大富豪の遺産を継ぐ覚悟を決めた俺と、状況よっては全裸だったり全裸じゃなかったりする執事達。
全裸とは、概念である。
食堂で昼飯を食べた後は、加藤先生の法律相談事務所へ。
昨日と同じように、奥の応接室へ通されて、秘書さんがお茶を三つ置いて出て行った。
俺と加藤先生が、テーブルを挟んで向かい合って座る。
桜庭は俺の横に突っ立ったまま、座ろうとしない。
「どうした? 桜庭、お前も座れよ」
「いえ、僕は結構です」
桜庭はにっこりと紳士的に微笑んで、首を軽く横に振った。
俺はムッとして、桜庭の袖を引っ張る。
「お前が良くても、そこに立ってられると俺が気になるの。良いから、お前も座れってっ」
「かしこまりました。それでは、失礼致します」
軽く会釈をして、桜庭は俺の横に腰掛けた。
そんなやりとりを見ていた加藤先生が、今更な質問をしてくる。
「ひょっとして、こちらの方は、執事さんですか?」
「気付くの、遅っ! ああ、そうですよ。昨日、ミッチェルさんの豪邸にいた執事です」
「はい。昨日お会い致しました、執事兼秘書の桜庭春樹でございます」
桜庭が自己紹介すると、加藤先生は小さく笑う。
「そうでしたか。執事をお連れになっているということは、相続されるご覚悟をされたと、受け取ってよろしいんで?」
「は、はい……散々考えたんですけど、やっぱり、継ぐことに決めました」
ぎこちない笑みを浮かべ、手をもじもじしながら答えた。
加藤先生は笑みを深くすると、棚から書類が入ったファイルを取り出す。
「それは、こちらとしてもありがたい。大変、賢明な判断です。良く、ご決心なさいましたね」
「いやぁ、正直、悩みに悩みましたよ。だって、八十兆円と豪邸と株とその他諸々(もろもろ)でしょう? 俺には、過ぎたものですからね。っつか、悩まない方がおかしいじゃないっすか」
乾いた笑いをしつつ、俺は頭を掻いた。
その直後、俺は真剣な顔で言葉を継ぐ。
「でも、決めたんです。相続したら、その金を有効活用しようって。まずは、弱小企業に融資して景気を回復させるんです。あと、児童養護施設や老人福祉施設に寄付をします。貧困に苦しむ人々を救って、みんなが少しでも笑顔になれる世界を作りたい」
加藤先生は、相続に関する書類をテーブルに並べて、意味深長にニヤリと笑う。
仕上げに、俺の目の前に一本のペン置いた。
「それはそれは、ずいぶんご立派なお心掛けで。では、こちらにご署名を」
「は、はい」
言われるまま、署名欄に自分の名前を記入する。
署名が終わった瞬間、俺の人生は大きく変わる。
ただの「川崎虎河」が「大資産家川崎虎河」に。
これで、自由気ままな生活に、終止符を打つ。
もう、後戻りは出来ない。
ペンを持つ手が、じっとりと汗ばんで、小刻みに震える。
どうにか署名したけど、ミミズがのたくったような字になっちまった。
記入する間、緊張しすぎて、無意識に息を止めていた。
書き終わると、大きく息を吐き出した。
自分の名前を書く。
ただそれだけなのに、モノスゴい気疲れしてしまった。
加藤先生は書類を確認して、軽く頷いた。
「はい、確かに。これにて川崎さんは、滞りなく、故ピート・ミッチェル氏の遺産をご相続されました。それではさっそくですが、相続の諸注意等をご説明させて頂きます」
「は、はい……」
俺が返事をすると、加藤先生は俺に書類を見せながら説明を始めた。
だが、内容が難しすぎて全然理解出来ず、右から左へ聞き流すことになってしまった。
書類も難しい漢字の羅列で、目が滑る(読んでも、内容が頭に入ってこない)。
俺、あんまり頭が良くないから、法律なんてさっぱり分からないんだよね。
懇切丁寧(こんせつていねい=良く分かるように、細かいところまで真心込めた様子)に説明してくれたのに、申し訳ない。
加藤先生には、俺が混乱しているのが、手に取るように分かったんだろう。
加藤先生は、最後にこう付け加える。
「分からないことがありましたら、いつでも相談に乗りますよ。あなたがその遺産を、どう使うのか。陰ながら、見届けさせて頂きます」
「は、はぁ……」
なんでこの人は、こうムダに威圧感があるんだろうな。
丁寧な口調なんだけど、なんかスゲェ怖いんだよ。
あれかな、顔色が悪いせいかな?
