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「求婚を、するつもりです」
ジェイクの宣言に、むさ苦しい騎士団の詰所には、歓声が溢れた。冷やかしの口笛も聞こえる。
しまった、正直にいう必要はなかったかと我に返っても、後のまつりである。
自分がすべてを失ったヴィッキーに、たとえ一瞬でも昏い気持ちを抱いてしまった事。その苦い記憶も、しっかりとジェイクの中にある。
それでも、今言わないわけにはいかないと思う。
一緒に踊った時のヴィッキーの嬉しそうな顔を見て、自分が彼女を望んでも良いのだと、やっとそう思うことができたのだ。
「よし、よく言ったケリー、行ってこい。骨は拾ってやる」
団員達の間から無責任な野次があがる。
「行かせてやれよ、参謀長。人生の大一番だぞ」
「こいつを断る女はいないだろう」
「上手くいっても、駄目でも、どちらにしても酒宴の口実になるな」
「その若さで首に紐つけられるの? 勿体ねえなあ、これから遊びたい盛りだろうに」
皆好き勝手言いだした。反論したかったが、切りがないのであえて無視をする。
「ケリー」
ライリーがジェイクの眼を見る。
「例の子爵の息子の事だが。もう一度同じような事があったらどうする」
「同じ事をします」
ジェイクは即答した。そこには迷いが無い。
殴られそうになっていたのがヴィッキー以外でも、自分は止めに入るだろう。たとえ平民だろうが貴族だろうが、見て見ぬ振りはできなかった。
「そうか、わかった」
ライリーは納得したように頷いた。
「子爵令息に手を出した件については、不問になると思う。暴力行為の痕が無いのは、調書を取った者が確認済みだ。——それと、デイビッド・フィオニールという名前に聞き覚えがあったから確認したんだが、随分と評判の悪い男のようだ。少し確認しただけでも、余罪がごろごろ出てきている」
持っていた紙束を机の上にばさっと置く。
ではあれはフィオニールとかいう子爵令息に関する書類なのか。
不問と言われてジェイクは少し拍子抜けした。ヴィッキーには何でもない事のように言ったが、相手は腐っても貴族。謹慎程度の処分は覚悟していたからだ。
「証拠が揃い次第、フィオニール家に話を聞きに向かい、状況次第でそのまま捕縛する。最近、箍が外れている貴族が増えていると感じることは事実だ。陛下の許可は得ている。我々が動く事で、見せしめにもなるだろう」
通常、平民や下級貴族の事件は王立騎士団ではなく、街中にある青年騎士団の管轄である。
王族や高級貴族に対しては実質罰則制度は機能していないので、貴族の不祥事に王立が動くのは異例と言っていい。王立騎士団の最高指揮官は国王である。
「特権を笠に着て、やりたい放題やってる奴はそいつだけじゃない。全員監獄にぶち込んでやりたいな」
エミールが冷たく笑った。歴戦の騎士団の連中でさえ、気圧されてしまうような笑みだ。冗談ではなく、実行してしまう意志も力もある。
ジェイクも息を呑む。こういう表情を見るたびに、この人は恐ろしい人だと思い出す。
「それをやると、我々が貴族の庇護を失う」
「だから? 腐った盾が必要か?」
「お前みたいな強者はそれで良いだろうがな、エミール」
副団長と参謀長のこういうやり取りは皆慣れていた。ライリーも何事もなかったかのように、話を戻す。
「おそらく、この男が起こした不祥事の大半は青年騎士団で調書を取っているはずだ。手間になるが、その知人の方を送り届けたらストーン副団長と一緒に行ってきてくれないか。ケリーもたまには古巣の仲間の顔が見たいだろう」
後半はジェイクに向かって言った言葉だったが、頬を赤らめて反応したのはエミールの方だった。ついさっきの怖い表情は綺麗に消えている。
「ライリー……抱きしめていい?」
エミールの妻は、街中にある青年騎士団で教官をしている。社交シーズンの準備でそれぞれ忙しく、もうひと月ほども顔を見ていないとぼやいていたのが耳に入ったのかもしれない。
超多忙のはずのライリーの気遣いに、何故かエミール以外の騎士団一同もときめいていた。
実務に私情を挟むことはしないが、便宜を図ることはする。
一見杓子定規と思われがちな参謀長が、粗暴な団員達に意外と信頼されている理由だった。
対するライリーは素っ気無く頷いた。
