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大富豪の豪邸生活にビビり散らかす庶民の俺と、全裸の執事達。

庶民が、大富豪の生活を疑似体験して、価値観の違いにビビり散らかすだけの話。

 風邪を引いた時に見るような、意味の分からん悪夢に苛まれて(さいなまれる=休みなく苦痛を与えられ、責められる)、飛び起きた。

「え」

 しかし、現実もまた地獄絵図だった。

 見た瞬間、全身に鳥肌が立った。

 キングサイズベッドの上には、俺の他に全裸の男達が横たわっている。

 全裸おしくらまんじゅうの原因は、コイツらか。

 慌てて自分の格好を確認すると、俺だけは服を着ていた。

 ほっとひと息吐いて、薄暗い中、目を凝らして周りを確認する。

 椿と田中は、いないようだ。

 いくらキングサイズとはいえ、デカいヤツら(椿と田中)は入らなかったらしい。

 俺の左隣で足を絡ませてくるのが、桜庭さくらば

 右隣から俺の腕にしがみついているのが、桔梗ききょう。 

 桔梗を背中から抱き枕にしているのが、たちばな

 川の字には、ひとり多い。

 みんなこの状況を、何かおかしいとだと思わないのか?

 俺の体には、野郎の股間が両側から押し当てられているんだぞ?

 なんで、そんな安らかな顔して寝ていられるんだ?

 まさか、これもミッチェルの趣味なのか?

 毎晩、野郎達と乱交パーティーだったのか?

 ご老体で、精力有り余ってたのかよ、おい。

 若い男とくんずほぐれつ、夜のぶつかり稽古で、元気百倍か。

 だから、あんなに精力的だったのか?

 元気の源は、こんなところにあったのかよ。

 人は見かけによらないとは、よく言ったもんだぜ。

 そんなこと、正直知りたくなかったわ。

 残念ながら、俺はホモじゃない。

 ノンケ(Non+気=その気がない=ホモじゃない)だ。

 頼むから、お前の趣味を俺に押し付けるのは勘弁してくれ、ミッチェル。

 全裸執事に挟まれて、眠れぬ夜を過ごした。


「おはようございます、ご主人様。昨晩は、良くお休みになられましたか?」

 ピロートークのようなシチュエーションで、桜庭は優しく微笑んだ。

 これで俺が女だったら、ときめいたんだろうけどな。

 ときめくどころか、背筋に寒気が走った。

 皮肉たっぷりに、言ってやる。

「お蔭様で、バッチリ悪夢を見せられて、寝不足なんですけど?」

「どうしてでしょう? 気持ち好くお休みになられるように、温めて差し上げたのに!」

 朝からハツラツ元気野郎の橘が、困ったように首を傾げた。

 桔梗が、まだ眠そうに目を擦る。

「おかしいですね。人肌で温めるのが、一番のはずなんですけど……」

「いやいや、ここは雪山じゃないからね! 人肌で温め合う必要はないからっ!」

 俺が全力でツッコむと、三人は真面目な顔をして、口々に訴える。

「もし、ご主人様がお体を冷やされて、風邪でもお召しになられては大変です」

「ご主人様の体調を管理するのも、ぼくたちの使命です」

 うん、真面目なんだね、君達。

 俺の体調を心配してくれる、その気持ちは嬉しいよ?

 でも、温める方法は他にあるよね?

