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6/10

大富豪の遺産を継いだせいで悪の組織に命を狙われる俺と、ファッション筋肉(見せ筋)じゃなかった執事達。

筋肉には、「使える筋肉」と「使えない筋肉」がある。

 年始早々、俺は風邪を引いたようだ。

 どうやら、執事達を出し抜いて、こっそり行った初詣はつもうでで、もらってきちまったらしい。

 でもさ、日本人なら初詣くらい行きたいじゃん。

 それも、大富豪としてじゃなくて、大多数の庶民として参拝したかったんだ。

 願いごとはただひとつ、「世界平和」

 あ、しまった。

「執事が、服を着ますように」も、願っておけば良かった。

「あーあーあー……よしっ」

 喉がちょっと痛いってくらいだから、声はいつも通り出る。

 軽く頭が重くて痛むけど、我慢出来ないほどでもない。

 あんま食欲もないけど、腹は減ってるから食えないこともない。

 念の為、鏡で顔色を確認してみたけど、見た目も問題なし。

 うん。これなら、執事達に気付かれることはないだろう。

「風邪を引いた」なんて言ったら、過剰に心配するだろうし。

 無断外出した後ろめたさも手伝って、言うに言えない。

 絶対に、バレないように気を付けなきゃ。

 執事達に風邪をうつしたら可哀想だから、コンビニでマスクを買った。

 マスクをすると、喉の痛みが軽減されて良い感じだ。

 マスクをして戻ると、心配面した五人の全裸執事達が駆け寄ってくる。

 たちまち、肉壁が俺を取り囲んだ。

 うぉう、暑苦しい!

「ご主人様っ! おひとりで、一体どちらへ行かれていたんですか?」

「しかも、マスクをお着けとはっ!」

「あらやだ、まさか、お風邪をお召しになられたのかしらっ?」

「それは大変だっ! 桔梗ききょう君! すぐに、薬の手配をっ!」

「はいっ! 今すぐっ!」

 あーあ……やっぱ思った通り、過剰に心配されちまったな。

 これで「風邪引いた」なんて言おうもんなら、もっと大変なことになるぞ。

 慌てて駆け出そうとする桔梗をとっ捕まえて、必死に言い訳する。

「ちげぇって! 風邪を引かねぇように、買ってきたんだよっ!」

 それを聞いた桔梗が、ポカンとした顔になる。

「あ、予防対策でしたか」

 桜庭さくらばは、心配そうな顔から呆れ顔になる。

「そんな、ご自分でお買いに行かれるなんて。マスクくらい、僕達がご用意しますよ」

「そうねぇ、予防は大事ですもの。でしたら、他にも予防グッズを買い揃えた方が良いわ」

 椿つばきがさもありなんと頷くと、田中も大きく頷く。

「ですね。うがい薬に除菌用アルコール、マスクも多めに購入しましょう」

「そうだね! 私達も風邪を引いて、ご主人様にうつしては大変だ! 私達も、マスクをすることにしようっ!」

「では、ぼくがさっそく買いに行って来ますね。ご主人様、失礼致します」

 執事達はやや安堵した表情になると、桔梗は一礼をして立ち去った。

 どうやら、バレずに済んだみたいだ。

 それに、執事達にもマスクをさせる口実(こうじつ=正当化する理由)を与えることも出来た。

 いや待て、マスクの前に、服を着るのが先だ。

 全裸マスクは、ただの変態だ。

 ってか、お前ら、全裸なのに、なんでそんなに元気なの?

 屋敷の中は冷暖房完備だから、全裸でも寒くはないだろうけどさ。

 そういえば、風の噂で聞いたことある。

 もしかして、フルチン健康法?

 全裸で過ごすことにより、潜在的免疫力を高めるとかなんとかいうアレ。

 俺も全裸で過ごせば、健康的になれるのか?