もしかして、疲れているのかな?
弁護士って、めちゃくちゃ忙しいって聞くし。
遊んでなくて、ストレスも溜まっているのかもしれない。
この人が「ウェーイ☆」って、ハイテンションで遊ぶ姿は想像出来ないし。
きっと疲れてるから顔色が悪いんだ、そうに違いない。
あっ、そうだ。
甘い物とか食ったら、少しは元気になるかもしれない。
俺、疲れた時や小腹が空いた時に、手軽に食べられるお菓子を、いつも持ち歩いてんだよね。
加藤先生にあげられそうな物って、なんかあったっけ?
ポケットに手を突っ込んで、ゴソゴソ探し出す俺を見て、桜庭が不思議そうに問い掛けてくる。
「虎河さん? どうしました?」
「ん~、ちょっとな~。おっ、良いもん、み~っけっ」
目当ての物を探り当てて、ポケットから取り出す。
個装の飴ちゃんを、加藤先生に差し出す。
「はい、良かったらどうぞ」
「は?」
「元気が出る飴ちゃんです」
「飴?」
加藤先生はきょとんとした顔で、俺の顔と差し出した飴ちゃんを交互に見た。
あ、しまった。
加藤先生は、甘い物が苦手な人かもしれない。
でも、もう出しちゃったし、今更引っ込めるのも、感じが悪い。
「えっと、その~……加藤先生が、スゲェ疲れてそうだから、『甘いもんでもどうかな~』なんて思いまして」
俺が愛想笑いしながら言うと、加藤先生は小さく笑って飴ちゃんを受け取ってくれる。
「そうですか、お気遣いありがとうございます。せっかくですから、頂戴します」
「いえいえ、どういたしまして」
二カッと俺が笑い返すと、加藤先生が一礼する。
「この度は、当法律相談事務所をご利用頂きまして、誠にありがとうございました。何かありましたら、またいつでもお越し下さい」
「あ、ご丁寧にどうも。こちらこそ、今後ともよろしくお願いします」
俺がペコペコ頭を下げると、桜庭は綺麗にお辞儀をした。
加藤先生と秘書さんに見送られて、俺と桜庭は法律相談事務所を後にした。
横を歩く桜庭が、嬉しそうに話し掛けてくる。
「これで、正式に『ご主人様』ですね。不束者(ふつつかもの=充分な才能やしつけがなってない人)ではございますが、何とぞよろしく申し上げます」
「あ、うん。こちらこそ、よろしく」
モノスゴく丁寧に頭を下げられて、俺は戸惑いつつも応えた。
桜庭の言う通り、本当に「ご主人様」になってしまった。
たぶん、これからやるべきことがたくさんある。
今の俺には想像出来ないくらい、大変なことが起こるはずだ。
でもきっと、俺ひとりじゃ出来ないことも、加藤先生や執事達が助けてくれるだろう。
とりあえず、俺に金がある今だけは。
桜庭にストーカーのような視線で監視されながら、どうにか今日の分の仕事を終えた。
「お疲れ様でしたー!」
「お疲れ様でーす」
スタッフ達と労いの挨拶を掛け合って、俺は倉庫を後にした。
「はぁ~……終わった終わったぁ」
「本日もお勤め、お疲れ様でした」
終わるやいなや、桜庭が笑顔で俺の側にぴったりとくっ付いてきた。
だから、近いっつの。
近付きすぎる桜庭を引き剥がして、駐車場へ向かって歩いて行く。
桜庭にエスコートされて、真っ赤なスポーツカーの後部座席に乗せられた。
「さ、お送りしましょう」
「どこへ?」
やや不機嫌気味に答えると、桜庭は当然とばかりの笑顔で振り向く。
「もちろん、ご主人様のお屋敷です」
「悪いけど、先に俺のアパートに寄ってもらえるかな? 欲しいものがあるんだ」
「かしこまりました」
桜庭は答えると、ぐんっとアクセルを踏み込んだ。
なんで、物腰は柔らかいのに、車の運転は荒いのか。
ハンドル持つと、性格変わるタイプなのかな、コイツ。