 暖房とか、湯たんぽとか。

 気遣いが、斜め上の方向行っちゃってるよ。

 全裸だし。

 言いたいことは山ほどあるが、真剣そのものな彼らにされて物が言えない。

 顔を引きつらせつつ小さくうなって、俺は彼らに問う。

「うん、あー……えーっと、その、それって、ミッチェルさんの指示で?」

「いえ、私の意志です」

 にっこりと橘に笑顔で返されて、俺はちょっと意外で驚く。

「え? ミッチェルさんに、やらされてたんじゃなくて?」

「ミッチェル様が寒そうにしていらした時、橘さんが『人肌で温めて差しあげてはどうか』と、おっしゃったんですよ」

 にこにこ笑いながら、桔梗が振り向いて橘に視線を送る。

 褒められた橘は、桔梗と顔を見合わせて微笑み合う。

「ご主人様の健康を守ることは、執事として当然のことですっ!」

「いつも橘さんの細やかな心気遣いには、頭が下がります」

 そうかそうか。

「全裸でおしくらまんじゅう・イン・ザ・ベッド」は、橘の発案か。

 どうやらこのハツラツ野郎は、天然でもあるらしい。

 見た目と性格は良いのに、残念なヤツだな。

 俺は頬を掻きながら苦笑して、たどたどしくお断りの言葉を口にする。

「うーん、その、悪いけど、俺はいらない、かなぁ……?」

「何故です?」

 すかさず、桜庭が顔を近付けてきた。

 だから、顔近いってっ!

 桜庭から体を引くと、桔梗に体を押し付ける形になってしまう。

 右も全裸、左も全裸。

 ぅう……どっちにもいけねぇ……。

 泣きそうになりながら、早口でまくし立てる。

「俺、寒がりじゃねぇし、むしろ暑がりだし、今までだってひとりで寝てたし、出来ればこれからだってひとりで寝たいし、そういうなんか、こう、良く分からないサービスいらねぇからっ!」

「そ、そんなっ! ご主人様が、おひとりでお休みになられている時に、何かあったらどうなさるおつもりですかっ?」

 顔を蒼褪あおざめさせる桜庭に、俺は言い返す。

「何かって、何だよっ? 何も起こらねぇし、どうもしねぇよっ!」

「ご主人様の寝込みを襲う者が、いるかもしれません」

 桜庭が、ガバッと俺に抱き着いて来た。

 うん、今現在進行形でお前に襲われてるよね、絵的に。

 当たってる当たってる。

 当たっちゃいけないものが、俺の足に当たってる。

 もしかして、当ててんの?

 止めて! 俺、そういう趣味ないからっ!

 ホモは、マジで勘弁してくれっ!

 力ずくで、桜庭を引き剥がして、動揺でやや裏返った声で言い聞かせる。

「あのなっ! 俺なんか、誰も襲わないに決まってんだろっ? もし襲われるとしても、体じゃなくて、命の心配しろよっ!」

「命を狙われるようなことが、あるんですかっ?」

 ますます心配そうな顔になる桜庭に、俺はしまったと思った。

 あ~……これ、言っちゃマズイのかなぁ。

 まぁ、危険になってから言うのも何だし、先に言っちゃうか。

「これは、俺の考えすぎかもしんねぇんだけどさ。もしかしたら俺、『グレートオールドワン(偉大なる古きもの)』に命狙われるかもしんねぇの」

「グレート……オールドワン……ッ!」

 その言葉を聞くや、桜庭の顔が劇的ビフォー・アフターぐらい変化した。

 恐ろしい鬼神のような、怒りの表情になった。 

 あまりの変化に、俺はビクッと体をこわばらせる。

 もしかして、地雷踏んだ?

「え? ど、どうしちゃったの? 桜庭……」

「僕の両親は、グレートオールドワンに殺されたんです……」

 地の底から響いてくるような低い声で、桜庭は衝撃の事実を口にした。

 橘と桔梗も驚いているから、コイツらも知らなかったのだろう。

「『グレートオールドワン』に……?」

「ええ、僕が四歳の時に家ごと奪われました。その日のことは、片時も(かたとき=ほんの僅かな時間も)忘れたことはありません。孤児になった僕を不憫に思ったミッチェル様が、引き取って育ってて下さいました。少しでもご恩返しをしようと、執事の資格を取って、お仕えしておりました」

「そうだったのか……」

 なんて声を掛けて良いか分からなくて、黙り込む。

 俺も幼少期に、両親を事故で亡くしている。

 もしかしたら、その事故も『グレートオールドワン』と関わりがあるかもしれない。

 重苦しい空気が流れ、しばしの沈黙ののちに、桜庭が問い掛けてくる。

「それで、どうして、ご主人様が『グレートオールドワン』に命を狙われるなんてことに……?」

「もし、俺がミッチェルさんの遺産を辞退したら、『グレートオールドワン』に寄贈されることになってんだよ」

「そんなバカなっ! 何故、ミッチェル様の遺産を『グレートオールドワン』なんかにっ?」

 驚愕に目を見開く桜庭に、俺は続ける。

「いや~……俺にも良く分かんないけど、そういうことになってるらしいよ。イボ失くしたミッチェルさんが、何をトチ狂っちまったか知んないけど、もしそのことが『グレートオールドワン』に知れたら逆恨みで……」

