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8/10

大富豪の遺産で金に糸目を付けないで特撮ヒーロー番組を作る俺と、最近は全裸じゃないことの方が多い気がする執事達。

ここに来て今更、女キャラが続々登場。

 昼休みの終わりを告げるチャイムと共に、俺は部長の執務室のドアをノックした。

「はい」

「川崎です」

 俺が答えると、硬い声が猫撫で声に早代わりする。

「ああ、川崎君? どうぞどうぞ、入ってちょうだい」

「失礼します」

 俺と桜庭がドアをくぐると、ニコニコ笑う部長が、いそいそと来客用のカップを準備し始める。

「どうしたの? 川崎君。君の方から出向いてくるなんて、珍しいじゃない」

「実は、今日は大事な相談に参りまして」

「相談?」

 俺が神妙な面持ちで言うと、部長は不思議そうな顔をした。

 しかし、すぐ笑顔に戻り、俺らに応接セットへ座るように促してくる。

「まぁまぁ、座りなさい。飲み物は、コーヒー? それとも、紅茶?」

「えーっと、じゃあ、コーヒーで」

「はいはい、コーヒーね。執事さんは?」

 部長に問われて、桜庭は控えめに応える。

「あ、では、ご主人様と同じものを」

「ふたりとも、コーヒーね。すぐ用意するから、ちょっと待ってて。ああ、そうそう、お茶菓子もあるけどいるかな?」

「どうぞ、お構いなく」

 部長のワザとらしいまでの待遇の良さに、桜庭は若干引き気味で苦笑した。

 俺も釣られるように苦笑しながら、応接セットのソファーに腰掛けた。

 どうも、部長のこの態度に慣れないなぁ。

 もう、下心が見え見えなんだよね。

 権力を持っている人間や金のある人間に、ヘコヘコするタイプ。

 典型的なゴマすり中間管理職なんだよ、この人。

「世渡り上手(よわたりじょうず=世間を上手く生きる術を、身に着けている人)」ってのは、こういう人のことをいうんだろうなぁ。

 ややあって、ドリップタイプのインスタントコーヒーが入ったカップが、俺と桜庭の前に置かれた。

「はい、コーヒー。ミルクと砂糖も、良かったらどうぞ」

「どうも」

 俺は礼を言って、コーヒーに砂糖を入れた。

 部長も自分のカップにコーヒーを作って、俺の向かいのソファに腰掛ける。

「で? 相談というのは、何かな?」

「部長は、『ブレイカータイガー』をご存知ですか?」

 俺が探りを入れるように訊ねると、部長は大きく頷く。

「もちろん、知っているに決まっているじゃない。近頃、メディアを賑わす、正義のヒーローでしょ」

「その『ブレイカータイガー』が、俺だって言ったら、信じます?」

 イタズラが成功した子供みたいに笑って見せると、部長は一瞬驚いた顔をしたが、楽しげに笑い出す。

「そうかそうか、あれは川崎君だったのか。そうだよねぇ、莫大な遺産を継いだんだもんね。あらゆる養護施設に、寄付金とプレゼントをしたんだって? さらに、支援団体や弱小企業にも義捐(ぎえん=私財を投げ打って、人を助ける為の寄付)したそうだね。実に、君らしいよ」

「いえ、元を正せば人の金で、俺の金じゃないですから。正直、どう使えばいいか、持て余し気味で」

 俺は「ははは……」と、乾いた声で笑った。

 すると部長は拍手して、俺を褒め称える。

「いやいや、偉いよ。あれだけ大きなこと、なかなか出来るもんじゃないからね。普通、成り上がり(なりあがり=急に金持ちになったり、偉くなったりする)なら、豪遊(ごうゆう=大金を使って遊ぶ)するでしょ」

