大富豪の遺産で金に糸目を付けないで特撮ヒーロー番組を作る俺と、最近は全裸じゃないことの方が多い気がする執事達。
ここに来て今更、女キャラが続々登場。
昼休みの終わりを告げるチャイムと共に、俺は部長の執務室のドアをノックした。
「はい」
「川崎です」
俺が答えると、硬い声が猫撫で声に早代わりする。
「ああ、川崎君? どうぞどうぞ、入ってちょうだい」
「失礼します」
俺と桜庭がドアをくぐると、ニコニコ笑う部長が、いそいそと来客用のカップを準備し始める。
「どうしたの? 川崎君。君の方から出向いてくるなんて、珍しいじゃない」
「実は、今日は大事な相談に参りまして」
「相談?」
俺が神妙な面持ちで言うと、部長は不思議そうな顔をした。
しかし、すぐ笑顔に戻り、俺らに応接セットへ座るように促してくる。
「まぁまぁ、座りなさい。飲み物は、コーヒー? それとも、紅茶?」
「えーっと、じゃあ、コーヒーで」
「はいはい、コーヒーね。執事さんは?」
部長に問われて、桜庭は控えめに応える。
「あ、では、ご主人様と同じものを」
「ふたりとも、コーヒーね。すぐ用意するから、ちょっと待ってて。ああ、そうそう、お茶菓子もあるけどいるかな?」
「どうぞ、お構いなく」
部長のワザとらしいまでの待遇の良さに、桜庭は若干引き気味で苦笑した。
俺も釣られるように苦笑しながら、応接セットのソファーに腰掛けた。
どうも、部長のこの態度に慣れないなぁ。
もう、下心が見え見えなんだよね。
権力を持っている人間や金のある人間に、ヘコヘコするタイプ。
典型的なゴマすり中間管理職なんだよ、この人。
「世渡り上手(よわたりじょうず=世間を上手く生きる術を、身に着けている人)」ってのは、こういう人のことをいうんだろうなぁ。
ややあって、ドリップタイプのインスタントコーヒーが入ったカップが、俺と桜庭の前に置かれた。
「はい、コーヒー。ミルクと砂糖も、良かったらどうぞ」
「どうも」
俺は礼を言って、コーヒーに砂糖を入れた。
部長も自分のカップにコーヒーを作って、俺の向かいのソファに腰掛ける。
「で? 相談というのは、何かな?」
「部長は、『ブレイカータイガー』をご存知ですか?」
俺が探りを入れるように訊ねると、部長は大きく頷く。
「もちろん、知っているに決まっているじゃない。近頃、メディアを賑わす、正義のヒーローでしょ」
「その『ブレイカータイガー』が、俺だって言ったら、信じます?」
イタズラが成功した子供みたいに笑って見せると、部長は一瞬驚いた顔をしたが、楽しげに笑い出す。
「そうかそうか、あれは川崎君だったのか。そうだよねぇ、莫大な遺産を継いだんだもんね。あらゆる養護施設に、寄付金とプレゼントをしたんだって? さらに、支援団体や弱小企業にも義捐(ぎえん=私財を投げ打って、人を助ける為の寄付)したそうだね。実に、君らしいよ」
「いえ、元を正せば人の金で、俺の金じゃないですから。正直、どう使えばいいか、持て余し気味で」
俺は「ははは……」と、乾いた声で笑った。
すると部長は拍手して、俺を褒め称える。
「いやいや、偉いよ。あれだけ大きなこと、なかなか出来るもんじゃないからね。普通、成り上がり(なりあがり=急に金持ちになったり、偉くなったりする)なら、豪遊(ごうゆう=大金を使って遊ぶ)するでしょ」
「そんな金があっても、俺、小心者なんで豪遊なんて、とてもとても……」
褒められ慣れない俺は、照れ笑いをして手を大きく横に振った。
おっと、世間話をしにきたんじゃなかった。
本題を忘れるところだったぜ。
俺は緩んだ顔を引き締めると、部長に提案する。