「そんなこと、絶対にさせません。ご主人様のお命は、僕が守ります」

 俺の言葉を遮って、桜庭が低い声でハッキリと言い切った。

 それを聞いて、無駄に熱くなった橘と桔梗も続く。

「やはり、今後も一緒に寝るべきです! ご主人様は、私達で守るんだっ!」

「もちろんですっ!」

 あれ? 俺、ひょっとして、墓穴掘った(ぼけつをほる=自分で原因を作った)?

 これじゃ、ますますこいつら俺の布団に入ってきちゃうじゃん。

 全裸の野郎どもと、川の字で寝るのは、正直勘弁して欲しい。

 いや、ひとり多いから川の字じゃないけど。 

 俺がグルグル考えていると、硬い表情の桜庭がベッドから出て行く。

「そうと決まれば、警備を強化しましょうっ! まずは警察と警備会社へ連絡をっ!」

「わーっ! 待った待ったっ! そこまでしなくて良いってばっ! 『命を狙われるかも知んない』ってのは、単なる俺の想像だからっ! 桜庭がいてくれれば、充分だってっ!」

「僕がいれば……?」

 必死で引き止める俺に、桜庭が反応を示した。

 俺は何度も頷いて、懸命に笑みを作る。

「そ、そうっ! お前が、俺を守ってくれるんだろ?」

「はい。ご主人様の命は、僕が身を挺してでもお守り致します。この命、燃え尽きるまで」

 鬼神が女神像へ戻って、俺の手を両手で握り締めた。

 全裸で。

「ちょーっと、アンタ達ぃ! いつまで、きゃっきゃうふふしてんのっ! そろそろ起きてちょうだいっ!」

 ベッドルームの扉をバターンッと音を立てて開け放ち、椿が俺らを起こしに来た。

 パンパンと手を叩きながら、ベッドの上にいる執事達を叱り付ける。

「アンタらね、朝からのほほんとし過ぎ! お顔洗って、シャキッとしてらっしゃいっ!」

「すみません」

「申し訳ない、すまなかった」

「は、はいっ! ごめんなさいっ!」

 執事達は謝ると、バタバタと慌ただしくベッドルームを出て行った。

 お前は、みんなの母ちゃんか。

 特に橘、お前、執事長だろ?

 なんで、執事長が、他の執事に怒られてんの?

 役職換えてもらった方が、良いんじゃねぇか?

