大富豪の遺産で施すことは正義でないと悟った俺と、清々しいほど残念なイケメンの全裸の執事達。
上か下か右か左か。
チンポジとは、チンコが股間にある限り、安息の地を探し求め続ける悠久の課題である。
クリスマスの翌朝。
俺の朝は、全裸執事に挟まれた状態から始まる。
なんで、毎朝、最悪な気分で目覚めなければならないのか。
「おはようございます、ご主人様」
「おはよう、桜庭……ってか、足を絡めてくるな、足をっ」
起きて早々、足をジタバタと動かす。
左隣を陣取っている桜庭は、いつも俺が寝ている間に足を絡めてくるんだ。
「これは、失礼致しました」
律儀に謝ってくるけど、コイツ、形だけ謝ってるだけなんだよ。
本当に反省してたら、二度と足絡めてこないはずだからな。
ただの寝相だとしても、足を絡められるこっちは、ひたすら気持ち悪い。
一方、右隣の桔梗は、俺の右腕を枕代わりにしてて、右腕が痺れて重い。
これも、いつものこととなりつつある。
しかし、いつもと違うところが、ひとつあった。
いつもなら、桔梗を抱き枕にしている橘の姿が見えない。
「おはようございます! ご主人様っ! やや? こんなところにサンタさんから、クリスマスプレゼントが届いていますよ?」
橘がワザとらしいオーバーアクションで、声を張り上げた。
見ているこっちが、恥ずかしくなるレベルの棒演技。
ヘタクソか。
ベッドの近くに立っている橘の横には、クリスマス仕様の包装紙に包まれた箱が置かれていた。
「何だ? クリスマスプレゼント?」
俺が起き上がると、横にいた桜庭と桔梗も起き上がる。
「良かったですね、ご主人様。サンタクロースからの、プレゼントですよ」
「ご主人様が、良いことをたくさんなさったから、サンタさんからのご褒美ですよ、きっとっ」
桜庭と桔梗が嬉しそうに、ニコニコしている。
お前ら、演技ヘタすぎんか。
誰が考えたんだ、この茶番劇。
はっはぁ~ん、分かったぞ。
これは、サンタと銘打った執事達からのプレゼントだな。
そういうことなら、乗ってやらないこともない。
「へぇ~、大人になっても、良いことしたらサンタさんが来てくれるんだなぁ~っ」
俺は出来る限り明るい声を出して、プレゼントを手に取る。
人のこと言えない棒演技だけど、今はこれが精一杯。
起きて早々、この茶番にノッてやってるだけ、ありがたいと思え。
「これ、俺が開けて良いのかな?」
「もちろんですっ!」
全裸執事達が声を揃えて、大きく頷いた。
「早く開けて欲しくて、仕方がない!」と、顔に書いてある。
可愛いヤツらめ。
箱を持った感じ、見た目よりも軽い。
外法(がいすん=幅×高さ×奥行)は、323×95×225mmといったところか。
軽くゆすっても、物が動く感覚がないし、音もしないから、中身は服かな?
