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本編で拾いきれなかったところをジェイク視点で追加しました。全4話です。
ほとんど意識を失ったようにベンチに倒れこんでしまったヴィッキーにジェイクは一瞬慌てたが、顔を近づけると穏やかな寝息が聞こえてきたので、ひとまず安心する。
そう言えば、今夜の準備であまり寝ていないと言っていた。気が緩んだのだろうか。
隣に座り、背もたれに頬杖を付いて顔を見下ろす。寝顔を見るのなんていつぶりだろう。
まだ薄暗くて顔色はわかりにくいが、目元に少し影が落ちているように見える。
無理をさせた事に、今さら思い当たった。
それに、ダンスで薄らと汗ばんだ肌に、明け方の空気は少し寒いのではないだろうか。
ジェイクは周りを見渡し、少し離れたところで穏やかに談笑をしていた老夫婦に目を留めた。
近づいて礼を執る。
「突然の御無礼をお許しください。騎士団のジェイク・ケリーと申します。すみませんが、連れが寝てしまって。馬車を手配して来るので、ここからで結構ですので、彼女を少しの間見ていて頂けないでしょうか」
知らない人物に頼み事をする事に気後れはあったが、眠っているヴィッキーを任せる相手としては、ざっと見回した限りでは一番安心できそうな相手に思えた。
幸い、老夫婦は、気さくな様子で、快く承諾してくれた。
「随分と楽しそうに、ダンスをしていたわね」
夫人ににこやかに言われて、ジェイクは心の中で赤面する。あれを見られていたのか。すっかり周りが見えなくなっていた。
「見ているこちらも若返るようなダンスだったわ」
にこにこしてなおも感想を伝えて来る夫人に、ジェイクは上手く返すことができない。
いえ、とかどうも、とか何とかひと言ふた言話して、頭を下げた。
社交辞令は苦手なりに最近は様になってきたと自負していたが、少しでも本心に触れてくるような言葉にはからっきしだ。ヴィッキーが起きていたら、きっと駄目出しをされただろう。
「若返るのは気持ちだけだがな」と豪快に笑う主人の言葉は夫人に華麗に無視される。
「広間は、私達には、華やかすぎて。ここの方が落ち着くのよ。でも少し寂しいなと思っていたら、思いもかけず、素敵なものを見せて頂いたわ」
どうもありがとう、と夫人は笑う。
ジェイクは再び深く一礼した。
社交界だのダンスだの、どう考えても自分には苦手分野で、練習も最低限しかしていない。
それなのに、中庭に誘い、一緒に踊ろうと手を差し伸べたのは、幼かった頃、練習相手役を素っ気なく断った時のヴィッキーの哀しそうな顔がよぎったからだろうか。
踊っているヴィッキーの嬉しそうな顔を見ているうちに、自分はずっとこうしたかったのだと、初めて知ったのだった。
小さい頃から、近所の子供達に混じっていつも庭や森で遊んでいた。
幼い頃のヴィッキーはそこまで活発な少女というわけではなかったが、自然の中にいるのが好きな子だった。
ライラック邸のお嬢様と呼ばれて、周りの子供達からは一目置かれているようなところもあった。ただ、ジェイクから見たヴィッキーはどちらかというと、ちょっと変な奴という認識だった。
「見てジェイク。いいものひろったよ」
そう言って目を輝かせて見せてくるものは、森で拾ったという鹿の角だとか、玉虫の死骸だとか、蛇の抜け殻だとか。あまり世の中のお嬢様どころか、一般的な女の子が喜びそうには思えないようなものばかりだった。
馬のお産で一晩中納屋に詰めているのも、川釣りして焼いた魚に頭から齧り付くのも、同様にお嬢様らしい振る舞いとは思えない。
一方で、甘いものに目がないという女の子らしいところもあり、よくジェイクに「今日のおやつは最高だから」と半分くれたりした。
正直に言えば、ジェイクはあまり甘いものが得意ではない。
そんなに好きなら全部自分で食べれば良いのにと思ったものだが、断ることはしなかった。ヴィッキーが嬉しそうに大口を開けて菓子を食べるところを見るのが好きだった。