 俺がポカンとしていると、椿が取り繕うように「てへぺろ☆」とおどけて笑う。

 三十過ぎたオッサンが「てへぺろ」はキモいから、マジでやめろ。

「やだわ、アタシったら、朝から大声出しちゃってっ。はしたないところを、お見せしました」

 クネクネと体をくねらせながら、椿が俺に擦り寄って来る。

「おはようございます、ご主人様っ。ごめんなさいねぇ、あの子達、ミッチェル様が亡くなってからというもの、すっかり気が抜けてしまいまして。大変失礼致しました」

「へ、へぇ……そうなんだ?」

 自分よりも、図体のデカいオカマに全裸で擦り寄られて、俺は体を強張らせた。

 全身に鳥肌が立ち、背筋が寒くなる。

「では、ご主人様、ご案内致しますわ」

「は、はい……」

 椿にエスコートされて、ベッドルームを出る。

 ムダに広くて長い廊下には、細かい刺繍ししゅう入りの真っ赤なカーペットが敷かれていた。

 等間隔で四角い台が置かれていて、その上には壷や彫刻品なんかが置かれている。

 壁にも、金細工の施された額に入った大きな絵画も飾られていた。

 きっと、めちゃくちゃ高価な骨董品とか、有名な画家が描いた芸術品なんだろうな。

 俺には、その価値が全く分からんけど。

 マジで金持ちって、金の使いどころおかしいよな。

 どんなに優雅にエスコートされても、全裸だからいまいち決まらない。

 正直、どこへ連れて行かれて、何をされるか分からないから、怖いったらない。

 だって、全裸のガチムチのオカマとふたりっきりなんだぞ。

 ビビりらない方が、無理だろ。

 ビビり散らかす俺に気が付いた椿が、くすくすとおかしそうに笑う。

「あら、そんな緊張しなくて良いんですよ? 朝のご支度を、お手伝いさせて頂くだけですから」

「支度?」

「お顔の洗って頂いて、お肌を整えさせて頂きますの」

「ああ、なんだ、それだけか」


 ちょっと肩の力を抜くと、これまた豪奢(ごうしゃ=ムダぜいたく)な洗面所に連れて来られた。

 余裕で八畳以上の広さがあって、床は大理石、金属部分は金ピカ。

 全身が映る巨大な鏡が、壁に張り付いている。

 掃除が行き届いていて、どこもかしこもピッカピカ。

 足を踏み入れるのすら、気後きおくれしてしまう。

「少々お待ちになって下さいませ」

 何故か、椅子に座らせられて、待たされる。

 ひじ置き付きの木製の椅子も、これまた豪華。

 クッション部分もフッカフカで、座り心地がバツグン。

 木製部品には、これまた細かな彫刻が施されている。

 俺なんかが座っていいのかと、心配になるレベル。

 椿が蛇口をひねって、洗面台にお湯を張り、手早くフェイスウォッシュを泡立て始めた。

「準備が出来ました。どうぞ、お顔を濡らして下さい」

「お、おう……」

 洗面台も、ムダに広いな。

 洗面台だけで、軽く一畳あるぞ。

 そんなにデカくなくて良いだろ、洗面台なんて。

 言われるまま、ぬるま湯をすくって顔をバシャバシャ洗うと、泡を顔に塗りつけられた。

「洗顔料です。どうぞ、すすいで下さい」

「う、うん、分かった」

 慣れないことをさせられて、俺はぎくしゃくと、椿に言われるがままだ。

 顔をすすぐと、スゴく柔らかい高級タオルを顔に押し付けられる。

 ゴシゴシ拭くんじゃなくて、ふんわりと顔の水分を吸い取る感じ。

「では、お肌を整えさせて頂きますね」

 椿は上機嫌で、何本もボトルを取り出した。

 慣れた手付きで、化粧水だの乳液だの、ベタベタ塗ったくられた。

「ご主人様は、お若くていらっしゃるから、お肌がお綺麗で本当に羨ましいですわ」

 このまま椿みたいに化粧されるのかと身構えたが、スキンケアだけだったようだ。

 ようやく顔の手入れが終わったところで、櫛で髪を梳き始める(くしでかみをすく=髪をとかす)。

「髪は、いかがなさいます?」

「そうだなぁ……なんか、シュッとした感じで」

「うふふっ、分かりました、シュッとした感じですわね♪ じゃあ、スタイリッシュな髪型にしてあ・げ・る☆」

 楽しそうに笑いながら、椿はスタイリングワックスを手に取った。

 手早く髪に馴染ませると、あっという間にスタイリッシュな髪型が出来上がった。

 注文通り、シュッとしていて男らしい感じだ。

「いかがでしょう?」

「おおっ、マジかっ、スゲェ! さすがは、スタイリストっていうだけあるなっ!」

 俺が手放しで褒めると、椿はとても嬉しそうに笑う。

「喜んで頂けて良かったですわぁっ。っと、あらやだっ、もうこんな時間!」

 洗面所に掛けられた柱時計を確認すれば、七時。

 出勤するまで、まだ一時間以上ある。

 まだ、慌てるような時間じゃない。

 椿は俺の手を引いて、椅子から立ち上がらせると、また優雅にエスコートしていく。

「お腹がお空きでしょう?」

「ああ、うん。そーいや、腹が減ったな」

 朝っぱらから、てんやわんや(混乱に混乱を重ねる)の大騒ぎで、空腹すら忘れていた。

 意識したら、急に腹が減ってきた。

 腹が鳴ると、椿がおかしそうにくすくすと笑う。

「今頃、給仕係の田中ちゃんが、食堂でお待ちかねですわ」

「朝飯は何?」

「フルイングリッシュスタイルのモーニング(イギリス風の正式な朝食)です」

「フ、フルイリング……?」

 なんじゃ、そりゃ?