「そんな金があっても、俺、小心者なんで豪遊なんて、とてもとても……」

 褒められ慣れない俺は、照れ笑いをして手を大きく横に振った。

 おっと、世間話をしにきたんじゃなかった。

 本題を忘れるところだったぜ。

 俺は緩んだ顔を引き締めると、部長に提案する。

「で、その『ブレイカータイガー』の知名度を、もっと高めたいんですけど、協力してくれませんか?」

「ああ、もちろん良いとも」

 部長は、いともあっさりと承認してくれた。

 俺の発案をふたつ返事で了承してくれた部長は、にこにこしながら口を開く。

「そうと決まれば、君に会ってもらわなきゃいけない人がいるよ」

「会ってもらわなきゃいけない人?」

 俺が聞き返すと、部長は立ち上がって、デスクへ近付いていった。

 デスクの引き出しを開けると、部長は何やら探し出す。

「確か、このへんに……あぁ、あったあった。この人だよ」

 部長は応接セットのテーブルの上に、何かを置いて、俺の前にスッと移動させた。

 それは、名刺だった。

 俺はそれを手に取り、書かれている文字を読む。

「えーっと……『テレビプロデューサー五十嵐麗華いがらし れいか』?」

「そう。彼女は、有名な敏腕プロデューサー(Producer=製作責任者)なんだよ」

 ニコニコしながら、部長が説明してくれる。

「視聴率の為なら、なんでもやるやり手でね。付いたあだ名は『視聴率の女帝』彼女なら『ブレイカータイガー』を、人気者にしてくれるに違いないよ」

「『視聴率の女帝』ですか」

 気のない声で返すと、部長はうんうんと頷く。

「とにかく、一度会ってみたら良いよ」

「そっすね」

「こちらから、アポ(アポイントメント=面会の約束)は取っておくから」

「あ、どうも」

 そんなこんなで、部長の紹介で、五十嵐さんとやらに会いに行くことになった。


 指定された撮影スタジオへ向かうと、俺はそこらへんにいるスタッフに声を掛ける。

「五十嵐さんというプロデューサーさんは、どちらに?」

「プロデューサーなら、そちらにいますよ」

 スタッフが指差した先には、髪の長い女が背を向けていた。

 後ろ姿からでも分かる、驚くほどのスタイルの良さ。

 あれが、敏腕プロデューサーの五十嵐さんか。

 俺は恐る恐る、背中から話し掛ける。

「あのぉ……お忙しいところをすみません、五十嵐さんですか?」

 振り返った女性は、疑わしげな目付きで俺を見た。

 気が強そうな印象だが、なかなかの美女だ。

 年齢は三十代くらいだと思うけど、女は見た目じゃ分からない。

 トゲトゲした口調で、五十嵐さんは顔をしかめた。

「どなた?」

「あ、初めまして。俺、いや、僕は川崎虎河と申します。それでそのぉ……部長から、話が行ってる、と思うんですけど……」

 俺がしどろもどろで答えると、五十嵐さんはパッと顔を明るくする。

 愛想良く赤い唇に笑みを浮かべて、俺に握手を求めてくる。

「これはこれは、失礼しました。初めまして、川崎専務。いえ、これからは『ブレイカータイガー』と呼ばさせて頂きますわ。お噂は、かねがね。私は、五十嵐麗華いがらし れいかと申しますの。気軽に『麗華』と、お呼び下さいな」

「こちらこそ、よろしくお願いします、五十嵐……いえ、麗華さん」

 ハキハキと喋る麗華さんに気圧されて(けおされる=相手の勢いに押される)、俺はぎこちなく握手した。

 俺の手をパッと離すと、麗華さんは俺の横に立っている桜庭に視線を移す。

「そちらは?」

「私は執事兼秘書の桜庭春樹と、申します」

 桜庭が綺麗にお辞儀をして、自己紹介をした。

「そう、執事さんなのね」

 麗華さんはニマニマと、何かを企んでいるような顔で笑う。

「ふ~ん……ふたりとも、なかなか良いわね。タイガーは地味でパッとしないけど、誠実な好青年って感じで悪くないわ。これは、磨けば光るタイプね。春樹は、超絶美形で文句の付けようがないし。セットで売っても、バラ売りしても、数字取れそう……」

