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一方、元執事の息子の幼馴染みは出世していた

 ある日、私は巷で噂だというパティスリーにお茶菓子を買いに来ていた。


 コールマン家にも料理人はいるけれど、彼は基本的に料理専門で、甘味も、古風でごくシンプルなものしか作らない。

 でもエリサ様は若い女の子らしく、今風のお菓子に興味があるようで、先日友人の家に茶会に招かれた際に出された、目にも楽しい色とりどりのスイーツにすっかり心を掴まれて帰ってきたのだった。

 

 最近は舞踏会に向けてダンスの練習も頑張ってるし、と奥様に相談して、素敵スイーツを見繕いに来たと言うわけです。


 最先端の流行のファッションを見ておくために購入した雑誌に載っていたこのお店は、何と王女様たちもお忍びで買いに来ることがあるとか。外国で修行した職人が、この国の伝統的なお菓子をアレンジした創作菓子で、このお店でしか買えないものらしい。

 ショーケースに並べられた色も形もとりどりのお菓子は、花や宝石を模していて、確かに乙女心をくすぐるものだった。ただやっぱり値段もそれなりだ。うちのコールマン男爵家でも、たまーのご褒美なら何とか、ってぐらいかな。

 店内にはお客さんがそこそこいるけど、みんな小綺麗にしていて、私と同じく上流階級の執事か侍女って感じの人が多い。さすが高級店。


 そんな店内に、異色な人物が入って来た。

 それなりの私服を身につけているが、身のこなしでひと目で軍人だとわかる、短髪で背の高い青年だ。

 みんな鍛えられた使用人らしく、優雅に目を逸らして、凝視するような不調法な人はいなかったが、私だけは目線を合わせないわけにはいかなかった。よく知ってる人だったから。


「お久しぶり、ジェイク。あなたもお菓子を買いに来たの?」

 本当はそんなに久しぶりというわけでもない。この青年——ジェイク・ケリーは、うちの執事をしていた人の息子なのだ。


 うちの執事だったアルベルト・ケリーさんとその一家は、私が生まれ育った屋敷の敷地内にあった別宅に住んでいて、ケリーさんちの次男坊のジェイクとは同い年だったこともあり、そこそこ仲良く育った、と思う。

 ただ子供とは言えども、使用人と主人の線を越えることはなかった。アルベルトさんが身分に厳しい人だったので。

 ある程度大きくなると、さっさと士官学校に入って、そのまま青年騎士団に入隊してしまったので、やや疎遠になっていた——のだが。


 何故かこのジェイクってば、私が貴族じゃなくなった頃から、ちょくちょく現れるようになったんだよね。何だろう。かつての雇い主が自分と同じ平民になったのが嬉しいんだろうか。

 私のせいで、執事のアルベルトさんに散々怒られてたからな。


 ケリー夫妻は、私にはこれ以上なく温厚なのに、ジェイクと私が秘密の探検に出かけて迷子になった時や、からかわれて私が泣かされた時などは、鬼の形相でジェイクを叱っていた。

 どちらかと言うと私の方が無理矢理ついていくことが多かったのに、思い返すと理不尽な話だ。

 多分、ジェイクもそういうのに嫌気が差して、さっさと家を出たんだろう。

 

 そういうわけで、多少なりともジェイクに恨まれてる自覚のある私は、このところ何故か頻繁に姿を見せる姿を見るたびに、身構えてしまうのだった。


 まあ、社交シーズン以外は地方の領地に引きこもっていた私が、王宮のある首都に出てきたことで、物理的に距離が近くなったっていうのもあるんだろうけど。

 それにしたって、たまに帰省しても、ろくに顔も見せなかったっていうのに。


「屋敷の方に行ったら、ここに来てるって言われたから」


 ちょ……っと待ってお屋敷に行ったのかこの男。私を騎士団員が訪ねて来たなんてどうやっても憶測呼ぶやつ。

 私が! 二年かけて築いた! 真面目な侍女としてのイメージが!!

 やだーこれだからやだ朴念仁って。誰に取り次ごうとしたのか確認しなくてはならぬ。希望としては馬番のウィリーさんであって。あの人なら人間に興味ないからもう忘れてる頃合いだ。


 私が心の内で叫んでいる横で、ジェイクがふっと笑って口に手を当てた。

「あそこのお嬢さんの服、あんたの見立てだろ。すぐわかる」


 …………。

 お嬢さんって言っちゃったよこの人……。あれか、って事はもしかしなくても、エリサ様に私がここにいる事聞いたのか。

 妙齢の女性使用人を訪ねて制服を着た男性が訪ねて来た、と。

 おかしいな、貴族の作法とかは相当厳しくアルベルトさんに仕込まれてたはずなのに、むさ苦しい騎士団にいたら全て忘れるんだろうな。


 私がひとり頭を抱えている間に、奴はさっさと焼き菓子を買っていた。あ、お使いだったんだ。誰だろう。まさか、軍の上司とか? 騎士団にも甘いもの好きな人いるかもしれないし。

 それとも、やっぱり恋人だろうか。いるんだろうな、ひとりやふたり。黙って立ってれば見栄えしないこともないし。


 そんな事を考えながら、私も慌てて女の子が好きそうなお菓子をいくつか見繕って注文した。

 代金はざっと平均的な庶民の1週間分の食事代ってところだ。うーん、やっぱり自分のために買うには高すぎるな、この店は。


 冷や汗をかきながら店を後にする。場違い感この上なかった。

 しばらく二人で通りを歩いて、高級店が並ぶ通りを外れたところでようやくほっとした。


「あの、ジェイク」

「報告したいことがある。——あっちに」


 ジェイクが示した公園は、この辺の大通りで買い物をした人の休憩所になっているらしく、ベンチが置いてあった。ありがたく、さっさと座る。

 本当は男性がハンカチかなんかを敷くのを待っていた方が良いんだろうが、知るか。どうせジェイクもそんなの気にしないでしょう。

 