 俺の苦手な横文字が、椿の口からスラスラと紡ぎ出された。

 テーブルマナーを、とやかく言われそうな堅っ苦しい食事じゃねぇだろうな?

 児童養護施設育ちの俺は、テーブルマナーなんてものは、何も知らない。

 施設では、みんな揃って、両手を合わせて「いただきます」

 好き嫌いせずに残さず食べて、みんな揃って「ごちそうさまでした」

 そんなもんしか、知らねぇぞ。

 不安でいっぱいになっていると、椿がくすりと笑う。

「そんなに身構えなくても、大丈夫ですってば」


 重厚で細かな彫刻が施された木製の扉を、椿が押し開く。

 ここもまた、ムダに広い!

 縦長の食堂は、二十畳?

 いや、それ以上あるかもしれない。

 飯を食うだけの部屋に、こんな広さいらねぇだろ。

 金細工が綺麗な大きな窓には、細かいレースの白いカーテン。

 部屋の真ん中には、長すぎる長方形のテーブルがドンと置かれている。

 このテーブル、軽く四mはあんぞっ?

 テーブルには、白いテーブルカバー。

 対角になるように、青いカバーが掛けられていた。

 めちゃめちゃ長いテーブルのお誕生日席に、椅子が一脚だけ置かれている。

 椅子の側に、左腕に白い布を掛けた田中が立っている。

 全裸で。

「おはようございます、ご主人様。ようこそ、食堂へ。お席へどうぞ」

「は、はい……おはようございます」

 側に立つと、田中のデカさを改めて実感する。

 ざっと見積もっても、俺より十㎝以上デカい。

 俺だって一応、一八〇㎝はあるんだけどな。

 考えてみれば、俺より低いのは橘と桔梗くらいで、あと三人はみんなデカい。

 田中に椅子を引かれて腰掛けると、目の前に高価そうな空のティーカップとソーサーが置かれる。

「ロイヤルミルクティーでございます」

 白磁器のポットから注がれる、ホットミルクティー。

 華奢きゃしゃでちょっと力を入れたら壊れそうなティーカップを、恐る恐る両手で持って口へ運ぶ。

 名前は分からないが、きっとスゴく高級な紅茶と牛乳なんだろう。

 口の中に広がる濃厚な牛乳の甘さと、鼻を抜ける紅茶の芳香。

 良く分からないけど、スゲェ旨いってことは分かった。

「うわっ、何これっ? めっちゃ美味いっ!」

 あまりの美味さに思わず叫ぶと、田中が嬉しそうに口に笑みを浮かべる。

「お褒めに与かり、光栄です。早速さっそくではございますが、コールドシリアルかホットシリアルをご指定下さい」

「シリアル?」

「コーンフレークになさいますか? それとも、オートミールになさいますか?」

「んー……俺、オートミールって苦手なんだよね」

「では、コーンフレークをお持ち致します」

 田中が一礼して下がると、ややあって銀の盆を持って戻ってくる。

「コーンフレークでございます」

 綺麗な白い丸皿に、何の変哲へんてつもないコーンフレークが入っている。

 側に、砂糖が入った小鉢、七種類の小皿、牛乳が入ったガラスのポットが置かれる。

 小皿にはそれぞれ、輪切りにされたバナナ、イチゴジャム、ブルーベリージャム、ドライフルーツミックス、チョコレートソース、はちみつ、ヨーグルトが入っていた。

 ああ、なるほど。

 コーンフレークに、好きな味付けをして食えってことね。

 コーンフレークなら、ひとり暮らしを始めてから、良く食べるようになった。

 だって、朝から料理とか面倒臭いじゃん。

 俺は、砂糖がまぶされたコーンフレークに、冷たい牛乳をぶっ掛けて食べるのが好き。

「いただきまーす」

 俺は顔の前で、パンッと両手を合わせてから、スプーンを手に取った。

 施設の頃の癖で、こうやって食べないと気が済まないんだよね。

 コーンフレークを食べ始めると、また田中が問い掛けてくる。

「ホットディッシュは、いかがなさいますか? ボイルド、フライド、ポーチド、オムレット、スクランブルのどれに致しましょう?」

「え? は? なんて?」

 ズラズラ横文字を並べられて、半分も理解出来なかった。

 きっと、語尾に全部「エッグ(玉子)」が付くんだと思う。

 たぶん、玉子の調理方法を聞いてるんだ。

 玉子料理なら、俺はゆでたまごと玉子焼きが好き。

 玉子焼きは、甘いのも、だし巻き玉子も、どっちも好き。

 ぶっちゃけ、玉子料理で嫌いなものはひとつもない。

 だって、どれも美味しいじゃん。

 少し悩んで、「ボイルド」を頼んだ。

「ボイルド」は「ゆでる」って意味だったはずだから、ゆでたまごが出てくるだろう。

「ミートは、いかがしましょう? ハム、ベーコン、ソーセージからお選び下さい」

 ハム、ベーコン、ソーセージか、どれも捨てがたい。

「う~ん、じゃあ、ソーセージかな」

「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」

 綺麗にお辞儀をすると、田中が食堂を出て行った。

 いや、ちょっと待って。

 お前、全裸で調理すんの?

 全裸で火ぃ使うのって、危なくね?

 っつぅか、全裸って、衛生的にどうなの?