一旦、住み慣れた安アパートへ帰ってきた。
荷物を旅行カバンに収めながら、見慣れた部屋を見渡す。
いくつもの傷が付いた床、少し色褪せた壁紙、画鋲の穴。
先住者の跡が、たくさん残っている。
六畳一間のワンルームだけど、児童養護施設を出て初めて持った自分の部屋。
俺にとっては、大事な思い出がいっぱいある。
他の人間からしてみたら、ガラクタ同然の思い出かもしれないけど。
ここが、俺の家。
だが直に、この部屋は引き払わなければならない。
だって、大資産家になったんだ。
これからは、アホみたいにデッカい超高級な豪邸が、俺の家になる。
とりあえず、数日分の着替えをカバンに詰めて、桜庭の元へ戻る。
「ごめん、お待たせっ」
「いえ、大して待っていませんよ」
にっこり笑って答えた桜庭に、俺は「そっか」と笑い返した。
桜庭の乱暴な運転で、今日から俺のものになった豪邸の門まで送られた。
「お疲れ様でございました。僕は車を回して参りますので、後は他の者が参ります」
「分かった」
桜庭は運転席へ戻ると、どこかへ走り去ってしまった。
朝と同じように、屈強な門番に門を開けてもらい、ロールスロイスとかいう超高級車で玄関まで着けてもらった。
いちいちやることなすことが、大げさなんだよなぁ。
金持ちって、なんでこんなに面倒臭いんだろう。
重厚な木製の玄関の扉が開かれると、例によって四人の執事がお出迎えしてくれる。
全裸で。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「あ~……うん、ただいま」
一糸乱れぬお辞儀は洗練されていて、文句のつけようもない。
いや、ちょっと待て。
横一列に整列する全裸執事の後ろが、何かおかしい。
ひと言どころじゃなく、小一時間ほど文句が言いたい。
やたら広いホールに、サイケデリック(見てると頭がおかしくなりそうな鮮やかな色や奇怪な模様)な謎のオブジェが置いてある。
「あれ、何?」
俺がそれを指差すと、椿が面白そうに笑いながら答えてくれる。
「お気付きになられました? もうすぐ、クリスマスでしょ? 前衛的華道家に、クリスマスツリーの飾り付けをお願いしたんですの」
「え? クリスマスツリーだったの? それ」
俺が知るクリスマスツリーは、こんな禍々(まがまが)しい巨大な木のオバケじゃない。
お金持ちはみんな、クリスマスツリーの飾り付けを華道家に頼むものなの?
施設にいた頃は、クリスマスは一大(いちだい=とても重大な)イベントだった。
みんなで楽しくワイワイ、飾り付けをするのが楽しかった。
俺、おりがみで綺麗な吊るし飾りを作るのが、得意だったんだよね。
そもそも、なんで、前衛的華道家なんかにクリスマスツリーの飾り付けを頼んじゃったんだ。
「前衛的」って、「人類には早すぎる芸術」のことでしょ?
見ようによっては、芸術的なんだろうけどさ。
俺には、とても理解出来ない。
ゴテゴテギラギラした邪悪なクリスマスツリーと、その手前に横一列で並ぶ全裸の執事達。
何、この悪夢みたいな光景。
なんだかどっと疲れてしまって、夕食前にちょっと休憩させてもらうことにした。
休憩したいと言っても、ひとりにはさせてもらえなかった。
「お側にいさせて下さい」と、寝室を出て行かない桜庭だけがいる。
全裸で。
なんで、脱いじゃったよ、お前。
今さっきまで、私服着てたんだから、そのまま着とけば良いじゃんっ!
何なの? 君ら、全裸がポリシーなのっ?
そんな変なこだわりは、とっとと捨ててしまえっ!
そういや、他の執事達も服着て、外にいたんだよね?
わざわざ屋敷に先回りして、脱いだの?