ヴィッキーお嬢様に怪我をさせるような事はくれぐれもするなと両親や屋敷の使用人達から口うるさく言われ、面倒くさいと思ったこともある。
それでも、一緒にいるのをやめる気になれなかったのは、側にいると心地良かったからだ。
だから、ヴィッキーの淑女教育が本格的になって、流石にあまり外で遊ばなくなった時は、どうすれば良いのかわからなくなってしまった。
頭では、伯爵家の令嬢と使用人の息子という立場の違いはわかっていると思っていた。だが何となく、ずっと今のような関係が続くと思っていたのかもしれない。
いつも見ていた姿があまり見えなくなったことに、意外なほど動揺している自分がいて、屋敷で執事をしている父にも諭された。
——この家の人は寛容なので、ヴィッキー様とジェイクが親しくしていても咎めることはなかった。
でも、大きくなってくると、今のままではいられなくなる。ヴィッキー様はやがて社交界に出て、爵位を継ぐ人物と結婚する。親密になりすぎると後々辛くなるのはジェイクの方だ。
今までは子供同士と言うことで見逃されてきたことも多かったが、これからは一線を引くようにした方が良い。
改めて告げられた事実は、ジェイクを打ちのめした。
ヴィッキーが、自分ではない誰かと結婚すること。
自分はそれを、離れたところから見ていなくてはいけないこと。
お屋敷のお嬢様と、使用人の息子。
身分が違う事などわかっていると思っていて、実は何もわかっていなかったのだと思い知らされた。
ダンスの先生に教わったというステップを、無邪気に披露するヴィッキーにも、無性に腹が立った。
一緒に練習しようという手を振り払って、背を向けた。
子供だったと思う。それでも『誰か』の練習台なんて真っ平だったのだ。
13才で家を出て士官学校に入った。
騎士を志望する事を話すと、止める者も多かった。
兵士は過酷な職業だ。場合によっては命のやり取りをしなくてはならない。軽い気持ちでなるものではない。
周りの大人からはそう諭されたが、頑として意志を変えなかったのは、地元の子供相手に教えている武術師範が言った他愛の無いひと言が、光明のように見えたからだろうか。
——お前、適性あるよ、剣士の。王立騎士団に入って、騎士爵にでもなったら、貴族の仲間入りだな。
それがそんなに簡単なことではないとわかっている。
でも、一緒にいることができないなら、せめてあの子がいるこの国を守れたら。
父は、そんなジェイクに何か思うところがあったのだろうか。息子が危険な道へ進もうとするのを良く思わない母親を説得して、士官学校へ入学する手続きを取ってくれた。
ただし、中途半端はするなよ、との言葉と共に。
その後数年を、ほとんど帰省もせずに、王都の士官学校で過ごした。
時おり届いたヴィッキーからの手紙には、迷いながらも返事を出すことはしなかった。過酷な訓練で心が折れそうな時には何度も取り出しては眺めた。
未練を断ち切ろうと領地に帰ることも手紙の返事を出すこともしないのに、届いた手紙は捨てられない。我ながら何をやりたいのかわからなくて自嘲してしまうが、そうやって乗り越えるしかなかったのだ。
16才になった年、社交デビューのために初めて王都に出て来たヴィッキーは、ハミルトン家のタウンハウスから、士官学校まで、綺麗に装った姿を見せに来た。
これから宮廷舞踏会に向かう途中だと言う。
「たまたまお城への通り道の近くだったから。ジェイクったら、ちっとも領地に戻ってこないんですもの。アルベルトさんも、エマさんも、社交シーズン中は王都の家にいるから、いつでも来てね」
久しぶりに見たヴィッキーは、いかにも良家の令嬢といった感じの女性になっていた。白いドレスが夜目にも輝いて見える。
その姿を見て何と言ったかは覚えていない。汗臭い訓練服の自分と、美しく成長して城へ出掛けてゆくヴィッキー。彼女がすっかり自分から遠い存在になってしまったような気がした。
決して自分のものにはならないとわかっていたのに、他の男と踊るために城へと出掛けて行く彼女を引き留めたくて仕方なくて、ひどい顔をしていたと思う。
結局、その後タウンハウスに顔を出すことはしなかった。