「フルなんとかって、何だか小難しそうな名前だったけど、出てくる物は意外と普通なんだな」

 壁に沿って立っている椿に、素直な感想を言うと、「でしょ?」とウィンクされた。

 全裸の男に見られながら食事をするって、スゲェイヤなんですけど。

 どうにかならないんですかね、全裸。

 あ、しまった。

 なんで俺、ゆで卵とソーセージなんて頼んじまったんだろう。

 ふとした拍子に、椿の股間が目に入って、大後悔した。

 イヤでも目に入っちゃうんだよなぁ、それ。

 しばらくすると、料理を乗せたカートを押しながら、田中が戻ってくる。

「大変お待たせ致しました、ボイルドエッグとソーセージのホットディッシュでございます」

 綺麗に盛り付けられたゆで卵と、焼き目が付いた大きなソーセージ。

 トマトとレタスとアスパラが、白い皿の上にお行儀良く乗っていた。

 調味料は、塩、胡椒こしょうトマトケチャップ、ソース、しょうゆ、マヨネーズ、ドレッシング。

「トーストでございます」

 こんがりきつね色に焼けたトーストが一枚乗った皿と、バターとジャムの小鉢が並ぶ。

 たぶん、めっちゃ高級な玉子だと思うから、味付けしたらもったいない気がする。

 食べてみたら思った通り、黄身が濃厚で、いかにも高級玉子ですって味がした。

 ソーセージは皮が厚くて、あらびき肉の食べ応えが、いかにも肉って感じだ。

 野菜も採りたてみたいに新鮮で、甘くてジューシーで、爽やかで歯ごたえも良い。

 トーストも天然酵母を使ったみたいに、甘くてサクサクで香ばしい。

 いつもなら、調味料とかジャムとか、ドバドバつけちゃう俺だけど。

 何もつけなくても、充分旨い。

 ってか、つけたら、もったいない気がする。

 つい庶民の感覚で、「高級なものは、そのまま食べないと、もったいない」って思っちゃうんだよな。

 最後に出たデザートも、高級果実専門店でしか出ないようなフルーツ盛り合わせだった。

 こんな超高級で超贅沢ぜいたくな朝食を食べたのは、生まれて初めてだ。

 これ、お店で食べたら、いくら取られるんだろうとか考えてしまう。

「うんめぇ~っ!」

 大喜びでむさぼる俺を見て、田中と椿が微笑ましそうに笑っている。

 全裸で。

 うん、全裸じゃなかったら、最高だったんだけどな……食事中は特に。


 超豪華な朝飯を平らげた後は、着替え。

 と言いたいところだが、ここに俺の服はない。

 ミッチェルは、小太りの爺さんだったから、サイズが合わない。

 昨日、加藤先生の法律相談事務所から、着の身着のまま、ここに来た。

 貴重品等は持ってきたものの、すぐ会社に戻るつもりだったから、カバンも置いてきた。

 っつっても、盗まれて困るような貴金属類は、何も入ってねぇんだけどさ。

 今俺が着ているのは、昨日のシャツとスラックスのまんま。

 寝ている間に着替えさせられる、ということはなかったらしい。

 もし、寝ている間に全裸にかれていたら、発狂してたね。

 風呂も入ってないし、さすがにこのまんま会社に行くのはイヤだな。

 一旦、自分のアパートへ戻って、風呂入って着替えたい。

「自分んち帰って、それから出勤するわ」

「さようでございますか。では、お車でお送り致します」

 橘が、礼儀正しくお辞儀をした。

 俺は手をパタパタと横に振って、それを断る。

「自分の足で帰れるから、大丈夫だってっ」

「ですが、玄関から門まで、徒歩十五分くらい掛かるんですよ?」