 何やらブツブツと呟きながら、麗華さんは俺と桜庭をジロジロと無遠慮に見た。

 桜庭と見比べられると、どうにも居心地が悪い。

 だって俺、平々凡々(へいへいぼんぼん=優れているところや変わったところがなく、普通)だもん。

 それに比べて桜庭は、文句の付けようもない超絶美形だよね。

 顔が良いって、ただそれだけで、生まれた瞬間から人生勝ち組で羨ましいよ。

 俺は引きつった笑いで、麗華さんに忠告する。

「あ、あの……何か勘違いされているようですが。俺は番組を作りたいだけで、俺が出たい訳では……」

「良いでしょうっ! 私が責任を持って、プロデュースしましょうっ! ご安心下さい! 何としても、あなたがたを有名にして差し上げますわっ!」

 麗華さんがスゴく良い笑顔で、高らかに宣言した。

 これが、視聴率の女帝か。

 あれよあれよといううちに、気が付いたら、俺自身が「ブレイカータイガー」を演じるハメになってしまった。


 こうして、麗華さんのプロデュースにより、特撮ヒーロー番組が作られることとなった。

 コンセプト(方向性)は「努力・友情・勝利」

 一体、どこの少年雑誌だ。

 俺が正義のヒーローで、桜庭はダークヒーローで、俺らふたりはライバル関係。

 ふたりはいがみ合いながらも、戦いの中で友情が芽生え、最後は共闘して真の悪に勝利するというあらすじ。

 分かりやすい、勧善懲悪(かんぜんちょうあく=正義は勝ち、悪は懲らしめるという王道展開)。

「ヒーローも、ひとりの人間である」が、テーマの群像劇ぐんぞうげきだそうだ。

 分厚い台本を受け取った俺は、麗華さんに力なく訴える。

「あの、すみません。俺、芝居の経験なんて、ほとんどないんですけど……」

 困惑する俺を、麗華さんは「ふふん」と鼻で笑う。

「一回こっきりの二時間ドラマですから、多少演技が棒でも構いませんわ。高視聴率が獲れれば、連続ドラマ化する予定ですけどね」

「超絶美形の桜庭ならともかく、俺が主演で人気が出るとは思えませんが……」

 頭を掻きながら苦笑すると、麗華さんはキッと鋭い目で睨みつけてくる。

「この私が、視聴率が獲れないものを作るワケがないでしょっ? 作るからには、高視聴率を狙いますよっ!」

「お、おう……」

 麗華さんの迫力に、俺は尻込みして顔を引きつらせた。

 本気で視聴率を稼ごうとしているのは、キャスティングを見れば明らかだ。

 主要キャラは、俺と桜庭の他に、ヒロインがふたり。

 野郎ばっかじゃ、暑苦しいもんな。

 ひとりめのヒロインは、いばら 蒼衣あおい

 年齢は確か、十六歳か十七歳だったはず。

 その外見と高い歌唱力で、新曲をバンバン出している、今人気絶頂の美少女アイドル。

 女王様キャラで、男性ファンをとりこにしているのだそうだ。

 実は俺、アイドルってもんに興味がなくて、あんまり気にしたことなかったんだけど。

 やっぱり、アイドルというだけあって、めちゃくちゃ可愛いし、スゲェ綺麗な顔をしている。

 うちの桔梗とは、方向性の違う美少女だなぁ。

 桔梗はワンコ系の可愛い美少女で、蒼衣さんは気高い女王様って感じ。

 桜庭も超絶美形だけど、美少女とはまた別格のイケメンなんだよね。

 ずっと見つめていたせいか、蒼衣さんが氷のような目で、冷たい声を掛けてくる。

「何?」

「あ、いや……その、なんつぅか、えっと……『めちゃくちゃ可愛い人だな』と思って、つい見とれてしまいました」

「か、かかか……可愛いっ?」

 小学生並みの感想を言うと、次の瞬間、蒼衣さんが紅潮(こうちょう=顔が真っ赤になる)した。

 困惑した表情で、全身をわななかせている(わななく=小刻みに震える)。

 ヤベ、地雷踏んだ。

 相手は、天下の女王様アイドル。

「可愛い」なんて言葉は、屈辱だったかもしれない。

 こういう時は、早めに謝った方がいいだろう。

 俺は頭を深々と下げて、誠実に謝る。

「お気を悪くしたなら、すみません。俺……いや僕、蒼衣さんみたいに綺麗な人は今まで見たことがなくて、それで……」

「べっ、別に謝ることじゃないけどっ?」

 蒼衣さんは、俺の言葉をさえぎって強い口調で言い放つと、どこかへ走り去ってしまった。

 取り残された俺は、情けなく肩を落とす。

「あぁ、やっちまった……」

 女王様の機嫌を損ねてしまった。

 相手は、難しいお年頃の女子高生だしなぁ。

 早々に、嫌われちゃったかも。

 俺、空気読めない発言で、周りの雰囲気悪くしちゃうんだよね。

「はぁ~……これだから、川崎君は」って、しょっちゅう呆れられている。

 これで、蒼衣さんに「あの人とはやりたくないので、番組降板します」とか言われたら、どうしよう。

 番組そのものが打ち切りになって、各関係者に多大な迷惑を掛けるかもしれない。

 本人は「謝ることじゃない」って、言ってたけど、実際のところどうなんだろう?