アホだろ、お前ら。
努力の方向音痴だよ。
それにしても、何故、屋敷の中だけ全裸なのか。
一応、一般常識はあるらしく、俺以外の人の前に出る時は服を着る。
全裸で表を出歩いたら、猥褻(わいせつ=けしからん)罪で捕まることも、ちゃんと理解している。
それなら、いつも服を着ていて欲しいと思うところだが、それはそれこれはこれらしい。
理解に苦しむところだ。
ベッドの上で仰向けに横たわったまま、側に立っている桜庭に声を掛ける。
「お前さ、さっき、服着てたよね?」
「はい。外で全裸になるなんてことはしませんよ、変態じゃあるまいし」
肩を竦めた桜庭に「プーッ、クスクス」と笑われて、思わずツッコむ。
「何言ってんだ! 現に今、お前、全裸じゃねぇかっ!」
「ええ、ご主人様おひとりの前では全裸ですが、何か?」
しれっとして答える桜庭に、俺は声を荒げる。
「『何か?』じゃねぇよ! なんで、俺ひとりの前だと全裸なんだよっ!」
「何をおっしゃいますか! 執事として、全てをさらけ出すことにより、ご主人様には何も隠し立てしないという証明なのです! それがすなわち、全裸っ!」
「意味分かんねぇっ!」
俺に対抗するかのように、興奮気味に桜庭も声を張り上げた。
なんで、全裸を正当化してんだ。
「だいたい聞いたことねぇよ! 執事が全裸ってっ!」
「それはもちろん、公(おおやけ=世間一般)にすることではありませんからね。出来れば、ご主人様もお屋敷内では、全裸でお寛ぎ(おくつろぎ=ゆっくりする)になって頂きたいところなのですが」
何故か残念そうな桜庭に、俺は反論する。
「全裸で寛ぐのは、風呂ん中だけで十分だから! 普通の人は、全裸で家ん中ウロウロしないからねっ!」
「え? そうなんですか? 心身とも裸になれば、開放された清々しい気持ちになれるのに」
何故か桜庭がショックを受けた顔をしたので、俺は手を大きく横に振って否定する。
「いやいや、おかしいよ。変態の思想だからね、それ。それとも何か? お前は、プライベートでも全裸なのか?」
「ご主人様も、一度お試しになってみては? 慣れれば、楽になれますよ」
にっこりと良い笑顔でオススメされたって、イヤなものはイヤだ。
俺を変態の道へ引きずり込もうとすんのは、止めろ。
それもこれも、執事達に全裸を強制したミッチェルのせいだ!
おのれ、ミッチェルッ!
「なぁ、桜庭。ひとつ聞きたいことがあるんだけどさ」
「なんでしょう? どんなことでも、僕に出来ることであれば、何なりとお申し付け下さい」
恭しく、桜庭がにっこりと微笑む。
俺は真顔で大きく頷くと、確かめるように口を開く。
「お前さ、加藤先生の事務所で、俺の話、聞いてたよな? 児童養護施設や老人福祉施設に、寄付するって話」
「ええ、もちろん。この耳で、しかと。とても有意義で、大変ご立派なお考えだと思います」
褒め称える桜庭に、俺は頭をボリボリ掻きながら苦笑する。
「あれさ、言ったは良いけど、俺、寄付金を送るって、どうやれば良いのか知らないんだよね」
「は?」
ハハハ……とワザとらしく笑う俺を見て、桜庭はぽかんとした顔になった。
超絶美形が、目を丸くして驚く顔がやけにおかしくて、俺は本気で笑い出した。
ワンテンポ遅れて、桜庭が釣られるように笑い出す。
「虎河さんは心意気は大変ご立派なのに、肝心なところが欠落(けつらく=抜けている)しているんですね」
「しょーがねぇだろぉ? 知らねぇもんは、知らねぇんだもん」
にゅっと唇を尖らせて拗ねて見せると、桜庭はやれやれと肩をすくめて苦笑する。
「良い機会ですから、お教えしましょう。そのご様子だと、これからいくらでも必要になりそうですからね」
穏やかに微笑むと、桜庭は続ける。
「金融機関で振込み用紙を出してもらって、振込み先を記入し、入金したい金額を明記すれば良いんです」
