後日
「……っていうことがあったんだけど」
あの日の朝、私が寝てる間にあったことをぽつぽつとジェイクが話してくれた。
私はそれを死んだ目をして聞いている。
あの舞踏会の夜から、ちょっと経って、お互いに時間ができたので、少しだけ会えることになったのだ。
私とジェイクはティーガーデンへと来ていた。広い公園に小さな東屋が点在していて、庭を見ながら軽食とお茶を飲むことができる。
ここなら小腹も満たせるし、周りを気にせず話もできるからね。
お庭は綺麗だしお茶もお菓子も美味しい。でもその話を聞かされた一瞬で私の目が死んでも、仕方ないと思う。
よし、ジェイクの話を頭の中で整理してみよう。落ち着いて、落ち着いて。
馬車の使用許可を取る際、寝ている私を放っておくのも心配だったので、その辺にいた夫婦に私を預けて席を外した。
(なるほど。見ず知らずの方にというのが引っかかるけど、まあ好意からだったのはわかるよ)
夫人は親切にも私の隣にきてショールを掛けてくれたばかりか、寝顔を見守ってくれた。
(ふふ、寝顔ですって。初めて会った方に寝顔を晒して起きないなんて、豪胆な方もいるものね。私だよ。起きて)
後から聞いた話だと、その夫婦とは、現国王陛下の叔父に当たるダスティン公爵閣下と、その夫人のレイチェル公爵夫人だったという。
(…………)
えっと、ちょっと情報が多すぎて追いつかない。
この人、私が寝てたあのわずかな時間に、国王の叔父母と知り合って寝ている女を押し付け、更に国をあげての有名人、ストーン副団長に馬車を牽かせてたっていうのか。ふっおもしれー男。
あんまり冗談は得意ではない人だと思っていたけど、そうか、騎士団ってジョークまで教えてくれるんだな。なんて親切なところだろう。
もちろん冗談ではない。私が現実逃避している間も、ジェイクは話を続ける。待って。まだ追いついていないから少し黙って。
「ダスティン公といえば、騎士団の大十字でいらっしゃった。もう引退されているんだが、この前団の稽古場に訪ねて来られたんだ」
大十字は、騎士団の最高勲章だ。まあ国王陛下に近しい方なので、名誉勲章のようなものだろうか。王族の男性は、軍籍がある方も多い。
「そこでこの前のお礼がてら、少し話をさせて頂いた。そしたら、奥様が、ヴィッキーに会いたがっているらしくて。もし良かったら、城にいる間に、個人的に茶会の招待状を送っても良いかと伺われたんだが。構いませんか?」
国王陛下の叔父君に当たる方と、それと知っていて話をするなんて。本当に物怖じしない人だなーと感心しながら聞いていたら、突然話の矛先がこちらに向いたのでお茶を吹きそうになった。
公爵夫人主催のお茶会……? 何を突拍子もないことを言い出すのか。
「構わない訳ないでしょう。そんなものを持って来たら、怒るわよ。断固としてお断りしてください」
冗談ではない。個人的といっても、王族の方の招待状なんて半分公的文書みたいなものだ。紋章入りで、絶対に断れないやつ。
そんな危険物、コールマン様のお屋敷には絶対に持ち込ませないよ?
だいたい、男爵家の侍女が王族のお茶会に呼ばれて、一体何をしろっていうんだ。
「そうなのか。夫人はがっかりするだろうな」
ジェイクは残念そうに言うけど、あのね、社交界には社交辞令っていうものがあってね?
そう説明すると、ジェイクは真面目な顔つきになった。
「いや、夫妻のお誘いは、そういう社交辞令とかいうものではないと思う。前王の崩御と共に、領地に引っ込んでしまわれて、今はほとんど隠遁生活を送っているらしい。今回の舞踏会のために王都へ出たのも久しぶりなら、使用人以外と話したのも久しぶりだったと。ヴィッキーが寝ているのを見ていたら、娘を思い出してひどく懐かしくなったと仰っていた」
「ええと、ダスティン公の娘さんっていうと……」
「今は嫁がれて、ハーラン王の第二夫人だそうだ」
ハーラン国。東の方の国だ。それはそうそう帰って来られないだろう。地理的にも、しきたり的にも。
もしかしたら、お寂しいというのも、私の顔(寝顔)を見て、懐かしいと思ってくれたのも本当かもしれないな。それでも。
「でも、行きませんわ。申し訳ないけれど。レイチェル様のような身分のある方が、私のような者を招いたことがわかったら、口さがない者たちに何を言われるか。向こうも、それはわかっているはず。多分、断られることを前提に、誘ってくれたのではないかしら。好意を示してくださる意味で。それは確かに受け取りました」
そもそも、正式に招待された訳ではないしね。
「そういうものですか」
「そういうものです」
ジェイクはいまいち納得していないような表情で呟く。
「貴族というのも、不便なんだな。好きな相手とお茶ひとつ共にできないなんて」
あんたがそれを言うのか。
ジェイクも自分の言った事のおかしさに気づいたようだ。苦笑しながらカップに口をつけている。
多分彼は友人関係について話したかったようだが、実は私たちも、こうしてひとつのテーブルでお茶を飲むのは、うんと子供の頃以来だったりする。
あらためてそこに気づくと、少し照れるんだけど。
それはともかく、社交界には暗黙の常識や了解みたいなものがあって、それを知らないで言葉通りに受け取ると、非常識だと笑われることもあるような、理不尽な世界なのだ。怖いところでしょう。
結局身分階級がすべてみたいなところがある。
貴族も平民も王族すら、皆ひとつ屋根の下で寝起きしているような騎士団生活が長いジェイクには、ぴんときていないようなのも無理はなかった。
