もこのタイミングをはかって、特別な行動に出る可能性もあるかもね。
僕が父さんから聞いた話なんだけど、耳に入れてみないかい?
4月1日はエイプリルフール。よく知られていることだよねえ。
父さんたちもフレッシュ社会人といった時分で、ちょうどケータイ電話をみんなが手にする頃合いだった。
そこで午前中、久しく会っていなかった友達から「このたび、結婚しました!」というメールがやってきてさ。
式を挙げた日時や場所などが、あまりに丁寧に書かれるものだから、グループに入っているみんなはすっかりお祝いムードで「おめでとう!」とか言葉を返していったんだ。
それが午後になって「今日はエイプリルフール!」と返されてきて、みんな「なーんだ!」と緩んだ空気の言葉が交わされたのだけど……父さんはちょっぴり違和感を覚えたんだ。
父さんが当時、住んでいたアパートの近くに結婚式を行える教会があった。
実際に足を運んだことはなく、遠巻きに外から見ながら、前を通りかかる程度だったらしい。それもごくまれのことだったのだけど。
そして、くだんの友達が式を挙げた場所というのが、どうもその教会らしい住所だったんだ。
しかも、かの日時はお父さんが教会近くを、たまたま通りかかる数少ない時間帯と合致していた。
古典的なスタイルとは異なる、小さなドーム型をした建物。十字架を掲げていなければ大学のキャンパスにある講義室と話しても、理解が得られるかもしれないつくりだった。
たいていは、人があるかも怪しいほど静かだが、あのときばかりは建物の中からしきりとざわつく気配がしていたのを、父さんは感じていた。
――もしかして、自分の結婚式じゃなく、他人の結婚式に出席したのをエイプリルフールネタにしたってオチか?
その年のエイプリルフールは、たまたまオフの日だった。
父さんはみんなからのメッセージがひと段落すると、ざっと外着へ着替えて家を出たんだ。
教会はアパートの裏手の小山をひとつ越えたところにある。
坂道をいとわず、まっすぐ向かったならば10分とかからない。
一軒家と、それに併設された車庫たちから顔を出す車たちの前を通り過ぎ、父さんは歩いていく。
下り坂へ転じると、そこはすぐ某幼稚園の運動場が広がり、そこを過ぎれば、数年前に作られたばかりの「ハイカラ」なマンション。
地下へ通じる駐車場の出入り口には、出庫注意のランプと電光掲示板が取り付けられている。百貨店などでなければ、当時はなかなか見られない構造だったとか。
アパートの裏は広々とした公園。
外縁は大きくカーブする格好で、高低差も大きく、遊具中心の上部と、砂場と運動スペース中心の下部に分かれていた。
いまも10歳に満たない男女入り混じった子供が、おもいおもいにボールを蹴ったり、トスしあったりして、遊びのひとときをすごしている。
そこを抜け、数台分の駐車場を抜けると、くだんの教会が見えてくるんだ。
まず目に入ったのが、立ち入り禁止のロープ。
赤いコーンの上部に渡されたそれらは、ドーム型の教会全域をすっかり囲い、余人の接近を遠ざけていたものの、父さんの意識はすぐ、よそへ飛んだ。
ドームに向かって左斜め後方。教会の裏手口に相当するロープの内側に、先ほどの連絡があった友達の姿を見たんだ。
普段着ならば、そこまで注目することも、あるいはなかったかもしれない。
しかし、十数メートルは離れて見る友達は、首と手元、足元以外をすっぽり隠す白装束を身に着けていたんだ。
こちらに気づいた様子は見られず、とんとんと階段を降りるような動きで、友達の身はときおり止まりながらも、建物内へ沈んでいく。
父さんのとっさの呼びかけも聞こえていない様子。
ちょっと悩んだのち、父さんはロープごと建物を裏手口へと回り込む。
ずんぐりとした楕円型のドームに、わずかに内側へへこみながら、取り付けられた紺色の鉄扉は、あたかもおもちゃのスイッチを思わせる装い。
ロープをまたぎ、数段ある階段を下って扉の前まで来る父さん。
カギはかかっているのだろうか、とつい手をノブへ伸ばしかけたところで。
ドアが内側から、勢いよく開いた。
そのときの体験は、いまだはっきり覚えているという。
ゴチンと額をぶつけて、「いてて」で済むレベルじゃなかった。
伸ばしかけた腕が、逆方向へ思いきり「引っ張られた」。そう思うほどに、ドアが押し出す力が強かったんだ。
つま先も同じように弾かれる。後方ほどなく待ち構える階段の一段が、吹き飛ばされた背中を抑えてくれるも、まだ足りない。
ごろりと後転する格好で、階段を跳ねあがり、ロープさえも飛び越えて地面へ叩きつけられた。
何メートルも吹っ飛ばされた上に、両肩はずっと強い痛みを発しながら、感覚もマヒしてしまっている。
尻もちをつきながらも、なかなか起き上がれずにいる父さんの前で、階段を上り始めたのは、先ほどの友達。
より近づいたことで、容姿は見間違いでないことがはっきりした。
ただ、その白装束はいまや、たっぷりと赤く染まっていたのだとか。
着替えたんじゃない。
裾や袖からは、わずかに赤いしずくがしたたり落ちている。
痛みの引かないまま、父さんが友達の名を呼んだけど、友達はついっと目をこちらへ向けたが、すぐに黙って外してしまう。
二度目以降はもう反応もせず、悠然とした足取りで教会を後にし、坂を下って行ってしまったのだそうだ。
後を追いかけたい父さんだけど、それ以上に肩とつま先の痛みが抜けず、病院行きを優先。
それぞれ脱臼と骨折のしかけであるとされ、安静にするよう申し渡されたのだとか。
その後、友達に改めて連絡を取ろうとするも、返事はなしのつぶて。
やがては連絡先を変えたのか、グループで連絡を取る手段はすっかりなくなってしまい、父さんはおろか、他の面々も会えてはいないのだとか。
白装束を赤く染め、自分を軽々と吹き飛ばしたあの変わりよう。父さんの脳裏には、はっきりと焼き付いている。
ひょっとしたら「結婚」という言葉でウソをつかねばならないほど、友達にとって、のっぴきならない新しい年度の始まりだったのでは……と思っているのだとか。