 機嫌を直して、戻って来てくれると良いんだけど……。


 ふたりめのヒロインは、宝龍鈴ほうりゅう すず

 女王様の蒼衣さんとは違う、十歳の可愛い女の子。

 大人顔負けの演技力を持つと言われる、超人気子役。

 この間やっていた家族ドラマでは、けなげな鈴ちゃんの演技に誰もが涙した。

 演技ばかりではなく、本格的なアクションもこなすというから驚きだ。

 本人は元々、スタントマンを希望していたらしい。

 人手が足りなかった時に、子役に起用したところ、自然な演技が好評でそのまま子役になったという経緯があるとか。

「初めまして、川崎さん、よろしくお願いしまーすっ!」

 明るい笑顔と元気な声で、鈴ちゃんが挨拶してきた。

 思わず嬉しくなって、俺も満面の笑みで挨拶を返す。

「初めまして、鈴ちゃん。こちらこそ、よろしくお願いします」

「川崎さんは、すっごいお金持ちで、とっても優しい人だって聞いています! 憧れちゃいますっ!」

 尊敬のキラキラした目で見られて、ちょっとむずがゆい。

 俺は照れ笑いをしながら、正直に打ち明ける。

「いやいや、俺は鈴ちゃんが憧れるような立派な人じゃないよ。たまたまお金持ちになっちゃったから、お金の使い道が分かんなくて、みんなにバラまいちゃっだけなんだ」

「またまた、そんなご謙遜(けんそん=控え目な態度)をっ!」

 鈴ちゃんが、子供らしくない言葉を使った。

 やっぱりこういう世界で生きてるから、そういう言葉を覚えるのかね。

 こんな俺のどこが良かったのか、鈴ちゃんにすっかり懐かれてしまった。

 俺と鈴ちゃんは、撮影が始まるまで、キャッキャしていた。


 なかなか撮影が捗らない(はかどらない)状況に、麗華さんがイラ立っている。

「ちょっと、タイガー! いい加減にして下さらないっ? 一体、何回NG出せば気が済むんですかっ?」

「そ……そんなこと言ったって……」

 情けない声を出す俺をギロリと睨んで、麗華さんが頭ごなしに怒鳴り散らす。

「言い訳しないで下さいっ! やることはいっぱいあるんですから、余計なことは考えずに、とにかく言われた通りやって下さいよっ!」

「す、すみません……」

 俺の演技は、お粗末もいいとこだ。

 だいたい俺は、施設のお楽しみ会とか、学校の文化祭くらいでしか、演技なんてやったことがない。

 監督から何度も注意されるが、いかんせん上手くいかない。

 カメラを向けられると緊張するし、セリフだって上手く言えない。

 結局、俺のシーンだけ別撮りにして、他のシーンを先に撮ることになってしまった。

 思わず、自己嫌悪に陥る(じこけんおにおちいる=失敗などで自信をなくし、自分の存在が嫌になる)。

 肩を落として、深々とため息を吐き出す。

 なんで、俺は何をやってもダメなんだ。

 でも、麗華さんが「やる」と決めたからには、やらざるを得ないだろう。

 もうひとつ大きなため息を吐き出して、脚本に目を落とす。

 有名な脚本家が書いてくれた、大事な脚本だ。

 何本も有名ドラマを執筆している脚本家とだけあって、張り巡らされた伏線と伏線回収が素晴らしい。

 俳優の演技がダメだったら、どんなに良い脚本も台無しにしてしまう。

 逆に、大したことない脚本でも、俳優や演出家が素晴らしかったら、良いものが出来上がる。