 いやいや、それはない。

 科学的根拠がない。

 そもそも、「全裸執事」って、おかしいでしょ。

 字面(じづら=字から受ける印象)が、パワーワードだよ。

 先代の主人、ピート・ミッチェルが変態趣味だったせいで、こうなってんじゃねぇか。

 今の主人は、俺だ。

 だったら俺に、主導権があるはずだよな?

 そうだよ、なんで、今までそれに気付かなかったんだ。

 執事が、全裸である必要はない。

 むしろ、着ろ。

 俺は真剣な面持ちで、全裸執事達に向かって口を開く。

「お前らに風邪引かれたら、俺だってお前らが心配するのと同じくらい心配するんだよ。頼むから、服を着てくれないか?」

 俺のお願いを聞いて、全裸の執事達は目を大きく見開いた。

 誰もが驚きのあまり、声も出ないといった表情だった。

 え? そんなに、ビックリすること?

 普通に「服着ろ」っつっただけだぞ。

 ややあって、桜庭の体が小刻みに震え出して、無言で俺に正面から抱き着いた。

 止めろ! 股間が当たるっ!

 今度は、俺が驚く番だった。

「え? え? 何? どうした桜庭?」

「ご主人様! 本当に、あなたという人は、どれだけ優しければ気が済むんですかっ!」

 ものすげぇ近くにある桜庭の顔が、涙でびしょびしょに濡れていた。

 は? なんで泣いてんの?

 なんで、急に泣き出したのか、ワケが分からん。

「はぁ?」

「ご主人様ってば、ホント良い男っ☆」

 背中からは、椿がしなだれかかってきた。

 右横からは橘が、左横からは田中が抱き着いてきて、みっともなくボロボロ男泣きしている。

「ご主人様のお優しさに、私は心から言いたい! 本当にありがとうございますっ!」

「ご主人様っ! ありがとうございます……っ!」

 やべぇ、なんか地雷踏んじゃったっぽい。

 男泣きする全裸野郎共に、前後左右から抱きしめられる図。

 暑苦しさと見苦しさが、ハンパねぇ。

 逃げたくても逃げられない、絶望的状況。

 誰か、助けて。


「へぇ、そうなの? 川崎君も、自己主張の激しい執事達を持って大変だね」

 もう、まるっきり他人事って顔してますよ、部長。

 ここは、部長の執務室。

 出社早々、部長に引っ張り込まれた。

 応接セットに桜庭と一緒に座らせられ、コーヒーとお茶菓子なんて頂いていたりする。

 待遇としてはとても良いのだが、今までと対応が違うと、どうも居心地が悪い。

 俺は上目遣いで、恐る恐る部長に問い掛ける。

「それで、あの~……今日は、なんで俺、呼び出されたんスか?」

「いや、緊張しなくて良いんだよ。別に、叱るつもりはないんだ。近頃、健康状態はどうだい?」

 ニッコニッコの優しい笑みで言われ、何か裏がありそうで怖いんですけど、部長。

 今までが叱られる為に呼び出し食らってたら、どうにも気持ち悪い。

「元気ですよ」と答えて、二カッと笑って身を乗り出した。

 部長は穏やかな笑みで、うんうんと頷く。

「うちの大株主様だもの、元気でいてもらわなくちゃ、困るんだよね」

「ああ、そういうことね……」

 結局は、金かい。

 やだねぇ、金持ってるかどうか基準で、態度をコロッと変えるタイプ。

 部長は自分のデスクの引き出しを開けて、一枚の書類を取り出す。

 それを、俺の目の前にスッと置いた。

 急に真面目な顔付きになって、部長が告げる。

川崎虎河かわさき たいが殿。貴殿きでんは本日を持って、専務取締役(社長補佐として業務にあたる。社長の次に偉い役職)の任に就くことを命じます」

「はぁあああ~? 専務ぅっ?」

 突然の大出世に、俺の声は裏返った。

 いきなり、バイトから専務って、あり得ないだろ。

 部長は大きくひとつ頷くと、続ける。

「と言っても、名ばかりの役職だけどね。ほら、前に言ったでしょ? CEO(最高経営責任者)であったピート・ミッチェル氏の遺産と株を継いだからには、今のまんまの立場ってワケにはいかないって」