俺、普段、大道具とか小道具の搬入作業を手伝ってるから、持っただけでだいたい分かる。
箱には、カードが一枚貼り付けてある。
カードには「親愛なるブレイカータイガー様」と、書かれてあった。
「ブレイカータイガー」の正体を知っているのは、執事達だけ。
もう、お前らの仕業だって、バレバレじゃねぇか。
肝心なところが抜けている、アホアホ執事達だ。
アホを揃えたのも、ミッチェルの趣味かな。
見た目重視で、中身は二の次だったのかも。
むしろ、執事選考面接で、アホかどうかを調べるテストとかあったりして。
ミッチェルは、残念なイケメンが趣味だったのかもしれない。
「アホの子が好き」って人は、一定層いるもんな。
人それぞれ好みは違うし、人には言えない趣味があっても別におかしくない。
趣味なんだから、好きにしろよと思う。
でも、お前のせいで、俺は散々苦労させられてるぞ、ミッチェル。
それはさておき、開けてみるか。
綺麗に結ばれていた金色のリボンを解き、クリスマス模様に彩られた包装紙を剥がす。
こういう包装紙はもったいなくて破きたくないから、セロハンテープをそ~っと丁寧に剥がしたくなる。
もっとも、包装紙を取っといたところで、別に何に使うって訳でもないんだけどさ。
すると、いかにも「高いものが入っていますよ」って感じの白い箱が現れる。
箱の中には、高級ブランドのスーツが一式入っていた。
こんな御大層なもん、もったいなくって着られねぇよ。
でも、ご主人様には立場にあったスーツを着て欲しいっていう、執事達の願いなんだろうな。
せっかくの好意だ、ありがたく頂戴(ちょうだい=もらう)するとしよう。
笑顔を浮かべて、執事達にお礼を言う。
「プレゼントありがとう、みんな」
「どういたしまして!」
もう「どういたして」っつっちゃったら、お前らからって確定じゃん。
このアホアホ執事どもめ。
「もしよろしければ、こちらをお召しになられてはいかがでしょう?」
「このスーツをお召しになられたご主人様が、ぜひとも見たいです」
「きっと、似合います」
三人から期待に満ちた目で見つめられて、俺はたじろぐ。
うぅ、そんなキラキラした目で、俺を見ないでくれ。
そんなに期待されたら、着るしかないじゃないか。
「わ、分かった。試着してみる」
俺が答えると、三人は嬉しそうに顔を明るくする。
「それでは、お召し替えのお手伝いをさせて頂きますね」
桜庭が言うやいなや、三人に取り囲まれて、四本の腕が伸びてくる。
「失礼します」
「わわっ?」
桔梗がパジャマのズボンとパンツを同時に下ろし、桜庭が上を脱がしていく。
橘は、俺から脱がしたパジャマを、脱衣カゴに集めていく。
あっという間に、俺も全裸に剥かれる。
全裸の野郎が、四人になった。
何この図? 誰が得をするのっ?
「いやいや、自分で着替えられるからっ! それに、桔梗! お前、なんでパンツまで脱がしたよっ?」
しゃがみ込んで、俺の脱ぎたてパンツを握り締めている桔梗に怒声を張った。
桔梗は下からのアングルで、おずおずと俺を見上げる。
視界の先に自分の股間が見えて、ちょっと目を逸らした。
「え? だって、お召し替えになられるんですよね?」
「いやいや、着替えるにしても、普通、パンツは穿いとくよね?」
俺が顔を引きつらせつつ苦笑すると、何故か桜庭がすり寄ってくる。
「でしたら、新しい下着を着ければ良いではありませんか」
「桜庭、やめろ、くっ付くんじゃねぇっ!」
背筋がぞぞぞっと寒くなり、一気に全身に鳥肌が立った。
執事達は、何故かスキンシップが激しい。
いちいち距離が近いし、ベタベタ触ってくる。
執事って、そういうもんなの?
他に執事という人に会ったことがないから、比べようがない。
「こういうものです」って言われたら、それまでなんだけどさ。
どうも、この近すぎる距離感に慣れないんだよね。
桜庭にスルリと腹を撫でられて、くすぐったくって身をよじる。
「うわっ、俺、くすぐられんの弱ぇから、腹触んの、止めてっ!」
「いつもたくさんお召し上がりになられるのに、よく体型を維持続けていらっしゃいますね」
「まぁ、俺、力仕事やってっし、あちこち走り回ってるからな。飲み食いしても、代謝されんのよ」
これは、ちょっとした自慢だ。
甘党(あまとう=甘いもの好き)の大喰らい(いっぱい食べる)なのに、全然太らないんだよね。
太りにくい体質でもあるんだけどな。
出来れば、筋肉が付きやすい体質だったら良かったのに。
なんでか、上半身と下半身で、筋肉の付き方がアンバランスでさ。
腕とか腹とかには筋肉が付いてんだけど、下半身は割とヒョロヒョロなんだよ。
鍛え方が悪いのかなぁ。
「ご主人様は背も高くていらっしゃるし、羨ましい限りです」
桔梗が、俺の足からパンツを抜き取ったパンツを、握り締めながらニコニコ笑った。
人の脱ぎたてパンツを握り締めて微笑む、美少女のように可愛い美少年って、どうよ?
