1.春の匂いを感じながら③
刈安と雌黄みかんと分かれて、あおは講堂のある建物から抜け出た。北側は図書館と正門までの通りである。右手には古びた建物があって、それはおそらく20年前ほどのものである。当時流行りの建造であり、セメントのごてごてした装飾と暗い色のタイル張りが重たさを醸している。外見は暗い建物である。この建物は総合案内と就職支援を備えた総務課の棟であり、大学運営の中核を担う棟である。
——二年前、あおはここに浅緋みるといた。頬の赤い色白の少女だった。まだ大人というのには似合わない笑い方をした。子供のように無邪気に笑う彼女を見て、あおはなんとなしに気をよくしたのだ。
時々昼食を一緒にとるようになった。食堂で食べる時間、彼女は火曜によく顔を出していることを知った。食券をもって、厨房へ渡すと横にみるもいた。みるはゴム輪で髪を一本束ねていた。いつもその髪型で、灰色のパーカーにデニムのパンツをはいていた。目立たない少女である。友達と二三人でいることもあれば、一人で食事をしていることもあるようだった。あおは一人で食堂の隅で昼食をとっていた。みるは時々隣に座った。顔を合わせるとあの幼い感じのする笑顔を見せた。おあはその親しみからみるに話しかけた。
「ここの食堂を使ってるということはデザイン学部の学生?」
「みるは唐揚げの定職にやっていた視線をあおに向けて、自分に指さした」
あおはそのしぐさに少し微笑んでから、前を向きなおした。
「ごめん。何でもない——」
みるはもう一度少し微笑んでから、あおの方によって話した。
「君もデザイン学部?」
あおは顔を上げて少し考えるように間をおいてみるを見てから話した。
「そうだな――、情報デザイン科だけれど、専門はグラフィックデザイン。特に本とかそれの素材が中心かな?」
「へぇ――、あたしグラフィック科だよ。情報デザインってことは頭いいんだ?」
「それはどうかわからないでしょう?」
「でも、センターで7割取れないと入れない学科のはずよ」
「うわさではね? でもどうなんだろうね?」
「あたしなんか平面構成とか、絵具べたべたしてダサい作業ばっか」
「基本だからな」
「そうだね。——でも先生は色遣いがいいってほめてくれる」
「でもたいくつ?」
「そう」
みるはそういいながらまた微笑んで窓越しに食堂の外を見た。
あおの記憶はそこでとまった。これが最初だった。と、思い出していた。
バス停まで向かう道に、またサクラの花びらが茶色く変色して汚らしく縁石際へ追いやられて、時々風に遊ばれて転がっていく。
あの時食堂でみるが見た外の景色は、この季節と同じものだった。まだ暑くもなく、かといい寒さも感じなくなった一番いい季節だ。まだあの頃は、あれこれしてみたいという意欲があった。だから、みるに声をかけたのかもしれない。けれどもこの総務課のある本部棟であおはみると分かれてそれきりだ。あおは、その時のことをよく思い出しながらバスに乗り込んだ。バスの少し軽快なアナウンスを聞きながら、春の薄明るい陽気をバスの窓越しに眺めていると、彼はそのうち無心になってすべてを忘れることができた。
そして春も終わりに近づき、少し汗ばむ季節が訪れたころ、刈安からまた1通のメールが届いた。