「で、その『ブレイカータイガー』の知名度を、もっと高めたいんですけど、協力してくれませんか?」
「ああ、もちろん良いとも」
部長は、いともあっさりと承認してくれた。
俺の発案をふたつ返事で了承してくれた部長は、にこにこしながら口を開く。
「そうと決まれば、君に会ってもらわなきゃいけない人がいるよ」
「会ってもらわなきゃいけない人?」
俺が聞き返すと、部長は立ち上がって、デスクへ近付いていった。
デスクの引き出しを開けると、部長は何やら探し出す。
「確か、このへんに……あぁ、あったあった。この人だよ」
部長は応接セットのテーブルの上に、何かを置いて、俺の前にスッと移動させた。
それは、名刺だった。
俺はそれを手に取り、書かれている文字を読む。
「えーっと……『テレビプロデューサー五十嵐麗華』?」
「そう。彼女は、有名な敏腕プロデューサー(Producer=製作責任者)なんだよ」
ニコニコしながら、部長が説明してくれる。
「視聴率の為なら、なんでもやるやり手でね。付いたあだ名は『視聴率の女帝』彼女なら『ブレイカータイガー』を、人気者にしてくれるに違いないよ」
「『視聴率の女帝』ですか」
気のない声で返すと、部長はうんうんと頷く。
「とにかく、一度会ってみたら良いよ」
「そっすね」
「こちらから、アポ(アポイントメント=面会の約束)は取っておくから」
「あ、どうも」
そんなこんなで、部長の紹介で、五十嵐さんとやらに会いに行くことになった。
指定された撮影スタジオへ向かうと、俺はそこらへんにいるスタッフに声を掛ける。
「五十嵐さんというプロデューサーさんは、どちらに?」
「プロデューサーなら、そちらにいますよ」
スタッフが指差した先には、髪の長い女が背を向けていた。
後ろ姿からでも分かる、驚くほどのスタイルの良さ。
あれが、敏腕プロデューサーの五十嵐さんか。
俺は恐る恐る、背中から話し掛ける。
「あのぉ……お忙しいところをすみません、五十嵐さんですか?」
振り返った女性は、疑わしげな目付きで俺を見た。
気が強そうな印象だが、なかなかの美女だ。
年齢は三十代くらいだと思うけど、女は見た目じゃ分からない。
トゲトゲした口調で、五十嵐さんは顔をしかめた。
「どなた?」
「あ、初めまして。俺、いや、僕は川崎虎河と申します。それでそのぉ……部長から、話が行ってる、と思うんですけど……」
俺がしどろもどろで答えると、五十嵐さんはパッと顔を明るくする。
愛想良く赤い唇に笑みを浮かべて、俺に握手を求めてくる。
「これはこれは、失礼しました。初めまして、川崎専務。いえ、これからは『ブレイカータイガー』と呼ばさせて頂きますわ。お噂は、かねがね。私は、五十嵐麗華と申しますの。気軽に『麗華』と、お呼び下さいな」
「こちらこそ、よろしくお願いします、五十嵐……いえ、麗華さん」
ハキハキと喋る麗華さんに気圧されて(けおされる=相手の勢いに押される)、俺はぎこちなく握手した。
俺の手をパッと離すと、麗華さんは俺の横に立っている桜庭に視線を移す。
「そちらは?」
「私は執事兼秘書の桜庭春樹と、申します」
桜庭が綺麗にお辞儀をして、自己紹介をした。
「そう、執事さんなのね」
麗華さんはニマニマと、何かを企んでいるような顔で笑う。
「ふ~ん……ふたりとも、なかなか良いわね。タイガーは地味でパッとしないけど、誠実な好青年って感じで悪くないわ。これは、磨けば光るタイプね。春樹は、超絶美形で文句の付けようがないし。セットで売っても、バラ売りしても、数字取れそう……」
何やらブツブツと呟きながら、麗華さんは俺と桜庭をジロジロと無遠慮に見た。
桜庭と見比べられると、どうにも居心地が悪い。