一歩間違えば変態だぞ、今のお前。
いや、どうあがいても変態。
いくら美少年でも、それは許されんよ、それは。
コイツも大概、残念だよなぁ。
橘が桔梗の手からサッとパンツを取り上げて、脱衣カゴへ入れた。
そして、用意してあったらしい俺のパンツを、桔梗に差し出す。
「桔梗君、早くご主人様にパンツを穿かせて差し上げてあげて。いくらご主人様が肉体美でも、お体を冷やされてはいけないよ」
「は、はい。すみません、橘さんっ」
橘にいさめられた桔梗は、慌ててパンツを受け取り、にっこり笑って俺を見上げる。
「ご主人様の下着は、ぼくがひとつひとつ丁寧にアイロンを掛けておきました。どうぞ、お穿き下さい」
「え? パンツに、アイロン掛けたの?」
「はいっ」
俺が聞き返すと、桔梗は笑顔で大きく頷いた。
いや、パンツにアイロンは掛けねぇだろ、普通。
だって、ズボン穿いたら、見えなくなっちゃうじゃん。
ぶっちゃけ、どんなパンツ穿いてたって、関係ないと思うんだけど。
ややドン引きしつつ、桔梗の手からパンツを抜き取る。
「あ、ありがとな。でも、パンツくらいは自分で穿けるし、ほら、その、チンポジ(チンコポジションの略。男は常に、納まりの良い安定の場所を探し続けているのだっ!)も……な?」
「でしたら、ぼく、ご主人様のチンポジも覚えますっ!」
真剣に訴えてこられても、困るんだけど、チンポジ。
覚えられてもイヤだよ、俺のチンポジ。
女性には分からないだろうけど、チンポジは男にとって死活問題なんだ。
人それぞれ、形や大きさが違うから、収まりの良い位置は人によって異なる。
しかし、チンポジは、時と状況によってズレてしまう。
チンポジがズレると、モノスゴく気持ちが悪い。
ズレてしまったら、なるべく周囲に気付かれないように、位置を調整する。
それを「ご主人様、今、チンポジがズレました」って、人様に指摘されて直される俺の気持ちも考えろよっ?
「アンタ達ー、今日は起きてるーっ? って、フワァォッ☆」
そこへ、勢いよく扉を開けた椿が、全裸の俺を見て何故か歓声(かんせい=喜びの声)を上げた。
「ちょっとアンタ達! 朝っぱらからご主人様をひん剥いて、何しようっていうのっ? ひょっとして、乱交パーティー? そんな楽しそうなことなら、アタシも混ぜなさいよっ!」
いやいや、全然違うから!
恐ろしい勘違いするの、止めろっ!
椿が鼻息荒く、興奮気味でドンドン近付いてくる。
全裸の巨人が、必死の形相で迫り来る光景は、かなり怖い。
やめろ、こっち来んなっ!
慌てて両手を左右に大きく振りながら、全力で否定する。
「違ぇ(ちっげぇ)よっ! 何をどう見たら、そんな勘違いが出来るんだよっ?」
「あらぁ、違ったんですの? でもこの状況を見て、勘違いしない方がおかしいと思いません?」
残念そうな顔で、椿が俺らを指差す。
この状況?
俺は首を傾げつつ、周りを見渡す。
全裸の橘が、俺の服が入った脱衣籠を持っている。
うん、これは別におかしくない。
全裸だけど。
全裸の桔梗が、俺の足元でしゃがみ込んでいる。
顔が股間に近いから、角度によってはヤバイ状態に見えるかもしんねぇ……。
全裸だし。
しかも、桜庭が俺の背中にぴったりと張り付いている。
全裸で。
直に人肌が触れる感触が、気持ち悪い。
って、おい。
桜庭、お前、なんで勃ってんだっ?