「あ」

 桜庭に言われて、はたと気が付く。

 そうだった、この豪邸は玄関から門までが、えらい遠いんだった。

 玄関から門まで、綺麗な花が咲き乱れる庭園がある。

 庭園の真ん中には、白い石造りのドデカい噴水まで建っている。

 金持ちって、なんでこんなムダに広い庭園作んの?

 外に出るだけで、めっちゃ時間掛かるじゃん。

「じゃあ、とりあえず、門まで送ってもらえるかな?」

「かしこまりました。では、すぐ、お車をお呼びします」

 橘が一礼すると、廊下を素早く駆け抜けていった。

 って、ちょっと待て。

 お前ら、全裸で外へ出る気か?

 猥褻罪(わいせつざい=全裸で外へ出た罪)で、警察に捕まんぞっ?

 そんな俺の心配をよそに、四人の全裸執事達が、玄関前までエスコートしてくれた。

 玄関の無駄に広いロビーで、四人が一糸乱れぬ(いっしみだれぬ=順序や列が少しも乱れず、きちんとしている)動きで、一斉に礼をして声を合わせる。

「行ってらっしゃいませ、ご主人様」

 そして、驚くべき早さで戻ってきた橘が、息も乱さず爽やかな笑みで、分厚い立派な扉を開けてくれる。

「お車を、玄関前にご用意させて頂きました。どうぞ、お気を付けて行ってらっしゃいませ」

「お、おう、行ってきます……」

 あまりの仰々しさ(ぎょうぎょうしさ=大げさ)に、俺はドン引きしながら玄関をくぐった。

 どうやら、執事達は玄関から出ないらしい。

 そりゃそうだ、全裸だもんな。

 一応、そのへんの常識はあるんだな。

 橘が言った通り、玄関を出てすぐのところに、昨日乗ったえらい車体が長い超高級車が停まっていた。

 昨日と同じ運転手がきっちりとお辞儀をして、後部座席のドアを開けてくれる。

「おはようございます、ご主人様。私が責任を持って、ご主人様を門まで送り届けさせて頂きます」

「あ、どうも、おはようございます。今日も運転、よろしくお願いします」

「かしこまりました」

 自分より年上の運転手に丁寧にお辞儀をされて、俺は恐縮きょうしゅくしながら乗車した。

 ドアが閉まると、スゥッと滑るような動きで、車が動き出した。

 それから五分ほどで、スッと停車する。

 この同乗者に負担を掛けない「スゥッと走り出して、スッと停まる」ってのが、実は結構難しい。

 アクセルを強く踏み込めば、座席に押し付けられるほどのG(Gravition=重力加速度)を体に受ける。

 同様に、ブレーキを強く踏み込むと、前へ引っ張られる物理運動が働く。

 それが全く感じられないってことは、この運転手は相当腕が良い。

 これが、プロの運転手というヤツか。

 俺の為だけに、これだけの距離しか運転しないのに、わざわざ運転手雇うって、もったいないなぁ。

「お待たせ致しました。行ってらっしゃいませ、ご主人様」

「どうも、ありがとうございました。行ってきます」

 運転手に見送られて門に近付くと、門の側に立っていた屈強な門番が、門を開けてくれる。

「おはようございます、ご主人様。行ってらっしゃいませ」

「あ、ども。行ってきます」

 門番に見送られて、ようやく豪邸を後にすることが出来た。

 やれやれ、外に出るだけで、ひと苦労だな。

少しでもお楽しみ頂けましたら、幸いでございます。

問題がありましたら、迷わずご指摘下さい。

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