だって俺、平々凡々(へいへいぼんぼん=優れているところや変わったところがなく、普通)だもん。
それに比べて桜庭は、文句の付けようもない超絶美形だよね。
顔が良いって、ただそれだけで、生まれた瞬間から人生勝ち組で羨ましいよ。
俺は引きつった笑いで、麗華さんに忠告する。
「あ、あの……何か勘違いされているようですが。俺は番組を作りたいだけで、俺が出たい訳では……」
「良いでしょうっ! 私が責任を持って、プロデュースしましょうっ! ご安心下さい! 何としても、あなたがたを有名にして差し上げますわっ!」
麗華さんがスゴく良い笑顔で、高らかに宣言した。
これが、視聴率の女帝か。
あれよあれよといううちに、気が付いたら、俺自身が「ブレイカータイガー」を演じるハメになってしまった。
こうして、麗華さんのプロデュースにより、特撮ヒーロー番組が作られることとなった。
コンセプト(方向性)は「努力・友情・勝利」
一体、どこの少年雑誌だ。
俺が正義のヒーローで、桜庭はダークヒーローで、俺らふたりはライバル関係。
ふたりはいがみ合いながらも、戦いの中で友情が芽生え、最後は共闘して真の悪に勝利するというあらすじ。
分かりやすい、勧善懲悪(かんぜんちょうあく=正義は勝ち、悪は懲らしめるという王道展開)。
「ヒーローも、ひとりの人間である」が、テーマの群像劇だそうだ。
分厚い台本を受け取った俺は、麗華さんに力なく訴える。
「あの、すみません。俺、芝居の経験なんて、ほとんどないんですけど……」
困惑する俺を、麗華さんは「ふふん」と鼻で笑う。
「一回こっきりの二時間ドラマですから、多少演技が棒でも構いませんわ。高視聴率が獲れれば、連続ドラマ化する予定ですけどね」
「超絶美形の桜庭ならともかく、俺が主演で人気が出るとは思えませんが……」
頭を掻きながら苦笑すると、麗華さんはキッと鋭い目で睨みつけてくる。
「この私が、視聴率が獲れないものを作るワケがないでしょっ? 作るからには、高視聴率を狙いますよっ!」
「お、おう……」
麗華さんの迫力に、俺は尻込みして顔を引きつらせた。
本気で視聴率を稼ごうとしているのは、キャスティングを見れば明らかだ。
主要キャラは、俺と桜庭の他に、ヒロインがふたり。
野郎ばっかじゃ、暑苦しいもんな。
ひとりめのヒロインは、茨 蒼衣。
年齢は確か、十六歳か十七歳だったはず。
その外見と高い歌唱力で、新曲をバンバン出している、今人気絶頂の美少女アイドル。
女王様キャラで、男性ファンを虜にしているのだそうだ。
実は俺、アイドルってもんに興味がなくて、あんまり気にしたことなかったんだけど。
やっぱり、アイドルというだけあって、めちゃくちゃ可愛いし、スゲェ綺麗な顔をしている。
うちの桔梗とは、方向性の違う美少女だなぁ。
桔梗はワンコ系の可愛い美少女で、蒼衣さんは気高い女王様って感じ。
桜庭も超絶美形だけど、美少女とはまた別格のイケメンなんだよね。
ずっと見つめていたせいか、蒼衣さんが氷のような目で、冷たい声を掛けてくる。
「何?」
「あ、いや……その、なんつぅか、えっと……『めちゃくちゃ可愛い人だな』と思って、つい見とれてしまいました」
「か、かかか……可愛いっ?」
小学生並みの感想を言うと、次の瞬間、蒼衣さんが紅潮(こうちょう=顔が真っ赤になる)した。
困惑した表情で、全身をわななかせている(わななく=小刻みに震える)。
ヤベ、地雷踏んだ。
相手は、天下の女王様アイドル。
「可愛い」なんて言葉は、屈辱だったかもしれない。
こういう時は、早めに謝った方がいいだろう。
俺は頭を深々と下げて、誠実に謝る。
