色々あったのね、この二年間
とりあえずエリサ様と奥様には先にコールマン家の馬車で帰ってもらった。私は何とでもなる。辻馬車でも拾って帰れば良いし。
奥様には、「ひとりで帰って来られる?」とえらく心配されてしまったけれど。変なところで子供あつかいするんだから。とか言って少し嬉しかった。心配してくれる人がいるというのはいいものだ。
元が付くが、我が友人、アニス・ローレンス伯爵令嬢とパール侯爵家の次男のセドリック様は、私たちがデビューしたシーズンに侯爵家で開かれた夜会で知り合った。
内気なセドリック様と華やかなアニス。一見合わないように見えた二人だが、共に音楽好きということで意気投合して、だんだん親しくなっていった。
私達友人一同は、それを微笑ましい思いで見ていた。私達の中で一番最初に結婚するのはアニス達かもね、なんて言い合いながら。
しかし、アニスは、その外見に似合わず、臆病な一面を持っていて、自分からアプローチをすることはほとんどなかったし、セドリック様は音楽に夢中で、名門貴族の生まれながら、社交界や結婚制度を、どこか疎んじているようなところがあって、社交の場にもあまり出てこなかったので、二人の仲はなかなか進展しなかったのだった。
「家を出たのよ、セドリック」
「え、ほんとに!?」
しまった。思わず敬語を忘れてしまった。
「……本当ですの?」
なるべく上品に言い直す。アニスは気にしてないっぽいけどね。
「ちょうど二年前ぐらいかな。貴女のところもごたごたしていたので知らなかったのね。それで、そのままヴァーツリーに行ってしまって」
ヴァーツリーは音楽で有名な国で、高名な音楽家を何人も輩出していることで知られている。
そうか、セドリック様が……。確かに作曲をしていたのは知っていたけど、貴族の道楽だと思っていた。そこまでするってことは、音楽で身を立てると決めたということなのだろう。
だから、アニスはいまだにひとりで、舞踏会に来ているっていうわけか。
私が見ていたアニスとセドリック様は、友人同士ではあったものの、お互いに想い合っていたように見えた。
それが婚約すらしないでセドリック様が国を出てしまったというのなら、取り残されたアニスは、さびしい思いをしているのじゃないかしら。
私はひとつ決心をした。
「アニス様、私、アニス様に、素敵な殿方をご紹介しますわ!」
思わず手を握って勢いよく言ってしまった。
「紹介?」
目をぱちくりするアニスに重々しく頷いてみせる。
没落してからというもの、惨めに思われるのが嫌で、コールマン家以外の貴族とは連絡を取らないようにしていたのだけど、そんなこと言ってる場合じゃない。あらゆる伝手を辿って、セドリック様以上の方を探してみせる。
「ヴィッキー……。気持ちはありがたいのだけど、大丈夫よ。私、恋人はいるの」
ふふっとアニスがおかしそうに笑った。あ、そうなの? まあ、アニスは美人だから、周りが放っておかないか。しまった、先走った自分が馬鹿みたいじゃないか。
と、いうか、アニスに恋人?
ふつう、良いところのお嬢さんほど独身の時は恋人を作らない。
大体、若いころからフィアンセがいて、その人と結婚するからだ。まあ、絶対に作ってはいけないというわけではないけど、まさか、やけを起こしたりはしていないでしょうね。
それに、だったらどうして舞踏会に来ているんだろう。
「こうやって舞踏会に来るということは、パートナーを探しているという事ではないんですの?」
変な話、貴族が社交の場に集まるのは、結婚相手を見繕うためというのも大きい。特にこういう、独身限定の舞踏会みたいなものは、露骨にパートナー探しが目的だったりする。
自分の家柄と釣り合いの取れている相手を探して結婚して後継ぎを残すことは、貴族の重要な仕事のひとつなのだ。
「ねえ、それより、今日の演奏曲。どう思う?」
急に話が飛んで面食らった。曲というのは、王族はじめ身分の高い方々がくつろいでいる貴賓席の隣で楽団が奏でている音楽のことだろうか。
ダンスタイムではない休憩中の今も、穏やかに演奏は続いている。流石宮廷楽団だという演奏で、歓談の邪魔になるわけでもなく、退屈さを感じさせるわけでもなく、フロア全体を心地良い音楽で満たしている。
「どうって、素敵な曲が多いですわね。定番の曲もあったけど、初めて聴く曲はどれも良かったですわ。特にオープニングダンスのワルツ」
「でしょう!」
食い気味に言ってアニスは楽団の方を示した。
「今日の曲は、何曲か新進気鋭の作曲家が書いたものなの。ここの楽長とも懇意にしているから、話をもらったの。ヴィッキーの言ったワルツも、この曲もそうよ。ほら、今タクトを振ってる彼」
私は指揮者を見て声をあげそうになった。あれは、セドリック様じゃないの。全然気づかなかった。恋人っていうのは、彼のことだったのか。
「国に、戻ってきていたのね……」
「そうよ、一年ぐらいでね。今は、フリーの作曲家として、活動をしているの。本当は、大舞台に立つのは得意ではないから、この仕事を持ちかけられた時も迷っていたんだけど」
それは勿体無い。自分の仕事の宣伝にもなるのに。相変わらず、計算高さがないというか、浮世離れした人なんだなあ。ある意味貴族らしい。
「でも、この国で音楽で生きていくなら、願ってもないお話でしょう。それで私が背中を押したのよ。恥ずかしいから見に来ないでなんて言われてたんだけど、どうしても我慢できなくて、来ちゃった。まだ見つかってないと思うわ。多分」
指揮者はずっとフロアに背中を向けているから、参加者の顔なんて見ている暇ないものね。
そうか、さっき久しぶりに再会した時にアニスが見せた気まずそうな顔、あれは未だに独身なのを(貴族令嬢は大体二十歳前には結婚なりせめて婚約なりするのが一般的なのだ)見とがめられたからだと思っていたけど、違ったのね。恋人の晴れ姿を見たいという動機でこっそり舞踏会に来たところを見られたからだったのか。
「さっき、婚約はしていないって、言っていたけれど」
「そう。言ったでしょう。セドリックは家を出たのよ。今のところは無爵なの。もしかしたら結婚して誰かの爵位を継ぐことになるかもしれないけど、そうなると、色々やらなくてはいけない事が増えるから」
まだ婚約も結婚も考えていないのだという。
そうだね、貴族には責任も伴う。好きなことをやるのなら、今の状態が一番良いのかもしれない。でも、
「貴女は、それで良いの? アニス」
思わず私の口をついて出た言葉は、友人としてのものだった。
今の状態は、伯爵令嬢のアニスにとっては、随分と中途半端なものに思える。
婚約もせず、約束のない交際を続けることは、ひどく危うい。もし、セドリック様と別れることがあれば、アニスが失うものは恋人だけではないのだ。婚期も、名誉も、もしかしたら、今の立場だって失くしかねない。
アニスだって、それは充分にわかっているはずだ。
「貴女がそれを言うの? ヴィッキー」
アニスがおかしそうに笑いながら言った。
確かに、仕方なかったとはいえ、今の立場を選んだのは私なのだった。
そういえば、当時は友人たちに心配されたっけ。
平民になるくらいなら、どんな相手でもさっさと貴族と結婚した方がいい——なんて説得されたりして。
「確かに」
私も思わず笑ってしまった。
意外と、この暮らしも楽しいって知っているから。
「応援しておりますわ、アニス様」
このセリフも心から言える。
それから私たちは、セドリック様が指揮台を降りるまで、しばらく昔のようにおしゃべりをしていた。