 作品を生かすも殺すも、俳優と演出家と脚本家の力量に掛かっている。

 この素晴らしい脚本をダメにしないように、頑張らなくちゃ。

 俺は撮影の邪魔にならないように、スタジオの端っこで、ひとりでこっそりと練習する。

 すると、桜庭が俺の側へそっとやって来た。

 俺の口から、ポロリとその名が零れ落ちる。

「桜庭……」

「僕も今、出番がなくて暇なんです。もしよろしければ、読み合わせして頂けませんか?」

 桜庭が脚本を開いたので、俺は申し訳なくって、おずおずと謝る。

「ご……ごめんな、俺、演技下手で。お前、俺とのシーン多いから、後回しになっちまったんだろ?」

「構いませんよ。ご主人様の為でしたら、いくらでもお付き合い致します」

 桜庭は優しく笑い掛けてくれたが、俺はますます申し訳ない気持ちになった。


 撮影二日目。

「人」という文字を何度も手のひらに書いて、いくら飲み込もうとも、緊張は解れない。

 誰だよ、このおまじない考えたヤツ!

 ちっとも効果ねぇじゃんっ!

 まぁ、こんなもんで緊張しなくなるんだったら、誰も苦労しない。

「ご主人様、深呼吸、深呼吸」

 横でおろおろしている桔梗が、俺を落ち着かせようと言い聞かせてきた。

 言われるままに、深呼吸を始める。

「お、おう……」

「吸ってー吐いてー、吸ってー吐いてー……どうです?」

「う、うん……ちょっとだけましになったかな?」

 深呼吸をしても、本当にちょっとしか落ち着かない。

 心臓がバックンバックン鼓動を繰り返し、痛いくらいだ。

 その側にある胃も、緊張でキリキリと痛んだ。

 そんな俺を見兼ねた椿が、にっこりと笑みを浮かべて、バチンとウィンクする。

「では、ご主人様。アタシがこれから、とっておきの魔法を掛けて差し上げますわ☆」

「魔法? 俺、そういうの信じないタイプなんだけど」

 俺は疑いの眼差しで、椿を見た。

 さっきも、人を書いて飲み込むおまじないも、全然効かなかったしな。

 クスクスと椿は笑いながら、俺の肩をポンポンと叩く。

「そうやって、『信じない』って言う人ほど、掛かり易かったりするんですのよ。さ、この炎をよーく見て下さい」

 シュボッという音と共に、椿の手に握られたライターが小さな炎を灯した。

「そういうもん? 分かった、やってみる」

 半信半疑で、言われるまま、青く燃える炎を見つめる。

 椿が低く静かな声色で、俺に言い聞かせてくる。

「あなたはだんだん眠くな~る……眠くな~る……眠くな~る……」

「なんだ……魔法って、催眠術のことか……」

 分かっているのに、本当にだんだん眠くなってきた。

 まぶたが重くて、目を開けていることが出来なくなり、目を閉じた。

 真っ暗な世界の中で、椿の声だけが聞こえてくる。

「あなたは『ブレイカータイガー』どんな演技もこなせる、実力派のベテラン俳優です。そして、新人俳優の桜庭春樹は、あなたのライバルです」

「俺は『ブレイカータイガー』どんな演技もこなせる実力派のベテラン俳優……新人の桜庭は、俺のライバル……」

 ぼんやりとした意識の中で、椿の言葉を復唱した。

「さぁ『ブレイカータイガー』! あなたの素晴らしい演技を、世界中に見せつけるのですっ!」

 パンッと手を打ち鳴らす音とともに、俺は目覚めた。


 そう、俺はベテラン俳優ブレイカータイガーッ!