「お気を悪くしたなら、すみません。俺……いや僕、蒼衣さんみたいに綺麗な人は今まで見たことがなくて、それで……」
「べっ、別に謝ることじゃないけどっ?」
蒼衣さんは、俺の言葉を遮って強い口調で言い放つと、どこかへ走り去ってしまった。
取り残された俺は、情けなく肩を落とす。
「あぁ、やっちまった……」
女王様の機嫌を損ねてしまった。
相手は、難しいお年頃の女子高生だしなぁ。
早々に、嫌われちゃったかも。
俺、空気読めない発言で、周りの雰囲気悪くしちゃうんだよね。
「はぁ~……これだから、川崎君は」って、しょっちゅう呆れられている。
これで、蒼衣さんに「あの人とはやりたくないので、番組降板します」とか言われたら、どうしよう。
番組そのものが打ち切りになって、各関係者に多大な迷惑を掛けるかもしれない。
本人は「謝ることじゃない」って、言ってたけど、実際のところどうなんだろう?
機嫌を直して、戻って来てくれると良いんだけど……。
ふたりめのヒロインは、宝龍鈴。
女王様の蒼衣さんとは違う、十歳の可愛い女の子。
大人顔負けの演技力を持つと言われる、超人気子役。
この間やっていた家族ドラマでは、けなげな鈴ちゃんの演技に誰もが涙した。
演技ばかりではなく、本格的なアクションもこなすというから驚きだ。
本人は元々、スタントマンを希望していたらしい。
人手が足りなかった時に、子役に起用したところ、自然な演技が好評でそのまま子役になったという経緯があるとか。
「初めまして、川崎さん、よろしくお願いしまーすっ!」
明るい笑顔と元気な声で、鈴ちゃんが挨拶してきた。
思わず嬉しくなって、俺も満面の笑みで挨拶を返す。
「初めまして、鈴ちゃん。こちらこそ、よろしくお願いします」
「川崎さんは、すっごいお金持ちで、とっても優しい人だって聞いています! 憧れちゃいますっ!」
尊敬のキラキラした目で見られて、ちょっとむずがゆい。
俺は照れ笑いをしながら、正直に打ち明ける。
「いやいや、俺は鈴ちゃんが憧れるような立派な人じゃないよ。たまたまお金持ちになっちゃったから、お金の使い道が分かんなくて、みんなにバラまいちゃっだけなんだ」
「またまた、そんなご謙遜(けんそん=控え目な態度)をっ!」
鈴ちゃんが、子供らしくない言葉を使った。
やっぱりこういう世界で生きてるから、そういう言葉を覚えるのかね。
こんな俺のどこが良かったのか、鈴ちゃんにすっかり懐かれてしまった。
俺と鈴ちゃんは、撮影が始まるまで、キャッキャしていた。
なかなか撮影が捗らない(はかどらない)状況に、麗華さんがイラ立っている。
「ちょっと、タイガー! いい加減にして下さらないっ? 一体、何回NG出せば気が済むんですかっ?」
「そ……そんなこと言ったって……」
情けない声を出す俺をギロリと睨んで、麗華さんが頭ごなしに怒鳴り散らす。
「言い訳しないで下さいっ! やることはいっぱいあるんですから、余計なことは考えずに、とにかく言われた通りやって下さいよっ!」
「す、すみません……」
俺の演技は、お粗末もいいとこだ。
だいたい俺は、施設のお楽しみ会とか、学校の文化祭くらいでしか、演技なんてやったことがない。
監督から何度も注意されるが、いかんせん上手くいかない。
カメラを向けられると緊張するし、セリフだって上手く言えない。
結局、俺のシーンだけ別撮りにして、他のシーンを先に撮ることになってしまった。
思わず、自己嫌悪に陥る(じこけんおにおちいる=失敗などで自信をなくし、自分の存在が嫌になる)。
肩を落として、深々とため息を吐き出す。
なんで、俺は何をやってもダメなんだ。
でも、麗華さんが「やる」と決めたからには、やらざるを得ないだろう。