 人出はそれほど多くない。

 ふたりになると、紙袋から、さっき買ったお菓子の匂いが漂ってくる。

 んー、早く帰ってエリサ様の喜ぶ顔見て、ジェイクのこと説明したいなー。それには報告聞かないといけないんだった。


「報告したい事って?」

「あー」


 そんな事を話している間にもバターと蜂蜜の良い香りが。ああ、マドレーヌ……もうどれだけ食べていないのか。


 別にコールマン家は使用人をいびったりする家ではないけど、主人たちと同じように嗜好品を好きなだけ食べられるわけではない。そりゃそうだ。うちもそんなもんだったわ。メイド達とこっそりお菓子を食べたことは何度もあったけど。


「はい」

 そう言ってジェイクが紙袋を差し出してきたので、びっくりして目を見開いて固まってしまった。

 え、心の声もれてた? もしかしてよだれ垂らしてたとか? 慌てて口周りに手をやるけどとりあえず濡れてない。良かった。

 ていうかこれ、上司か彼女のお使いじゃないのか。焼き菓子といってもそこそこ高かったよ? ただの顔なじみにくれるにはちょっと高級すぎる。


「少し痩せましたよ、お嬢様」

 不意打ちでそんな事を言うものだから、きょとんとしてしまう。

 そりゃあ。

 隙あらば食べていた美味しいおやつを食べなくなって、動き回る量も格段に増えたんだから、嫌でも痩せるというもの。でもさ。

「……い、いらない」

 咄嗟に断ってしまった。

「なんで」

「だって」

 

 だって、ジェイクに物を買って貰うなんて初めてで、どんな顔をして受け取れば良いのかわからないのだ。

 逆は何度もあったけど。

 びっくりした。


 いたたまれなくなってうつむいて頬に手をやる。熱い。きっと私の顔はトマトみたいに真っ赤になっていたはずだ。見られませんように、見られませんように!


「あげる人がいないなら、自分で食べなよ。美味しいよ」

「別に、菓子買うために来たわけじゃないんだけど……」

 だったらどうして来たのさ! ていうか何で最近私の前に現れるのさ! と胸ぐらを掴んでゆさゆさやりたい気分だったけど、我慢した。


 ジェイクはしょうがないなあって感じで、がさっと紙袋に手を突っ込んで、マドレーヌをひとつ出すと、半分に割って片方をこちらに差し出してきた。どうすれば良いのかわからなくて、マドレーヌを見つめていると、ほら、と近づけてくる。思わず受け取ってしまった。


「……ありがとう」

 昔やったなあ、半分こ。喜んでくれるのが嬉しくて、私のおやつをよくあげていたっけ。見つかったらお行儀が悪いって怒られるから、陰でこっそりと分け合ってた。その時のお菓子より、もっと高級なものを、私の方が貰う立場になるとは。明らかに私にくれた方が大きいし。


 ジェイクは自分の分を一瞬で食べ終えると、喉が渇くな、とかぶつぶつ言っている。せっかくのマドレーヌがぱさぱさになってしまったら悲しいので、私も口をつけた。

「え、何これ。すご」


 一気に意識が焼き菓子に向いた。美味しい。バターを惜しげもなく使っている。香ばしい木の実が練り込まれた生地で甘酸っぱいジャムをはさんでいる。これはもう、マドレーヌではなくて別の何かなのでは?

 これが界隈一の呼び声も高いお菓子屋さんの味かあ、と感動しながら、ちょっとずつ味わう。思い起こせば久しぶりに食べた高級菓子だ。お茶受けにと、料理人のトールさんがたまに焼いてくれるクッキーは素朴で美味しいけれど、使用人用なので、こんなに砂糖は使っていないし、バターも卵も入っていない。

 やっぱり専門店のものはここでしか味わえない味があるのよ。


「報告っていうのは」

 ジェイクの声で感動しているところに水を差された。というか隣にいたんだった。一瞬忘れていた。


「俺、騎士勲章を受勲する事になった」

「え、ほんとに?」

 少しびっくりしてジェイクの顔を見た。それは凄い。

 騎士として勲章を受勲するってことは、ナイトの称号を得て正式に王立騎士団入りするってことだ。今までいた青年騎士団からの昇進という形になる。つまり、ジェイクは騎士爵になって、当代限りの准貴族になるってこと。

 優秀だったり、武功を立てると叙任できるのだが、当然、そう多くはない。せいぜい、年に数人ってところだろう。

 この先の業績次第では、正式に子爵を受ける可能性もある。そうなれば立派な世襲貴族の仲間入りだ。

 そこまで出世しなくても、今や平民となった私よりも身分が上になるのは明らかだった。


「おめでとうございます」

 私はあわてて立ち上がってスカートを摘み、きちんと膝を曲げて正式な挨拶をした。二年前までは私が礼を執る相手はそう多くはなかったのだが、今は慣れたものだ。せいぜい綺麗に見えるように気を遣った。


「……今まで、失礼な態度をとったこと、謝罪いたします。私も過去のこととはいえ、貴族社会の片隅に名を連ねた事もある身。もしかしたらお役に立てることもあるかもしれません。宜しければ、何なりとお申し付けください。そして、末永くご活躍をお祈りしておりますわ」


 数年前とは完全に身分差が逆転してしまった。こんなこともあるんだな。


 しばらくお辞儀をしたままの体勢でいて、もう良いかと顔を上げるとご満悦かと思っていたジェイクは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。何でよ。


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