やっぱり、ミッチェルとそういう関係だったのかっ?
やめて! そういう関係を、俺に求めないでっ!
いや、待て、落ち着け!
冷静に考えるんだ、川崎虎河っ!
これは、きっと朝立ちだ。
男なら誰しも起こる、生理現象。
たぶんそうだっ、絶対そうだ! そうじゃなきゃヤダッ!
動揺しつつ、俺は椿にしどろもどろに説明する。
「お、俺はだな、ただ着替えしてただけだ。『ひとりでできるもん』っつったのに、コイツらが手ぇ出してきたんだよ」
「あらまぁ、そうだったんですか? ですが、ご主人様のお召し替えをお手伝いするのも、アタシ達執事の仕事ですもの。お手伝いさせてあげて下さいな」
バチンッとウィンク付きで椿に言われて、俺は「あ」と小さく声をもらした。
そうか、主人の世話をするのが、執事の仕事だもんな。
仕事なら、仕方がない。
でも、パンツくらいは、自分で穿かせろ。
いつものように出勤すると、職場の仲間達と新年の挨拶を交わす。
「明けましておめでとうございまーすっ!」
「A HAPPY NEW YEAR!」
「今年もよろしくーっ!」
しばらくすると、従業員は一ヵ所に集められて、姿勢を正して整列する。
事業部部長が皆の前に立つと、新年の口上(こうじょう=型通りの挨拶)を述べ始める。
「皆さん、新年明けましておめでとうございます。本年も、何とぞよろしくお願い申し上げます……――」
相変わらず、部長の口上は長い。
良くもまぁ、それだけ語る話があるもんだ。
感心しつつもうんざりしながら、俺は部長の話を聞き流した。
長い口上が終わると、部長は俺の横へ来て、こそっと耳打ちする。
「川崎君、新年早々悪いんだけど、ちょっと来てくれる?」
「え? はい」
呼ばれるまま、俺は部長に付いて行った。
執務室に入ると、部長はいそいそと、お茶の準備を始める。
「川崎君、そこ、どうぞ座って」
「え? あ、はい。座って良いんだったら、座りますけど」
「ちょっと待ってね。今、お茶を用意するから」
俺はワケも分からず、促されるまま応接セットのソファに腰掛けた。
いつもなら、立ったままでいさせるはずなのに。
珍しいこともあるもんだ。
俺が座っていると、来客用の湯飲み茶碗が目の前に置かれた。
部長も自分のカップを持ってくると、俺と向かい合って座ってにっこり笑う。
「はい。安物の日本茶だけど、良かったら飲んで」
今までとはあまりにも違う待遇に、俺は目を白黒させた。
「ど、どうしたんですか? 部長」
「どうもこうも。だって川崎君は、我が社の大株主様だからね。丁重(ていちょう=礼儀正しくていねいに)に、もてなさなくっちゃ」
「は、はぁ……」
そういうことか。
金があるっていうだけで、人間はこれだけ目の色を変えるものなのか。
以前は、スゲェ説教垂れる人で、しかめっ面しか見たことなかったぞ。
なのに、今日の部長ときたら、超笑顔で、猫撫で声で話し掛けてくる。
やたら愛想笑いしてくる部長が、気持ち悪くてドン引き。
「あ、ごめんごめん。お茶菓子も、あった方が良かったかな?」
「い、いえ。お茶だけで、十分です。それで、俺を呼んだのは、何か用があったんじゃないんですか?」
「うん。実はねぇ、川崎君の立場をどうしようかって話が出てるんだよ」
「立場?」
ひとつ頷くと、部長は続ける。
「だって、我が社の大株主でCEO(Chief Executive Officer=最高経営責任者)であった、ミッチェル氏の跡を継いだんだから。今のままってワケには、いかないでしょ?」
「俺はこのまんまで、全然構わないんすけど」
「川崎君が良くても、こっちは良くないの」
「は、はぁ……」
俺が気のない返事をすると、部長はお茶を一口飲んで続ける。
「しばらくは今まで通り、お仕事してもらうけど。これから、検討会議があるんだよ。川崎君の立場をどうすべきかを、話し合う予定になっている。決定次第、辞令を出すから、よろしくね」
「分かりました」
「あ、そうそう。これは今の時点では、秘密裏でお願いね」
口の前に人差し指を立てて、部長は小声で言った。
「はい」
俺は小さく頷いて、お茶を飲み干すと、執務室を後にした。
いや、部屋を出ようとしたら、扉にゴンッと何かがブチ当たった。
扉の向こうから、桜庭の痛そうな声がする。
「痛いです、ご主人様」
「あ、ごめん、桜庭」
っつーか、お前、扉に聞き耳立ててたな?