「そういえば、そんなこと言ってましたね」

 俺が記憶を手繰り寄せながら頷くと、部長は俺の両肩に手を置く。

「ってことで、今日から川崎君は、専務だから。以後、よろしくね」

「マジっすかぁ~……」

 俺はうんざりと、天を仰いだ。


 いつものように職場に顔を出し、いつものようにみんなと挨拶を交わす。

「おはようございまーすっ!」

「よう、川崎。今日も何かやらかして、部長に呼び出されねぇと良いな」

 中山が俺をからかって、ニヤニヤと笑った。

 俺はいささかムッとして、声を張る。

「しっつれいなヤツだなぁ、そんなに呼び出されてねぇよっ!」

「昨日も出勤早々、呼び出されてたじゃんか。ま~た、悪さしたんだろ?」

「ちっげぇよ! あれはなぁ……っ!」

 言い掛けて、言葉を切った。

 急に黙り込んだ俺に、スタッフ達が不思議そうな目を向けてくる。

「どうした?」

「んー……うんにゃ、なんでもねぇ」

 俺は小さくため息を吐き出して、頭をガシガシと掻いた。

 昨日から、俺は専務になった。

 ミッチェルの遺産を継いだってだけで、急に偉くなっちまった。

 つっても、名ばかりの「なんにも専務」(「何もしない」→「なんにもせん」→「なんにもせんむ」)

 急に、専務の業務に就けって言われたって、出来るワケがない。

 だって、俺、今までただのバイトだったんだぜ。

 部長も、形式上、止むを得ず(やむをえず=仕方がないから)名前だけ、役職を付けただけだって言ってたし。

 いつもの仕事っぷりを見ている部長なら、今の職場にいた方が助かるだろうし。

 大事な仕事を任せられるような人間じゃないって、分かっているんだ。

 そんなワケで、今までと何ら変わることなく、せっせと搬入作業を手伝っている。

 幸い、異動(いどう=地位・勤務・場所などが変わる)辞令は、俺にしか知らされていない。

 その方が、こちらも有り難い。

 別に俺は、偉くなりたかったワケじゃない。

 人からもらった金で昇進したって、嬉しくも何ともねぇ。

 職場の人間は、誰も知らない。

 知らないままでいてくれと、願う。

 今まで通り、等身大の川崎虎河として扱って欲しい。

 もう少し、このままで。 


 仕事を終え、退社して駐車場へ向かっていた時。

 横を歩いていた桜庭が、ふいに足を止めた。

「ご主人様」

「なんだ?」  

 何気なく振り向くと、桜庭が何やら深刻そうな顔をしている。

 俺は急に心配になり、桜庭の顔を覗き込む。

「どうした?」

「ご主人様にとって、僕はなんでしょう?」

「は?」

 真剣な口調で問われて、俺は思わずぽかんとなってしまった。

 俺にとって、桜庭は何か?

 そんなの、分かりきっている。

「桜庭は、執事だろ?」

「兼秘書です。ですが、それだけではありません」

 俺と桜庭は、主人と執事だ。

 執事は、所詮(しょせん=結局のところ)金で雇われているだけの存在。

 金の切れ目が縁の切れ目(金がなくなったら、さようなら)。

 後腐れない(あとくされない=あとには何も残らない)関係だろ?

 俺らは、そういう繋がりしかない。

 それ以上、何があるってんだ?