もうひとつ大きなため息を吐き出して、脚本に目を落とす。
有名な脚本家が書いてくれた、大事な脚本だ。
何本も有名ドラマを執筆している脚本家とだけあって、張り巡らされた伏線と伏線回収が素晴らしい。
俳優の演技がダメだったら、どんなに良い脚本も台無しにしてしまう。
逆に、大したことない脚本でも、俳優や演出家が素晴らしかったら、良いものが出来上がる。
作品を生かすも殺すも、俳優と演出家と脚本家の力量に掛かっている。
この素晴らしい脚本をダメにしないように、頑張らなくちゃ。
俺は撮影の邪魔にならないように、スタジオの端っこで、ひとりでこっそりと練習する。
すると、桜庭が俺の側へそっとやって来た。
俺の口から、ポロリとその名が零れ落ちる。
「桜庭……」
「僕も今、出番がなくて暇なんです。もしよろしければ、読み合わせして頂けませんか?」
桜庭が脚本を開いたので、俺は申し訳なくって、おずおずと謝る。
「ご……ごめんな、俺、演技下手で。お前、俺とのシーン多いから、後回しになっちまったんだろ?」
「構いませんよ。ご主人様の為でしたら、いくらでもお付き合い致します」
桜庭は優しく笑い掛けてくれたが、俺はますます申し訳ない気持ちになった。
撮影二日目。
「人」という文字を何度も手のひらに書いて、いくら飲み込もうとも、緊張は解れない。
誰だよ、このおまじない考えたヤツ!
ちっとも効果ねぇじゃんっ!
まぁ、こんなもんで緊張しなくなるんだったら、誰も苦労しない。
「ご主人様、深呼吸、深呼吸」
横でおろおろしている桔梗が、俺を落ち着かせようと言い聞かせてきた。
言われるままに、深呼吸を始める。
「お、おう……」
「吸ってー吐いてー、吸ってー吐いてー……どうです?」
「う、うん……ちょっとだけましになったかな?」
深呼吸をしても、本当にちょっとしか落ち着かない。
心臓がバックンバックン鼓動を繰り返し、痛いくらいだ。
その側にある胃も、緊張でキリキリと痛んだ。
そんな俺を見兼ねた椿が、にっこりと笑みを浮かべて、バチンとウィンクする。
「では、ご主人様。アタシがこれから、とっておきの魔法を掛けて差し上げますわ☆」
「魔法? 俺、そういうの信じないタイプなんだけど」
俺は疑いの眼差しで、椿を見た。
さっきも、人を書いて飲み込むおまじないも、全然効かなかったしな。
クスクスと椿は笑いながら、俺の肩をポンポンと叩く。
「そうやって、『信じない』って言う人ほど、掛かり易かったりするんですのよ。さ、この炎をよーく見て下さい」
シュボッという音と共に、椿の手に握られたライターが小さな炎を灯した。
「そういうもん? 分かった、やってみる」
半信半疑で、言われるまま、青く燃える炎を見つめる。
椿が低く静かな声色で、俺に言い聞かせてくる。
「あなたはだんだん眠くな~る……眠くな~る……眠くな~る……」
「なんだ……魔法って、催眠術のことか……」
分かっているのに、本当にだんだん眠くなってきた。
まぶたが重くて、目を開けていることが出来なくなり、目を閉じた。
真っ暗な世界の中で、椿の声だけが聞こえてくる。
「あなたは『ブレイカータイガー』どんな演技もこなせる、実力派のベテラン俳優です。そして、新人俳優の桜庭春樹は、あなたのライバルです」
「俺は『ブレイカータイガー』どんな演技もこなせる実力派のベテラン俳優……新人の桜庭は、俺のライバル……」
ぼんやりとした意識の中で、椿の言葉を復唱した。
「さぁ『ブレイカータイガー』! あなたの素晴らしい演技を、世界中に見せつけるのですっ!」
パンッと手を打ち鳴らす音とともに、俺は目覚めた。
そう、俺はベテラン俳優ブレイカータイガーッ!
