没落した伯爵家の令嬢だった私が男爵家の侍女になるまで
没落……それは貴族がもっとも恐れるもののひとつだろう。
伯爵だった父は、人の良いのが取り柄で、その人の良さと少しの考えの至らなさゆえに、流行りの投資詐欺に引っかかり、あっさりと財産を失ってしまった。
そして、損失を補填しようと慣れない事業をはじめて馬車馬のように働いた挙げ句、仕事中に突然倒れ、そのまま目を覚まさずに帰らぬ人となった。
時をおかずに元々身体の強くない母も心労で倒れた。
父の持っていたハミルトン伯爵位と屋敷と領地は聞いたこともないぐらい遠い親戚が継いだのだが、元はと言えば、自分が身体が弱くて一人娘(私のことだ)しか残せなかったことで、爵位を手放す羽目になってしまったと、ずいぶん自分を責めたらしい。
え、それなら私もごめんなさい。男じゃなくて。さっさと後継の結婚相手を探せなくて。
とは思っても、毎日泣いて暮らす母にそんなことを言っても余計に追い詰めるだけだったので、母の妹のマリー叔母さんの家に母を預かってもらって、私は自分の生きる道を模索することにした。
私が女当主になるという手もあったんだけど、借金を返せる手腕は多分私にはないし、伯爵を継ぐ条件のひとつである配偶者を探そうとしたところで、お金があって遣り手で、いまや名目だけになった伯爵家と、この屋敷の使用人と領民たちの面倒を丸ごと見ても良いですよ! という人を期限内に見つけ出すことはできなかった。
候補が全くいなかったわけじゃない。お父様よりも年上の、爵位目当てであることを隠しもしない、いわゆる成金男性だとか、貴族階級だけど継承権を持たない、女癖が悪い浪費家で有名な子爵家の四男坊とか。
そういう人たちから何度か声は掛けられたものの、どうしても、一緒に領地を盛り立てていけるイメージが持てなくて、爵位を継ぐことは諦めたのだった。
遠縁の親戚に爵位を譲る手続きを全て終えると、私はさっさと都会に移って、住み込みの働き口を探した。
没落した貴族の令嬢なんて、身体を売ったり、奴隷同然の肉体労働をしなくてはいけないのだろうか、と覚悟していたのに、意外にあっさりといい感じの話をもらった。
何やら、とある男爵家で貴族のしきたりに精通している住み込みの侍女を探している、ということである。
その話をくれた人は、元伯爵家のお嬢様に男爵家の侍女なんて、と何だか恐縮していたけれど、とんでもない。良い話だとありがたくお受けした。
そんなわけで、今、私は、コールマン男爵家の侍女をやっている。
この仕事を紹介してくれた人と同じく、没落令嬢の成り行きに同情の眼で見られることも少なくない。でも、意外や意外。
「ヴィッキー! 相談があるの」
「はい、何でございましょう、奥様」
「エリサが社交界デビューする宮廷舞踏会の事だけど、ドレスはどうすればいいのかしら」
「エリサ様もう16才におなりですのねえ。王宮からのご招待ですから、本来はきちんとしたものが望ましいと思いますが」
「それが、実は予算があまり無いの。エリサに去年新調したばかりのドレスはもう着られなくなっているし。成長期の娘はお金がかかるわあ」
コールマン男爵夫人は貴族の妻だというのに随分忌憚のない物言いをする人だ。
実は、ここのご当主夫妻は元々外国の方で、商売で成功してこの国に移住する際、男爵位を買ったのだという。
大きな取り引きをする際は爵位があったら信用されやすいと言われ、貴族とは名ばかりとなった貧乏男爵から爵位を買ったものの、伝統を重んじるこの国のしきたりはわからない事だらけなのだとため息を吐かれた。
しかも、たとえ腐っていても男爵位。買うために莫大なお金を使ってしまったので、今は決して裕福という状態ではないらしい。
商売の方は順調なので、一時的なものみたいだけれど。
「お任せください」
私は笑ってみせる。
「最近は既製服でも質の良い店がありますの。腕のたつ職人を知っておりますわ。今度奥様とお嬢様と一緒に行ってみましょうか」
「まあ、既製服。何だか安っぽいイメージがあるけど……。それに、サイズは大丈夫なの?」
「デザイナーは王族の服も手がけていた人で、貴族の顧客も多い店です。エリサ様は標準的な体型でいらっしゃいますし、少々の仕立て直しならその場でやってくれますから。問題はないと思いますよ」
そして金額の目安を言うと、男爵夫人は、まあ、そんなに安いのね、と驚きと安堵が混じった顔をした。
「ヴィッキーは何でも知ってるのね。こう言う情報はなかなか社交界では入って来ないのよ。ほんとに助かるわ」
そう、私はどうやら侍女に向いているようなのだ。生まれた時から息を吸うように吸収していた知識を、それを必要としている人に伝えるのは楽しい。
この家はご主人様をはじめ、みんな素直に感謝や感動を伝えてくれる。それが、私には新鮮だった。
貴族たるもの、できるだけ喜怒哀楽は表に出してはいけない、常に微笑みの仮面を被って外してはいけない。腹芸ができないといけない。それが洗練とされるような貴族社会の社交の場がもしかして私に合っていなかったのではないかと気づいたのは、皮肉にも貴族という立場を離れてからのことだ。
十八で伯爵の娘という立場を捨てなくてはいけなかった私が、この家にお世話になってもう二年になる。
両親のことは今でも懐かしく思い出すけれど、社交界や貴族としての暮らしには、自分でもびっくりするほど未練を感じないのだった。