「何が言いたいの? お前」

「僕は加藤弁護士のように、ご主人様の力になりたいのです。ですが、僕はあなたの側にお仕えすることしか出来ません」

 悔しそうにうつむいて、桜庭は俺の手をぎゅっと握った。

 なんだ、そういうことか。

 コイツは、俺の横で加藤先生の話を聞くことしか出来なかった。

 それが、悔しかったんだろう。

 俺は苦笑して、慰めの言葉を掛ける。

「何言ってんだよ。加藤先生は加藤先生、桜庭は桜庭だろ? 加藤先生は弁護士だし、お前は執事だ。お前は充分、執事として役に立ってるよ」

「ご主人様……」

 桜庭は顔を上げて、強張っていた頬を、少し緩めた。

 その時だった。

 街の雑踏に混ざって、プシュッという小さな音が聞こえた。

 音とほぼ同時に、俺の首の後ろに激痛が走った。

「っぃ……っ!」

「ご主人様っ?」

 俺の変化に気が付いた桜庭が驚きの表情で、戸惑いと心配の混じった声を上げた。

 突然、心臓がバクバクと忙しなく動き出して、鼓動が痛い。

 呼吸をしているのに、空気が入ってこなくて苦しい。

 痛みと苦しさで涙がにじみ、視界がぐにゃりと歪んだ。

 なんだこれ?

 まもなく、全身の力が抜けていく。

 自分の体が重くて、立っていられない。

 崩れ落ちそうになるのを、桜庭が慌てて抱える。

「ご主人様っ!」

 耳鳴りに混ざって、桜庭の必死の叫び声が聞こえた。

 桜庭の声に被るように、複数の足音が聞こえた。

 俺はどうにか頭をもたげて、周りをざっと見回した。

 俺と桜庭を取り囲むように、黒い背広に黒いネクタイをした男達が立っていた。

 怒気をはらんだ荒い口調で、桜庭が鋭く声を張る。

「ご主人様、何をしたっ?」

「ちょっと、薬を打っただけですよ。そのまま放置しておけば、死にますよ」

 静かな声で、ボスらしい中年男が俺らに手を伸べてきた。

 桜庭が絶望に染まった声で、呟く。

「ご主人様が、死……?」

「ええ、間違いなく。彼を助けたければ、大人しく我々についてきて頂けませんか?」

 桜庭は悔しそうに顔をゆがめるとと、怒りを押し殺した低い声で「分かりました」と答えた。

 ボスらしき男は、満足げに頷いて歩き出す。

「よろしい。では、こちらへ。歓迎致しますよ」

 桜庭は動けない俺をお姫様抱っこして、男達の後をついていく。

 コイツら、何が狙いだ?

 まさか、「グレートオールドワン(偉大なる古きもの)」か?