 桜庭春樹は、新進気鋭(しんしんきえい=その世界に飛び込んだばかりの実力未知数の新人)の俺のライバル。

 でも、そこはそれ。

 大人として、そして先輩として、新人の面倒は見てやんなきゃいけない。

 よし、今日も一日、頑張るぞっ!

 俺は意気揚々と、スタジオへと向かった。

 世話しなく走り回るスタッフ達に、大声で元気に挨拶する。 

「おはようございますっ! 本日もよろしくお願いしまーすっ!」

「ご主人様、今日も頑張って下さい」

 ご主人様? なんだそれは?

 俺の名前は、ブレイカータイガーだ。

 聞き覚えのある、生意気なルーキー(rookie=新人)野郎の声を無視して、プロデューサーの元へと近付いていく。

 プロデューサーは心配そうな目を、俺に寄越す。

「おはようございます、タイガー。今日は、いけそうですか?」

「今日も絶好調です。この俺に、任せて下さい」

 自信満々で言うと、プロデューサーが赤い唇を吊り上げて皮肉たっぷりに笑う。

「あらそう、意気込みは充分ですわね。それが、演技に生かされると良いんですけど?」

「何言ってんだ。俺は実力派のベテラン俳優だぜ? どんな役だって、こなせてみせるさ!」

「はぁ? 何言ってんですか。あなた、演技はからっきしだって、昨日言ってたじゃありませんか」

 疑わしげな目を向けるプロデューサーに、俺はフフンと鼻で笑ってみせる。

「そりゃ、昔の話だろ? 俺の演技を見て驚けっ!」

「なんかよく分かりませんけど、頑張って下さいね」

 プロデューサーに軽く背中を叩かれて、俺はわざとらしく痛がってみせた。 

 ふと、俺を見つめる熱い視線に気付いた。

 振り向くと、ヤツがいる。

 あの憎たらしい、桜庭春樹か。

 何が嬉しいのか、ニヤニヤ笑ってやがる。

 きっと、俺の演技を盗もうと思ってやがるんだな。

 ふん、まぁ好きにするがいいさ。

 俺はベテランだから、新人のお前なんかに振り回されたりなんかしない。

 桜庭春樹を睨むと、さっさと顔を背けた。

 あいつは酷く驚いた顔で、俺を見つめていた。

 なんて顔してやがる。

 新人だからって、誰もが優しくしてやると思うなよ。

 わざと傷ついた振りをして、同情を買おうとしたってダメだ。

 ちっとばっかり綺麗な顔してるからって、いい気になんなよっ!