「なんだ、そんな簡単なことだったのか」
俺がほっとして笑うと、桜庭は付け加える。
「直接手渡しで届けるという方法もありますし、物を買って送るという手もありますよ」
「おっ、それ良いな! 『タイガーマッスル』みてぇで、かっけぇじゃんっ!」
「なんですか? それ」
首を傾げる桜庭に、俺は声を弾ませながら説明する。
「あれ? 知らねぇ? めちゃくちゃ有名なのになぁ」
「タイガーマッスル」ってのは、かなり昔の漫画なんだけどさ。
施設の本棚に、愛蔵版の「タイガーマッスル」が全巻置いてあった。
子供の頃、「タイガーマッスル」が繰り出す技名を全部を覚えるくらい、夢中になって読んだっけ。
「タイガーマッスル」は正義のプロレスラーで、ファイトマネー(試合の報酬)を児童養護施設に寄付するんだよ。
恵まれない子供達に夢を与え、見返りを求めない本物のヒーロー。
施設育ちの俺にとって、「タイガーマッスル」は憧れの存在だった。
実際、「タイガーマッスル募金」という、児童養護施設へ寄付金を送る非営利活動法人(NPO)も存在する。
「なるほど、匿名のヒーローですか」
感心する桜庭に、俺は良いことを思い付いて、手をポンッと叩く。
「そうだよ! 俺も『タイガーマッスル』みてぇな正義のヒーローになるっ! もうすぐ、クリスマスだしさっ! みんなに、クリスマスプレゼントを贈るんだっ!」
「それは、とても立派なお考えです。きっと、素晴らしい贈り物になるでしょうね」
桜庭は笑いながら、同意してくれた。
クリスマスを楽しみにしている子供みたいに、なんだかウキウキワクワクしてきた。
「でも、『タイガーマッスル』じゃ、まんまだしなぁ」
「本名じゃ、ダメなんですか?」
「それだと、売名行為みたいだし……こう、カッコイイ名前が良いよな」
「タイガー」だけじゃ寂しいし、「タイガー」の前後に何か付けたい。
タイガーグレート、ブラックタイガー、ビッグタイガー、タイガーマン……。
うーん、どれもしっくりこない。
色々思いを巡らせていたら、子供の頃のことを思い出した。
施設での俺のあだ名は、「壊し屋虎河」
「タイガーマッスル」に憧れてプロレスごっこをやって、よく物を壊していたことから、付けられたあだ名だ。
「壊し屋」は、英語で「ブレイカー(Breaker)」
「そうだ! 『ブレイカータイガー』って、それっぽくね?」
「ええ、リングネームみたいですね」
「よし! 今日から俺は、正義のヒーロー『ブレイカータイガー』だっ!」
俺がそれっぽいポーズを決めると、桜庭が拍手してくれた。
クリスマス・イブの夜。
日本全国の児童養護施設に、多額の寄付金と子供達へのクリスマスプレゼントが寄贈された。
山と積まれたプレゼントの上には、一通の手紙が添えられていた。
「やぁ、みんな! 初めまして、俺は正義のヒーロー『ブレイカータイガー』だっ! いつも良い子にしていたみんなに、ご褒美だ。みんなで仲良く分けてくれよなっ! 『ブレイカータイガー』より」
こうして「ブレイカータイガー」は、一夜にしてヒーローとなった。
クリスマスイブの夜に颯爽と現れた、「正義のヒーローブレイカータイガー」
新聞にテレビ、インターネットなどの各メディアは、その話題に沸いている。
ホットワードランキング、一位を獲得した。
「匿名のヒーロー、カッコイイ!」
「寄付出来るほどの金を持っているなんて、羨ましい」
「きっと、彼は大富豪に違いない」
「どうせ、金持ちの気まぐれだろ」
「税金逃れの偽善者め」
純粋に、憧れる者。
羨望(せんぼう=自分よりかけ離れて優れた者を見た時、羨ましいと思う)を抱く者。
執拗(しつよう=しつこく)に、詮索する者。
勝手な言い掛かりを付けて詰る(なじる=悪い点を問い詰めて、非難する)者。