 世界中を暗躍する(あんやく=陰に隠れて、こそこそ悪いことをする)、犯罪組織「グレートオールドワン」

 その実態、規模、目的などは全て謎に包まれている。

 俺がミッチェルの遺産を相続してからの三ヶ月間、

「グレートオールドワン」は、鳴りを潜めていた(なりをひそめていた=思うところがあって、静かにおとなしくしていた)。

 相続しなかった場合、遺産はヤツらに寄贈されることになっていた。

 ヤツらが何を企んでいるかは、分からない。

 生前のミッチェルが、ヤツらとどんな繋がりを持っていたかも不明だ。

 もし、ヤツらがそれだけの活動資金を得たら、何をしでかすか。

 だが、俺が相続したことにより、それは無事回避された。

 もちろん、相続することによって、「グレートオールドワン」に逆恨みされるかもしれないと。

 強い懸念(けねん=良くないことが予測されて、心配に思う)を抱いてはいた。

 まさか、薬物を盛られるという形で実現するとは、思っていなかったけどな。

 ヒドイ風邪を引いた時みたいに、体が重くて節々が痛む。

 呼吸が上手く出来ないからか、目がグルグル回って、頭が痛くて、耳鳴りがする。

 気持ち悪くて、何だか悪寒がするし、手がいやに冷たい。

 警告音のように、心臓がバックンバックンと激しく脈打っている。

 ヤベェな、マジで死ぬかもしんねぇ……。

「ご主人様……」

 俺を抱きかかえた桜庭が、真っ青な顔して情けない声で呟いた。

 周りを取り囲む黒服集団に、ビビり散らかしてんだろう。

 可哀想に、俺のせいで怖い思いをさせちまった。

 俺はムリヤリ笑顔を作って、腹に力の入らない弱々しい声で、桜庭に話し掛ける。

「わりぃ、桜庭……巻き込んじまって……」

「そんな、ご主人様っ。あなたは、何も悪くありませんよ」

 桜庭の顔が、今にも泣き出しそうにゆがむ。

「それより、ご主人様が……」

「心配すんな。俺、結構丈夫だから。そう簡単に、くたばったりしねぇって……」

 精一杯の強がりをして、明るい笑顔を作った。

 いや、作ったつもりだった。

 たぶん引きつった、笑顔には見えない顔だったのだろう。

 桜庭がますます辛そうに、目を伏せた。

 黒服の男達は、桜庭を黒塗りの車へと誘導した。

 ヤーサン(ヤクザ)が乗っていそうな、高そうな真っ黒な車。

 黒服のひとりが後部座席のドアを開けると、ボスと思われる男が先に乗り込んだ。

「川崎さんを、乗せて下さい」

 桜庭は渋々俺を下ろして、後部座席へ座らせた。

 桜庭が続いて乗ろうとしたところ、別の黒服の男に腕を掴まれて止められる。

「執事は、助手席だ」

「なん……だと……?」

 低い声で、桜庭が腕を掴んだ男を睨み付けた。

 余裕綽々(よゆうしゃくしゃく=ゆったりと落ち着いた様子)のボスが、桜庭にニィッと笑い掛ける。

「川崎さんは、大事なお客様です。我々で、丁重(ていちょう=ていねいに扱う)にお招きしなくてはいけませんからね。傷付けることはございませんから、どうぞご安心下さい」

「貴様、いけしゃあしゃあ(憎ったらしいほど、厚かましい)と……」

 桜庭が恨み節を唱えると、ボスは楽しげに目を細める。

「良いんですか? このままでは、川崎さんの命は保障出来ませんよ?」

 悔しそうに小さく呻いた後、桜庭は俺を見た。

 俺は何も言わず、ただひとつ頷いた。

 一瞬、目を見開いた桜庭が黙って頷き返すと、助手席へと乗り込んだ。

 それを確認すると、桜庭を止めた男が俺の横へ座った。

「そうです。大人しくしておいた方が、身の為ですよ」

 含み笑いをしながら、ボスが嬉しそうに言った。

 体が動けば、そのふてぶてしいツラをぶっ飛ばしてやるのにっ!

 どうにか顔を上げて、ボスの顔を睨んでやると、ボスは少し驚いたように笑う。

「おやおや、怖いお顔だ。でも、安静にしていた方が良いですよ。あまり興奮すると、薬の周りが早くなりますから」

 そう言われて「そうですか~。じゃ、安静にしてますね~☆」なんて、言えるハズがない。

 俺は黙って、座席に体をゆだねた。

 走り出した車が、どこへ行くのか。

 それは、ヤツらにしか分からない。

 このまま、三途の川まで連れて行かれるかもしれない。

 そうなったら、ミッチェルの遺産はどうなるんだろう?

 やはり、ヤツらの手中に収まるのだろうか。

 それよりも、桜庭に身の危険はないのか?