桜庭春樹は、新進気鋭(しんしんきえい=その世界に飛び込んだばかりの実力未知数の新人)の俺のライバル。
でも、そこはそれ。
大人として、そして先輩として、新人の面倒は見てやんなきゃいけない。
よし、今日も一日、頑張るぞっ!
俺は意気揚々と、スタジオへと向かった。
世話しなく走り回るスタッフ達に、大声で元気に挨拶する。
「おはようございますっ! 本日もよろしくお願いしまーすっ!」
「ご主人様、今日も頑張って下さい」
ご主人様? なんだそれは?
俺の名前は、ブレイカータイガーだ。
聞き覚えのある、生意気なルーキー(rookie=新人)野郎の声を無視して、プロデューサーの元へと近付いていく。
プロデューサーは心配そうな目を、俺に寄越す。
「おはようございます、タイガー。今日は、いけそうですか?」
「今日も絶好調です。この俺に、任せて下さい」
自信満々で言うと、プロデューサーが赤い唇を吊り上げて皮肉たっぷりに笑う。
「あらそう、意気込みは充分ですわね。それが、演技に生かされると良いんですけど?」
「何言ってんだ。俺は実力派のベテラン俳優だぜ? どんな役だって、こなせてみせるさ!」
「はぁ? 何言ってんですか。あなた、演技はからっきしだって、昨日言ってたじゃありませんか」
疑わしげな目を向けるプロデューサーに、俺はフフンと鼻で笑ってみせる。
「そりゃ、昔の話だろ? 俺の演技を見て驚けっ!」
「なんかよく分かりませんけど、頑張って下さいね」
プロデューサーに軽く背中を叩かれて、俺はわざとらしく痛がってみせた。
ふと、俺を見つめる熱い視線に気付いた。
振り向くと、ヤツがいる。
あの憎たらしい、桜庭春樹か。
何が嬉しいのか、ニヤニヤ笑ってやがる。
きっと、俺の演技を盗もうと思ってやがるんだな。
ふん、まぁ好きにするがいいさ。
俺はベテランだから、新人のお前なんかに振り回されたりなんかしない。
桜庭春樹を睨むと、さっさと顔を背けた。
あいつは酷く驚いた顔で、俺を見つめていた。
なんて顔してやがる。
新人だからって、誰もが優しくしてやると思うなよ。
わざと傷ついた振りをして、同情を買おうとしたってダメだ。
ちっとばっかり綺麗な顔してるからって、いい気になんなよっ!