嫉む(そねむ=人の良いところを見て、自分にはそれがないことに不満し、その人に悪いことが起こればいいと思う)者。
人の心はそれぞれだが、「ブレイカータイガー」に注目しているのは確かだ。
「金に物を言わせる」って、成金(なりきん=急に金持ちになった人)っぽくってイヤだけど。
貧困にあえぐ人々がいるなら、救いたい。
金で救える命があるなら、救いたい。
貧しいと、大人も子供も心が荒む(すさむ)。
貧しさで、学校へ行かせてもらえない子供もいる。
満足に食べられず、痩せ衰えて身長が伸びない子供がいる。
ひとりでも多くの人を、貧困から救いたい。
日本中の各支援団体にも、寄付金を送った。
感謝の言葉が、各団体のHPのトップページで述べられ、喜ぶ子供達の写真が掲載された。
ネットニュースを見て、思わずにんまりと笑みを浮かべた。
「良かった、みんな喜んでくれて」
個人が出来ることなんて、高が知れている(たかがしれる=大したことはない)。
こんな俺でも、人の役に立てたなら、こんなに嬉しいことはない。
想いがこもった物を人にあげる時、あげる人も幸せになれる。
受け取った人が喜んでくれたら、あげた人はもっと幸せになれる。
別に誰かに褒められたくて、やったことじゃない。
でも、褒められたら嬉しい。
良いことをしたら、嬉しくなって。
喜ばれたら、もっと嬉しくなって。
褒められたら、もっともっと嬉しくなる。
やっぱり、遺産を相続して良かったな。
自分のことでいっぱいいっぱいだった以前の俺じゃ、こんな思いは出来なかった。
成金の自己満足で偽善的かもしれないけど、喜んでくれる人がいるなら、それで良いじゃないか。
今日は、楽しいクリスマスだ。
食堂はクリスマス仕様に、赤と緑で煌びやか飾り付けられている。
あちこちに銀の蜀台(しょくだい=ろうそく立て)が立てられ、小さな炎がユラユラと揺れている。
目の前には、ムチャクチャ美味そうな、定番のクリスマスディナーが並んでいる。
こんがり焼かれて照りが付いたチキンのグリル焼き。
厚切りのローストビーフ。
具沢山なトマトスープ。
色とりどりの温野菜。
色々な種類があるミニパン。
苺と生クリームでデコレーションされた、王道のクリスマスケーキ。
どれも美味そうな匂いを漂わせていて、今すぐかぶり付きたいほどだ。
俺の左手には、シャンパングラスに注がれた、細かな泡が弾ける高級シャンパン。
弾ける炭酸と程好いアルコール、蜂蜜のような優しい甘さが喉を通ると、気分も最高。
全てが、クリスマスを華やかに彩っていて、楽しい雰囲気を演出している。
「メリークリスマース!」
「クリスマスおめでとうございます、ご主人様っ」
執事達も楽しそうに、一斉にクラッカーを鳴らす。
でもな、執事達の格好がいただけねぇ。
クリスマスでも、やっぱり全裸なのか、お前ら。
いや、正しく言えば全裸ではない。
頭には、赤い帽子に白いフワフワが縁取られたサンタ帽。
足元は、赤いサンタのブーツ。
そして、顔に付けられたサンタの白いヒゲ。
五人の執事が、全員その格好なんだぜ?
おかしいよね? それ、絶対おかしいよね?
隠すべきところは、顔じゃなくて股間でしょ?
全員、不愉快なくらい似合ってないぞ。
そんな微妙な部分コスプレするくらいなら、全裸の方がマシなくらいなんだけど。
特に、椿と田中の似合わなさは、犯罪級だ。
揃えるんだったら、ちゃんとサンタ服もセットで買って来いよ。
なんで、そんな一部パーツのみ買って来ちゃったんだよ?
その格好で、外歩いてみ?
クリスマスで浮かれたアホと勘違いされて、警察に連行されるぞ。
そんで翌日、ちっちゃーい記事で地方新聞に載るんだ。
「クリスマスの喜劇、露出狂サンタ現る」ってな。
少しでもお楽しみ頂ければ、幸いに存じます。