 せめて、桜庭だけは安全に返してやりたい。

 例え、俺が死んだとしても、桜庭には手を出さないでくれ。

 車が走り出してしばらくすると、俺の左横に座っていたボスが、俺を挟んで右に座っている男に声を掛ける。 

「おい」

「はい」

 俺の横に座っていた男が、助手席に座っていた桜庭の背後から、黒い帯で目隠しをした。

「我々のアジトを知られては、困りますんでね。しばらくの間、目をつぶっていて下さい」

「く……っ!」

 悔しそうな声を漏らしたが、桜庭は抵抗しなかった。

 俺は元々薬物を盛られて動けないから、されるがまま視界を奪われた。

 目隠しなんてされなくたって、気持ち悪くてずっと目を閉じていたから、意味ないんだけどな。

 頭をグルングルンシェイクされて、心臓はバクバクと早鐘を打ってるし(はやがねをうつ=激しく鼓動する)、内臓がせり上がる感覚がして、気持ち悪い。

 忙しなく浅い呼吸を繰り返すが、苦しさは改善されない。

「ご主人様……」

 何度も切なそうな声で、桜庭が俺を呼ぶ。

 ああ、ごめんな、さくらちゃん。

 きっと、囚われた上に視界まで奪われて、不安でたまらないんだろう。

 俺以外呼べる名前がないから、繰り返し俺を呼ぶ。

 助けてやりたいのに、助けてやれない。

 何も出来ない自分が、本当に嫌で嫌で仕方がない。

 俺は無力だ。


 それから、どれくらい時間が経ったのか。

 時間の感覚すらマヒしてしまっている俺には、分からない。

 車が停まると、俺は横に座っていた男に車から引きずり出された。

 目隠しされているし、動けないから、男に俵担ぎ(たわらかつぎ=肩の上に乗せて運ぶ)にされた。

 頭が下がって左右に揺れるから、頭に血が昇って気持ち悪さ倍増。

 リバースしなかったことを、誰か褒めて欲しい。

 その状態でどこかへ運ばれ、柔らかい何かの上に横たわらせられた。

 ようやく落ち着いて横になれて、俺は大きく安堵の息を吐き出した。

 でも、体調は何も変わらない。

 むしろ、悪くなる一方だ。

 そっと目隠しが外されると、眩しいくらいの光が飛び込んでくる。

 同時に、桜庭の顔がドアップになった。

 どうやら、目隠しを外してくれたのは、桜庭らしい。

 ざっと周りを見渡すと、どうやらここは応接室らしい。

 真っ赤な絨毯に、キラキラ輝くシャンデリア。

 俺が寝かされているのは、柔らかなソファだったようだ。

 確かに、贅沢な応接室だが、ミッチェルの豪邸よりは遥かに劣る。

 もっとも、ミッチェルの豪邸が、異常なんだけどな。

 俺は弱々しいかすれ声で、どうにか桜庭の名を音にした。

 すると桜庭は少しだけ、口に笑みを浮かべた。

「ご安心下さい、ご主人様。あなたのお側には、僕が付いています。絶対に、あなたを死なせはしません」

 そんなこと言ったって、俺に金がなくなったら、お前は離れていくだろ。

 茶番なんて、しなくて良いんだよ、桜庭。

 でも、その場限りのウソだと分かっていても、嬉しいよ。

 毒のせいか、死ぬ間際だからか、涙腺が崩壊した。

 鼻と目の奥が熱くなり、ボロボロと涙が溢れた。

 俺に釣られたのか、桜庭も静かに涙を流した。

 超絶美が泣く姿は、それはそれは美しかった。

 俺の為に泣いてくれているかと思うと、いたたまれない気持ちになった。

「感動シーンを壊すようで、申し訳ないんですがね。交渉に移らせて頂いて、よろしいでしょうか?」

 小バカにするようなボスの笑い声が、雰囲気をぶち壊しにした。

 桜庭の顔が、鬼神のごとく怒りに染まり、憎々しげに呟く。

「貴様……」

「早く交渉しないと、川崎さんがお亡くなりになってしまいますからね」

 口元に薄く笑みを浮かべ、ボスが向かいのソファに腰掛ける。

 悪者特有のイヤな笑い方だ。

 喋れない俺に代わり、桜庭が低い声で問い質す(といただす)。

「貴様ら、ご主人様をこんな目に遭わせて、何が狙いだ?」