執務室の極秘情報を盗聴するとか、犯罪だぞ。
もういい加減、警察呼ばれるぞ、お前。
昼休みのチャイムが鳴るまで、あと少しと迫ったところで、中山に声を掛けられる。
「おい、お前に、客が来てんぞ」
「は? 客?」
俺は作業の手を止めて、倉庫の入り口へ目を向ける。
そこには、相変わらず不健康そうな青白い顔をした、弁護士先生が立っていた。
立ち上がり、そちらへ駆け寄って声を掛ける。
「加藤先生じゃないですかっ」
「お久し振りです、川崎さん」
「はい、お久し振りですね」
俺はペコペコ頭を下げて、愛想笑いを浮かべた。
加藤先生は、以前、相続手続きでお世話になった人だ。
そういえば、あれ以来、会ってなかったな。
実は俺、この人が苦手で、どうにも頭が上がらない(あたまがあがらない=負い目や弱みがあって、とても対等に振舞えない)。
「もしよろしければ、これからお食事でもご一緒して頂けませんか?」
「はい、構いませんよ」
「それは良かった。少々、お話ししたいことがありましてね」
加藤先生が、意味ありげに口角(こうかく=口の端)を吊り上げた。
その笑い方が不気味で、俺は思わず顔をしかめる。
「話したいことって、なんですか?」
「まずは、食事をしましょう。ああ、そこの執事さんもご一緒に」
クスリと小さく笑いながら、加藤先生が桜庭にも声を掛けた。
ストーカーのように扉に張り付いていた桜庭が、こちらへ近付きながら、取り繕うように礼をする。
「では、ご相伴に与からせて頂きます(しょうばんにあずかる=一緒に飲食をする)」
昼食後、俺と桜庭は、加藤先生の法律相談事務所へ案内された。
奥の相談室へ通されると、加藤先生が静かな口調で語り掛けてくる。
「単刀直入(たんとうちょくにゅう=前置きをなしに、直接本題に入る)にお聞きします。世間を賑わす『正義のヒーローブレイカータイガー』の正体は、あなたでしょう?」
いきなり正体を暴かれて、ビクッと体を跳ねさせる。
「な、なんでバレたんすか?」
「すぐ分かりますよ。もっとも、事情を知っている私だから、分かり得たと申しましょうか」
意味深長な笑みを浮かべる加藤先生に、俺は寒気を覚えた。
そう、この人なら、すぐ分かることだ。
莫大な遺産を受け継いだのを知っているし、俺が世界を変えたいと思っているのも知っている。
冷笑(れいしょう=バカにしたように笑う)とも見える顔付きで、加藤先生が続ける。
「バラ撒きによって、人々を救う。人からもらった金の力に物を言わせて、ヒーロー気取り。それが、あなたの『正義』ですか?」
その言葉に、心臓がワシづかみにされたような衝撃を受けて、息を呑んだ。
次の瞬間、横にいる桜庭が烈火のごとく怒り、加藤先生に食って掛かる。
「ご主人様を、侮辱(ぶじょく=相手をバカにして、ヒドい扱いをする)する気ですかっ?」
桜庭の激昂(げっこう=むっちゃ怒って興奮する)に、加藤先生は少し驚いたようだった。
しかし、すぐ元の冷然たる態度に戻り、なだめるように声を和らげる。