「気持ちだけ受け取っておく。オークの連中に迷惑を掛けないようにな」
オークとは、青年騎士団の通称である。
迷惑って……とエミールはぶつぶつ言っているが、ジェイクもオーク騎士団時代、何度もエミール他王立騎士団の来訪を受けたことがあるので覚えがある。
彼らが来ると緊張で通常の業務ができなくなってしまうのだ。
お前は目立たないように、顔を隠して行けよ、というライリーの言葉にひらひらと手を振って、エミールが足早に出て行く。軍人は目標が定まると行動が早い。
ジェイクもライリーが頷いたのを確認すると、室内にいる一同に一礼をして、後を追った。
「すみません、お待たせしてしまいました」
ジェイクが中庭の夫妻のところに走って戻ると、夫人がヴィッキーの隣に移動していた。
夫の方は、最初の席から動かずに、パイプをくゆらせて、二人の方を微笑ましげに見ている。
「うちの奴が、張り切ってる。若いのに頼られて嬉しかったんだろうな。あんまり早く戻ると文句を言われるぞ。俺も娘が若かった頃を思い出したよ。今じゃ遠くに嫁いで、もう何年も会っていないが」
そう言ってにやりと笑った。その笑顔をどこかで見たような気がして、少し考えたが、思い出せない。
ヴィッキーは相変わらず気持ちよさそうに寝ていた。大事に育てられたお嬢様かと思いきや、意外なところで図太かったりする。そんなところは変わっていない。
「よく寝ているわ。きっと疲れていたのね」
夫人がおっとりと笑って言った。この人達にお願いして正解だったと思う。
朝日がだいぶ昇って、周りは明るくなってきている。陽の光に照らされたヴィッキーの寝顔は思ったより顔色も良くて、ジェイクは安心した。
この場で起こそうか少し迷ったが、せめて自然に起きるまでは寝かせておいてあげたくて、そっとヴィッキーを抱え上げた。
「本当に、ありがとうございます」
再度礼を言うジェイクに、老夫婦はにこにこと応える。エミールが引いて来た馬車が見えたので、挨拶をして馬車の方へ向かった。
「はい、どうぞ」
副団長にドアまで開けさせてしまった。確かに両手にヴィッキーを抱えているのでありがたいのだが、もう恐縮を越えてエミールの気軽さに感心してしまっている。
すみません、と断って、そっとヴィッキーを座席の奥の方に座らせる。
「あの人達、前王の弟夫妻だろ。ケリーの知り合い?」
「え……」
馬車のドアにもたれたまま、ちらりと老夫婦の方に目をやったエミールの言葉にジェイクは固まる。
前王弟夫妻。ということは、今の国王の叔父母に当たる人達だ。どこかで笑顔を見たことがあると思った。言われてみれば、夫の方は、国王陛下に良く似た面差しをしていた。
気づくべきだった。
若い独身男女の招待客が中心のこの舞踏会で、あの年齢の夫妻は珍しい。特別招待枠——つまり王族の客人の可能性が高かった訳だ。
「知りませんでした。俺は……そんな方達に頼み事を……」
やってしまった。
ヴィッキーに話したら怒られるだろうなと思う。
「良いんじゃないか。あの人達も嬉しそうな顔していたし。ただ、王家のことはある程度頭に入れておかないと、うちの参謀長に怒られるぞ」
俺もあまり覚えていないけど、と落ち込むジェイクにエミールが笑ってみせた。
まあ引きずっていても仕方がないので、忘れて切り替えることにする。息をひとつ吐いて自分も馬車に乗り込もうとした時、ふと懐かしい匂いがしたような気がした。
周りを見渡すと、見慣れた木を見つけた。薄紫の蕾がほころびはじめている。
「ああ、ライラックだ。城にも植えられていたんですね」
思わず口に出して呟くと、エミールが驚いたような顔でジェイクを見た。
「何? お前って花の名前とか知ってる奴なの?」
「失礼じゃないですか? ……あまり知りませんけど。これは特別です。故郷にたくさん咲いていたので」
「いや、悪い。身近にそんな風流な奴は皆無だから、ちょっとびっくりした」
確かに、とジェイクは騎士団の連中の顔を思い出す。花よりも名前よりも、食べられるかどうかで植物を見分けているような人間ばかりだ。
自分もそんな集団にすっかり馴染んでしまっているが、故郷にいた頃の花に満ちた記憶が褪せることはない。
初夏はまだ遠いが、王都はハミルトン領より大分暖かい。早咲きの株はそろそろ開花の季節なのだろう。
花はここでも咲く。光をまとった蕾が眩しくて、ジェイクはほんの少し目を細めた。