「何、簡単なことですよ。ピート・ミッチェルの財産を、こちらへ渡して頂きたい」

「なん……だと……?」

 桜庭が、憎々しげに聞き返した。

 ボスは小さく鼻で笑い、上から目線の腹立つ喋り方をする。

「本来、ミッチェルの遺産は、我々のものですよ。川崎さん、あなたさえいなければ、こんなことにはなりませんでした」

 口調をガラリと変えて、不愉快そうな声でボスは続ける。

「ミッチェルのヤツが、何をトチ狂ったのか。あなたに相続すると決めたと知った時には、耳を疑いましたよ。なんで、そんなことになったんだろうかとね」

 それは、こっちのセリフだ。

 俺だって、遺産相続の話を聞いた時は、色んな意味で耳を疑ったわ。

 ボスはため息を吐き出すと、口調を元の偉そうなものに戻す。

「まぁ、ミッチェルがいなくなった今、その遺産を誰がどう使おうと、文句を言われることはありません」

「やはり、貴様ら、『グレートオールドワン』かっ!」

 桜庭が怒声を放つが、ボスは涼しい顔で頷く。

「ええ、お察しの通り。ですから、大人しく我々にお返し下さい」

「誰が、貴様らなんぞに、ミッチェル様の財産を渡すものかっ!」

「おやおや、お宅の番犬はずいぶん気性が荒いようだ。でも、その番犬も金で雇われているのでしょう? もうすぐお別れですから、そんなに怒らなくて良いのではありませんか?」

 含み笑いをしながら言うボスに、桜庭は吼える。

「うるさい! 僕がご主人様から離れることなど、絶対にないっ!」

「へぇ? 川崎さんはこれから、ミッチェルの財産を失い、元の一般人に戻るというのに?」

 楽しそうな色に染まったボスが問うと、桜庭は俺にとって意外な言葉を口にする。

「もし、対等な立場になったとしたら、僕は虎河さんと友達になりたいっ!」

 お前は、俺と友達になりたいと思っていたのか。

 金だけの関係だと思っていたのは、俺だけだったのか。

 ボスらしき男が、くつくつと喉の奥で笑う。

「ほう、交渉決裂ですか。でも、良ろしいのですか? このままでは、川崎さんは死にますよ?」

「それ、は……っ」

 何も出来ない俺を見下ろして、桜庭は悔しそうにうめいた。

 そこで、頭の悪い俺でも、ようやく気付いた。

 素直に交渉に応じたら、ミッチェルの財産はヤツらの物。

 俺が死んでも、財産はヤツらの物になる。

 どっちに転んでも、変わらない。

 元から、ヤツらに有利な取引だったんだ。

「グレートオールドワン」は、桜庭にとって親の仇だから、絶対に譲らない。

 ってことは、つまり……。

「あ、これ、俺、死んだわ」と諦めた、その時。

 応接室の扉の向こうが、急に騒がしくなった。

 大勢の男達の雄叫びや悲鳴、殴る蹴るの鈍い音、拳銃の発射音、何かが壊れる派手な音が聞こえてきた。

「なっ? なんだっ?」

 応接室にいた全員が、音がする方向へ視線を向けた。

 ややあって、応接室の扉が大きく開け放たれた。

「ご主人様! ご無事ですかっ?」

「助けに上がりましたっ!」

 現れたのは、四人の執事。

 執事達を見たボスや黒服達が、ドヨめく。

「何だ、お前らはっ?」

「どうしてここがっ?」

「おかしな格好しやがってっ!」

「コスプレ野郎どもが、何しにきやがったっ?」

「ここは、イベント会場じゃねぇぞっ!」

 的確なツッコミありがとう、黒服の皆さん。

 場違いな格好なのは、俺も認める。

 すみません、あれ、お恥ずかしながら、うちの執事です。

「服を着ろ」っつったら、何故か急にコスプレにハマり出して、俺も迷惑しているんです。

 椿つばきが満面の笑みで、バチン☆と、ウィンクひとつ。

「あらぁ、アタシ達を舐めてもらっちゃ困るわぁ。こんなこともあろうかと、ご主人様のお洋服には、発信機と盗聴器とカメラが仕込んでありましたの♪」

 うわ、マジか。

 じゃあ、今までの会話も、全部筒抜けだったってことかよ。

 それって、プライバシー侵害にならないの?