「いえいえ、侮辱したつもりはありませんよ。ただ、私の見解(けんかい=物事の考え方や、価値観)を申し上げたに過ぎません」
「僕には、そうは聞こえませんでしたが」
加藤先生をにらみ付け、怒りをあらわにする桜庭を、俺はまぁまぁとなだめる。
「おい、桜庭。ちょっと落ち着けよ。加藤先生は、悪気があって言ったんじゃない……と、思うぞ?」
「なんで、疑問系なんですか。それに、悪気がなければ、何を言っても良いというものでもありません」
若干怒りを沈めた桜庭が、不服そうに俺に返した。
すると加藤先生が、くつくつと喉の奥で笑う。
悪者っぽい、イヤな笑い方だ。
「『ブレイカータイガー』は、今やみんなの希望です。あなたの正義で、世界は変わろうとしています。ですが、それはまだ始まったばかり」
「何が言いたいんですか?」
小バカにするような口調に、少しイラ立つ。
加藤先生は、スッと顔から笑みを消す。
「莫大な遺産、それも限りがあります。その『有限の正義』で、一体どこまでやれるのか。ただそれだけを、私は知りたいのです」
加藤先生は、淡々と続ける。
「人に施しを与えるだけなら、子供にだって出来ますよ。それくらいで『正義』を語られては、『正義』という言葉に失礼というもの」
「俺のやっていることは、『正義』でないと?」
聞き返すと、加藤先生はゆっくりとした動きで、首を横に振る。
「『正義』とは、何か。それは、何かを勝ち取って、良い結果が出た時のみ許される言葉」
加藤先生の話は、回りくどくて分かりにくい。
ちょっと、自分の世界に酔っちゃってる。
俺は若干引きつつも、それでもツッコめる状況ではないと思って、大人しく話を聞き続ける。
「バラ撒きは、人に甘えを生み出します。与えられることを覚えた人間は、卑しくなり堕落する。そしてそれは同時に、あなたを苦しめることになる。これは『正義』ではない。むしろ『悪』です」
「俺が『悪』だって、言うんですかっ?」
善意の寄付が「悪」と言われちゃ、黙ってられない。
横に座っている桜庭も、怒りに打ち震えている。
「どういうことですかっ? 聞き捨てなりませんっ!」
明らかな冷笑を浮かべて、加藤先生は静かに口を開く。
「おふたりとも、よくよくお分かりになっていないようだ。では……」
加藤先生はメモ帳を一枚取り、ペンで□や○を書き込んでいく。
「法人に一度でも振り込みで寄付をすると、次回からあなた宛てに寄付を求める振り込み用紙を送り付けてくるようになります。彼らにとって、あなたは立派な金づるです」
「金づる……」
「『歳末助け合い募金』だの、『支援強化期間』だのと銘打って、事あるごとに寄付を求めてくるでしょう」
俺が今、一番見られたくない目がそれだ。
何故、人は金を持っているかどうかで、その人の価値を見極めようとするのだろう?
何故、金を持っているというだけで、妬まれるのだろう?
人は俺を俺として見ない、金づるとして俺を見る。
そんな目で、俺を見るなっ!