ベテランの俺に掛かれば、どんな演技だってお手の物。
怒るシーンは真剣に怒声を放ち、笑うシーンは時に無邪気に、時に朗らかに笑い、シリアスなシーンはピンと張り詰めた緊張感が漂った。
監督の希望通りの演技をこなし、一度としてNGを出すことなく、撮影はスムーズに終わった。
俺の鬼気迫る(ききせまる=恐ろしいほど真剣な)演技に、プロデューサーもご満悦(まんえつ=満足して喜ぶ)だ。
「昨日の演技が、ウソのようですわ。やれば、出来る人だったんですね! 見直しましたよっ!」
「当たり前だろ。俺は演技派のベテラン俳優だからな」
得意になって胸を張ると、プロデューサーは眉をひそめて苦笑する。
「あ、うん、そう……まぁいいわ。溜まっていたシーンは全部撮れましたし、文句なしの出来でしたわ。今日はここまでにしましょう。お疲れ様でした」
「ああ、お疲れさん。みんなも、疲れたろ。ゆっくり休んで、明日も頑張ろうぜっ」
笑顔で挨拶をすると、スタッフ達もそれに続く。
「タイガーさん、お疲れ様でしたーっ!」
「そちらこそ、お疲れ様でした」
ひらひらと手を振って、俺はスタジオを出て行く。
俺の背中に、誰かが声を掛けてくる。
「スゴいじゃないですかっ! あんなに演技がお上手だなんて、知りませんでしたっ!」
振り返ると、そこには興奮気味の桜庭春樹が立っていた。
なんだ、お前か。
お前にいくら褒められても、ちっとも嬉しくないね。
無表情で冷たい視線を向けると、桜庭春樹は傷付いたような顔をして黙り込む。
その顔を見ると、罪悪感のようなもので、チクリと胸が痛む。
少しイジメすぎたか。
先輩に教えを乞うのも、新人にとっちゃ大事な勉強。
次の世代を育てるのも、ベテランの務め。
まぁ、いいだろう。
俺も大人だ、ベテランの余裕ってヤツを見せつけてやろう。
コーヒーの一杯くらいは、付き合ってやる。
「来いよ」
「は?」
「いいから、ついて来い」
俺が歩き出すと、桜庭春樹は叱られた犬みたいな顔でついてきた。
辿り着いたのは、「シュブニグラス・エンターテインメント」社内にある喫茶店。
テーブルに着くと、桜庭春樹に命令する。
「座れ。奢ってやるから、好きなもん頼め」
「は、はい、ありがとうございます。あ、あの、今日の演技は素晴らしくて、本当に感動しました。僕もあなたを見習って、頑張りたいと思います」
真っ直ぐな目で見つめられて褒められると、悪い気はしない。
俺はふっと、小さく笑う。
「なんだ、生意気な新人野郎かと思ってたけど、結構可愛いとこあんじゃねぇか」
手を伸ばして、桜庭春樹の頭を軽くポンポンと叩いてやった。
ふいに、何かが割れる音がした。
「申し訳ございません、失礼致しました」
「え?」
声がした方へ目を向けると、喫茶店の店員さんが割れたコップを片付けていた。
気が付くと、社内にある喫茶店のテーブル席に、桜庭と向かい合わせで座っていた。
あれ?
俺がはっきりと思い出せるのは、椿に催眠術を掛けられたところまでだ。
それ以降の記憶は、ぼんやりと霞掛かっている。
でも完全に、何も覚えていないという訳ではない。
なんとなく、スタジオで撮影をしたという記憶はある。
まるで、夢でも見ていたかのようだ。
それにしたって、これはどういう状況なんだ?
俺の右手は、桜庭の頭を撫でていた。
桜庭も戸惑いつつも、満更でもない(まんざらでもない=悪くない)顔をしている。
なんだこれ?
とりあえず、右手を引っ込めた。
おい、残念そうな顔をするな、桜庭。
年下の俺に頭撫でられて、嬉しいの?
困惑する俺に、椿がクスクス笑いながら近付いてくる。
「あらあら、魔法が解けたようですわね、ご主人様。ご気分はいかがですか?」
「あ、あぁ……別に悪くはねぇけど」
「うふふっ、それは何より。ご主人様は『ブレイカータイガー』を、演じられていただけですわ」
「そ、そうか、全然覚えてねぇけど……俺、ちゃんと演技出来てたのか?」
「ええ、もちろん。とっても素晴らしい演技で、アタシ、ご主人様に惚れ直してしまいましたわぁ。本放送が楽しみですね♪」
「黒歴史確定になりそうで、スゲェ怖いんだけど……」
そして、不安を抱えて迎えた放送当日。
正義のヒーローを演じる、俺なのに俺じゃない俺に、度肝を抜かれる(どぎもをぬかれる=めちゃくちゃビックリする)こととなる。
少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。