 いや、今は、そのお陰で助かったんだけど。

「お前らの悪事も、ここまでだっ! さぁ、中和剤を渡してもらおうかっ!」

 ビシッとボスを指差したたちばなが、良く通る声で言い放った。

 それを聞いたボスが、豪快に笑い始める。

「ふはははははは……っ! 中和剤なんてものは、元からありませんよっ! 川崎さんには、最初から死んでもらう計画だったんですからねっ!」

「えっ?」

 今まで勝機(しょうき=勝てるチャンス)を掴んでいた執事達が、一斉に蒼褪あおざめて固まった。

 高らかに笑いながら、ボスは続ける。

「川崎さんが死ねば、金は我々のものですっ! 交渉なんて、意味がなかったのですよっ!」

「そんな……ご主人様が死ぬだなんて……」

 桜庭は絶望に打ちひしがれて、がっくりとうな垂れた。

 肩を落とした桜庭に桔梗が近付き、慰めるように優しく声を掛ける。

「諦めないで下さい、桜庭さん。ぼくが、何とかしてみます」

「桔梗さん……」

 悲壮感に彩られた桜庭の顔に、少しの希望が浮かんだ。

 桔梗はにっこりと微笑んで力強く頷くと、執事達に声を張る。

「ご主人様を、何としてもお助けします! 皆さん、道を開けて下さいっ!」

「もちろん!」

「任せてちょうだいっ!」

「ご主人様を、お願いしますっ!」

 橘と椿と田中が、威勢良く返事をして銃を構えた。

 どこで手に入れたんだ、その拳銃。

 いや、きっと黒服を倒して奪ったのだろう。

「させるかっ!」

 応接室に控えていた黒服達が、怒声と共に拳銃を取り出して、銃口をこちらへ向けた。

 桔梗の細い体で、どこにそんな力があったのかと思う力で、重厚なテーブルを引き倒し、即席の防壁とした。

 橘と椿と田中を残し、俺を抱えた桜庭と桔梗が応接室を飛び出す。

 廊下には、幾人もの黒服達が呻きながら倒れていた。

 倒れている黒服達を見て、俺はどうにか声を絞り出して、桔梗に問う。

「これ全部、お前らが?」

「これでもぼくらは、それなりに経験を積んでいますからね。壊滅とまではいきませんが、特攻を仕掛けるくらいは出来ますよ」

 少し得意げに、桔梗が笑った。

 執事達は全員、鍛え上げられた良い体してるもんな。

 あれは「見せ筋(みせきん=見せかけの筋肉。ボディビルダーの筋肉は、実用性のないファッション筋肉)」じゃなかったのか。

 それなりに金と権力を持っていると命を狙われるから、執事達がSP(Security Police=要人警護任務に専従する警察官)の役割も担っているのか。

 外へ出て、桔梗が黒塗りの車を奪って運転席へ乗り込むと、桜庭も俺を抱えたまま後部座席へ乗り込んだ。

 車が走り出すと、桜庭が必死に俺に話し掛けてくる。

「ご主人様、あと少しの辛抱ですからね」

 俺は口を開いたが、もう声は出なかった。

 桜庭の呼び掛けに、答えることは叶わなかった。

 全身痛くて苦しくて、目を開けているだけでやっとだ。

 助かった……のか?

 でも、中和剤ないんだろ?

 だったら、もうダメなんじゃない?

 部分麻酔を掛けられた時みたいに、体の感覚がなくなっていく。

 猛烈な睡魔が襲ってきて、眠ったら死ぬと悟った。

 ああ、そうか。

 俺、もうすぐ死ぬんだ。

 この三か月は、人生のあらゆる出来事を凝縮したみたいな目まぐるしい日々だった。

 執事達と過ごした日々は、色んな意味で忘れられないよ。

 そんなことを考えていたら、いつの間にか意識がなくなった。

少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。

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