俺は頭を垂れ、大きく歪めた顔を両手で覆った。
そんな俺に構わず、少し声のテンションを上げて、加藤先生は話を続ける。
「クリスマスに、児童養護施設へクリスマスプレゼントと寄付金を送られましたよね」
プレゼントを抱えて、幼い女の子が嬉しそうに笑う姿は、心をほっこり温かくしてくれた。
守りたい、あの笑顔。
それを思い出して、俺は笑みを取り戻して顔を上げる。
「はい。みんな、喜んでくれました」
「ですが、その喜びも、絶望に変わります」
加藤先生は、ワザと怒りを買う喋り方をしているような気がしてならない。
俺はぐっと怒りを抑えて、加藤先生に問い掛ける。
「絶望に変わるって、どういうことですか?」
「一度ならば、それっきりで済むでしょう。ですが、二度三度と続いてご覧なさい。与えられることが、当たり前になります」
加藤先生は、□を持った棒人間を描いて、その上に大きく×をする。
「いつの日か、あなたの資産が底を尽き、施設にプレゼントを送れなくなったとします。そうしたら、プレゼントを期待していた子供達はどう思うでしょう?」
「あ……それ、は……」
俺はやっと、加藤先生が言った「絶望」の意味が分かった。
俺が口を開くより前に、理解した桜庭が答えを教えてくれる。
「『ブレイカータイガーが、プレゼントをくれなくなった』と、嘆くことになります」
「うん、サンタと同じ理屈だっ」
俺が桜庭に向かって大きく頷くと、加藤先生も小さく頷く。
「その通り。与えられることに慣れすぎると、与えられなくなった時、失望に変わる。その時、人々はあなたを口汚く罵ることでしょう。これは彼らの為にならない上、あなたを苦しめることになります」
弱者を労わる気持ちは、もちろん大切だ。
ある程度の施しは、必要だ。
しかし、施しは正義ではない。
過剰に与え、お互いが不幸になるようではいけない。
つまり、「何事もほどほどに」ってこと。
「じゃあ、これ以上、俺に出来ることはなんでしょうか?」
俺は頭を悩ませ、アゴに手を当てて呟いた。
加藤先生は、優しい声で諭して(さとす=良く分かるように、教える)くれる。
「ひとりで、抱え込まないで下さい。あなたはもっと、人に助けを求めるべきだ」
「そうです! ご主人様には、僕がいるではありませんかっ!」
横から桜庭が、俺の肩を掴んで訴えてきた。
ふたりの優しさが、とても嬉しい。
そうだよ、俺はひとりじゃない。
俺はいつでも、自分ひとりでなんでもやろうとしていた。
助けを求めようとしなかった。
でも、ひとりで出来ることには限界がある。
加藤先生と桜庭は、俺よりずっと賢い。
俺の足りない頭なんかより、きっと良い案を考えてくれるはずだ。
俺は加藤先生と桜庭を交互に見て、ニカッと笑う。
「ありがとうございます、加藤先生。それに桜庭も、ありがとな。だったら、手を貸して下さい。俺を助けて下さい」
「この僕に助けを求めて下さるなんて、感激ですっ! きっと、良案を編み出してみせますっ!」
「期待してるぜ、桜庭」
「はいっ!」
俺と桜庭のやりとりを華麗にスルーしていた加藤先生が、意味深長な笑みで俺に問い掛ける。
「川崎さん。何故、治安が悪くなると思われますか?」
「んー、そうですね……やっぱ、『お金がないから』ですか?」
首を傾げつつ、俺は考え考え答えた。
加藤先生は、「ふむ」と小さく呟くと、さらに質問を重ねる。
「お金。まぁ、それも一理(いちり=それなりの理由)ありますが。では、何故、お金がないのでしょう?」
「『何故、お金がないか』? う~ん、そうだなぁ……」
腕組みをして、あーでもないこーでもないと、唸りながら考える。
金がないのは、どうしてか?
金は、どうしたら手に入る?