そういえば、エリサ様も似たようなことをよく言っている。知らない人に声ひとつかけるにも、身分を確認しなくてはいけないこの国の貴族制度は、それまで身分を気にしないで育って来た彼女にとって、かなり窮屈なものらしい。
もともとコールマン男爵家は、爵位を買うまでは裕福な商人一家だったので、みんなおおらかな気質なんだよね。それはジェイクにも言えることだけど。素直というか、人の裏を読むことをしない。
一方私はといえば、ほんの少し社交界にいた時の名残りで、見聞きしたままではなく、そこに隠された本意を読むことがすっかり癖になっている。
役に立つこともなくはないのだけど、基本的に裏表のないジェイクやエリサ様のようなまっすぐさに触れてしまうと、自分の性質が酷く卑屈なもののような気がして、正直気後れしてしまうことも多い。
「わかった。ダスティン公には、次に会ったときにでも、断っておきます」
「お願いいたします」
悪いね。ここで無理を強要してこないのは、ジェイクの良いところだなーと思う。
ああ、でも、聞いてしまった以上は(そのまま知らなかったらと考えると、それはそれで肝が冷えるのだけど)、ご迷惑をお掛けしたお詫びとお礼の品は届けなければいけないかな。
王族の方への贈り物なんてさっぱり思いつかない。どうしよう。
食べ物は平民の贈った物なんてお口には入ることはないだろうし、服飾品は私のなけなしの貯金で買えるものだと、ペットの首輪にもならないだろうし。
……仕方がないけれど、ここは恥を偲んで旦那様に打ち明けて、相談に乗ってもらった方が良いかもしれない。広く商売をやっている旦那様なら、珍しいものを使用人割引(?)で売ってくれたりしないだろうか。
実は、私が仕えているコールマン男爵一家の出身国であるグリンダーム国は、レイチェル公爵夫人の故郷でもあったりする。
確か、彼女も王族だったはずだ。我がウェズワース国の王弟であったダスティン公爵閣下とは、隣国同士の結びつきを強める政略結婚というやつなのだろう。
なのでコールマン家とレイチェル夫人とは、ざっくり言ってしまうと、同郷だ。もしかしたら、旦那様は夫人がお喜びになりそうなものをご存知かもしれない。
そんなことを考えていたら、そろそろ時間だった。業務に戻らなくては。慌ただしさを謝って帰り支度をすると、ジェイクが屋敷まで送ってくれるという。
昼間だから、大丈夫なのに、と言ってみたけど、まだ時間に余裕があるからと言われたので、お言葉に甘えることにする。単純に、少しでも長くいられるのは嬉しい。
「それじゃあ。送ってくれて、どうもありがとう」
結構すぐ着いてしまったことを残念に思いながら、お礼を言った。
私の残念な気持ちが伝わった訳ではないだろうが、お屋敷の裏庭に人気が無いのを確認すると、ジェイクが遠慮がちに訊いてきた。
「……少しだけ、触れても?」
あ、あれね、恋人同士のお別れの挨拶ってやつね。うんうん、知ってる。まさかジェイクが、そんな情緒にあふれた風習を知ってるとは思わなかったけれど。や、やるのか。やるんだな。覚悟はできてる。来るなら来い。
とか心の中では勇ましく言っているのに、実際には蚊の鳴くような声しか出なかった。
「ど、どうぞ」
しかもつっかえたし。心臓がどくどく鳴ってるのが悪いと思う。きっとこの拍動が声帯を震わせて声が出るのを邪魔している。
髪に指を差し込まれて、ゆっくりと引き寄せられる。強い力ではない。
私の額がジェイクの肩のあたりに触れた。少しの間そのままでいた。手は。私の手は、どうすればいいんだろう。
「ふっ」
突然ジェイクが吹き出したので何かと思って見上げたら、横を向いて肩を震わせていた。顔を逸らしているし、口に手を当てているので、うまく表情が見えないけど、間違いなく笑っている。
「な、何で?」
私、何か面白いことした?
いや、変な顔してないとは言い切れないけどさ。顔も耳も自分で熱いのがわかるからたぶん真っ赤だろうし。
でも、そんなに笑わなくても良くない?
「悪い。何でだろう。笑いが止まらない。多分嬉しいからじゃないですか。……凄く」
そんなことを言うものだから、どうして良いかわからなくなるよね。まだ笑ってるし。私の顔が面白いからとかじゃなくて良かった。
それにしても、この人のこんな照れたような笑顔って、長い付き合いでもあんまり記憶にないな。
笑顔に見とれてぼーっとしていると、ジェイクが身体を離した。名残惜しそうだと感じてしまうのは、私がそう思ってるからだろうか。
離れるとき、一瞬だけ、私の頭のてっぺんにくちびるが触れたような気がした。
慌てて頭を両手で抑える。
気のせいだろうか。キスではなくて、あごとかが掠めただけかもしれない。触れられたところがじんじんする。もちろん痛い訳ではない。
「じゃあ」
ジェイクはぶっきらぼうにそれだけ言うと、身を翻して、もの凄い早足で裏門から出て行ってしまった。
ちょっと茫然としている私が取り残される。え、最後、余韻もへったくれもなかったな。
でも、あのジェイクが。
「……ふふ」
何だか、胸がいっぱいで、気づくと私もひとりで笑い出していた。
どうしよう、止めようとしても笑ってしまう。きっとジェイクのが移ったんだわ。こんなにやけ顔だと、お屋敷の人達に気持ち悪がられるだろうな。午後の仕事に支障が出たらどうしてくれるんだ。
心の中で文句を言いながらも、もちろん全然嫌ではないのだ。