 ベテランの俺に掛かれば、どんな演技だってお手の物。

 怒るシーンは真剣に怒声を放ち、笑うシーンは時に無邪気に、時に朗らかに笑い、シリアスなシーンはピンと張り詰めた緊張感が漂った。

 監督の希望通りの演技をこなし、一度としてNGを出すことなく、撮影はスムーズに終わった。

 俺の鬼気迫る(ききせまる=恐ろしいほど真剣な)演技に、プロデューサーもご満悦(まんえつ=満足して喜ぶ)だ。

「昨日の演技が、ウソのようですわ。やれば、出来る人だったんですね! 見直しましたよっ!」

「当たり前だろ。俺は演技派のベテラン俳優だからな」

 得意になって胸を張ると、プロデューサーは眉をひそめて苦笑する。

「あ、うん、そう……まぁいいわ。溜まっていたシーンは全部撮れましたし、文句なしの出来でしたわ。今日はここまでにしましょう。お疲れ様でした」

「ああ、お疲れさん。みんなも、疲れたろ。ゆっくり休んで、明日も頑張ろうぜっ」

 笑顔で挨拶をすると、スタッフ達もそれに続く。

「タイガーさん、お疲れ様でしたーっ!」

「そちらこそ、お疲れ様でした」

 ひらひらと手を振って、俺はスタジオを出て行く。

 俺の背中に、誰かが声を掛けてくる。

「スゴいじゃないですかっ! あんなに演技がお上手だなんて、知りませんでしたっ!」

 振り返ると、そこには興奮気味の桜庭春樹が立っていた。

 なんだ、お前か。

 お前にいくら褒められても、ちっとも嬉しくないね。

 無表情で冷たい視線を向けると、桜庭春樹は傷付いたような顔をして黙り込む。

 その顔を見ると、罪悪感のようなもので、チクリと胸が痛む。

 少しイジメすぎたか。

 先輩に教えを乞うのも、新人にとっちゃ大事な勉強。

 次の世代を育てるのも、ベテランの務め。

 まぁ、いいだろう。

 俺も大人だ、ベテランの余裕ってヤツを見せつけてやろう。

 コーヒーの一杯くらいは、付き合ってやる。

「来いよ」

「は?」

「いいから、ついて来い」

 俺が歩き出すと、桜庭春樹は叱られた犬みたいな顔でついてきた。

 辿り着いたのは、「シュブニグラス・エンターテインメント」社内にある喫茶店。

 テーブルに着くと、桜庭春樹に命令する。

「座れ。奢ってやるから、好きなもん頼め」

「は、はい、ありがとうございます。あ、あの、今日の演技は素晴らしくて、本当に感動しました。僕もあなたを見習って、頑張りたいと思います」

 真っ直ぐな目で見つめられて褒められると、悪い気はしない。

 俺はふっと、小さく笑う。

「なんだ、生意気な新人野郎かと思ってたけど、結構可愛いとこあんじゃねぇか」

 手を伸ばして、桜庭春樹の頭を軽くポンポンと叩いてやった。


 ふいに、何かが割れる音がした。

「申し訳ございません、失礼致しました」

「え?」

 声がした方へ目を向けると、喫茶店の店員さんが割れたコップを片付けていた。

 気が付くと、社内にある喫茶店のテーブル席に、桜庭と向かい合わせで座っていた。

 あれ?

 俺がはっきりと思い出せるのは、椿に催眠術を掛けられたところまでだ。

 それ以降の記憶は、ぼんやりとかすみ掛かっている。

 でも完全に、何も覚えていないという訳ではない。

 なんとなく、スタジオで撮影をしたという記憶はある。

 まるで、夢でも見ていたかのようだ。

 それにしたって、これはどういう状況なんだ?

 俺の右手は、桜庭の頭を撫でていた。

 桜庭も戸惑いつつも、満更でもない(まんざらでもない=悪くない)顔をしている。

 なんだこれ?

 とりあえず、右手を引っ込めた。

 おい、残念そうな顔をするな、桜庭。

 年下の俺に頭撫でられて、嬉しいの?

 困惑する俺に、椿がクスクス笑いながら近付いてくる。

「あらあら、魔法が解けたようですわね、ご主人様。ご気分はいかがですか?」

「あ、あぁ……別に悪くはねぇけど」

「うふふっ、それは何より。ご主人様は『ブレイカータイガー』を、演じられていただけですわ」

「そ、そうか、全然覚えてねぇけど……俺、ちゃんと演技出来てたのか?」

「ええ、もちろん。とっても素晴らしい演技で、アタシ、ご主人様に惚れ直してしまいましたわぁ。本放送が楽しみですね♪」

「黒歴史確定になりそうで、スゲェ怖いんだけど……」

 そして、不安を抱えて迎えた放送当日。

 正義のヒーローを演じる、俺なのに俺じゃない俺に、度肝を抜かれる(どぎもをぬかれる=めちゃくちゃビックリする)こととなる。

少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。

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