働いて、賃金をもらえば手に入る。
「そうか! 働いてないから金がないんだっ」
俺が答えを見つけ出すと、加藤先生が軽く頷く。
「雇用がないと、お金は手に入りませんよね。景気が悪いと、賃金を支払えない。賃金が支払えないと、人も雇えない。それにより雇用が減り、少ない人数で仕事を回さなければならなくなります」
「それじゃ、働いてる人間が可哀想じゃないですか」
就職活動しても、なかなか採用されないって話を良く聞く。
採用されたかと思えば、社畜(会社で、こき使われる)のように、過剰労働を課せられる。
残業のしすぎで、過労死やうつ病になったなんてニュースが報じられている。
会社に人を雇う金があれば、ワークシェア(workshare=みんなで仕事を分け合う)出来るのに。
やっぱり、金なのか。
「景気が悪いのが、原因ですよね」
「では、景気はどうしたら回復すると、思われますか?」
質問に継ぐ質問で、全く出口と回答が出てこない。
加藤先生は、本当に回りくどい。
考えすぎで、ちょっと頭痛がしてきたぞ。
「景気回復させるには……させるには……」
俺がブツブツ呟きながら考えていると、優しげな声で桜庭が助け舟を出す。
「需要(じゅよう=商品を買い求めようとする、欲求)と供給(相手が欲しいと思わせる商品を、市場に出すこと)のバランスが良くなれば、景気は回復しますよ」
「それだっ!」
それを聞いて、俺はパッと顔を明るくした。
「欲しい」と思わせる商品がなければ、人は物を買わない。
買ってもらわなければ、会社は金が手に入らない。
「金は天下の回り物」とは、良くいったものだ。
金は常に循環していかなければ、景気は回復しない。
じゃあ、どうすれば良いのか?
消費者に「欲しい」と思わせる良い物を提供出来れば、買ってもらえる。
その「良い物」とは?
それもまた、悩みどころだな。
課題は、山積みだ。
でも、加藤先生のおかげで、自分を見直すことが出来て良かった。
変わりに、課題も出来てしまったが。
まぁ、それは追々考えていこう。
急いで結論を出そうとしても、良い物を生み出せなければ意味がない。
目の端に映った時計で時間を確認すると、そろそろ昼休みが終わる時間だった。
「やっべっ!」
秘書さんが出してくれた紅茶を、一気に飲み干した。
俺は立ち上がると、加藤先生に向かって勢いよく一礼する。
「加藤先生、ありがとうございました! 加藤先生に助言してもらって、マジ助かりましたっ! これからも、バンバンご指導、ご鞭撻(べんたつ=しっかりやれと、励ますこと)のほどを、何とぞよろしくお願いしますっ!」
「川崎さんのお役に立てるなら、いくらでもご相談に乗りますよ。何か困ったことや気付いたことがあれば、何なりとおっしゃって下さい」
加藤先生もにっこりと微笑んで、立ち上がってお辞儀してくれた。
うん、やっぱり弁護士先生みたいな賢い人が、相談役としていてくれると助かるな。
どっちかってーと、俺は脳筋(のうきん=脳みそまで筋肉で出来てるんじゃないかという、筋肉バカ)だから、社会の金の流れだの、消費者のニーズ(needs=要望)だの、さっぱりだもん。
専門家に教えてもらうのが、一番なんだ。
俺は感激して、加藤先生の手を取る。
「やっぱり、弁護士先生は、俺と違ってめちゃくちゃ賢いですね」
「いえいえ、そんなことはありません。あなたが『正義』を履き違えていないか、気になっていたもので。出過ぎたマネをしましたね」
加藤先生は冷笑を崩して、少しはにかんだ。
俺は首を横に大きく振って、二カッと笑い掛ける。
「そんなことありませんって! 警告してもらって、ホント助かりましたからっ! 教えてもらわなかったら、加藤先生の言った通りになってましたもん」
「ご理解頂けたなら、何よりです」
加藤先生は穏やかな表情で笑い返すと、俺の手を握り返してくれた。
ひとりでも多く救おうと思ったら、今みたいにこちらからも手を伸ばさなきゃ。
俺は施しこそが、正義だと思っていた。
でも、与えるだけが正義でないと、加藤先生は警告してくれた。
目からウロコが落ちた気分だ。
過ちを犯す前に、気付けて良かった。
少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。